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レジ袋を使わないだけで、世界は救えない

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イギリスのスーパーマーケット等で、商品を入れるレジのビニール袋の有料化(5ペンス)が始まったのは、2015年と、もう6年も前の話になります。5ペンスでも、今まで無料だったものにお金を払うのは嫌だと、この影響で、一回のみ使う薄いビニール袋(single-use plastic bags)の使用率は、83%も減ったとされます。その代わりに、何度も繰り返し使えるという名目で、バッグス・フォー・ライフ(一生ものバッグ、bags for life)を各スーパーマーケットは店頭に並べ、盛んに売りだしました。 考えとしては、理にかなっているものの、一生ものバッグは、通常のレジ袋よりも耐久性が要求されるため、まず、製造過程で、ぺらぺらビニール袋より多くの素材(プラスチック)が必要とされ、さらには、多くのエネルギーも必要。よって、最低でも、4回から11回ほど(これは各バッグの厚さにより異なる)使用しないと、ぺらビニ袋より環境に悪いそうです。 ところが、特に、有料化導入直後のころは、自分でバッグを用意するのを忘れる人が多く、しかも、このバッグ・フォー・ライフが、確か、当時は、10ペンス~30ペンスくらいと、安価であったためから、何度もこれを買って、家に、各スーパーのバッグ・フォー・ライフがごろごろしてるなどという家庭も多くなってしまい、一生ものどころか、1,2回使ってまた買い足すという人が多く、最終的に、プラスティック使用量が以前より増えてしまったという、どうしょうもない結果に。通常のレジ袋は、今はほとんどスーパーからは姿を消しています。このバッグ・フォー・ライフの問題も各スーパー色々、見直しを行っているようではあります。 実は、我が家も、有料化直後、大手各社のスーパーマーケットのバッグス・フォー・ライフは3,4個買ってしまい、やがて、これらのバッグは、いらなくなった本や衣料などを入れて、近くのチャリティーショップ(慈善のための中古ショップ)に寄付してしまいました。この厚手プラスティックのバッグス・フォー・ライフは、けっこうかさばるので、車のトランクに入れておけばまあ問題はないでしょうが、徒歩で出かける場合、ポケットに入れていつも持ち歩くには不適切で、やがて、ぐしゃっと丸められる布製マイバッグを、ポケットやハンドバッグの底に入れて出かけるのが習慣になりました。布製なら洗えるし。そう、こ

バイオダイバーシティー(生物多様性)の低い国イギリス

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 イギリスは、バイオダイバーシティー(Biodiversity、生物多様性)が非常に低い国である、というニュースを聞きました。G7の国の中では最下位、また全世界中でも、下からの10%に入るというお粗末な結果。ちなみに、G7で一番の生物多様性を保っている国は、カナダで、それから、ドイツ、フランス、イタリア、日本、アメリカ、そしてイギリスとなっています。  日本は国土の70%近くが森林だというのに、もっと上でもいいのではないか、という気がしますが、日本の森林は、杉やヒノキなどの人工林が占める割合が非常に高いのがマイナス。要するに森林面積は広くても、種が限られ、モノカルチャーであるため、多種多様の昆虫や生物を支えることができない、おまけに、花粉症という弊害もある。このため、日本がこのバイオダイバーシティーリストの上にあがっていき、生物種の絶滅を防ぎ、バランスを守るためには、広葉樹林の拡大が望ましいようです。 カナダのように、人口のわりに、国土面積が広いアメリカなどが、 日本より悪いというのは、単一穀物を育てる、地平まで続く超大型農地が多いためでしょうか。これはあくまで、憶測です。 さて、イギリスは、ヨーロッパの他国に比べて森林面積が狭いという話は、前々から聞いて知っていました。その理由のひとつには、とにかく、国が たいら であるという事があったようです。 ストーンヘンジ などを作った、大昔のご先祖様たちの時代から、とにかく、木を切って土地を開拓するのが比較的楽であったので、どんどん、木がなくなっていった。そして、産業革命を最初に成し遂げ、ますます、手つかずの土地が減っていき。昔のままの姿の森林というのは、たしかに、イギリス国内でぽつん、ぽつんです。ドイツ、フランスなどは、グリム童話の背景に、今でも使えそうな森林がたくさん残っている感じはします。 庭に来る ブラックバード や ロビン などの鳥たち、 ハリネズミ 、町の中心に行く途中のやぶから飛び出すうさぎ、など、その辺でわりと小動物と遭遇する機会が多いので、なんかイギリスは、自然たくさん、というイリュージョンはあります。 ロンドンなどにしても、キツネが庭に出没したり、ハイドパークやら、ハムステッドヒースやらと広大な緑地が多いのも、緑大き国のイメージにつながっていますが、緑=バイオダイバーシティーという方程式はなりたたない。

ロンドン市場への七面鳥とがちょうのマーチ

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...this county of Suffolk is particularly famous for furnishing the City of London and all the counties round with turkeys, and that it is thought there are more turkeys bred in this county and the part of Norfolk that adjoins to it than in all the rest of England. ..I shall observe how London is supplied with all its provisions from the whole body of the nation, and how every part of the island is engaged in some degree or other of that supply. For the further supplies of the markets of London with poultry, of which these countries particularly abound, they have within these few years found it practicable to make the geese travel on foot too, as well as the turkeys, and a prodigious number are brought up to London in droves from the farthest parts of Norfolk They begin to drive them generally in August, by which time the harvest is almost over, and the geese may feed in the stubbles as they go. thus they hold on to the end of October, when the roads begin to be too stiff and deep

イギリスのNAI・NAI ’21

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イギリス の現与党、保守党の党大会が、昨日、道化師 ボリス・ジョンソン のスピーチで閉会しました。 現在の トラック運転手不足 や、天然ガスの値段の高騰により起こっている 多種の弊害 、豚農家で、サプライチェーンの人出不足のため、市場にいきつかない豚を農場で大量に殺すはめになる事態が起こっていることには一切触れず。これからの社会の行方の責任は全て各業界になすりつけ、人材不足があれば、EU労働者に頼らず、業界が高い賃金さえ払えば、何となかなるとった態度。この「何とかなる」っていうのは、非常にイギリス的なものです。ぎりぎりまで、何もしない、その場に及んだら何とかなる。晴れのうちに屋根を直せってことわざがありますが、そのまるで反対。 ボージョーは、イギリス人の若者をトレーニングすればいい、機材投資をすればいいなんてのも繰り返し言ってましたが、そのトレーニングやら機材投資に一体何年かかるのか。それにかかる費用を一体だれがまかなうのか。また、 各セクターでの人件費の高騰がインフレへつながり、大騒ぎになった70年代の 「不満の冬」 の再来となるのではないかと、心配する人もいるようです。ガスの値段の高騰で、すでに、インフレの影がのびているところへもってきて。 さて、この農場での、豚の大量の殺害ですが、動物福祉と衛生管理上、これには、獣医の立ち合いが必要なのだそうですが、なんと、その獣医の数も足りていないという話。さらには、殺した後の死骸を処理するためのトラックのドライバーも足りず、山積みの死骸をどうするかも、各農家頭が痛いようです。こうして、動物福祉的には比較的優秀で、質のよく健康的に育ったイギリス国内のブーちゃんたちが、不必要な無駄死にをしている中、EUからどんどん豚肉が輸入されています。こういった肉は、2,3年前には、イギリスの農家を手伝っていた、まったく同じ人たちが新しく探して働きだした、EU圏内の農家や屠畜場から来ているのかもしれません。・・・・・。  こんな話を聞いてきて、大昔はやった、シブがき隊のナイナイ16(Nai Nai 16)という歌が頭の中で鳴り出して止まらなくなり、替え歌を作ってみました。もう、ここまできたら、笑うっきゃないですからね。 ユーチューブで、原曲を探して聞きながら、読んでみて、一緒に歌って、笑ってください。そして、日本も同じ道をたどらないように教

ハート型の葉の観葉植物たち

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最近になって、観葉植物をふたつ増やしました。 フィロデンドロン ブラジル(Philodendron headeraceum "Brazil")と、ハートカズラ (Ceropegia woodii)。両者とも、葉っぱが ハートの形 をしていることで知られています。最近は、こんなものも、インターネットで買えるので便利。ふたつとも、小さな段ボール箱の中、紙にくるくる包まれた形で、到着しました。  フィロデンドロンは、中南米原産の植物。木に這い上がったり、つる下がったりして育つ植物なので、ギリシャ語で、philo(好む)+dendron(木)で、「木を好む」というこの性質から名前がついています。ついでながら、日本のシャクナゲは、英語ではロードデンドロン(rhododendron)という舌嚙みそうなものですが、こちらは、やはり、ギリシャ語の、rhodon(ばら) + dendron(木)で「バラの木」の意味からきています。さらなる、ついでに、ギリシャのロードス島(英語はRhodes)も、この古代ギリシャ語の「rhodon(ばら)」から来ており、「ばらの島」意味・・・。と、切りがないので、脱線はこのくらいにしておきます。 観葉植物としてのフィロデンドロンは、上述の通り、葉がハート型であるため、恋人の植物(Sweetheart plant)などとも呼ばれるそう。私の買った、ブラジルという品種は、1991年に開発されてデビュー。もとのフィロデンドロンが、濃い緑一色の植物であるのに比べ、ハート型の葉っぱのそれぞれに、思いのままに筆で描いたようなライムグリーンのパターンがついているのが特徴。この色の組み合わせがブラジルの国旗に似ているため、ブラジルと命名されたようです。 この植物は、かつて、知り合いの家に遊びに行ったとき、彼女の居間に長く垂れ下がったのを見て、きれいだなと思い、「これ、なんという植物?」と聞いても、彼女は人からもらったから、と知らなかった。その時の強い印象は、葉っぱがハート型というより、若い葉が、今まで見た植物の中でも一番きれいなライムグリーンだと感じたこと。それが、先日、お隣さんが、読み終わったからと私に回してくれた植物雑誌に、フィロデンドロン ブラジルが紹介されているコラムを見つけ、あ、あそこで見たのは、これだった、と思ったのです。比較的日当た

カフカ的悪夢

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 昨日の早朝のラジオをベッドの中で聞いているとき、米の歌手、ブリトニー・スピアーズがついに、彼女の人生をがんじがらめにしていた父親を後見人から解除することが、ロサンゼルス裁判所に認められた・・・というニュースが流れました。その報道の中で、「(これは)スピアーズさんの自由と、父親により、彼女の人生に強要されていた カフカ的 悪夢を終わらせる、必要であり、重要な意味を持つ第一歩」(a necessary first and substantial step towards Ms Spears's freedom and ending the Kafkaesque nightmare imposed upon her by her father)  という、彼女の弁護士の言葉が引用されていました。  Kafkaesque(カフカの様な・カフカ風の)という言葉はわりとよく聞きます。カフカは、もちろん、ある朝、目が覚めると巨大な虫に変わってしまっていた主人公が登場する「変身」などの小説で有名な、フランツ・カフカの事で す。カフカエスクは、彼独特の世界が放つ、不条理な、常識では測りかねない、まるで意味を成さないような苦境を形容するときに登場する表現です。この場合のように、往々にして、「ナイトメア、悪夢」という言葉と一緒に使われる事が多いです。 ちなみに、「-esque」は、もともとはフランス語から来た接尾辞(suffix)で、名詞や人の名前のあとにくっつけて、xx風、xxスタイル、xxのような・・・といった意味の形容詞になります。綴るときには、基本的に間にハイフンは入れません。「-like」などと似た感じですね。Ladylikeで、淑女風。Christlikeで、キリストのような。ついでながら、ドイツ語由来の接尾辞-ishも、「・・・のような」の意味を持つので、ニュアンスは似てます。foolishは「ばかみたいな」。boyish「少年風」なんてのは、「彼女はボーイッシュな髪形が似合う」なんて感じで、半分日本語にもなってますね。 エスクがつく日本人にもおなじみの言葉には、アラベスク(Arabesque)があります。Arab + esqueで、アラブ風、アラブ式。 グロテスク(grotesque) なんてのも、お仲間。grot(to)は洞窟のことですが、洞窟のような、から

イギリスのトラックの運ちゃん不足

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 トラック野郎、というと、私はいつも、伊丹十三監督の映画「タンポポ」に登場する山崎努を思い出します。パチンコ台のような派手なトラックを運転する菅原文太の70年代の映画シリーズ、「トラック野郎」は、イメージだけはあるものの、映画として最初から最後まで見たことがないので。今になってから、ちょっと見てみようかな、という気も起っていますが。 「タンポポ」では、さすらいのカーボーイ風の格好をしたトラック運転手が、ある日、仕事の途中で、まずいラーメン屋に立ち寄る。そして、そこの未亡人経営者を助けて、立派な美味しいラーメン屋にし、格好よく、再び風のように去っていく、という内容でした。シェーンかなんかの西部劇のパロディーのような感じ。これは、ロンドンのハムステッドにあるエヴリマンという名画座風の映画館で見て、よく記憶に残っているのです。場内でのイギリス人観客の反応もなかなか良かったです。 欧米で、こうしたトラック運転手をヒーローにした映画というのは、ちょっと思い当たりません。イギリスで長距離大型トラック運転手というと、なぜか、太めで、とても不健康な様子をした人を思い浮かべてしまいますので、あまりヒーローという感はないし。ぱっと浮かぶところで、アメリカの1971年のスピルバーグ監督の映画、「激突!」(英語の原題はDuelで、決闘の意)ですか。あれに出てくる、大型トラック運転手は、ヒーローどころか、道でサラリーマン運転の乗用車に追い抜かれた、ただそれだけで、恨みを持ち、その車を追い回し、大きな車体で体当たりしてくるという、とんでもない奴でした。それに運転手は顔を表さず、手だけしか見えないというのも不気味で、下手なホラー映画より恐ろしかったですね。  さて、なんで、こんな話をしたか。イギリスでは現在、トラック野郎ならぬ、HGV(Heavy Goods Vehicle 大型トラック)ドライバーが不足で、物流に大きな影を落としています。 特に、ここ数日、問題になっているのが、石油をガソリンスタンドに運ぶタンクローリー運転手の不足で、いくつかのガソリンスタンドが商品切れで、閉じてしまうという騒ぎ。思えば、タンポポのトラック運転手も、たしか、ガソリンを運ぶタンクローリードライバーでしたかね。 それで、政府が、「ガソリンはたくさんあります。運転手の数が少ないだけなので。Don't pani

二酸化炭素(CO2)の使用法

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  Water, water, everywhere But not a drop to drink 水、水はそこらじゅうにあるが 一滴も飲むことはできぬ これは、イギリスの詩人サミュエル・テイラー・コールリッジによる「老水夫行」(The Rime of the Ancient Mariner)内に出てくる有名な一節。 前回の記事 でも言及したように、肥料用に硝酸アンモニウムなどを製造しているアメリカ所有の肥料会社が、エネルギーに使うガスの値段の高騰により、生産を中止したため、イギリスで、その副産物である二酸化炭素の不足が起こっています。エネルギーをあまりにガスに依存しすぎていたため、起こっている弊害。 (ちなみに、この工場でメインとして製造している硝酸アンモニウムって、ベイルートで巨大爆発を引き起こした、あれです。無害なイメージのする畑の肥料でありながら、不適当な長期保存をしておくと、ああいう危険な爆発を引き起こす代物。) それこそ、海に、水ならたくさんあるけれど、飲むことはできないのと同様、地球温暖化で二酸化炭素はたくさーんあるはずなのに、いろいろな場面で使用できる二酸化炭素が不足しているという事態です。 それでは、産業用の二酸化炭素というのは、 実際どういうところで使われているのか。  まず、一番最初に頭に上がるのは、ソフトドリンクをはじめとする、 炭酸の入った飲み物 ですよね。その他には、野菜や果物の移動などの際、腐敗を遅らせるためのパッキングに使用。また、乳製品や他の加工食品の棚持ちを長引かせるためにもつかわれています。肉類に関しては、にわとりや、豚などを、動物福祉にもとづいて、屠畜場で、まず、二酸化炭素で気絶させてから、殺すということをしているそうなのです。 食べ物以外では、医療現場で活躍することも多く、 薬品などの移動の際、また、手術室でも、色々な医療用ガスが使われているそうですが、二酸化炭素はその中でも使用度が高いものだということ。 このほかにも、探せばきっと、もっと色々使われている現場があるのでしょう。 ですから、この肥料会社が製造を止めてしまったことによる、二酸化炭素不足の危機感に対する悲鳴は、色々なビジネスからあがっています。なんでも、イギリスで使用されている二酸化炭素の60%は、この肥料会社により供給されているそうなのです。 このままでは、こ

ちょっと遅い、残暑お見舞い

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  秋分の日も過ぎ、残暑お見舞いというには、遅すぎる季節となりました。 が、今夏、諸外国いろいろな場所で、暑さで森林などが炎上している最中、イギリスだけは、太陽から見放されたように、薄らくもり、ジト雨が降り、出した夏服もほとんど着る日がなかった気がします。そのため、せっかく庭に植えた、オレンジがかったひまわりも、非常に発育が悪く、9月も頭から、ようやく咲きそろい始め、今やっと、全部咲いたかな、という感じです。ここ数日の秋日和がうれしいところです。 しばらくブログ離れをしていたので、イギリスの昨今の近況をまとめ書きしてみます。 コロナ感染の昨日の数値は、感染者数34,460人、 感染してから28日以内で死亡 した人の数は166人。人口は日本の半分くらいの国で、ワクチン接種割合も上でありながら、いまだ、日本より高い数値です。 データは下の政府のサイトより https://coronavirus.data.gov.uk/   にもかかわらず、現在、公共交通機関、店やレストラン、バーなどでは、一切マスクをする義務はありません。地元のスーパーなどに行くと、「念のためにマスクをしましょう」という看板が出ており、私もいまだに入店する前にマスク着用しますが、していない人もかなりいます。 義務付けないと、着用しないという人の数は多いですから。このご時世に、咳してるのにマスクしてないで大手を振ってスーパーで買い物してる人の姿は、見ていて気味のいいものではありません。せめて、公共交通機関くらいは、マスク着用を政府が義務付けてほしいと思うのですが、保守党内には、自由の抑圧であるという大義名分を出す、いわゆるマスク反対派が多く、また反マスクの国民にいい顔をするために、行っていません。これから、冬に入り、インフルエンザなども増えていく中、これでは電車に乗りたくないですので、ロンドン行きも、しばらくは個人的には断念です。心配性の日本人ですから。。。 はっきりいって、もうこの国は、どんなに注意したって、死ぬ人は死ぬんだから、と切った感じがします。旅行もかなり制限がなくなり、いろんな所から、 コロナの新種を持ってきたらどうするんでしょうか。 そろそろ、50歳以上の人間に、3回目のブースターのワクチン接種を行う計画が出ていますが、これは、すべてファイザー社あるいはモデルナのものになるということです。な

国勢調査(センサス)の日

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本日は、イギリスでは国勢調査(センサス Census)の日です。 国勢調査のようなものは、場所によっては、大昔にも行われていた形跡があるようで、ジョーゼフとマリア様が、ベツレヘムへ向かったのも、確か、ローマ帝国での国勢調査のためとかいう話でした。その後、マリア様は、厩でキリストを生むこととなります。(これに関しては、過去の記事「 ベツレヘムへ 」まで。) イギリスでの国勢調査は、1801年に始まり、その後、戦時中の1941年を除き、絶えず、10年に1回行われてきました。国家統計局(Office for National Statistics)により執り行われます。今回は、スコットランドは、コロナのために1年延期という決断をしたものの、イングランド、ウェールズ、北アイルランドは、コロナでの地域による影響差も把握するため、延期無しで行われました。(まあ、いまだに独立にこだわるスコットランドは、イングランドと足並みをそろえたくないという頭があり、延期は、政治的決断であるのかもしれません。)また、今回は、主にネット上で行う、最初のセンサス。我が家も、ついさっき、オンラインでの記入提出を終えました。いわゆる、全国民の同瞬間のスナップショットを見るため、本日みな、一斉に現状を記入することとなります。もっとも、その日の前に記入も可能ですが、情報は、本日の段階を考慮しての記入となります。 すでに1か月くらい前から、「もうすぐセンサスです」とお知らせのはがきが2枚届いており、やがて封書で、オンラインフォームにアクセスする時の各戸別のコードを書いた手紙が届きました。ついていた情報冊子によると、センサスの提出は国の法で決められているので、やらない者には1000ポンドまでの罰金がかかることがあるとのこと。紙のセンサスが欲しい人は別個に申し込むことになるようです。記憶はおぼろげですが、前回(10年前)は人が回ってきて、書類を渡されたような記憶があります。記憶違いかもしれません、10年ひと昔ですからね。そうして入力された内容は100年の間は、秘密に保管されるとのことで、どこの誰がどんな暮らしをしているというのが、個別にはわからないようになっていると、個人情報が漏れるのを心配する人のために書かれてありました。 国勢調査の目的というのは、地方自治体や慈善団体などが、どの地域に、どんなもの、どういっ

ロンドンでワクチン接種

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エクセルセンターの前に立つドックランドの労働者を記念する銅像 イギリスでのワクチン接種は、すでに去年12月初めに、高齢者から始まり、かなり急ピッチで進んでいます。リスクグループに属するうちのだんなは、1月後半に受けました。3月中旬の現段階で、人口の3分の1がすでに、1回目のワクチンを受けているとの事です。 ワクチンの供給量と配布速度に、波と限度があるため、できるだけ多くの人間に少なくとも1回目の接種を行おうと、イギリスでは、1回目の接種と2回目の接種の間隔を、製造業者から勧められている3-4週間ではなく、3か月とかなりのはばを取っています。実際のところ、3か月くらいの間隔を開けた方が、効き目があるという説もあるし、1回目の接種だけで、コロナ重症にかかる可能性はかなり減るらしく、全おとな人口に、ある程度の感染抵抗力を与えるには、これは、悪い対策ではないと思います。 さて、先週頭から、私の年齢グループにも、イギリスの医療機関であるNHSから、1回目のワクチンのお誘いの手紙が来たので、さっそくオンラインでべニューを探し、先週中に打ってきました。近場のワクチン接種所を探したのですが、この周辺では、車で行ける場所以外(私は運転せず、10か月近く動かしていないだんなの車は車検切れ)、今のところ空きがなく、早めに終わらせたかったので、はるばる1時間かけて、ロンドンのエクセル・センターを選び、お出かけしました。(エクセル・センターについては、過去の記事「 ロイヤル・ビクトリア・ドック 」まで。) だんなを含めた、すでに接種を受けている近所の人たちは、皆、近くの歩いて行ける家庭医からの電話連絡を待ってから、そこで受けたようですが、いつになるかわからない連絡を待っているのも嫌だったので。特に今は、すでに1回目を受けた人たちの、第2回目の接種も始まっているため、家庭医もてんてこ舞いのようですし。 ロンドンへ向かうがらがら電車 とにかく、電車というものに乗るのは実に1年ぶりで、やや、緊張。混んでたらどうしよう、マスクをしていない人が沢山いたらどうしよう、と多少の不安はあったのですが、テレワークを基本としているロックダウンのイギリスで、必要のない人がむやみやたらに動き回ることは禁じられているため、ロンドン行の電車はそれは静かでした。行などは、乗り込んだ車両には、私だけ。 エクセルセンターに行

水仙畑で花を摘むのは

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東京でも、もう桜の開花が始まったとか。イギリスには、日本のように、はっきりした桜前線の様な物はありませんが、やはり、春の花が最初に咲き始めるのは、イングランド南西部のコーンウォールなどの地。 コーンウォール州は、切花として販売する 水仙 (ダフォディル)の一大生産地として知られており、現段階で、世界水仙市場において、イギリスのマーケットシェアは、なんと95%、そのうちの78%は、コーンウォール産であるという事。そこでの収穫期間は、12月と早くから始まり、4月頃まで続きます。ところが・・・ 今年は、その広い、コーンウォールの水仙畑で、収穫と出荷に大幅な遅れが出、多くの花が開いてしまい(出荷は蕾のうちにやるのが必須)、そのまま朽ちてしまっているというのです。理由は、ブレグジット。今年1月からの、EUからの人間の自由な行き来が規制されたため、十分な労働者が雇えていないのです。 ダフォディルに限らず、ここずーっとイギリスの農家では、収穫は、主に東欧からの季節労働者や移民に頼っていました。その人たちが、来れない、または、来にくくなって、今年の労働者は、例年の半分近くまで減ってしまっているようです。水仙農家は、地元のイギリス人も雇用を試みたものの、応募してくる人もあまりおらず、実際、働き始めても、天気が悪い、疲れる、などで、2,3日で来なくなってしまう事が往々。もともと、ブレグジットの要因のひとつが、東欧からの移民が多すぎる、あいつらが、俺たちの仕事を盗む、といったような反移民感情だったので、なんとも皮肉。 (ついでながら、東欧のおねーちゃんたちなんて、イギリス人よりすらっと痩せていて、こぎれいで、よく働きそうで、気が利きそうな人が多い気がするんですがね、私は。) 収穫されず枯れるダフォディル 食物を育てる農家は、それでも、政府による緊急処置として、ある程度の数の海外労働者を雇えるようなスキームを使用することができるそうなのですが、花の栽培者には、それは適応されていないため、今回の窮境に陥っています。 昔は、農家での季節労働もイギリス人が全部やっていたのです、当然ながら。ケントの田舎を舞台にした、H.E.ベイツの小説「 The Darling Buds of May 」でも描かれているように。ホップ摘み、いちご摘み、さくらんぼ、りんごなども、イギリス人の季節労働者や、ロンドンの

小さな恋のメロディ

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Who is the girl with the crying face looking at millions of signs? She knows that life is a running race. Her face shouldn't show any sign. Melody Fair, won't you comb your hair? You can be beautiful too. Melody Fair, remember you're only a woman. Melody Fair, remember you're only a girl. Who is the girl at the window pane watching the rain falling down? Melody, life isn't like the rain. It's just a merry go round. 泣き顔をしている子は誰?たくさんの兆しを見つめながら。 あの子は、人生が競争だと知っているけど、 憂いを顔に出さないで。 麗しのメロディ、髪をとかして。君も美しくなる。 麗しのメロディ、忘れないで。君は一人の女性。 麗しのメロディー、忘れないで、君はまだ少女だと。 窓枠の中にいる子は誰?雨が降るのを眺めている。 メロディ、人生は雨じゃない、 ただのメリー・ゴーランド。 (上の日本語歌詞は、私の個人的な意訳ですので、悪しからず。) ビージーズの歌う「メロディ・フェア」なぜか、先月辺りから頭に鳴り響き初め、ふと、この歌が挿入されている「小さな恋のメロディ」(原題:Melody)を見たくなりました。これは、確か、かなり大昔に見たはずなのですが、細部が思い出せなかったので。なにせ、作られたのは1971年と、50年ほど前。どへ!男の子の主役2人は、ミュージカル「 オリバー 」でお馴染みの、マーク・レスターとジャック・ワイルド(彼は、53歳と若くして、もう亡くなってます。見た時は気が付かなかったのですが、「 ロビン・フッド 」にも脇役で出ているようです。) なんでも、この映画は英米ではさほど成功しなかったのに、なぜか日本とラテンアメリカで大うけしたのだそうです。挿入歌「メロディ・フェア」がシングルとして発売さ

ビデオの背景に映る本棚

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コロナ禍のロックダウンにより、テレワークとなった人々がズームなどを用いたビデオ会議を行ったり、サークルなどの集まりもビデオ、またニュースでの著名人のインタビューなどもビデオにより、各人の自宅から、という事が、ずっと続いています。そんな時、自分の家の中で、どの部分を選ぶか・・・。ごく普通の居間のソファーからとか、キッチン、中にはおそらく家族の騒音を消すためか、屋根裏部屋や倉庫のようなところを選ぶ人もいます。 この中でも、背景に本棚が見えるような位置を選ぶ人もわりと多く、特に政治家や、家からニュースを読むキャスターなども、巨大本棚の前にどんと構えるのが目につきます。更に、そうなると、その本棚に何を並べるかが気になってくるのでしょう、オンラインで古本を売る大手の会社の経営者によると、去年の3月にイギリス一回目のロックダウンが始まってから、ビデオ背景の本棚を埋めるために大量の本を買い求める人が増えたというのです。読むための本ではなく、飾るための本。まあ、たしかに、自分の背後に三文小説などが並んでいてもいまいちだし、ダイエット方法とか、女にもてる秘訣、なんていうようなハウツー本があっても、恥ずかしい、そこで、そういうのは、取り除くでしょうが、わざわざ、大量買いをするか?インテリに見せたい、芸術に造詣が深いことをアピールしたい、など、色々、考慮、苦心して、背景には、他の人に見せたい自分のイメージを構成し得るような本選びに余念のない人もいるようです。 BBCのラジオ番組で、「 デザート・アイランド・ディスク 」という、著名人が、自分の好きな音楽をいくつか選ぶ、という番組がありますが、考えてみると、これなんかも、本当に純粋に好きな曲のみを選んでいる人もいるでしょうが、自分のイメージを作ることも考慮に入れて選曲をする人というのもいるでしょう。人間が社会的動物である以上、どんな人でも、自分の外への顔や印象は、意識的にせよ、無意識的にせよ、ある程度編集する、というのはあります。 そういえば、ロックダウンが始まってから、洋服の売り上げが減っており、現在、多くの人が、自分が持っている洋服のうち、70%ほどは使用していないのだとか。イギリスでは、スーパーや薬局以外の店は閉まっているので、洋服屋も開いてない、という事情もありますが、ネットでの洋服の売り上げも落ちている様なのです。たしかに、会社に

イギリスの赤い郵便ポスト

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イギリスの街並みを歩いて目に入る赤いもの・・・過去「 イギリスの赤い電話ボックスの歴史 」という投稿をしましたが、残念ながら電話ボックスはもはや、以前の目的で使われているものはほとんどない。赤いもので、現在も同じ目的で立ち続けるのは、赤い郵便ポスト。今回はこちらの歴史をざっと書いてみます。 以前にも、当ブログで紹介した、 ローランド・ヒル という人物により行われた、全国一律、1ペニーの切手で配達を行う事を含む、当時はGPO(Genral Post Office)と呼ばれた郵便局の改革により、手紙というものが、日常的に使用され、広がっていく中、さて、それを回収する場所となると、以前の通り、自ら、いくつか点在する回収場所へよっこら歩いて持っていく必要がありました。住んでいる地域によっては、かなりの距離を歩く事もあり、不便極まりない。 そこで、大陸ヨーロッパで行われていたという、鍵のついた、鉄製の収集箱をある程度の間隔を置いて、道路わきに設置するというアイデアを導入。これを考え付いたのは、当時GPOの職員として働いていた、英作家のアントニー・トロロープ(Anthony Trollope)。彼は、チャンネル諸島や、南西イングランドで、郵便配達ルートの調査や確立などの仕事をしている時期があったそうで、そのため、英国初の郵便ポストは、チャンネル諸島のジャージー島に設置される事となります。1852年11月の事。翌年には、イギリス本土にも設置され始めます。ジャージー島の、郵便ポスト第1号は、赤色であったようですが、その後、1859年くらいまでに形も色も一定化し、色は、殆どが、当時ファッショナブルであったとかいう濃い緑色であったのだそうです。 ただし、ロンドンなどの大都市ならともかく、田舎で緑となると、風景に溶け込んでしまい、遠くから見ると、それとはっきりわからないため、見つけにくいという問題が浮上。そこで、カモフラージュでもあるまいし、「やっぱり目立つ赤がいいんじゃないの?」となったようで、1884年くらいまでには、新しいものは赤、古い物も塗りなおしが行われ、現在に至っています。 イギリスの郵便ポストの形は、最初は6角形などもあったようですが、主に鉄製の円柱型で、てっぺんは、投函口に雨が振り込まぬよう、丸型の浅い帽子のようなものでおおわれています。柱の様であるため、post box

クロッカス

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今週は、かなり気温が上がり、本日は16度くらいもなるという嬉しい予報。とにかく、イギリスのグレイな冬の日々は、年と共に嫌になり、ながーく感じるのです。明日が、冬の間は中止されていた、今年初のグリーン・ビン・デイ(庭の枝や刈った芝など、緑のゴミを、トラックが回ってきて各家庭から、2週間に一回収集する日)なので、昨日は、あちこちの庭から芝刈り機や、藪を刈り込む音などが聞こえてきていました。私も、昨日から、久しぶりの本格ガーデニング・モードへ入り、小さな木やバラなどを掘り起こし、新しい場所に植え変えました。また、洗濯物が、外で干せるようになるのも助かり、ここ2,3日、近所の庭でも洗濯物がはためいています。2軒先のおばあさんの家の庭に、鯉のぼりもびっくりの、彼女のそれはカラフルなパンツが何枚も、washing line(洗濯ロープ)に並んで干してあるのを見て、にんまりし。 さて、イギリスの花の歳時記で、年の初めに、春の兆しを告げるのは、以前にも何度か書いた、スノードロップ( 待雪草 )ですが、スノードロップの咲くころは、まだ気温が低く、また白い花というのは可憐ではありますが、やはり、そろそろ色が欲しくなる。そして現れるのがクロッカス。 クロッカスも、スノードロップ同様、イギリス原生ではありません。時々、野原や自然の中にも見られますが、これもやはりスノードロップ同様、もともとは庭で栽培されていたものが、何かのきっかけで外へ逃げ出し、繁殖したものであるそうです。クロッカスは、アヤメ科の植物であるという事。 わが家の庭にも、私は植えた覚えがなく、おそらく、かなり昔、この家の以前の持ち主が植えたものの子孫と思われる真っ黄色のクロッカスが毎年ちょこちょこ黄色い顔をのぞかせます。また、前庭の芝生には、やはり植えた覚えのない、ほんのり紫のクロッカスが数個顔を出し、この同じ種ものは、隣の家、更にはその隣の家の芝生からも生えてくるので、一体、どうやって繁殖するのだろうと、それは不思議に思っています。 真っ黄色だけでなく、少々別の色のものを増やして見ようと、去年の秋、私が良く使う、その名も「クロッカス」というオンライン植物ショップから球根を注文しました。白地に薄紫の線が走っているもの、下の方が黄色く全体は紫のもの、それからクリームのやらかい黄色。これを、いくつかの鉢にまとめ植えをし、それは咲く

河豚太鼓、日本におけるワクチン事始

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ワクチン、英語ではvaccine(ヴァクシン)。ラテン語で牛を意味するvaccaに由来する言葉です。 過去、多くの人の命を奪い、更には、命は助かっても、あばた後を残したり、または、伊達政宗の片目を奪ったりした天然痘。これをやっつけるために、色々な実験がなされ、 かなり以前に「 エドワード・ジェンナーとワクチン 」という投稿で書いた様に、イギリスの田舎医師であったエドワード・ジェンナが、牛の乳しぼりをする女性たちが天然痘にかからないのに着目し、牛の天然痘であり人体にはひどい被害を及ぼさない牛痘にかかることにより、人間が天然痘にかかるのを妨げる効力があるのではと着目したわけです。ワクチンは、こうした天然痘退治のための牛痘の接種により始まったため、今も「牛」の名残をその名に残しています。丑年の今年に、コロナ感染を抑えるためのワクチン接種が始まるというのも、なんともぴったりです。 さて、前回の記事で話題にした、岡本綺堂作「 半七捕物帳 」のうちに、「河豚太鼓」という作品があります。これが、日本における、この牛痘を用いたワクチン事始と、牛痘法というこの新しい医療に対する一般庶民の不安が原因となってもちあがる事件を扱っており、大変、興味深いものがありました。以下、少々、この作品の冒頭からの抜粋。(一部分、はしょってあります。) 種痘の話が出た時に、半七老人はこんなことをいった。 「今じゃあ種痘と云いますが、江戸時代から明治の初年まではみんな植疱瘡(うえぼうそう)と云っていました。その癖がついていて、わたくしのような昔者は今でも植疱瘡と云っていますよ。日本の植疱瘡はなんでも文政頃(1818ー1829年)から始まったとかいう事で、弘化4年(1847年)に佐賀の鍋島侯がその御子息に植疱瘡をしたというのが大評判でした。それからだんだんに広まって、たしか嘉永3年(1850年)だと覚えていますが、絵草紙屋の店に植疱瘡の錦絵が出ました。それは小児が牛の背中に跨って、長い槍を振り回して疱瘡神を退治している図で、みんな絵草紙屋の前に突っ立って、めずらしそうに口をあいてその絵を眺めていたものです。」 「なにしろ植疱瘡ということがおいおいに認められてきて、大阪の方が江戸より早く植疱瘡を始めることになりました。江戸では安政6年(1859年)の9月、神田のお玉が池(松枝町)に種痘所というものが官許の看板

お江戸のシャーロック・ホームズ、半七捕物帳

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初めて「半七捕物帳」を書こうと思いついたのは、大正5年(1916年)4月頃と覚えています。そのころ私は、コナン・ドイルのシャアロック・ホームズを飛び飛びには読んでいたが、全部を通読したことがないので、丸善へ行ったついでに、シャアロック・ホームズのアドヴェンチュアとメモヤーとレターンの三種を買って来て、一気に引きつづいて3冊読み終わると探偵ものに対する興味が悠然と沸き起こって、自分もなにか探偵ものを書いてみようという気になったのです。(中略) いざ、書くという段になって考えたのは、今までに江戸時代の探偵物語というものがない。大岡政談や板倉政談はむしろ裁判を主としたものであるから、新たに探偵を主としたものを書いてみたら面白かろうと思ったのです。もう一つには、現代の探偵物語をかくと、どうしても西洋の模倣に陥り易い虞れがあるので、いっそ純江戸式に書いたらば一種の変わった味のものが出来るかも知れない思ったからでした。幸いに自分は江戸時代の風俗、習慣、法令や、町奉行、与力、同心、岡っ引きなどの生活に就いても、一通りの予備知識を持っているので、まあ何とかなるだろうという自信もあったのです。 岡本綺堂「半七捕物帳の思い出」(1927年)より 綺堂が丸善で買ったという、The Adventures of Sherlock Holmes、 The Memoirs of Sherlock Holmes、 The Return of sherlock Holmesの三冊の短編集は、それぞれ書かれたのが、1892,1893,1904年、更には、ホームズ物は、1920年代まで書き続けられているので、彼は、ほぼリアルタイムでこうしたものを読んでいたわけです。英語ができたというので、オリジナルを読んだのか、すでに翻訳されていたのかは、わかりませんが、アドヴェンチュアなどとカタカナで書いている所をみると、英書を買ったと想像します。 岡本綺堂という作家の作品としては、私は、「修善寺物語」という戯曲しか知りませんでした。それというのも、母が、女学生の頃に、学校で、その登場人物中の姉娘の役をやり、大人気だったと、耳にタコができるまで聞かされていたためです。 ごく最近になってようやく、綺堂のお江戸の探偵もので、捕り物帳の元祖とされる、この「半七捕物帳」を読んでみようと思い立ちました。これがまた面白く、全69

日記ノススメ

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思い返せば、去年の今頃は、調度、コロナ感染が広がりつつある日本へ到着し、1か月ほどの滞在をしました。マスクが売り切れで入手できず大騒ぎをしていた時分で、ガーゼのハンカチを折ってゴムを付け、なんとも不格好で巨大な即席マスクで、顔の半分を覆うという犯罪者のような姿で、電車に乗り、比較的近郊で、毎日の様に、 梅見 に出かけていましたっけ。その後のイギリスでの生活と比べ、あの日本での日々は自由だった・・・そんな事を、日本の母親と電話で喋っていると、「もう1年。早いわねえ。階段を転げ落ちるように早い。」 この「階段を転げ落ちるように」という、あまり詩的でない比喩が、普段から道で転んだり、階段から落ちて、骨折でもしないようにと、つま先からでなく、かかとから着地して歩くように気を付けているという老人の言葉らしく、無性に可笑しかったのですが、それはさておき。母親と話をするたびに、あまり変わりのないような彼女の生活ぶりと、ロックダウンのイギリスのそれを比べ、違う惑星に住んでいるような気さえ起こります。 日本がコロナで大騒ぎをしていた1年前、イギリスは対岸の火事とのんきに何もしていなかった。もっと近いイタリアでもコロナ騒ぎが始まった当初も、平気でイタリアのスキーリゾートへ行く人もいた。私が日本から戻った時に乗った ロンドンの地下鉄 や、住む町へ帰る電車の中で、マスク姿は一人も見ず、ごほごほ、口も押えず咳をしている人もおり、恐怖を感じて、半分息を止めていたのを思い出します。 そうして、イギリスに戻ってから、すぐ、それまでの無策の結果、野放し状態に感染が広がり、それを抑えるため、3月24‘日から 1回目の全国的ロックダウン 。イギリスの開けては閉め、開けては閉めの、拉致のあかないコロナ対策のはじまり、はじまり。 1回目のロックダウンが緩和されたのが、約3か月後の6月15日。のど元過ぎればで、夏に羽を広げた結果、9月には再び広がりを見せた感染は、当初政府が予定していた、局地的に対策を取るという、 モグラ叩き方法 ではおさえきれず、ついに、 第2回全国的ロックダウン が、11月5日から行われました。とにかくクリスマス前までには何とかしたいと始めたものの、クリスマス前とクリスマスホリデー中の規制緩和の影響と、ケント州で発生した変異ウィルスのため、感染はまた火の粉のように舞い上がり、現在は、今年(