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12月, 2009の投稿を表示しています

七面鳥とガチョウ~小説「クリスマス・キャロル」の風景

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Turkeys do not vote for Christmas. (七面鳥は、クリスマスに賛成投票を入れない) という表現があります。 「人は、自分の不利になる事、自分の首を絞めるようになる事には賛同しない」、という意味で使われるものです。上の写真の七面鳥は、動物園で撮ったので、この方は、クリスマスの心配をする必要は無いですが。 昔のイギリスでは、七面鳥(ターキー)より、ガチョウ(グース)がクリスマスに食べられていたようです。有名なナーサリー・ライムにもこんなのがあります。 Christmas is coming, the geese are getting fat Please put a penny in the old man's hat If you haven't got a penny, a ha'penny will do If you haven't got a ha'penny, then God bless you! クリスマスがやって来る、 ガチョウが太ってきた 老人の帽子に 1ペニー落としてやっておくれ もし1ペニーが無いのなら、 半ペニーでもかまわない もし半ペニーも無いのなら、 神の御慈悲があるように! 前の クリスマス・プディング の記事でも触れた、ディケンズの「クリスマス・キャロル」は、ヴィクトリア朝のクリスマスの様子を知るには、もってこいの文献です。 「クリスマス・キャロル」内で描かれているクリスマスの風景や習慣は、100年も200年も続いて、すでに定着した伝統のイメージを受けますが、実際、ディケンズの時代に、今の馴染みのクリスマスの姿が、徐々に形つくられていった様です。 けちで、クリスマスなど糞食らえのスクルージの下で、こきつかわれながら働くのは心優しいボブ・クラッチット。貧しいクラッチト家での、クリスマスの食卓の主役は、ガチョウ。砲丸の様なホーム・メイドのクリスマス・プディングも、このクラッチット家の食卓に登場します。 船乗りのウィリアム・ストリックランドが、新大陸で、原住のインディアンから七面鳥を6羽購入し、イギリスへ持ち帰ったのは、1526年のこと。この事から、彼は、後に、七面鳥を自分の家紋に加えたと言いま

ウィンター・ワンダーランド?

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Sleigh bells ring, are you listening In the lane, snow is glistening A beautiful sight We're happy tonight. Walking in a winter wonderland. そりのベルが鳴る、聞いている? 道では、雪が光り輝き 美しい風景 今夜は心楽しく ウィンター・ワンダーランドを歩きながら Winter Wonderland を、Uチューブで聞いてみよう。 17日、木曜日の晩、ドカ雪にやられました。金曜日の朝起きると、庭に積雪20センチほど。気温が低い日が続いているので、雪は溶けず、本日も、外はまぶしいほど真っ白でした。 確かに、白銀の世界は美しくはありますが、雪慣れしていないイギリス南部にこれだけ降ると、毎度の事ながら、交通網はぐちゃぐちゃ。電車、フライトはキャンセル相次ぎ。除雪されてない道路は危険ゾーンと化し。高速でも大渋滞で、車の中で一夜過ごす人などもいたようです。 おまけに、金曜日は、学校は閉鎖。この学校閉鎖というのは、今ひとつ理解できないのですが、子供達が、学校に行く途中、または、校庭などで、滑ったりして怪我すると、学校側を訴えるような親がいるので、学校側も、手っ取り早く閉めてしまう、という事では無いかと思います。 家の外の車道なども、つるつるとなり、車はかなりののろのろ運転しないと危ない感じです。凍った急な坂を、上りきれないで立ち往生の車なども見かけました。 しばらくは、車使わないのが無難です。立派な2本の足があるし。本日は、雪景色の中、かなり長距離散歩しましたが、雪の中や凍った路上を歩くのは、足の筋肉使います。家に戻って、くたくた。 かてて加えて、ロンドンーパリを走る ユーロスター の電車が、海底トンネル内で故障を起こし動かなくなり、乗客は、15時間ほども、列車内に閉じ込められたというニュース。何でも、列車内の空気を節約するため、あまり深く息を吸うなというインストラクションまで出たとか出なかったとか。怖かったでしょうね、これは。 この故障の原因、北フランスの気温がマイナス以下と寒かったのに、トンネルの中が25度と暖かった事による気温差から、なんて言ってますが。ユーロスターのサービスは

若き日のヴィクトリア

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ヴィクトリア女王(ビクトリア女王)。18歳で王座につき、在位は、1837年から1901年、なんと63年と7ヶ月。現エリザベス2世が、記録に近づきつつあるものの、今のところ、イギリス王、女王としては最長の在位。彼女の下で、大英帝国は繁栄し、日の沈まぬ国として、その領土は最大となり。 在位が長かったせいでしょうか、彼女の年を取ってからの写真や絵を目にすることの方が多く、どうしても彼女のイメージは、小さなころっとした、黒服に身をまとったお婆ちゃん。シルエットとしては、小さなティーポットみたいな人。ですが、当然、誰にでも、若い時はあったわけで。若いころの肖像などを見ると、確かに、愛らしい感じではあったのです。 DVDでThe Young Victoria(若き日のヴィクトリア)を見ました。日本では今月封切りになるようですが、邦題見たら「ヴィクトリア女王 世紀の愛」と、何だか、恥ずかしくなるような華麗なタイトル。(邦題も、意訳するのもいいですが、こういう趣味の悪いタイトルにするくらいなら、直訳して欲しいと、良く思います。) こちらで封切りになった当時は、ラジオやテレビで、ヴィクトリアの生い立ちのドキュメンタリーなども幾つかかかりました。 ヴィクトリアの父は、 ジョージ3世 の息子、ケント公。ケント公より年上の、ジョージ3世の3人の息子達が、子孫を残さなかったため、彼女が王位後継者となります。 (ジョージ3世から、現在のエリザベス2世に続く王位継承を載せた下の家系図参照。図の中のカッコ内の年代は、在位年。水色で囲ったのは、お家の名前。) ヴィクトリアの野心家の母、ケント公爵夫人はドイツ人。英語を喋ったものの、今ひとつ下手で、娘とはドイツ語で会話。夫であるケント公の死後、彼の重鎮であったジョン・コンロイが、ケント公爵一家を統制。当時、18歳以下の者が王座に付く際には摂政が必要であったため、ケント公爵夫人と共に、ヴィクトリアを手なずけ、摂政の座に着こうともくろむ。 ケンジントン宮殿 で、生まれ、育ったヴィクトリアは、母とコンロイに決められたケンジントン・システムと呼ばれる、窒息しそうな規律の中で育ちます。ヴィクトリアを、自分達の政的仲間以外には会わせない、自分達に依存する性格になるよう、ティーンエイジになっても寝室は母と一緒、階段を降りるときは

クリスマス・プディング

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いつもスーパーから、出来たものを買っていたクリスマス・プディングを、今年は自分で作ることにしました。写真は、去年買ったクリスマス・プディング。 この食べ物、色も形も、まるで爆弾。チャールズ・ディケンズも、小説「クリスマス・キャロル」の中で、クリスマス・プディングを描写するのに、「like a speckled cannon-ball」(斑点のついた砲丸のよう)と書いているので、昔の人も、似たような事を思ったんですね。 ドライ・フルーツが沢山入っており、牛脂なども使うため、とてもヘビー(重い)なデザートです。食べる前に、プランデーをふりかけて火をつけたり、クリームやら、カスタードと一緒に食べるのですから、ますますヘビー。 主人は好きなようですが、私はいつも、2,3口食べて、嫌になるのです。自分で作れば、中に入れるものを選べるので、少しは美味しいものが出来るかと期待してます。材料をボールで混ぜて、蒸し器で蒸すだけと、簡単そうですし。 という事で、インターネットでレシピを見て、材料買い揃えました。 クリスマス・プディングの作り方 を見てみよう。 上のサイト、ビデオで作り方も見れるので、なかなかお役立ちです。 材料、作り方、ざっと訳すと *所要時間:準備25分、蒸し時間4時間 *耐熱性1.2リットル容器を2つ用いて、2個クリスマス・プディングを作る材料 (1個なら、当然、材料半分) ドライ・フルーツ色々 900グラム ブランデーまたはウィスキー 150ミリリットル オレンジ 1個 バター 225グラム(牛脂を使わず、少し軽くなるそうです) ブラウンシュガー 225グラム 卵(大)4個 小麦粉 110グラム パン粉(やわらかいもの) 110グラム 砕いたナッツ(アーモンド、ヘーゼル、ピーカン)85グラム すりおろしたナツメグ 1テーブルスプーン シナモン 1テーブルスプーン フルーツやナッツは、自分の好みで手に入るもので適当に選べば良いのでしょう。 *作り方 ドライフルーツはまず、小さくカットして、ブランデー、ウィスキーをそそぐ。そこに、オレンジの皮をすりいれたもの、オレンジの果汁を混ぜ、一晩漬ける。 耐熱容器にバターをうすくぬる。 残りのバターと砂糖と一緒に、軽くなるまでボールで混ぜる。 そこへ、卵をひとつずつ加え、混ぜる。 卵を全て混ぜたら、漬けてあったフルーツをジュース

最北、最南、最西、最東のアメリカの州

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昨夜、ベッドの中で、BBCのラジオ4という局の、Brain of Britainというラジオ・クイズ番組を、頭が朦朧としていく中、聞いていました。 このクイズ番組、途中の余興として、一般のリスナーから質問を2つ作って送ってもらい、クイズ参加者が、その2つの質問のうち、ひとつでも答えられないと、質問を作った人は、図書券をもらえる、というのがあります。昨夜の番組で、質問を提供したリスナーは、アメリカ在住で、インターネットでこの番組を聞いているとのこと。さて、この人の作った問題のひとつが、なかなか面白いものでした。それは・・・ 「最北、最南、最西、最東に位置するアメリカの州は、それぞれ何でしょう?」 最北はアラスカ、最南はハワイ・・・そこまでは、私も、すぐ考え付き、最西も、アラスカかハワイのどちらかで、最も東なのは・・・とアメリカ東岸にある州を必至に頭でなぞりはじめ、一番突き出しているのは、北の方だろうから・・・。クイズ参加者は、最北はアラスカ、最南はハワイ、最西もアラスカ、最東はメイン州、と回答。合ってるのでは、と思いきや、最後の最東の答えが、間違いだったのです。 東と西をどう定義するか、それから地球は丸い、という事を考慮に入れて、もう一度、よく考えてみましょう。 正解は、なんと、これもアラスカでした。 (上のアラスカの写真は、National Geographic のサイトから拝借。) ロンドンのグリニッチを走るのが、グリニッジ子午線で、経度が0。ここを基準に、地球の反対側の経度180度の地点まで、東側が東経、西側が西経。 上の地図の赤点で示したのが、経度180度です。アラスカの領域は、英語のウィキペディア情報によると、西経130度から東経173度に渡っています。アラスカの南部に位置するアリューシャン列島(Aleutian Islands)の端が、180度線から少しはみ出し、東経の領域に入ってしまっているのです。したがって、グリニッジ子午線に従うと、アラスカは、米国の州の中で、最も西でありながら最も東。なるほど! ちょっとトリック問題だな、という気もしますが、なかなか賢い問題です。答えを明かした後、司会者は、 「どうりで、(前アラスカ州知事)セイラ・ペイリンが、あんなにも支離滅裂な人物であるわけだ。」なんて、ジョークを飛ばしていました。 問題を作った人は、解答者を負か

イギリスで一番古い教会

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他に何も無い平原の中、ローマ時代に遡るまっすぐな道を辿って海に向かって歩くと、ポツンと地平線に現れるのが、それはシンプルな形をした教会、セント・ピーター・オン・ザ・ウォール(St Peter-on-the-wall)。エセックス州東部に位置する、ブラッドウェル・オン・シー(Bradwell-on-sea)にあり、原型に近い形で、イギリスに残る最も古い教会のひとつと言われています。 この教会の歴史を語るには、イギリスにおけるキリスト教の夜明けの話から・・・ ローマ帝国時代、イギリスのヨークにて戴冠した、 コンスタンティヌス大帝 がキリスト教を公認したものの、英国内におけるキリスト教は、ローマ帝国衰退、アングロ・サクソン人の侵入と共に、西へと追われます。特にアイルランドの地にて、キリスト教の火は灯されたまま生き残り、ローマを中心とした地中海諸国の、政治がらみのキリスト教から離れ、アイルランド独自のキリスト教を確立していきます。 やがて、6世紀後半から、アイルランドとローマの、多少異なった2つのキリスト教が、其々の地からやって来た宣教師達によって、当時、暗黒時代などと呼ばれていた、アングロ・サクソンのイギリスに再導入される事となります。 まずは、ローマ陣営。597年、ローマ法王、グレゴリウス1世(Gregory I)は、アウグスティヌス(Augustine、英語読みはオーガスティン)に率いられた僧達を、現ケント州に送り込みます。彼らは、ケント王国のエゼルべㇽト王に迎えられ、カンタベリーに定着し、アウグスティヌスは、初代カンタベリー司教となり、布教活動を開始。 一方、アイルランドからは、まず、563年、セント・コルンバ(St Columba)が、スコットランド西岸のアイオナ島(Iona)にて修道院を築き、さらには、635年、アイオナ島の修道僧のひとり、セント・エイダン(St Aidan)がイギリス北東岸沖(現ノーサンバーランド州)にあるリンディスファーン島(Lindisfarne)に修道院を設立、イギリス布教への足がかりを作ります。  653年、リンディスファーンにて、セント・エイダンから教えを受けた若い宣教師のひとり、セント・ケッド(St Cedd)が、現ブラッドウェル・オン・シーに上陸し、セント・ピーター・オン・ザ・ウォールを設立する