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9月, 2015の投稿を表示しています

エフィー・グレイの二つの結婚

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エフィー・グレイ(Euphemia Gray、通称"Effie" )は、ヴィクトリア朝の画家ジョン・エヴァレット・ミレー(John Everett Millais)の奥さんだった人です。また、彼女は、ミレーと結婚する前に、有名な美術批評家、思想家、または新進気鋭の芸術家たちのパトロンでもあったジョン・ラスキン(John Ruskin)に嫁いだ事でも知られています。スコットランド出身のエフィーは、結婚前、ラスキンの祖父が自殺をしたというスコットランドにある館に住んでいたのだそうです。 非常にすぐれた批評家であるとされ、ターナー、そして、ミレーを含むラファエル前派の画家たちを高く評価、奨励、援助したジョン・ラスキンですが、人間的には、かなり欠陥があった人のようです。美しくつるっとした、彫刻での女性のヌードばかり見てきたため、女性の体というのは、そういうつるっとしたものと、思い込んでいたのでしょうか、エフィーとの結婚初夜に、彼女の陰毛(!)を見て大ショックを受けてしまう。彫刻とはまるで違う、本物の大人の女性の体に拒否反応を起こしてしまったのか、以後、6年間の結婚生活の間、エフィーの体に触れる事も無く、夫婦間のエッチも一切なしで過ごすこととなります。彼の芸術に関する見解は、「自然と現実に忠実であれ」であったのにですが、普通の大人の女性の体の現実を受け入れられない人間の口から、こういうえらそーな説教されたくないですね。だんなに、拒絶され、更には、冷たくあしらわれるエフィーは、不幸な毎日。虚弱となり、精神も病んでいきます。 1853年、ラスキンと親しくなっていた、ラファエル前派の1人であった、ジョン・エヴァレット・ミレーは、ラスキンに招かれて、スコットランドのコテージに、ラスキン夫婦と共に滞在。この際、ミレーは、本人からの依頼で、ジョン・ラスキンの肖像に着手しています。スコットランド滞在中、ミレーは、エフィーのやさしい性格に惹かれ、別のラファエル前派の画家ウィリアム・ホルマン・ハントへの手紙に「ラスキン夫人は、この世で一番愛らしい女性」としたためています。エフィーはエフィーで、むすっとした自分のだんなに比べ、背が高く、活発で明るいミレーに惹かれていったようです。ミレーは、エフィーに絵のレッスンをしたり、エフィーの不幸な結婚生活にも気がついたか、同

サフォーク州ピンクのコテージ

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何でも、イングランドのイースト・アングリア地域のサフォーク州に残る、中世に遡る古いコテージのうち、70%はピンク色の壁をしているのだそうです。そのため、こうしたピンク色をした壁のコテージは、俗に、サフォーク・ピンクと呼ばれています。 イースト・アングリア地方は、建設に使えるような大きな石を採掘できる場所がないため、教会などの大切な建物以外の、民家や一般の建物は木造漆喰が主。 サフォークは、古くは羊毛で栄えた場所です。羊毛が多く生産されれば、当然、それに付随する染色業なども盛んになるわけで、かつては、染色のための材料は、周辺の自然から求め、染色業者たちは、その辺を歩き回り、植物、木の皮、果実その他もろもろを収集し、羊毛を染めるのに使っていました。おそらく、そういった染色業者たちが、同じような自然素材を、コテージの上塗りをする漆喰に混ぜて、村の家々も、綺麗に染まっていったのではないかという話です。その中でも、なぜに特にサフォークでは、ピンクの壁が人気となったのかはわかりませんが。村中の家が、すべて真っ白というのも素っ気無いですから。 上記、中世の染色説は、なかなか説得力ありますが、いやいや、サフォーク・ピンクが人気となって、コテージの漆喰に色を混ぜるようになるのが一般化するのは、19世紀も後半になってからの、比較的、近年の現象だという説もあります。 伝統的にどの時代まで遡るかはさておいて、一口にサフォーク・ピンクと言っても、淡いパウダーピンクから、限りなく赤に近いものまで、シェードは色々。 ピンク色の染料としては、初夏に、香りの良い白い花を咲かせる エルダー の実(エルダーベリー)などが使われたそうです。見た目は黒のエルダーの実ですが、つぶすと確かに、赤い汁が出てきます。気がつくと、9月も半ばを過ぎ、もうエルダーベリーも終わりかけています。 エルダーベリーの他には、乾かした家畜の血液や、赤みがかった土なども漆喰に混ぜて使用されたようです。現在では、コテージの壁をピンク色に塗りなおす際は、ただ単にペンキの缶を開けるだけでしょうが。 サフォーク・ピンクをしたコテージたちには、サフォーク内のみならず、周辺のエセックス州やハートフォードシャー州などでも出くわします。 また、こうした古いコテージの壁には、パーゲッティング

ビクトリア朝女性の下着、コルセットとクリノリン

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Laura had a sudden thought. "It's Mary's corsets! It must be. The corset strings must have stretched." It was so. When Mary held her breath again and Laura pulled tight the corset strings, the bodice buttoned, and it fitted beautifully. "I'm glad I don't have to wear corsets yet," said Carrie. "Be glad while you can be, " said Laura. "You'll have to wear them pretty soon." Her corsets were a sad affliction to her, from the time she put them on in the morning until she took them off at night. But when girls pinned up their hair and wore skirts down to their shoetops, they must wear corsets. ”You should wear them all night,” Ma said. Mary did, but Laura could not bear at night the torment of the steels that would not let her draw a deep breath. Always before she could get to sleep, she had to take off her corsets. "What your figure will be, goodness knows," Ma warned her. "When I was married, your Pa could

アップルパイはおふくろの味

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我が家の2件隣に、うちの通りにある家々が建てられた当初の1960年代から住んでいたおばあさんがいましたが、2年前に亡くなりました。私は、彼女の家の庭が大好きで、特に、9月になると、絵に描いたような、真っ赤なりんごを実らせる、 彼女のりんごの木 が好きでした。我が家の2階の窓から、秋は、毎朝、カーテンを開けるたび、そのりんごの木を眺め、「実りの季節だわね」と実感。ですから、彼女が亡くなり、家が売りに出された際は、「買い手が、庭好きで、りんごの木を切らずに取っておいてくれる人だと良いな」と、思っていたのです。 新たに引っ越してきたのは、イタリア出身で、若い頃イギリスに移住して来た老婦人。若くしてご主人を亡くしているので、女手ひとつで、子供4人を育てた人で、大変まめなガーデナーでもあります。りんごの木は、最初は、「切ってしまおうかしら」と言っていたのを、私が、「真っ赤で、綺麗な実がなるから、もったいないよ」と言うと、気を変えてくれて、刈り込みだけして、切らずにそのままにする事となりました。かなり刈り込んだために、去年は、ほとんど実がならなかったものの、今年はつやつやの実がたくさん。 先日、彼女が、はしごによじ登り、りんごをもぎ取っているのを塀越しに目撃。なんとなく、危なっかしかったので、手伝いに行きましたが、ばけつ5,6杯も収穫。「好きなだけ、もって行って」と言われたものの、すでに、前にも何個かもらって、それすら食べきれていなかったので、「りんごより、アップルパイの方がいいな・・・」と、ちゃっかり発言をしました。彼女は、パイやらケーキやら、自分では、ほとんど食べないのに、とても作るのが上手なのです。アップルパイも、以前に一個もらった事があり、美味だったのです。彼女のパイは、砂糖を大量に使用しないで、わりと甘みを抑えてあるのも良いのです。最近、砂糖の取りすぎが、いかに体に悪いか、とニュースになっていますし。 さて、その次の日の夕刻、彼女は、オーブンから取り出したばかりの、まだ湯気のあがっているアップルパイを、オーブン・グラブをつけたまま抱えて、うちの勝手口へ駆けてきて、届けてくれました。「もう一個、オーブンに入ってるから、すぐもどらないと。それじゃーね!熱いうちに食べると美味しいわよ!」と。 英語で、 Motherhood and apple p

トウモロコシ畑でつかまえて

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コーン(corn)という英語を聞くと、イギリス英語よりアメリカ英語の影響が強い日本人としては、自動的にとうもろこしを連想しがちです。が、コーンはイギリスでは伝統的に小麦を意味する場合が多いです。 もともと、コーンとは、「小さな種」「穀物」などを意味する言葉で、古くは、まだ、茎に付いたままの穀物一般を指して使用されていたようです。これが、国や地域により、その場所で栽培される主な穀物をコーンと呼ぶようになり、イングランドでは小麦が、スコットランドやアイルランドではオーツ麦がそれぞれの「コーン」であるわけです。一部ドイツでは、ライ麦をさして、「コーン」(korn)と呼ぶのだとか。イギリスでは、 コーンフラワー と呼ばれる、夏に、きれいな青い花を咲かせる植物が人気ですが、これは、とうもろこしに咲く花ではなく、小麦畑の端などに、点々と咲いていた事から来た名前です。 ピルグリムファーザーズ たちがたどり着いた頃のアメリカでは、穀物として重宝されたのは、現住のンディアンたちが食べていた、とうもろこし。これが、アメリカでは主要の穀物として、初期は、イングランドの小麦(コーン)と区別すべく、インディアン・コーンと称されていたようですが、そのうち、「インディアン」部分が落ち、アメリカでは、とうもろこしが、コーンと称されるようになったわけです。アメリカで、ケロッグのコーンフレークが本格的に製造され始めるのは、1906年と、かなり早いのです。そして、日本でも、アメリカの影響で、コーンと言うと、とうもろこし・・・となるのでしょう。コーンが小麦も意味すると気が付いたのは、私も、イギリスに住むようになってからの話です。 植物としての「とうもろこし」は、英語で、メイズ(maize)ですが、夏の終わりから秋にかけて、私の住んでいる町の周辺でも、収穫が終わりつつある 黄金の小麦畑 の他に、とうもろこしが並ぶ、メイズ畑を目にするようになります。 背が高いので、とうもろこし畑の真ん中で、かくれんぼうなどをすると、中々見つからないでしょうね。本当、「トウモロコシ畑でつかまえて!」って、感じです。それを利用してか、とうもろこし畑の中に迷路(maze)を作って、「メイズ・メイズ」(Maize Maze、とうもろこし迷路)と銘打ち、期間限定の子供用アトラクションをやっている農家や、農耕

妖精の輪

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じとじととした8月でした。雨が多かった上、気温もいまひとつぱっとせず、袖なしのシャツなどはほとんど着ずに夏が終わりそうな感じです。そのせいか、やたら、最近、外を歩いていて、きのこが目に付くのです。 先日も、歩きに出かけた教会の墓地で、菌輪を目撃。菌輪とは、きのこが輪を描くようにして生えているもの。英語では、妖精たちが輪になって踊った場所から、きのこが生えてくるとして、フェアリー・リング(fairy ring)とか、フェアリー・サークル(fairy circle)などと呼ばれ、日本語の菌輪より、ずっと可憐なイメージです。上の写真のきのこは、フェアリー・リングを形成することが多いと言われる、シバフタケ(学名:Marasmius oreades)、英語では俗にフェアリー・リング・マッシュルーム(fairy ring mushroom)とも称されます。 きのこというのは、地下で育成する菌糸体の、実の部分に当たるもので、菌糸体を含めた全体の10%くらいにしか満たないのだそうです。残りは、道行くものには見えない、芝生の下で他の物から養分を取って生きているわけです。菌子体をりんごの木に例えると、きのこは、りんごの実にあたるという説明を、以前聞いた事があります。 菌は、放射状に成長を進めて行き、きのこが、菌糸体成長の最前線で、輪状に外に現れてお目見えする事となります。きのこの生えている部分の芝生が、枯れてしまっているのは、その下の菌糸体が、土壌の栄養を吸収してしまって、芝へ栄養が回らず、また、菌糸体が、水分を土壌に通さないため。いずれにせよ、外へ外へと、発育場所を移動させるにつれ、輪も大きくなっていくのでしょう。最近、見かけたものは、上の写真の他にも、大体、直径1.5~2メートルくらいの、皆、似通ったサイズでしたが。 カビを含む菌類を指す言葉は、英語ではfungus(ファンガス)、複数形は fungi(ファンガイ、または、ファンジャイ)。一部のファンガスの実にあたるキノコは、英語で、mushroom(マッシュルーム)。時に、toadstool(トードスツール)という言葉も使用されます。「toadstool」は、直訳すると「ヒキガエルの腰掛」と、メルヘン系名前です。一部英和辞典では、「toadstool」を「毒キノコ」として訳しているようですが、マッシュルームが毒

大草原の小さな町 Little Town on the Prairie

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ローラ・インガルス・ワイルダー著「 インガルス家の物語 」シリーズの、「長い冬」(Long Winter)に続く作品が、「大草原の小さな町」(Little Town on the Prairie)。 「 長い冬l 」で、寒さと飢餓を耐え忍んだ後の夏、インガルス一家は、自分たちのホームステッドにて、再び、土地を耕しながら、のびのびと生活を始めます。(ホームステッドについて詳しくは、以前の記事まで。 こちら 。)町に住む開拓者家族たちは、大体において、このホームステッドを持っており、法律により、登録したホームステッドを、実際に、自分のものとして手に入れるには、5年間、1年最低6ヶ月は、その地に住み、土地を農業用に耕す必要があったため、夏は、其々のホームステッドへ移り、畑仕事ができない冬の間のみ、町で過ごす、という家庭が多かったようです。子供たちなどもホームステッドへ移り、時に、家族と共に働くことも多かったためか、学校も、夏は行われず、農耕の時期が終わった季節に開くのが主であった感じです。 インガルス家のお父さんは、農場で自分の穀物や野菜を育てる傍ら、町まで出向き、大工の仕事も手伝い、金を稼ぎます。東部から移住者がどんどんと増えてくるため、家の建設の需要も大きくなってきているわけですから。また、独身の男性もたくさん、移住してきているため、自分の洋服を作ってくれる奥さんがおらず、町内では、すでに作ってあるシャツの需要も増えていき、夏の間、ローラも、そうした、新しく来たばかりの、独身男性用のシャツを作り販売する店で、朝から晩まで縫い物のアルバイトを開始。稼いだお金は、すべて、病気で視力を失っていた姉メアリーを、盲目の子女用の寄宿舎学校へ行かせる為の資金にと、両親に手渡すのです。 家族の努力のかいあって、秋には、メアリーは、アイオワの盲目学校へ行くため、家を去っていく。この時代の西部に、すでに、盲目の子供を考慮した教育施設があったのも驚きですが、この盲目学校のカリキュラムも、政治経済、高等数学、文学、縫い物、編み物、ビーズ細工、音楽と、かなり充実しているのです。教育期間も7年間と本格的。 冬が来る前に、家族は、農場の収穫を済ませ、再び、町で冬越しをするのですが、この冬は、さほど厳しいものとはならず、ローラも、妹のキャリーも、冬の間、無事、学校へ通います。生徒