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7月, 2014の投稿を表示しています

スカボローフェアへ行くのなら

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スカボロー(Scarborough、日本語でスカーボロと書かれているのも見ますが・・・)は、イングランド北東部、ノースヨークシャー州の東海岸に位置し、北海に面しています。「パセリ、セージ、ローズマリーとタイム」とサイモン&ガーファンクルが歌ったスカボロー・フェアは、中世の時代、8月15日から6週間に渡り開かれていた貿易フェアでした。ヨーロッパからの商人も数多くやってきて賑わったようです。 ここで、スカボロー・フェアの歌詞を見て、ちょいと訳してみましょう。 Are you going to Scarborough Fair? Parsley, sage, rosemary, and thyme; Remember me to one who lives there, She once was a true love of mine. Tell her to make me a cambric shirt, Parsley, sage, rosemary, and thyme; Without no seams nor needlework, Then she'll be a true love of mine. Tell her to find me an acre of land, Parsley, sage, rosemary, and thyme; Between the salt water and the sea strand, Then she'll be a true love of mine. Tell her to reap it  in a sickle of leather, Parsley, sage, rosemary, and thyme; And gather it all in a bunch of heather. Then she'll be a true love of mine. Are you going to Scarborough Fair? Parsley, sage, rosemary, and thyme; Remember me to one who lives there, She once was a true love o

イギリスで一番可愛い村?

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エセックス州のフィンチンフィールド(Finchingfield)。とても絵になる愛らしい村で、よくカレンダーや雑誌などの写真に使用されたりしています。一昨日、この村を、世界で最も有名な自転車レースである ツール・ド・フランス が走り抜けた際、テレビの解説者が、「ここフィンチンフィールドは、イングランドで一番プリティーな村です。」と豪語していました。エセックス内で一番可愛い村・・・ならともかく、イングランドで一番と断言されてしまうと、「おらの村のが、もっとプリティーだ!」と物申したくなる人も出てくるかもしれません。 イギリス内でのツール観戦は、なかなかの大盛況となり、フィンチンフィールドにも、村人のみならず、はるかかなたからも見物人は押し寄せ、 沿道に面する丘も、人でいっぱいとなりました。(この写真は、 地方新聞のサイト より拝借。) 鉄道が走っていないので、普段は、村の中心のヴィレッジグリーン周辺は車がいっぱい駐車されています。3回ほど訪れたのですが、1度は村の中心に駐車できず、ちょっと遠くに駐車する事となりました。 オランダの様な、サイクリスト専用の安全な道があれば、籐かごを前につけたレトロ感覚の自転車にまたがり遊びに行って見たいような場所です。籠に水筒とピクニックランチをつめて。でも、私は、いまだ、うねうねした道路を車と一緒に自転車で走るというのが、ちと恐ろしい。今回、ツールがイギリスへやって来た影響で、イギリスのサイクリング・ブームに勢いがつくなどいう話がありますが、サイクリストの数だけ増えても、道が今のままだったら危なっかしくなるだけ。私のような臆病者や、子供も安全に、ちゃりで可愛い村めぐりができるような道作りは・・・まあ、無理かな。政府もお金ないし。 18世紀半ばに建てられた白い風車も、フィンチンフィールドの村の風情を盛り上げるのに一役買っています。 ポストミル(post mill)と呼ばれる種類の風車で、エセックス州にあるポストミルでは最小のもの。地元のボランティアにより綺麗に保存されています。 風車を横から見ると、こんな感じ。年に何度か、内部を見学できる日があるようです。 わらぶき屋根の家も何軒か立ち並び。 英語では、こういった絵になる愛らしい風景や物を指して、時に、「chocol

ロンドンで見るツール・ド・フランス

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ツール・ド・フランス (Tour de France)開始3日目の昨日は、イギリスでのルートの最終日。ケンブリッジから出発した一団は、エセックス州を通過して、ロンドンはストラトフォードのオリンピックパーク経由で、テムズ沿いを走り、パッキンガム宮殿前のマルにて終了、という日程でした。 故郷ヨークシャーでのツールを見に行けなかった代わりに、「ロンドンでツールを見たい、見に行きたい!」と、入院中のだんなは大騒ぎ。医者から、午前中の治療が終わったら、外出しても良いと許可をもらい、私と一緒に、そそくさと、ツールの観戦に出かけました。まあ、人間、何かをしたい、見たい、と思っていられるうちが花ですので。キモセラピー用のチューブが手首からぶらぶらぶらさがり、足をひきずってのお出かけなので、なるべく人気が少なそうで、駅に近く行きやすい場所を・・・とツールのルート・マップをまじまじながめて、ロンドン東部のシャドウェル駅に降り立ちました。 こういう回りに何も有名なものが無い場所だったら、混んでないだろうと思い行ったのですが、これが、大当たり。通過予定時間20分くらいに到着しても、東には、カナリーワーフ、西には シャード が望める道路の両側とも、観戦場所が沢山残ってましたから。道端に座って、到着待ち。西からの風が吹いていたので、少々、タイムが遅れたのか、待つ事4、50分くらい。雨粒がぽつりぽつりと顔に落ち始め、「早く来ないかな~」。 あ、やって来た! フレー!写真をパチリ! あ、もう行っちゃった! 瞬く間とは、この事。マラソンの様に、先頭とびりっけにかなりの時間差があり、道端にたって、わりと長時間、声援を送れるというのとは、全く違う。本当に風の様に駆け抜けて行きました。都心を走る車と、あまり違わないスピードで走っているわけですから。 一団が通り抜けた後、スピーカー付きの車が「まだ、あと二人ライダーが来ます。」とアナウンスをしていったので、その2人を待ちましたが、それも、3,4分のこと。 見物人の中で、白地に赤の水玉模様の帽子を被る人たちを何人か見ました。この柄は、山岳地点でのポイントが一番高かった人物が着用する、マイヨ・ブラン・ア・ポワ・ルージュ(キング・オブ・マウンテン 山岳賞)のもの。山岳どころは、まっ平らな場所ですが、この柄が一番独特だから

ヨークシャーの丘を走り抜けるツール・ド・フランス

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本日、イングランド北部のヨークシャー州にてツール・ド・フランス(Tour de France)が始まります。 1日目はヨークシャーの大都市リーズから、うちのだんなの故郷ハロゲイト。 2日目はヨークから、シェフィールド。 3日目は北部を去り、自転車の町ケンブリッジから、オリンピック・パークを抜け、おなじみロンドンはバッキンガム宮殿前のマルまで。 この後、一行は、通常通りフランスへ行くわけです。 ヨークシャーは、私も2年住んだ事がある思い入れのある土地でもあるし、だんなは、時折、ヨークシャーの丘が恋しいなどと思うこともあるようで、ツールにあわせて、また、ヨークシャーデールにでも行って、声援を送ってみるベー、という話をしていたのですが、だんなは 白血病 再発で入院とあいなり、観戦はデールの道端からではなく、病室の中からとなります。 ヨークシャーデイルを歩くのが大好きだった、だんなの両親の灰も、デイル内(上の写真の場所)に撒いてあります。 今週末のスポーツイベントは、ワールド・カップ、ウィンブルドン、そして、ツールと盛りだくさんで、昨日のラジオでは、どのイベントが一番見るかちがあるか、などという議論まで繰り広げられていました。私は、少しずつ全部見たい・・・。だんなも、とりあえずは、病室内で、しばらくは退屈する事はないかもしれません。 せっかくの機会なので、ツール・ド・フランスのヨークシャー内でのルートで走る場所の写真などを、少し、ブログに載せてみることにしました。ヨークシャーの美しさを世界に知ってもらおうと、地元では、ツールに向けて、かなり前から準備を進めていたようです。 1日目ルート内 貫禄のお城があるSkipton(スキップトン)。 スキップトンは、ヨークシャーデール国立公園の玄関口でもあります。 Aysgarth(エイスガース)は、段々の滝で有名。あまり高い山の無いイングランドでは、華厳の滝のような頭上はるかかなたから落ちてくるようなものはありません。 この周辺は、 ウォレスとグルミット のウォレスが大好きなウェンズリーデール・チーズ生産地のウェンズリーデール地方です。 この橋も走り抜けるかな? Buttertubs Pass(バタータブス・パス)は、1日目のルートの見所のひとつではな

ミッション

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ブラジルのサッカー・ワールド・カップにちなんで、もう一度見てみたくなった映画のひとつが、これ、「ミッション」。昔、映画館で見て、どどーっと流れるイグアスの滝と、ジェレミー・アイアンズのうるうるとしたつぶらな瞳が印象に残っています。そして、あの気分高揚するエンニオ・モリコーネの音楽。 スペインは、バスク人のイグナチオ・デ・ロヨラを中心としたメンバーにより、1530年代に創設されたキリスト教団体イエズス会。教育に重きを置き、世界各地でのキリスト教布教活動で知られ、日本では、フランシスコ・ザビエルでおなじみ。海外での布教では、イエズス会は、その地の民族の文化言語を尊重し、イエズス会宣教師たちは、布教先の言語取得にも余念がなかったようです。 先住民族へのキリスト教布教と西洋文化伝授を目的とした、イエズス会の南米での活動は、すでに16世紀半ばから始まり、各地に、イエズス会伝授所・ミッション(albeias)が設立され、改宗した原住民達の労働により、非常に効率の良いサトウキビ、マテ茶などを生産するプランテーションも経営。ところが、自らの農場で原住民を奴隷として使用したいという思惑のある南米の移住者達にとっては、、イエズス会は、面白くない存在であり、イエズス会が、南米に根を下ろしてまもなく、すでに、南米移住者達とイエズス会の間での衝突が始まるのです。この映画「ミッション」は、そんな、南米各地であった、植民地移住者達とイエズス会とのいさかいの中、18世紀に起こった最悪の衝突をもとにして、「 我が命つきるとも (全ての季節の男)」などを書いたロバート・ボルトがストーリーと脚本を担当したドラマ。 ドラマの背景史実を書くと・・・ 現パラグアイ、アルゼンチン、ブラジルの境界線にあたる土地に、スペインからのイエズス会により設立された伝道所がいくつかありました。原住民のグアラニー族は、比較的温和で、多くがすすんで、キリスト教に改宗。それに目を付けるのは、サンパウロなどからの奴隷商人たち。すでにイエズス会農場で働き、西洋的習慣にも慣れたグアラニー族は、奴隷としては非常に魅力的。映画の物語の設定となる時代以前から、すでに奴隷狩りは、この周辺のミッションをターゲットとして行われていたため、イエズス会は、伝道所の場所を、南西へと幾度か移動させていたものの、奴隷商人たちは、めげる