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5月, 2014の投稿を表示しています

鳥の子育て奮闘サバイバル記録

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今年の2月、足を痛めて、片足だけでぴょんぴょん跳ねていたブラックバード(クロウタドリ)が、庭のパティオの 薪貯蔵庫 で雨宿りをしているのを何度か見かけました。 庭に面するうちの勝手口には、毎朝の様に何羽ものブラックバードが、干しぶどうの餌をもらいにやってくるのですが、毎日顔を合わせているので、特に人懐っこいブラックバードは、見分けがつくようになってきます。おしりの羽に白い羽が一本混じってるとか、ちょっと目の感じが他の鳥と違うとかの身体の特徴の他に、性格や行動が違うのにも気がついてくる。たくさんの羊を飼っている農家の人が、1匹1匹識別できるなどというのと同じ事でしょう。傍から見るとどの羊も同じに見えるのに。 朝、キッチンに入り、紅茶用のお湯を沸かすために、やかんに水を入れると、室内の動きに気付いて、ブラックバードたちが勝手口に集合するのですが、私が、なかなかドアを開けないでいると、気付いてもらおうと必死のブラックバードの中には、 まず、勝手口の外のドアノブにとまり、ガラス戸をノックする奴がいる。 そして、それでも私が、ドアを開けないと、流しの前の窓枠に飛び移り、こちらを覗き込む・・・と必死の工作を仕掛けてきます。この様子を見ると、いつもほほえましく、情にほだされてしまい、ドアを開け、ほらよっと、干し葡萄をひとつかみ撒く事となるのです。 成長したブラックバードの寿命は、2~4年くらいなものでしょうから、2,3年レギュラーで来ていた鳥が、はたりと訪れなくなると、「あーあいつは、もう来なくなった。死んじゃったな。」と思うわけです。 さて、薪の上で冷たい雨をしのんでいた一番上の写真のブラックバードは、約2歳で、私にはなついていたものの、他の鳥には、非常に好戦的な鳥で、しょっちゅう、空中で羽をばたつかせて戦っていた暴れん坊。今年の冬に足を怪我したのも、おそらく、この攻撃的性格がたたったのではないでしょうか。この怪我の期間は、いつもにも増して、私に近寄ってきて、足のつま先10センチくらいに落とした干し葡萄も、拾って食べ、しばし、私の足元で、お腹をべたっとパティオにくっつけて休んだりもしていました。ここまで近くに寄って来るブラックバードは他にいないので、この場所なら、気をゆるめても「安全」というのがあったのでしょう。人間に近づくリスクと、他の場所

だいだい大好きダイコンソウ

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この花は、ゲウム(Geum、英語の発音はジアム)。日本では、葉がダイコンに似ているからとやらで、ダイコンソウと呼ばれているそうですが、もちょっといい名前をつけて欲しい気がするのですよね・・・ゲウムは、可憐なコテージガーデンプラントですから。バラ科の植物で、やはりバラ科の、いちごなどにも似た感じですから、イチゴソウとかね。 去年の夏に、この写真のゲウムの「トータリー・タンジャリン Totally Tangerine」(まるまるミカン、とでも訳しましょうか)を一鉢購入。低くこじんまりと固まった葉の中から、細い、緑のワイヤーのような、90センチ近くの長い茎がずんずんとのびてきて、その先に、みかん色の花が咲くのです。2010年に、イギリスの植物ナーサリーで開発された、比較的新顔のゲウムですが、育てて、まだ1年経つか経たずで、すっかりこの植物のファンとなりました。日当たりの良いところに植えれば、花がら摘みをする以外は、一切手がかからず、ダイコンのようだという、ちょっと毛が生えた葉っぱは、ナメクジやその他の虫に食べられる事も一切無く。虫にそっぽを向かれる葉とは逆に、花は、蜂たちの間でも大人気。 去年は、このゲウムの花たちは、霜が降りる頃まで咲き続けました。葉は常緑で、今年の春も、庭の多年草の中では、一番最初に、4月の頭に咲き出したのです。株がかなり大きくなっていたので、花の咲く前の3月中に、掘り起こし、3つに分けました。1年後に、1つの株から3株収穫したことになります。お買い得!実際、ゲウムの場合、2、3年に一回は、こうして根を割って、植え直した方が、植物のためにも良いのだそうですし。 あまりに気に入ったので、このトータリー・タンジャリンよりも、赤みがかった花が咲く、ゲウムの「ミセス・ブラッドショー Geum chiloense "Mrs Bradshaw"」 も先日購入しました。これは、良く行く金物屋の店の前に、時々植物を並べて売っているのを、ひやかしで眺めていたところ、「あ、欲しかったミセス・ブラッドショーが、こんなところで!」と目に留まって買ったのです。巨大ガーデンセンターではなく、こんなちょっとした店でも売り始めたという事は、ゲウムは、今、徐々にトレンディーな花となってきているのかもしれません。ガーデニングも、ファッションと同じで

マロニエの花咲く頃

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イギリスでは、ホース・チェスナッツ(Horse Chestnut)の木が花盛りです。 ホース・チェスナッツは、日本語でセイヨウトチノキ・・・また、フランスでの名から、マロニエと称される木。イギリスには16世紀にバルカン半島から導入されたと言われますが、今ではすっかり現地化し、イギリスの風景に溶け込んで、その花は5月の、その実は9,10月の風物詩となっています。 何故、マロニエが、イギリスでホース・チェスナッツ(馬の栗)と呼ばれるかには、いくつか説があるようで、手持ちの1冊の本には、ホースは馬とは全く関係なく、粗悪なを意味するコース(coarse)から来ており、栗の実(チェスナッツ)よりも粗悪な実をつける事からきた名であるとありました。が、別の本には、16世紀に、ヨーロッパ人が、トルコ人がこの実を病気の馬に与えているのを目撃した事に由来する、などとありました。コンカーと呼ばれる、つやつやした茶色のマロニエの実は、生で食べると、多少毒性があるのだそうで、リスなども手をつけません。ですから、馬にあげていた、というのは、ちょっと嘘っぽい感じです。水に浸してから調理したものは、家畜のえさにできるとは言いますが。また、葉が落ちた後、枝に残るマークが、馬の蹄鉄のようなので、こういう名が付いた、という話も聞いたことがあります。 一般的な白い花のマロニエの学名は、Aesculus hippocastanum。「 hippocastanum」は、そのままホース・チェスナッツの意味。 ラテン語で、「hippos」は、馬を指すのだそうで、ヒポ(hippo)で始まる言葉は、馬関係。そういえば、 ローマ時代のヒポドローム(hippodrome)は、馬に引かれチャリオットを走らせる競技場の事でしたし、英語で「かば」は、 ヒポポタマス( hippopotamus)、「川の馬」の意味を持ちます。 4月初旬に噴出す葉は、大きな手のひらの形をしており、判定が比較的簡単な木のひとつでもあります。特に、5月に、このキャンドルのような上向きに付く房に花が咲き出すと、すぐマロニエとわかります。この花の形から、キャンドル・ツリーとも呼ばれることあり。 マロニエは、光を必要とする木であるため、森林内よりも、公園、道端、街路などでお目にかかる事の多い木でもあります。比較的、育ちが早い木で、

ジン・トニックの歴史

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「ジン・アンド・トニック・ウィズ・アイス・アンド・レモン、プリーズ」 これは、大昔、初めて、こちらの英語学校で学んだ時、パブでのドリンクの注文の仕方で教わったフレーズのひとつ。 ジンをトニック・ウォーターで割ったジン・トニック(英語では、ジン・ アンド ・トニック gin and tonic)は、イギリス東インド会社の社員が、派遣先のインドで考案したカクテルであると、先日、イギリス東インド会社の歴史に関するドキュメンタリーでやっていました。 18世紀にインドへ送られた東インド会社の社員の死亡率は非常に高かったのだそうです。母国とはまるで違う、気温も湿度も高い土地、そこに潜む熱帯病はまさに命取りだったわけで。特に、6月から9月にかけてのモンスーン期は、ヨーロッパから来た居住者にとっては、生きるか死ぬかの季節。ある年のモンスーンシーズンには、カルカッタに住むヨーロッパ人居住者3分の1が死亡したという記録も残っているようです。ベンガル地方へ移り住んだイギリス人の平均寿命は、モンスーン季節を2回、などと言われていたという事で、毎年、9月後半には、モンスーンを生き延びた人たちは、ほっと一息。番組では、インドのカルカッタにある、サウス・パーク・ストリート墓地を映していました。ここは、1767~1790年の間、そうして亡くなったイギリス人を埋葬した墓地だという事で、使用が短期間のわりには、墓石でいっぱい。東インド会社は、インドでのそんな需要に答えるため、まだ名前を刻んでいない墓石をたくさんイギリスから送りこんだそうです。 まだ熱帯病に対する医学的知識が足りない時代、東インド会社は、アルコールを飲むといいかもしれぬ、と墓石の他に、大量のワインなども送り込んだそうですが、これは、ただ、酔っ払いを増やすだけの結果となったようです。 ただし、ひとつ、マラリヤと熱病に効くとされるものがあった・・・南米産のシンコナ(cincona キナ)の木の皮から抽出されるキニーネ(quinine、英語ではクウィニーンと発音します)。キニーネは、マラリヤに利く薬が開発されるまで、こうした熱帯地方へ居住したヨーロッパ人の間で使用されていたようですが、この味が、とても苦いものであったため、東インド会社の社員たちは、これに砂糖、炭酸水、更にジンを足して飲んだ・・・こうして誕生したカクテルが

パーフィックなH.E.ベイツのザ・ダーリン・バッズ・オブ・メイ

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前回の記事 に載せたブルーベルが、イギリスのあちこちの森林の地面を青く染めるこの季節、本棚から手にとって、ページをめくりたくなる本は、H.E.ベイツ(H.E.Bates)著、「 ザ・ダーリン・バッズ・オブ・メイ The Darling Buds of May」。ブルーベル、バターカップ、イチゴ、ナイチンゲール・・・そんなイギリスの初夏を連想させる言葉が沢山出てきます。 1958年出版のこの小説は、「ガーデン・オブ・イングランド」(イングランドの庭)と称される、豊穣なケント州の田舎を舞台にした大家族、ラーキン家の物語。「ザ・ダーリン・バッズ・オブ・メイ」は、H.E.ベイツによる、ラーキン家を主人公とした5つある小説のうちの最初のものです。私が読んだことがあるのは、この1作目のみ。比較的短く、1,2日で、ぱーっと読めます。イギリスの自然描写を楽しめるほか、コミカルなラーキン家の生活ぶりが面白く、また、戦後間もない、50年代イギリスの社会の様子が伺えるお勧めの一読。 直訳すると、「麗しき5月のつぼみ」となる題名は、瞬く間に過ぎていく、美しい季節と青春を歌ったシェークスピアの有名なソネットの一節からの引用です。 ざっとあらすじを紹介しますと、 シドニー・ラーキン(相性ポップ)は、ケント州にある、30エーカーの土地で、家畜を飼い、近郊の農場での収穫の手伝いの他、何でも屋のような事をして生計を立てる。内縁の妻であるマーと、6人の子供たちとにぎやかに楽しく生活。 子供たちの名がユニーク。乗馬に夢中な美しいお年頃の長女は、マリー・アントワネットを短縮した、マリエット。次女は春に生まれたプリムローズ。双子の女の子は、マーの大好きな花の名を取って、ペチュニアとジニア(ヒャクニチソウの事)。末っ子はヴィクトリア・プラムの実る季節に生まれたヴィクトリア。唯一の男の子は、戦時中の英雄モンゴメリー将軍から取った、モンゴメリー。 一度も税金たるものを払った事がないラーキン家に、5月のある金曜日、税務署から、青年セドリック・チャールトンが、調査に現れる。税金徴収用の書類に、ポップの詳細を記入しようと試みるものの、到着直後、以前、乗馬のショーで見かけたことがあるマリエットに紹介され、彼女の美しさに気もそぞろ。ポップに、税金の話をはぐらかされ、気が付くと、チャールトン氏

5月に歩くブルーベルの森

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イングリッシュ・ブルーベルの花が、森林の木立の下を青く染めつくす様子ほど、イングランドの5月を髣髴とさせる景色は無いでしょう。ブルーベルのカーペットは、妖精たちが織る・・・などという伝説もうなずけます。日本の桜にあたるものは、この国ではバラかな・・・とは思いますが、非常にイングランドの土地と気候と密接な関係を持つイングリッシュ・ブルーベルも、かなりいい線をいっていると感じます。 通常、4月後半から、こうした青いカーペットにお目にかかれます。そして、一面のブルーベルのただ中を歩く時ほど、この国の夏の到来の予感のうれしさを強く感じる事はありません。ですから、毎年、この季節、そんなわくわく感を味わいたく、必ずどこかへ、ブルーベルを求めて歩きに出かけます。 5月の最初の週末はバンクホリデーウィークエンドと言って、月曜日が休日(バンクホリデー)の連休となります。通常、「バンクホリデーは、雨が降る事が多い」と言われていますが、風温かく、心地よい好天気となったので、ブルーベルを見に、夕方から近くの森に出かけました。連休の最終日の夕刻から夜にかけては、どこへ行っても、比較的、空いている事が多く、穴場の時間帯ですし。 案の定、自然保護地域となっている森の中では、入り口のゲート付近で、愛らしい子犬を連れたおじさん一人と遭遇しただけでした。後は、森とブルーベルをだんなと私で独占。頭上からは、多くの鳥の声が聞こえ、「カッコー、カッコー」も聞こえてきました。至福・・・ イングランド原生のイングリッシュブルーベルの学名はHyacinthoides non-scripta。8000年もの間、他の同様の種と離れたところで生息し、一切の混合無しに咲いてきた、まさに生粋のお花。 最近、この原生のイングリッシュ・ブルーベルの将来の生存が、少々懸念されているのだそうです。理由のひとつは、イギリス内では、ガーデンでの栽培用に導入された、イベリア半島原産のスパニッシュ・ブルーベル(こちらの学名はHyacinthoides hispanica)が、原生のものと交配し、混合種があちこちで幅を利かせてしまい、8000年の生粋イングリッシュ・ブルーベルの歴史をおびやかしているようです。特に、郊外の庭に咲いているものは、大体の場合、スパニッシュ・ブルーベルか、その雑種。うちの庭にも、植え