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12月, 2015の投稿を表示しています

コクガンの群れ

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友達夫婦と連れ立って、北海に面したエセックス州の河口の村の周辺を歩いてきました。村のパブの、暖炉際のテーブルでランチをした後の腹ごなしに。 片側に平坦な農地と、片側に満潮の河口の水面を眺めながら歩いていると、頭上を群れをなした鳥達が飛んで行き、内陸部に着陸。 望遠鏡を覗き込むと、頭が黒い雁。1群れが飛んできたと思うと、また別の群れが飛んできて、かなりの数です。 皆、ほぼ同じ場所に着陸し、一大集会を繰り広げています。これはおそらく小麦畑の真っ只中。まだ雑草の様な若い小麦の葉が生えていて、雁たちはこの頭をちょんちょんつついて食べたりするのでしょう。近くには、農家の人間が仕掛けたであろう、銃の様な大きな音が出る機械が置いてあり、時折、ボーン、ボーンと音をたてていました。内部にガスが溜まって音を出す、バンガロー(bangalore)という鳥を脅かすためのマシンです。農地を歩いていると、時々耳にする音ですが、雁たちは、慣れっこの感じで、怖がるどころか、効果は全くなく、飛び立つものは一羽もいませんでした。 後で家に帰ってから、写真に取ったものをクローズアップして図鑑で調べると、英語でBrent Goose(ブレント・グース)、日本語ではコクガン(黒雁)と呼ばれるものでした。 コクガンという日本名の通り、全体的に黒色。英語のブレント・グースという名は、昔の北欧の言葉に由来するそうで、ブレントは「焦げた、焼けた」を意味したそうです。要は、「焦げたように黒い雁」。 成長した鳥は、首の周りに白の縞が一本。下腹が白っぽい色です。上の絵は、イギリスの野鳥保護協会( RSPB )のサイトのもの。夏の間は、ツンドラ地方で生殖し、10月から3月ころまでを、こうした、イギリスの東や南海岸の河口で過ごす渡り鳥だという事。 世界に存在するコクガンの2%もが、こうしたエセックス州の海岸線で冬越しをするそうです。生まれて3ヶ月の若い鳥もはるばる飛んでくるというので、たいしたものです。この場所よりちょっと北に行ったところには、自然保護地域などもあり、そこではコクガンが好んで食べる草なども育てているようです。 ところで、日本語で、このタイプの水鳥は、雁、がちょう、カモ、アヒルなど、色々な呼び方があり、少々ややこしいのですが、違いは、雁を家畜化したものが、がちょう

にんじんは何故オレンジ色か

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先日、テレビで、庭園の歴史の番組を見ていて、「にんじんの色は、かつては紫か白で、オレンジのにんじんは、オランダ人が開発したもの。オランダのオレンジ家をたたえるためだったとも言われている。」のような事を言っていました。これを聞いて私は、「そんな昔に、オレンジ公を称えるため、紫や白など全く違う色から、オレンジ色のにんじんを作り上げたオランダ人、すごい技術だ。魔法みたいだ。」と思い、同時に「本当かいな」という懐疑心に駆られ、ちょっと自分で調べてみました。 西アジアやヨーロッパを原生とした野生のにんじんというのは、根が比較的貧弱で、にがく、古代には、根よりも、その葉と種を、ハーブとして使用するのが主であったようです。野生のにんじんが徐々に、畑で栽培されるようになると、色々な場所で、根が太いものが選別栽培されていき、根を食べるという事も始まったようです。こうした栽培用にんじんの主な色は紫であったようですが、他に白のもの、また時に黄色のものなどもああり、16世紀のオランダ人たちは、この黄色の変種のものを使って、お馴染みオレンジのにんじんを開発したというのが真相のようです。 オランダの園芸家たちが、黄色のにんじんを育てては、根がより太く、より甘いものを、その子孫から厳選し、さらにそれを繰り返し、選別栽培していくうちに、色が徐々に濃くなっていき、黄色と言うよりオレンジとなっていったようで、開発者の意図は、色よりも、味と大きさ重視。 そうした事実とは関係なく、たまたま、スペインのフェリペ2世の政権に反旗を翻した、オランダ独立戦争の立役者であるオレンジ公ウィリアム1世(オラニエ公ウィレム一世、1533-84年)の時代と、オレンジにんじんの登場の時期が同じであったため、ウィリアム1世を称えるために、オレンジのにんじんが開発された、という巷の伝説が生まれ。そして、西洋では、この新しいにんじんのほうが、大きく、甘く、美味しいので、他のにんじん達が栽培されなくなり、にんじんというと、ベータ・カロチンたっぷり入った、甘みのあるオレンジのもの、と相成ったわけです。野菜を使ったケーキなどというものは、キャロット・ケーキ以外思い当たりませんが、それも、オレンジのにんじんの甘みによるものでしょう。 上の絵は、ロンドンの ナショナル・ギャラリー にある絵。アントワープで生まれた1

ロンドンのセブン・ダイアルズ今昔

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ロンドンの大英博物館から南へ下り、西はソーホー、更に南は コヴェント・ガーデン に挟まれたエリアに、7つの細い道路が、星のように集まる場所があります。その星の中心にはコラムが立ち、車がこのまわりをぐるぐる回る小型ラウンドアバウトとなっています。ここが、ロンドンのセブン・ダイアルズ(Seven Dials)。日本語カタカナ表記では、セブン・ダイヤルズと書くほうが普通でしょうか。 コラム上には、6つの日時計が掲げられています。英語でダイアル(ダイヤル)を名詞で使う場合は、「(時計などの)面」の意味がありますので、正式には、シックス・ダイアルズなのです。なんでも、この地が開発された当初の計画では、ここに集まる道は7つではなく、6つだけの予定であり、最終段階で7に増やしたため、コラム上に掲げてある時計は、6つのままとなったのだそうです。 オリジナルのセブン・ダイアルズのコラムがこの地に設置されたのは、遡ること1694年。1689年の 名誉革命 でイギリスの王座についた、オランダ人の王様、ウィリアム3世の時代の事。政治家であり実業家でもあり、名誉革命を達成するためにも一役買ったと言われるトーマス・ニール(Thomas Neale)が、この周辺の開発にあたるのです。 当初は、セブン・ダイアルズ一帯をファッショナブルな住宅地にする意図があったようですが、18世紀、19世紀と、周辺のガラは向上どころか、更に悪くなり、思惑とは裏腹に、ロンドンでも屈指の、貧困と犯罪がはびこるスラムとなり、気がつくと、セブン・ダイヤルズは、犯罪者の待ち合わせ場所となり果てていました。そんなこんなで、コラムは、1773年には除去されてしまいます。 大型目抜き通りのチャリング・クロス・ロードと、シャフツベリー・アヴェニューが近くに建設されてから、スラムの一部は取り壊されたものの、残ったエリアは、その後も長い間、ほったらかされて、シャビーな状態でありました。私がはじめてこの国に来た時も、まだ、チャリング・クロス・ロード北部の東側というと、かなりばっちい感じでしたから。セブン・ダイアルズに、現在のコラムが設置されたのは、1989年。名誉革命の300年記念の年であったため、当時のオランダのベアトリクス女王が、オープンの日の記念式典に参加。 コラムは、最初のデザインを忠実に再現しているそ

大人の塗り絵ブーム

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以前、日本の母親から、「ボケ対策として、塗り絵がいい。」という話を聞いていました。なんでも、線からはみ出ないように、と気を使いながら色を塗るのが脳に良いそうで、記憶がいささか朦朧とし、危なくなりかけている友人達に勧めているのだとか言って。イギリスでも、ボケもともかく、ストレスにまみれた生活の間の癒し対策として、大人でも、塗り絵をする人が増えている気配です。 私も、先日、とある店で、キュー・ガーデン出版による、本格的な植物画の塗り絵が、値引きされて売っているのを見て、購入しました。初刊が1787年という、世界で最も長い間発行されている植物画雑誌「カーティス・ボタニカル・マガジン」(Curtis's Botanical Magazine)から取られた44枚の時代物の植物画です。画家は、当雑誌のイラストを19世紀中ごろに手がけた、ウォルター・フッド・フィッチ(Walter Hood Fitch)。 左側に、すでに色が着いた同じ絵が挿入されているので、それを見ながら、本物の花そっくりに彩色することが可能。最初から最後まで、色付けをしたら、緑の色鉛筆だけ磨り減ってしまいそうな感はありますが、そんなこんなで、かなり格調高い塗り絵なので、終わった後も、手元に残しておきたい代物です。 この高級感覚あふれる塗り絵を買った後、大型スーパーの雑誌売り場の片隅に、大人用の塗り絵コーナーがあるのも発見。塗り絵専門の雑誌なども出版されているのに気づき、「ひょえ!」と思った次第。ぺらぺらと、何冊かめくってみると、子供用の塗り絵と違い、入り組んだパターンのものが多く、まるで壁紙の模様か、ペルシャ絨毯のようなものもあります。1ページ仕上げるのに、わりと時間がかかりそうなものばかり。複雑なパターンであればあるほど、他の事を考えず、専念できる、というのがあるのかもしれません。表紙には、「心癒すための」とか、「禅風」とかの形容詞がついているものがあり、やはり、アート・セラピー的要素が売り物となっているのでしょう。 前回の記事 で、欝気味の人のプロザックの乱用が問題になっている話しを書きましたが、プロザックに手を出す前に、こういう大人のための塗り絵をして、一日のうちの数十分でも、ページをカラフルに彩りながら、頭の中は、雑念を追い払い、真っ白にしてみるのもいいのかもしれません。

一生のうちに取る薬の量

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近くに行く用事があったので、 大英博物館 へちょこっと入ってきました。パリでのテロ事件があったばかりなので、入館には、荷物検査など厳しくされるかな・・・と思いきや、検査など一切無く、入り口付近には、検査官すら見当たらず、皆、そのままどんどん入館と、おおらかなもので、少々、拍子抜けしました。 あまり時間がなかったので、今回は、地階にある1、2部屋見ただけ。入り口付近のイースター島の巨大 モアイ像 に誘われて、「Living and Dying 生きる事と死ぬ事」と題された部屋(現段階では、 ルーム24 )に入りました。色々な文化が、生きていくために、どうやって健康を維持するか、危険を逃れようとするか、死に対してどういう対処をするか、というのをテーマにした部屋のようです。 モアイ像の背後に回ると、腰の高さで上から覗く様になっているショーケースが置かれており、その中に展示されていたのは、「大英博物館に、こんなものが・・・。置き場所を、テート・モダンと間違えたんじゃないか。」と思わせるような、モダン・アート風の代物。私、いわゆるモダン・アートは、大したことが無いものをもったいぶって、いかにも深い意味が在るように見せているものが多い気がして、あまり好きではないのですが、これは、ちょっと面白かったのです。長い、2つの、薄い反物のようなものが広げられていて、その布地に、いくつもの薬の錠剤が縫い込まれています。「Cradle to Grave ゆりかごから墓場まで」というタイトルがついており、一反は男性が、一反は女性が一生のうちに飲む薬を、誕生から死まで、ずっとこの反物に縫いこんであり、先進国の人間が、健康維持のために、どれだけ薬を頼りにしているか、という展示。 説明のラベルを読むと、現在イギリス人が一生の間に飲む、さまざまな薬の数は、平均約1万4千。片端の誕生時から時間順に、ある人物が取った薬がずーっと飾られています。誕生後の赤ん坊の時のワクチン用注射器なども展示されていました。 子供のときも、今も、サプリは別として、さほど薬は飲まない方だと、自分では思っているものの、痛み止めや風邪薬など、過去取ったものを全て換算すると、やはり、かなりの量にはなるのかもしれません。白血病患者のうちのだんなに至っては、毎日飲む薬の量だけでもかなりのものがあります。それで

ウェリントン公爵の長靴

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今のところ、暖冬のイギリスですが、雨模様の日が多く続いています。先日、大洪水騒ぎとなった、湖水地方のあるカンブリア州一帯にくらべれば、うちの周辺はましな方ですが、庭の芝生も、乾く間が無く、なにやらドロドロし、横切るたびに、足の下でぐちゃぐちゃと音をたてています。 そこで、ちょっとぬかるみに入る可能性がある外出は、ここのところ、いつもゴム長靴を履いて出ます・・・いや、考えてみれば、最近、ゴム長靴以外の靴を履くことが少なくなっている感じです。9月末から10月頭にかけて、 サマセットとドーセット州の旅行 に出たときも、ウォーキングシューズを車のトランクに入れながら、基本的には、ずっと長靴で歩き回ったのでした。ずっと、好天気だったのにかかわらず・・・。ウォーキングのしすぎで、足の親指に黒あざができていて、つまさきに余裕のある長靴が一番らくだったのもありますが、海岸線を歩くときなども非常に便利でした。大体は、ジーンズの下に履いているので、見えるのは足先だけ。足元をじろじろ見られない限り、ゴム長を履いていると気づかれない場合の方が多いと思いますし。そんなこんなで、長靴が、自分のトレードマークとなりつつある感じで、まるでウェリントン公爵(Duke of Wellington)のよう。 長靴は、イギリスの口語英語で、ウェリー(Wellie、Welly)と呼ばれることが多いです。足は2本なので、靴(shoes)と同じで、ペアの長靴を指す場合は「ウェリーズ Wellies」と複数形となりますが。これは、「ウェリントン Wellington」(複数は当然Wellingtons)または、「ウェリントン・ブーツ Wellington Boots」を短縮したもので、由来は、ナポレオンをワーテルローの戦いで破り、後には、イギリスの首相ともなった、初代ウェリントン公爵、アーサー・ウェルズリー(Arthur Wellesley)が愛用していたブーツに遡ります。折りしも今年は、ワーテルローの戦いの200周年記念でした。 18世紀に軍で着用されていたブーツは、主に子牛の皮で作られたヘッセン・ブーツ(Hessian Boots)と称されるもので、大体において、前にv字の切れ目が入り、装飾の房がさがっていたということ。ウェリントン公爵もこのブーツを愛用していて、軍の将校のみならず、一般紳士の

イギリスでのパネトーネ人気

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20世紀初頭のイタリアはミラノで生まれたお菓子パネトーネ(panettone)。時間をかけて発酵させ、ふくれあがった、ドライフルーツ入りの巨大ブリオッシュの様なこのお菓子は、クリスマス時期に良く食べられるものです。 イギリスのクリスマス時期の伝統的スウィーツというと、 クリスマス・プディング もクリスマスケーキも、ドライフルーツがたっぷり入り、色が比較的濃く、重いものが多いのです。当然、レシピによって、小麦粉に比べ、ドライフルーツの含有量が多ければ多いほど、色はどす黒くなっていくわけですが。クリスマスケーキは、その重く黒っぽい物体の上に、更に、分厚い白のアイシングで覆われている事が多く、お腹にドーンとくる上、かなり甘いのです。日本人の感覚から、ふわふわのスポンジに生クリームが挟まって、イチゴでトッピング・・・の様なものを想像するとトンでもハップン。こういったものを食べるとき、私は、大体、2,3杯の紅茶で流し込むこととなるのです。そのどっしり感は、殺人の凶器に使えるのではないかと思うくらい。投打されて死亡した男性の死体、凶器は見つからない・・・凶器は、実は、1年前の固くなったイギリスのクリスマス・ケーキであった、そして犯人は殺人を犯した後、証拠を消すため、ケーキを食べてしまったのだ、なんていう筋の犯罪物でも書けそうな気がします。 最近のクリスマス時期、このイギリスの伝統のお菓子たちの他に、イタリアのパネトーネが段々と人気を博してきているという話です。特に、ちょっと洒落たギフトや、パーティーに呼ばれて持っていくものなどに、購入する人が増えているのだとか。新聞や雑誌などでも、各社のパネトーネの味比べリストなどという記事が組まれているのも目にし。高級デパートや食料品店の高めのものも出回っていますが、勢いに乗って、イギリス中に支店を増やしているドイツ系スーパーの、リドル(Lidl)やアルディー(Aldi)が、よく、大陸ヨーロッパの食料品も販売しており、お手ごろ価格のパネトーネもクリスマス期には必ず売っているのも、パネトーネ人気の一般化を手伝っているのかもしれません。(それにしても、ドイツ・・・製造業のみならず、イギリスが得意とするはずの販売業まで、イギリスのスーパーを負かす勢いです。) ということで、このトレンドを反映するように、うちのだんなも、先週、友人から

ポンセチアとアクリスマス

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12月に入り、巷のクリスマス色も強くなっていきます。スーパーのレジの周りには、列を作って待っている人たちの衝動買いを促すかのように、大量のポインセチア(Poinsettia)が置かれていました。イギリスで、クリスマスの時期に一番売れる植物は、このポインセチアなのだそうです。我が家で、冬季の室内用に購入する植物は、大体、 ヒヤシンス とシクラメンですが、たまには、ポインセチアも飾ってみるか、とひとつ購入。わりと大きめで、2ポンド50ペンスと、スーパーで買う植物も、最近は安いものです。どこかの巨大な温室で、同じ植物を一気に、大量生産しているのでしょう。 頭でっかちな植物であるため、バランスが取れるよう、家に持って帰った後、わりと大き目のポットに移し変えました。また赤と緑のバランスで、赤がかなり強烈なので、ポットの色は少々緑がかったものにし、ついでに、つたで作ったリースで鉢の底を飾り。2階の寝室の窓辺に置くと、ベルベットの様な赤い葉が、イギリスの冬の空を背景に、わりといい感じです。もっとも、この赤い部分は、厳密には葉でも花でもなく、苞(苞葉)、英語では「bract」と呼ばれるもの。 ポインセチアの故郷はメキシコ南部を含む中南米。赤と緑の強い色合いは、出身地がメキシコと言われると、確かに、そうだろうなという感じはします。アステカの時代には、紫色の染料材として、ミルク色の汁は、解熱のための薬に使用されたとか。 トウダイグサ(ユーフォルビア)属のポインセチアの学名は、「Euphorbia pulcherrima」。意味は、「最も美しいトウダイグサ(ユーフォルビア)」。もちろん、学名で呼ぶ人などはほとんどいませんが。俗称のポインセチアは、アメリカ合衆国にこの植物を持っていき、紹介した人物の名からきています。1825年、初代メキシコのアメリカ大使となったジョエル・ロバーツ・ポインセット(Joel Roberts Poinsett)氏は、メキシコで、このカラフルな植物に遭遇し、アメリカの、自分の家のグリーンハウスで育成するよう送り、また、知り合いにもいくつか送り、そこから広がり、徐々に商業用に売られるようになります。1830年代から、すでに、アメリカでは、この植物は、ポインセット氏の名から、ポインセチアと呼ばれるようになっていたということ。 なぜ、ポインセチアがク

眠られぬ夜のために

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昔から、寝つきの悪い子供でした・・・と 前回の記事 にも書きましたが、年とともに、寝つきの悪さと、眠りの浅さがひどくなっている感じです。まじめ人間の私に比べ、ずーっと脳天気な母親も、過去30年ほど、不眠症に悩まされ、時に睡眠薬のお世話になっている人。こういうのも、遺伝と言うのはあるのでしょうか。もっとも、不眠症の人間というのは非常に多いらしく、眠れないばかりに、体の調子をこわす人などもかなりいるというのですから、困ったものです。 更には、「眠らなきゃ」と焦れば焦るほど、それがストレスとなり、益々眠れなくなるのです。あがけばあがくほど、沈んでいく、蟻地獄のよう。定かではありませんが、サミュエル・ベケットによる戯曲、「ゴドーを待ちながら」の中に、深く考えないようにしようと、「考えない、考えない、考えない、考えない」とおまじないの様に自分に言い聞かせながら、「ああ!まだ、考えちゃいけないという事を考えてる~!」という台詞があったような記憶があります。この心境は、痛いほどわかります。「眠らなきゃ」のプレッシャーが、快眠には、かなり悪いことであるから、眠るためには、あまり「眠らなきゃ」と思わんようにしようとすると、「眠らなきゃ、と思っちゃいかん」と必死になっている自分に気づき、ストレスは、逆に、二乗、三乗になって行くのです。 そんなこんなで、先月は、あまりにも眠れないことが多く、睡眠時間1時間以下・・・のような日が2日ほど続いて、日中もゾンビ状態と化していました。 ビアトリクス・ポター作の「フロプシーの子供たち」(The Tale of Flopsy Bunnies)の話によると、レタスは眠りに誘う成分が入っているとかで、レタスをたらふく食べた、フロプシーの子うさぎ達は、上の挿絵の様にバク睡状態に陥るのです。この子うさぎ達の、寝ている様子が、あまりに気持ち良さそうなので、わらにもすがる気持ちで、寝る前にレタスをぼりぼり食べたり、レタス・スープを作って飲んだりしてみましたが、人間の私には、あまり効き目はなく・・・。最近、テレビで、マグネシウムのサプリが快眠にいい、などとやっていましたが、これはまだ試していません。寝る前に飲まないほうがいいのは、当然カフェイン類とアルコール。ここのところ、コーヒーはもちろん、紅茶は6時以降は、手をつけるのをやめました。夜に炭水化物

「おやすみなさいフランシス」と「しろいうさぎとくろいうさぎ」

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ローラ・インガルス・ワイルダーによる「 インガルス一家の物語 」シリーズの事を当ブログに書きつづりながら、シリーズのイラストを担当した、アメリカのイラストレーター、ガース・ウィリアムズ(Garth Williams)に何度か言及しました。この他にも、彼がイラストを担当した、ラッセル・ホーバン著「おやすみなさいフランシス」(原題:Bedtime for Frances)という絵本がありましたが、これは、私が子供時代、一番のお気に入り絵本でした。ふと、なつかしくなり、アメリカから古本を取り寄せました。 日本では人気だった「おやすみなさいフランシス」ですが、イギリスの本屋で売っているのは見たことは一度もありません。また、やはり、私が子供の時に大好きだった、米作家ルース・スタイルス・ガネットの「エルマーの冒険」(My Father's Dragon)シリーズ3作も、イギリスの子供の間ではほとんど知られていない感じです。「インガルス一家の物語」シリーズも、後半の4冊は、アメリカから古本を購入して読んだ次第。もっとも、こういった本を外国から、コーヒーを一杯買うのとさほど違わない値段で購入できるのは有難いことで、本当に、インターネット様様です。 今回購入した「Bedtime for Frances」は、色つきなのですが、私が日本で読んだものは、色は、淡い緑と黄色だけでした。この彩色の仕方と色の選択がいまひとつなのは、あとから、本人以外の誰かがつけたものなのではないかと、思います。これがちょっと残念でしたが、いやはや、懐かしい・・・。 The big hand of the clock is at 12. The little hand is at 7. It is seven o'clock. It is bedtime for Frances. 時計の長い針は12を指しています。 短い針は7を指しています。 7時です。 フランシスが寝る時間です。 の冒頭の部は良く覚えています。この後、ベッドへ連れて行かれたフランシスは、なかなか眠れず、部屋の中にトラがいる、巨人がいる、天井の割れ目から何かが出てくるかもしれない、窓のカーテンの動きが不気味だ・・・と色々と心配になり、其の度に、ベッドから這い出し、両親のところに行って、報告を