投稿

6月, 2013の投稿を表示しています

りんごの木のある古い庭

イメージ
初めてロンドンに住み始めた頃にシェアしていた家の庭にりんごの木があったためか、イギリスの庭にはりんごの木がある・・・というのが、イメージとして定着していました。ニュートンだって、思考の発展にはりんごの木が必要だったわけですし。 1960年代に建てられた我が家の庭の奥の方にも、おそらく最初の住人が植えた古いりんごの木があります。両隣の家の庭にも、かつては、りんごの木がありましたが、片側は、30代前半の夫婦が引っ越してきてすぐに、切り落としてしまい、もう一方のお隣さんは、年寄りだから、芝が刈りやすいようにと、気がつくと、引っこ抜いてしまっていました。今は、この隣人、更に手入れを簡単にしようと、花壇も全て排除し、芝だけ。2週間に一回、庭師が来て芝刈りをするだけの、まるでテニスコートのような庭となってしまっています。 その更に1件先のおばあさんの庭は、昔ながらのイギリスの庭。りんごの木はそのまま取ってあり、芝生は花壇で囲まれ、半分朽ちかけた木製のピクニックテーブルが置かれ。やはり、もう手入れが大変だからと、芝は庭師が刈りに来て、私がたまに草むしりでもしてあげないと、花壇は雑草ぼうぼう。草むしり後の地面に、うちで育てた夏の花を少し分けて植えてあげようか、と言っても、「手入れが出来ないからいい。バラがあるし。」それでも、それなりに、オールドファッションな魅力があり、この周辺では、一番好きな庭でした。りんごの木は、毎年冬の前に、形を整え、伸びすぎた枝を切り落としていたので、放ってあるうちのものより、綺麗な形で、春には白い花、夏は緑に覆われ、秋にはピカピカした真っ赤な実を付ける様子が、うちの2階の寝室から伺えて、私には、朝、カーテンを開くたび、季節を感じる目安のひとつでした。 このおばあさん、今月のある日、友達とお出かけした帰り、 お土産の苺 を持ってうちに寄って来てくれ、ちょっと座ってお喋りしてから自宅へ帰っていったのですが、同じ日の夜、いきなり脳卒中を起こし、数日後、病院で亡くなってしまいました。私たちが病院に見舞いに行ったときには、すでに2度目の卒中を起こし意識無く、その翌日亡くなりました。80代ですから、寿命・・・と言ってしまえばそれまでですが、社交的に出歩くタイプの人だったし、また、お喋りをした1週間後にもうこの世にいないというのは、かなりびっくりです。彼

世紀の植物 ゲラニウムのロザンネイ

イメージ
これは、フウロソウの"ロザンネイ”。 学名は、ゲラニウム "ロザンネイ”(Geranium "Rozanne")。英語発音はゼラニウムかジェラニウムの方が近いですが、日本語のカタカナ表記では、ゲラニウム「ロザンネイ」という名を使用している事が多いようです。ゲラニウムってなんだか、後味の悪い薬みたい。何でしたっけ、あの胃カメラの前に飲むやつ、あ、あれは、バリウムか。日本語のカタカナ表記には、いつも悩まされます。ともあれ・・・ 先月の チェルシー・フラワー・ショー が100周年を迎えたのを記念して、RHS(王立園芸協会)は、過去100年チェルシーでデビューをした新しく発見された植物、開発された新種の植物の中から、「プラント・オブ・ザ・センチュリー(世紀の植物)」を選出するという催しをしていました。RHSが、まず10の植物を選出してショート・リストを作り、その10の中から、一般投票でひとつを選出する、という趣向。その結果、輝ける「世紀の植物」のタイトルを獲得したのが、このフウロソウ(ゲラニウム)のロザンネイです。私は投票には参加しませんでしたが、ゲラニウムが選ばれたというのはわかる気がします。 「ロザンネイ」は持っていなかったのですが、ゲラニウムは別のものを3種持っていて、花壇の端やポットに植えるのにそれは重宝しています。可憐な花、涼しげな葉、蜂にも人気、咲く時期の長さ、狭いスペースでも育てられ、また持っているものは皆寒さに強く、必ず春が来ると、再びにょきにょき元気に顔を出してくれる。根もどんどん大きくなり、春に根を分けて増やすのも簡単。こうして、ゲラニウムたちは、いまや、我が家の庭のあちこちに点在しています。 大きく、鮮やで、ゴージャスな色の花を咲かせる植物でも、手入れが非常に面倒だと、嫌になってくるタイプなので、ちゃんと咲けるコンディションをこちらが用意したら、あとは、最低限の世話で、どんどん勝手に育って咲いてくれる植物が一番。絶世の美人のお嬢さんに、最初はほれてほれて貢いでいたのはいいが、あまりにわがまま贅沢で、あごでこき使われ続けると、そのうち、「きれいなのは、おまえだけじゃないんだ。いい加減にせい!」と叫びたくなり男性の心境?サドっ気があり、どんなに手がかかっても、尽くして尽くして、という人もいまし

ストロベリーの季節

イメージ
最近は、冬の間でもオランダやスペインから輸入されてくるので、食べようと思えば、ほぼ一年中食べられる苺ですが、味と甘さにかけては、やはり旬のイギリスの苺がぴか一。先週、 チップトリージャム工場 のティールームにお茶に行ったご近所のおばあさんから、そこで買ったという苺をもらいました。ジャム工場周辺の農場で取れたもので、これが、美味しかった、美味しかった。口に突っ込んでから、へたを引っ張ると、すぽんとぬけるほど良く熟れていて甘さが口いっぱいに広がり、あーしあわせ、と思える美味さ。スーパーのものとは雲泥の差でした。ちなみに、イギリスのスーパーに出回る苺の80%は、エルサントと呼ばれる種だということです。棚もちがするというのが、スーパーがこの種を好む理由のようです。 苺というのは、風変わりなフルーツで、赤い部分はいわゆる花托に当たり、外についている粒粒が本当の意味でのフルーツ部なのだそうです。 イギリス苺の季節の到来は、テニスのグラス・コート・シーズンの到来とほぼ同時期。先日、ナダルの8回目の フレンチ・オープン の優勝でクレー・コート・シーズンが終わり、今週からは、ウィンプルドンに向けてクイーンズなどでグラス・コート・シーズンの幕開けです。 ウィンブルドン・テニス・トーナメントで食されるものとして、最初に頭に浮かぶのは、ストロベリーとクリーム。ウィンブルドンのオフィシャルサイトによると、ウィンブルドンで売られる苺は、主にケント州産の一級品の苺たちで、売られる前日に摘まれ、早朝にウィンブルドンに到着し、品質検査を受けるそうです。トーナメント期間中、来訪者達に食される苺の量は2万8千キロ、クリームの量は7千リットル。 また、イギリスの苺というと、トマス・ハーディー作 「ダーバヴィル家のテス」 (Tess of the d'Urbervilles)の中の、あの苺シーンも思い起こされます。テスがアレック・ダーバヴィルと初めて会い、苺をアレックの指から食べるという場面。このくだり、わりと色気があるので、以前、あるニュースキャスターが、「少年の頃、テスを初めて読んだ時、この場面にかなりどきどきした。」と言ってたのを覚えています。 アレックにストロベリーは好きかと聞かれ、「季節になったら、好き」と答えるテス。 "They are alre

赤毛のアン(Anne of Green Gables)

イメージ
日本語では「赤毛のアン」として知られる物語は、カナダの女流作家、ルーシー・モード・モンゴメリーによる、「Anne of Green Gables」(グリーン・ゲーブルズのアン、緑の破風のアン)。男の子を養子にするつもりだった夫婦が、間違いで女の子を養子にもらってしまった、という実際のニュース記事が物語のアイデアに一役買ったようです。また、 「若草の祈り(レールウェイ・チルドレン)」 作家であるイーディス・ネズビットの写真が、アンという女の子のイメージ作りに役立ったとか。 物語の始まりは、6月の果樹の花が咲き誇るカナダはプリンスエドワード島。6月にりんごの花や桜(チェリー)の花、ライラックが満開という事は、イギリスより、1ヶ月遅く春が来る感じです。 島内のアヴォンリーという地域にあるグリーン・ゲーブルズと呼ばれる家に住むのは、共に独身の年配のきょうだい、マリラ・カスパードとマシュー・カスパード。60歳のマシューの農場での手助けになるように、二人は、ノバスコシア州の孤児院から男の子をもらう計画を立てていた。ところが、マシューが馬車に乗り、駅まで、この孤児を迎えにいってみると、駅で待っていたのは、女の子だった・・・。この少女が、11歳の赤毛の孤児アン・シャーリー。 アンの顔は、目と口がとても大きく、あごがちょいと尖っており、赤毛でそばかす。灰色の目は、光のかげんで緑にも見えるという描写。物語の後半では、そばかすは徐々に消えていき、髪も少々赤みがおさまり、背がすらりとたかくなるとあります。駅で待っていたアンが、抱えて持っていたのは、ハンドルが取れかかったカーペット・バッグ。カーペット・バッグは、ビクトリア、エドワード朝時代にちょっとした旅行バッグとしてよく使われていたのでしょう。他にも、この時代を舞台にした小説に出てきたのを覚えています。形としては、大型のハンドル付のがま口、といったところで、トルコのカーペットにでも使うようなパターンの厚い布地でできています。おっと、脱線・・・話を戻します。 人見知りで大人しいマシューは、アンに間違いを告げることができず、そのままアンを家まで連れ帰る。その間、夢見がちでお喋りのアンは、美しい島の風景に大はしゃぎし、常時マシューに話しかけ、マシューは、この赤毛ちゃんを気に入ってしまう。頑固なマリラは、最初はアンを返して、男