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7月, 2009の投稿を表示しています

トマス・ゲインズバラ、風景画を愛した肖像画家

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イギリスで有名な作家と言うと、次から次へと名が挙がってきますが、世界的に名の知れた英国画家となると、その数はぐっと少なくなる気がします。 ぱっと思い浮かぶのは、 ターナー 、 コンスタブル 、後は、ラファエロ前派くらいか・・・。 この時期の田舎の畑のそばを通り過ぎると、ふと頭に浮かぶのは、ロンドン、ナショナル・ギャラリーにある黄金の小麦畑を背景にしたトマス・ゲインズバラ( Thomas Gainsborough :1727-1788)の絵、「Mr and Mrs Andrews アンドリュー夫妻」(下)。 トマス・ゲインズバラは、コンスタブルの一世代前の画家で、コンスタブルと同じくサフォーク州出身。 「Mr and Mrs Andrews」は、サフォークの田園風景を、肖像と兼ねて描いたもの。空に低く浮かぶ雲の感じが、この国です。一度、テレビで、この絵の中の夫妻の背後に立つオークの木を見せていましたが、今は倍くらいの太さに成長していました。風景はほとんど変わらず。アンドリュース夫妻のポーズがいささか固いのは、洋服を着せた木製の人形が、本人達に代わって、ポーズをとったからだそうで。 少年の頃から、故郷のサフォーク州 サドベリー 周辺の風景をスケッチして歩き、もともとは、風景を描くのが好きだったのが、それでは、金にならないと、ヴァン・ダイク(Anthony van Dyck )風の肖像画の手法を習得して、そちらが専門に。 その作戦が効を成し、バース、やがてロンドンで、裕福なクライアントを相手にしたお洒落な肖像画で成功。シルクやリボン、レースで飾られた豪華な衣装に身を包んだクライアント達を、出来る限りエレガントに描く。観光地などにいる似顔絵画家なども、描いているところを覗いてみると、いつも実物のモデルよりずっと美男美女に描いている。お客を喜ばすのは肝心です。 上の絵は、やはりナショナル・ギャラリー所蔵の「朝の散歩、Mr and Mrs William Hallet "The Morning Walk"」。頭上の木の葉も、楽しげで、筆が踊っている感じ。 ゲインズバラは、ジョージ3世とシャーロット女王のお気に入りの画家ともなります。(ジョージ3世とシャーロット女王については、過去の記事 「狂ったジョージ

エリザベス・ギャスケル

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 エリザベス・ギャスケル(Elizabeth Gaskell)、または、単にギャスケル夫人と呼ばれる彼女。チャールズ・ディケンズ編集する雑誌ハウスホールド・ワーズなどにも作品を載せていたビクトリア朝女流作家です。その知名度は、ディケンズや、友人であったというシャーロット・ブロンテなどに比べ、比較的低く、私も、BBCでジュディー・デンチ主演でドラマ化されて話題となった「クランフォード」(Cranford)を見るまでは、彼女の作品は読んだ事がなかったです。 ギャスケルは、ロンドンで生まれたものの、1歳にして母を亡くした後、父により、チェシャー州ナッツフォードの母方の叔母の元へ送られ育てられます。ギャスケルは、この叔母さんに非常になついて、また、強い女性が沢山、互いに支えあいながら生活をしていた、ナッツフォードでの幼少期に影響を受けたようで、「クランフォード」のモデルは、このナッツフォードだと言われています。 この物語は、クランフォードでの、住人の時にコミカルな生活ぶりを描いたドラマ。変わらぬような毎日の中、鉄道がクランフォードにやって来る計画や、新しく若いハンサム医師の到来など、町に少しずつ変化が訪れる。 ギャスケル夫人は、社会や人間の善意に基本的に信頼を持っていた人の様で、クランフォードの住人達は、お喋りゴシップおばさん、気難しい老婦人なども、いざとなると一致団結して、隣人の手助けに走る。 植物や花に関する描写なども面白く、しばらく空き家になっていた家に病人が移り住んだ際、隣人が、しばらくこもっていた室内の空気を良くするため、暖炉で燃やす用のラベンダーを送るシーンや、昔の恋人から、花束をもらったが、どういう意味があるかと、花言葉の本を出して調べるシーンなどありました。 私は、原作はまだ読んでおらず、テレビドラマのみを見たのですが、このBBCのドラマは、著者の他の短編小説なども織り込んで、多少の脚色がしてあるようです。 このドラマをきっかけに、うちのだんなの古い本の中にあった彼女の代表作「ノース・アンド・サウス」(North and South)を引きずり出し、埃を払って、最近になって、初めて読んでみました。 美しくのどかなイングランド南部出身のヒロイン、マーガレットが、北部の新興の工業都市に移り住み、そのまるで違う

ローカル・ヒーロー

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 全英オープン・ゴルフが昨日終了。 それほど、ゴルフには興味は無いのですが、今回は、この全英オープンの行われたコース、スコットランド南西部のエアシャーにあるTurnberryの美しさが話題になっていました(写真は、 Turnberryホームページ より拝借)。 当ゴルフ・コースの人里離れた交通の便の悪さの為、観客は前年の全英オープンよりも少なかった様で、主催者側としては、お金がさほど儲からない、という話も耳にしましたが。人があまりいないから、こういう美しさが保てるというのはあるかもしれません。 この風景を見ていて思い出したのは、スコットランドを舞台にしたコメディー、ローカル・ヒーロー(Local Hero)。 一番好きな本は何、一番好きな音楽は何、一番好きな映画は何?の様な質問は、時と気分によって異なったりするので、答えるのがとても大変ですが、この映画は大好きで、いつでも、必ず私のトップ・テンにいれたいところです。何度見てもいい。 アメリカの石油会社に働くマックは、スコットランド沖の油田開発と土地買収交渉のため、スコットランドの小さな漁村に派遣される。 バリバリのビジネスマンだった彼が、村での滞在が長引くにつれ、現地化していき、やがては、帰りたくなくなってしまう。彼の着るものが、心の変化と共に、徐々に変わっていくのもおかしいです、始めは、スーツにネクタイ、ピカピカの革靴に高価な時計、それが、そのうちノータイになり、しまいにはざっくりセーター姿に、はだしで、海岸で貝殻集め。風変わりな、一筋縄ではいかぬ村人たちとのやりとりも、愉快。 ロケ先は、マックが滞在する村は、スコットランドの東岸アバディーンシャーにあるPennanという村で撮影。マックが、小銭をしこたま集めて、バート・ランカスター扮するアメリカ本社の上司とのやりとりに使う、赤い電話ボックスは、今では観光名所だとか。映画で実際使われたのは、小道具で、本物の電話ボックスでは無かったらしいですが。 その他の、海岸線を含む自然風景のロケは、スコットランド西岸、ハイランドのMorarとArisaigで行ったそうです。Turnberryのゴルフ・コースよりは、北になりますが、似たような感じの風景で、そりゃ美しい。キャリア一筋の都会マンがふと立ち止まり、深呼吸し、

イギリスの白鳥達

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小川の傍らで羽繕いをしていた白鳥の親子。 子育て時期の白鳥は、なかなか凶暴で、こちらがあまり接近しすぎると、翼を広げて「それ以上、近寄るな」とばかりに、「しゅーーーー!」と蛇の様な音を立てて脅かされてしまいます。 イギリスのほぼ全域で、一年中見られる白鳥は、この Mute Swan (コブハクチョウ)と呼ばれるものです。くちばしはオレンジ色、首は優雅にS字をして。この国で一番重い鳥だそうで、空に飛びたつには、エンジンをかける様に、ばたばたと何度か威勢よく羽ばたきして、水面を足で蹴りながら滑走してから。 寿命は40歳くらいまで生きるものもいるようですが、多くは4歳に満たないうちに死ぬという事。この白鳥の親子がいた直ぐ脇は、ゴルフ場だったのですが、ゴルフのプレイを一時停止して、白鳥の親子を眺めていた人が、先日、きつねが白鳥の子を口にくわえているのを見たと言ってました。こんな、のんびりしている様に見えても、自然界で生き延びるのは大変なのです。 白鳥カップルは、一生の伴侶となるケースが多いそうです。 食べ物は、基本的にベジですので、主に水草。公園などで、パンを与える人が多いのですが、野菜くずなどを、水に放ってやる方が良いのだそうです。  中世の時代は、白鳥の肉は有難がられ、王と一部貴族のみが食せる贅沢品。そのため、昔から、「王の鳥(Birds Royal)」のイメージが定着。まあ、大型の鴨かあひるの様なものですから、食べると、確かに美味しいのだろうな、とは思います。 この貴重な鳥を、いつでも晩餐の食卓に支障なくあげることが出来るよう、王から許可を受けた業者のみが、白鳥の所有及び保護管理をする権利を与えられ、それぞれの管理する白鳥のくちばしにマークをつけてきた・・・。 その名残の行事が、毎年7月第3月曜日から5日間、テムズ川で行われる、 Swan Upping です。今年は、明日、20日の月曜日から始まるようです。現在では、白鳥を食べるなど、もっての他ですので、このSwan Uppingは、テムズにいる白鳥の保護とその健康状態のチェックが目的。 15世紀に、王から白鳥を所有する特権を与えられ、今でもこの伝統を続けているVinters(ヴィントナーズ)社とDyers(ダイヤーズ)社の2社を代表するボートと、女王を代表する

ゼリーに入ったウナギ

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イギリスに来てから、いまだ食べたことの無かったこちらの食べ物のひとつにジェリード・イール(Jellied Eels ゼリード・イール、うなぎのゼリー寄せ)がありました。  うなぎをざっくり輪切りにして、ハーブやらストックやらを混ぜて煮、そのまま冷やしてゼリー状にしたものです。聞くからに、そして、見るからにまずそうで、手を出さなかったのですが。 その歴史は18世紀に遡り、東ロンドンの労働者階級の食べ物として人気だったそうです。うなぎは、テムズ川で簡単に捕まえることが出来た上、輸送も楽、安くて栄養価の高い食べ物と重宝され。東ロンドンの、パイとマッシュポテト等を出す店、Pie and Mash Shopなどでも、伝統的なメニュー。 先日、たまたまスーパーで見かけ、「一度くらいは試してみよう」と購入。 何だか、パッケージに張ってある、ラベルからして、ぬるぬるした食感を連想してしまう。かぱっと皿にあけてみたら、もっと薄気味悪い。 先入観も手伝ってか、一口、そして二口で、もう食べ続けられなくなりました。ちょっとだけ塩味のゼリーは、気色悪く、こりこりした骨も嫌だ。もう二度と手をつけない、と思いながら、水道で、ゼリーを全部洗い落として、うなぎの輪切りだけ庭に放りました。庭に来る鳥が食べるかもしれないと。 案の上、ブラックバードが数羽やって来て、つついて食べていました。骨っぽい部分以外は無くなっていたので、彼らは、まあまあ気に入った様です。 コックニー(東ロンドンっ子)にはなれません。これは、パイとマッシュ付きで出されても、食べられない。安くて栄養価が高いうなぎを使って、もう少し工夫して、美味しい料理を作れなかったものか。この国、食文化に関しては、あまり執念がないというか、工夫が無いというか。日本の様に、食べ物は、最初に目で楽しんでからという感覚もなく、腹に入れば、皆同じ的アプローチです。やっぱり、うなぎは、うな重がいいのです。

孔雀蝶とスティンギング・ネトル

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日本に比べ、あまり派手な蝶はいない国です。庭に来るのは、ほとんどの場合モンシロチョウ。 なので、散歩中にピーコック(Peacock、孔雀)と呼ばれるこの蝶に遭遇すると、ちょっとうれしいものです。名の由来は、羽の模様が孔雀のそれに似ているから。4つの目玉の様なこの模様は、鳥などの天敵を脅かすためだそう。鳥は、これ見て、巨大なへびか何かに、睨まれている気になって逃げ出すんでしょうか。カメラ持って近づいた私にも、パタパタと羽を時々動かして威嚇してました。「あのー、怖くないんですけど・・・。」 ピーコックの卵は、スティンギング・ネトル(Stinging Nettle、正式名:Urtica dioica、日本語訳:イラクサ)の葉に産み付けられ、黒い毛虫の間は、このネトルの葉を食べて育ちます。 葉や茎が繊細な刺で覆われているネトルは、この時期、丈も高く、いたるところに生えているので、茂み深い緑の小道を、半ズボンで歩こうものなら、油断するとちくちくと刺されて酷い目にあいます。 うちの庭の奥の方にも数本生えています。蝶や、他の昆虫が、卵を産みつける植物だから、庭に生えていたら、昆虫のために、そのまま、数本は残しておいてやって下さい、などとテレビの自然番組でやっていたので、放っておいたものです。先日、他の雑草抜こうとしている時に、指をやられました。いたた・・・。 この痛さは、植物内のケミカルによるものだそうで。葉や茎のとげとげが、触るとすぐに植物から剥がれ、皮膚に付き、皮膚はこのケミカルにやられます。これも、植物の防衛メカニズムでしょうか。それでも、それを食べる毛虫もいる。 いや、毛虫だけでなく、人間様も、お茶やスープにして食する人がいるようです。 ネトル・ティーは、スティンギング・ネトルの若くやわらかい葉を使用。育ってしまった古い葉は、苦いそうなので。摘んだ若菜を小鍋で水と一緒に、液体が薄緑になるまで煮るだけ。後は、ネトルを取り除き、カップにそそぎ、好みで砂糖やレモンを入れて。健康に良いそうで、私もいつか試してみます。摘むのが、ちょっとやっかいですが。

フィールズ・オブ・ゴールド(Fields of Gold)

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小麦の穂も、いつの間にか重たげな金色になっていて、そろそろ、あちらこちらで収穫が始まったようです。美味しいパンになってね。 小麦は主にイングランド南部で栽培。北ではあまり良く育たないようです。 小麦畑の他、大麦(バーリー)畑もよく見かけますが、バーリーは小麦よりも収穫が早く、6月中。また、北部でも比較的良く栽培されているようです。 バーリーと小麦との外見の違いは、バーリーには、猫のひげの様な長い毛が穂の先に生えていること。この毛のせいもあって、地平線まで続くバーリーの畑は、小麦畑よりも、やわらかく、海の表面の様に波打つ感覚があります。 上の写真は5月半ばのバーリー畑。この真ん中を パブリック・フットパス が通っていたので、ウェストより高くなびいているバーリーの波打つ表面を手で軽く触れながら歩きました。 スティングの歌 「Fields of Gold」 フィールズ・オブ・ゴールドの風景です。 You'll remember me when the west wind moves Upon the fields of barley You'll forget the sun in his jealous sky As we walk in fields of gold 西風がバーリーの平原の上を吹きぬける時 君は僕のことを思ってくれるだろう やきもち焼きの空に燃える太陽の事は忘れ 黄金の平原を歩く時 バーリーのこちらでの主な使用法としては、家畜の飼料、ビールやウィスキーの材料、あとは、バーリー・ウォーターと呼ばれるソフト・ドリンクの材料。食用にも少々使われるようですが。 バーリー・ウォーターは、脱穀したバーリーを果物の皮や果肉と煮、砂糖などで味をつけたもの。ロビンソンズというブランドのバーリー・ウォータが有名です。 ロビンソンズのバーリー・ウォーターやスクワッシュは、ウィンブルドンのテニス・トーナメントのオフィシャル・ドリンクでもあり、ウィンブルドンに初登場したのは1935年だと言うことです。時々、アンパイアの椅子の下に、このロビンソンズのボトルが立ててあるのを見た覚えがある人もいるでしょうか。 さて、うって変わって上の写真は、現在の菜の花(セイヨウアブラナ:Rapeseed、ま

馬の尾を食べる馬

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細いパブリック・フットパスを歩いていたら、馬が一頭、周囲の植物をバリバリ食べるのに夢中で、立ち止まったまま、行く手をふさいでいました。 よほどの事がない限り、野原や野道で、遭遇した馬に襲われる、などと言う事はないですが、やはり、頑丈な後ろ足で蹴られるのは怖いので、用心せにゃ。 むしゃむしゃと咀嚼で動く鼻面をなでた後、何とか脇を通り抜け、背後に回り、足蹴りを食らう危険のある範囲に踏み込まないよう注意して通り抜けました。 十分離れた後、背後から写真をぱしゃり。まだ、ひたすら食事を続けていました。 この馬が食べていた植物は、その名も、なんとホーステール(Horsetail:馬の尾)。 ホーステールは、非常に原始的な植物だそうで、石炭などと共に、化石として見つかったりもしているそうです。 家に戻ってから、インターネットや図鑑で更に調べてみたら、ホーステールは種類によっては、大量に食べると、馬や羊、牛などの家畜などには毒となる・・・ような事が書かれてありました。 特に、家畜への毒性が名指しであがっていたのが、フィールド・ホーステールまたはコモン・ホーステール(Field Horsetail・Common Horsetail、正式名:Equisetum arvense)と呼ばれる種。駆除に非常に手間のかかる雑草でもあるそうです。これ、日本語ではスギナ、春につくしを出す植物でした。 あの馬、あんなに沢山食べてたが、大丈夫か、今頃、下痢なんぞしてないか・・・と思ったのですが、写真を色々、ネット上のものと見比べてみたら、あそこに生えていたものは、グレート・ホーステール(Great Horsetail、正式名:Equisetum telmateia)と呼ばれる種のようです。こちらの説明書きには、毒性に触れていなかったので、まあ、大丈夫なんでしょう。植物の世界も、調べ出すと、色々奥深く、ややこしい事です。 このグレート・ホーステールも、4月には、つくしの様な丸頭のものがにょきっと生え、夏はこの写真の様になり、秋には枯れるという事です。見た目は、「馬の尾」と言うより、ボトルを洗う棒つきたわし、といった感じですが。

銀河ヒッチハイクガイド

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イギリス人に、こんな哲学的な質問してみます。 What is the ultimate answer to life, the universe and everthing? (生命と、宇宙と、そして、もろもろの事への究極の答えは何であるか?) それに対して、 42 というわけのわからない答えが返ってきたら、その人は、銀河ヒッチハイクガイド(The Hitchhiker's Guide to the Galaxy)を知っている人。 イギリス人、アーサー・デントは朝目覚めると、友人フォードが宇宙人であり、地球が滅亡すると知らされる・・・ カフカの「変身」のような唐突な始まり方をするこの映画、もともとは、ダグラス・アダムス(Douglas Adams)作、1978年にBBCラジオ4にて放送された同名のイギリス・ラジオ・ドラマ、SFコメディです。その後、小説、テレビドラマにもなりました。 2005年に公開された、この映画バージョン、ラジオや小説の熱烈ファンからは、少々文句も出たようですが、楽しく見ました。アダムス氏は、2001年に、映画完成を見ずに、心臓麻痺で49歳の若さで急死しています。 地球滅亡寸前にアーサーはフォードに助けられ、共に宇宙船に、ヒッチハイクで乗り込む。宇宙で生き抜くための頼みの綱は、宇宙内のトラベル・ガイド・ブックのような「銀河ヒッチハイク・ガイド」。ガイドの表紙には、Don't Panic(パニくるな)の文字が刻まれる。 一番好きなキャラクターは、巨大目玉おやじのような頭でっかちシルエットの、常時、うつ病気味のロボット、マーヴィン。 冒頭で書いた42は、ディープ・ソートという名のスーパー・コンピューターに「生命と宇宙ともろもろの事への究極の答え」を計算してくれるよう頼み、気の遠くなるような時が経った後、返ってくる有名な答え。奥深い返答を、期待していたら大間違い。コンピューターがたたきだした答えなので、数字なのです、うーん。 地球は滅亡したものの、しっかりとバック・アップが取ってあり、惑星工場で、そのバック・アップ(アース・マークII)を見学する場面も楽しいです。仕上げにペンキなんかぬっちゃったりして。 く~だらない、けど、面白い。モンティ・パイソンなどが好きな人には楽しめるかもしれ

コーンフラワー

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庭でコーンフラワー(Cornflower:正式名 Centaurea cyanus )が満開となりつつあります。綺麗な青い色が目に気持ちよく、好きな夏の花のひとつです。 最近、世界的に数の減少が心配されているミツバチと、やはり数が減っていると言われる野生の蜂、バンブルビーのため、蜂たちが好むような花を庭に植えようと、新聞やテレビの園芸番組などで呼びかけていたものだから、今年は、コーンフラワーの種を買い、いつも植えるゼラニウムなどの代わりに、花壇の一部で育ててみた次第。 コーンフラワーはもともとは、野生の植物で、コーン・フィールドなどに雑草として生えていた事から、この名がきています。ちなみに、こちらで言う「コーン・フィールド」とは元来は、穀物の畑、特に小麦畑を指します。「コーン」という言葉自体が、小麦、バーリー、オーツ、ライなどの穀物一般を指す言葉。 米ではコーンと言えばとうもろこしですが、こちらではとうもろこしの正式名称は、メイズ(Maize)。などと言っても、コーン・フレーク、缶詰のスウィートコーンなど、米系の使い方も一般的になってきているのでしょうが。 農業の拡大と、雑草除去の農薬などの影響で、野生のコーンフラワーは最近ではほとんどお目にかかりません。今は、もっぱら庭に咲く花です。 コーンフラワーの背丈が90センチほどにもなるのは、小麦の間にはさまれて育ち、一面の小麦の海から、にょろっと顔を出して、蜂や蝶たちを呼んだなごりでしょうか。これも自然の進化のひとつ?小麦の陰に隠れてしまうような背の低いものは受粉されず淘汰され、環境に調度良い背丈のものが生き延びて。 目的かなって、我家のコーンフラワーには、毎日のように何匹ものバンブルビーたちや、他の種の蜂もやって来ます。ミツバチもちょろちょろ見かけ、何となくほっとした気分になりました。 やはり種から育てたひまわりは、まだ蕾ですが、こちらも開花したら蜂たちの間で大ヒットになるでしょう。

トラファルガー広場の生きてる彫刻

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昨日、トラファルガー広場を通りかかった際、彫刻をすえるための台座(plinth)のひとつに、パンダの着ぐるみを着た人が立っていました。「あ、これか、あのニュースでやってた、トラファルガー広場の生きてる彫刻。」こういう時に限ってカメラ持っていないものです。残念。大勢の観光客がバシバシ写真取ってました。 彫刻家アントニー・ゴームリー(Antony Gormley)氏の案により、先日(7月6日)から100日間、24時間ノンストップで、応募者の中から選ばれた、一般の人間が、生きる彫刻となって、一時間おきに、入れ代わり立ち代り、この台座に立つ事になります。このアート、題して「One and Other」。 One and Otherのオフィシャル・サイト でライブ・カメラと沢山の写真が見れます。 センセーションを巻き起こすことだけが目的の様なモダン・アート、特に、大した意味も無いものを、仰々しく説明してくるインストレーションなどは、あまり興味ありませんが、ゴームリー氏の作品は、ユーモラスで好きなものが多いです。 イギリス北部ニューカッスル近郊のゲイツヘッドに立つ巨大像「エンジェル・オブ・ザ・ノース」(Angel of the North)が一番有名でしょうか。ロンドンとエジンバラを結ぶ道路A1モーターウェイから見れるそうですが、地平線にこれがいきなり出現すると、インパクト強そうです。 リバプール近くの海岸、クロスビー・ビーチで、海を向いてぼーっとしている「アナザー・プレイス」(Another Place)と名づけられた100の鋳鉄の像達も何だかユニーク。双方ともまだ実物を見た事がないので、写真はネットより。 でも、今回の、このトラファルガー広場のものをアートと呼ぶかは疑問です。もったいつけて、その奥ふかーい意味を説明されるとげんなりするので、やめて欲しいですが、話題となる、笑いを促す行事としては、こういうのあってもいいです。 さて、私がパンダを目撃した後、通りすぎ、用事を足してから、しばらくして再びトラファルガー広場を通りかかった時は、パンダは消え、道楽紳士風の白い衣装を着たお兄さんが、ピクニックバスケットを広げて、紅茶のカップ・アンド・ソーサーを手に持って立っていました。 昨日は、第一番目の人間が登場する前に、禁煙キャンペーナ

チェシャー猫のガーゴイル

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昨日聞いていたラジオ討論番組は、サリー州のクランリー(Cranleigh)からの放送。 ここのセント・ニコラス教会内の柱の上に彫られているガーゴイル(写真)が、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」に登場するチェシャー猫のインスピレーションになった、と紹介されてました。 以前、 「アリスと訪ねる不思議の国」 で書いたよう、チェシャー猫のいわれには、色々あるそうですが、これもそのひとつ。この写真だけ見ると、熊のようにも見えますが・・・。 ルイス・キャロルは、近くのギルフォードに住んでいた頃、良くクランリーを訪れ、その際、このガーゴイルを見たのだそう。チェシャー猫のチェシャーは、キャロル氏の出身のチェシャー州より。 こういう話は、日本などでは、瞬く間に商業用に使われて、クランリー名産「チェシャー猫ガーゴイル饅頭」なんて売り出されたりしそうです。 (写真は、英ウィキペディアより拝借。)

ピムズの夏、イギリスの夏

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イギリスの夏の人気アルコール・ドリンクにピムズ(Pimm's)があります。 ウィンブルドンでもシャンペンと並び、良く飲まれる飲み物。トーナメント中は毎夜放送されるダイジェスト番組トゥデイ・アット・ウィンブルドンでも、解説者たちが座る、屋上に設置されたテーブルの真ん中に、いつもピムズのカクテルを入れたピッチャーがどっかと置いてあります。 ピムズは19世紀前半、ロンドンのシティでオイスター・バーのチェーン店を経営していたジェイムス・ピム氏によって生み出されたもの。それまでは、ジンが主に飲まれていたのを、自分のオイスター・バーの客に、もう少し口あたりの良い洗練された飲み物を出そうと、ジンをベースにスパイスやハーブを加えたピムズNo1 Cupを考案します。この飲み物は、すぐに、人気となり、1860年代までには、ロンドンのあちこちで売られるようになります。 経営者は幾度か手が変わり、現在は飲料業界の大手Diageo社所有。レシピは、今も、6人の人間しか知らない極秘事項なのだそうで。色々なスーパーが自社製ピムズ風飲み物を売っているようですが、味はやはり違いがあるようです。 ジン・ベースのNo1Cupのほかに、スコッチ・ベースのNo2、ブランデーのNo3、ラムのNo4、ライのNo5そして、ウォッカのNo6なども世に出されましたが、今でも売られているのはNo1とNo6だけ。 さてピムズのカクテルの作り方は、ボトルに貼ってあるレベルによると、 *シンプル・ピムズ ピムズ1に対しレモネード3 氷とレモンのスライスを加える *クラッシック・ピムズ ピムズ1に対しレモネード、ジンジャーエールまたはトニック3 氷とレモン、きゅうり、りんご、オレンジのスライスに、ミント少量を加える 混ぜるものは好みによって、個人個人、好きなものを入れて楽しめばいいのでしょう。ピムズのアルコール度は25%。飲みやすいのでがばがばやると、私などはすぐ酔っ払います。 さて、日曜日のウィンブルドン男子シングルスの決勝は、久しぶりにフェデラー対ロディック。 イギリス(スコットランド人)のアンディ・マリーが決勝進出、もしかしたら優勝するんではないかと、毎日の様なメディアの大騒ぎも空騒ぎで終わり。マリーが決勝進出をしたら、センターコートに女王が見に来るとか、優勝

探偵の誕生

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推理小説は大ファンと言うわけではありませんが、読み出すとはまる方です。 世界最初の架空の探偵は、1841年出版のエドガー・アラン・ポー作「モルグ街の殺人」(The Murders in the rue Morgue)に登場するオーギュスト・デュパン(Auguste Dupin)。そしてその翌年に、英語圏内では一番初めのプロの探偵たちがロンドン・メトロポリタン・ポリスによって任命される。この8人の初代探偵たちのうちの一人に、ジョナサン・ウィッチャー氏がいました。 「ウィッチャー氏の疑惑またはロード・ヒル・ハウス殺人事件」(The Suspicions of Mr Whicher or The Murder at Road Hill House)という題名のこの本、1860年、中流家庭の屋敷、ロード・ヒル・ハウスで実際に起こった殺人事件を追った話です。一部ミステリー、一部雑学物、一部社会風俗史。この手の本は大好きです。 ケント家が住むウィルトシャー州の田舎の館ロード・ヒル・ハウスで、家長のサミュエル・ケント氏の末子が無残に殺される。館は殺人のあった晩、内側から鍵がかかっており・・・。 数日間は地元の人員で捜査が行われたものの、らちがあかず、ロンドンのスコットランド・ヤードから、上記ジョナサン・ウィッチャー氏が事件の解決に送り込まれる。 このロード・ヒル・ハウス事件は、当時の大ニュースとなったようで、一般庶民はもちろん、ディケンズなどの作家までがにわか探偵と化し、自分達の推理を展開し、世間は一大探偵ブーム。自分の推理を手紙でスコットランド・ヤードや内務省、新聞社等に送る人間も多く出てくる始末。 そんな探偵ブームとは裏腹に、殺人事件の捜査により、外見は平常を装いながらも、問題を抱えるヴィクトリア朝中流家庭の内幕が公衆の面前にさらされる事になり、ウィッチャー氏を、徐々に、家庭の秘密を暴く悪魔の様に報道するメディアも出てきたようです。ことわざにあるとおり「イギリス人の家は彼の城」そこに土足で上がりこむ人間に対する嫌悪と、また、当時の探偵や警察官は労働者階級出身であったため、階級からくる偏見も手伝い。 さて、館の背後にどんな秘密が隠れていたかと言うと・・・ この館に移り住む以前、家長のサミュエル・ケント氏の一番目の妻は、精神異常をきたし