若き日のヴィクトリア

ヴィクトリア女王(ビクトリア女王)。18歳で王座につき、在位は、1837年から1901年、なんと63年と7ヶ月。現エリザベス2世が、記録に近づきつつあるものの、今のところ、イギリス王、女王としては最長の在位。彼女の下で、大英帝国は繁栄し、日の沈まぬ国として、その領土は最大となり。

在位が長かったせいでしょうか、彼女の年を取ってからの写真や絵を目にすることの方が多く、どうしても彼女のイメージは、小さなころっとした、黒服に身をまとったお婆ちゃん。シルエットとしては、小さなティーポットみたいな人。ですが、当然、誰にでも、若い時はあったわけで。若いころの肖像などを見ると、確かに、愛らしい感じではあったのです。

DVDでThe Young Victoria(若き日のヴィクトリア)を見ました。日本では今月封切りになるようですが、邦題見たら「ヴィクトリア女王 世紀の愛」と、何だか、恥ずかしくなるような華麗なタイトル。(邦題も、意訳するのもいいですが、こういう趣味の悪いタイトルにするくらいなら、直訳して欲しいと、良く思います。)

こちらで封切りになった当時は、ラジオやテレビで、ヴィクトリアの生い立ちのドキュメンタリーなども幾つかかかりました。

ヴィクトリアの父は、ジョージ3世の息子、ケント公。ケント公より年上の、ジョージ3世の3人の息子達が、子孫を残さなかったため、彼女が王位後継者となります。
(ジョージ3世から、現在のエリザベス2世に続く王位継承を載せた下の家系図参照。図の中のカッコ内の年代は、在位年。水色で囲ったのは、お家の名前。)



ヴィクトリアの野心家の母、ケント公爵夫人はドイツ人。英語を喋ったものの、今ひとつ下手で、娘とはドイツ語で会話。夫であるケント公の死後、彼の重鎮であったジョン・コンロイが、ケント公爵一家を統制。当時、18歳以下の者が王座に付く際には摂政が必要であったため、ケント公爵夫人と共に、ヴィクトリアを手なずけ、摂政の座に着こうともくろむ。

ケンジントン宮殿で、生まれ、育ったヴィクトリアは、母とコンロイに決められたケンジントン・システムと呼ばれる、窒息しそうな規律の中で育ちます。ヴィクトリアを、自分達の政的仲間以外には会わせない、自分達に依存する性格になるよう、ティーンエイジになっても寝室は母と一緒、階段を降りるときは、必ず誰かに手を引いてもらって降りる、などなど。

ヴィクトリアの叔父、英国王ウィリアム4世は、コンロイとケント公爵夫人を毛嫌いし、彼らが、ヴィクトリアの摂政として実権を握る事が無いよう、なんとしてでも、ヴィクトリアが成人(18歳)となる日まで生き延びようと決意。執念で、念願をまっとうし、ヴィクトリア18歳の誕生日の直ぐ後に死去。

1837年、ヴィクトリアが、女王となって始めての命令は、母と寝室を別にする事。やがては、暗い思い出のはびこるケンジントン宮殿を後に、バッキンガム宮殿へと居を移します。

彼女が女王となった時の首相は、ホイッグ(Whig)党のメルバーン子爵(Lord Melbourne)こと、ウィリアム・ラム(William Lamb)。自分より40歳年上のメルバーンに、早く亡くした父の面影を見たのか、ヴィクトリアは、メルバーンを慕い、アドバイザーとして大切にし、それは仲良い関係であったようです。映画内のメルバーンは、実際より、かなり若く描かれています。ついでながら、オーストラリア、ビクトリア州の州都メルボルン(Melbourne)は、彼にちなんでつけられた名前です。

映画では、ヴィクトリアが若かりし頃に起こった政治的事件のひとつ、寝室女官事件(The Bedchamber Crisis)が取り上げられています。メルバーンが、1839年の5月に首相の座から辞任表明をしたのち、保守党の党首ロバート・ピールが、後を継いで、次の内閣を形成する予定であった・・・のですが、ビクトリアは、ウィッグ党により親近感を抱いており、ヴィクトリアの女官たちは、ほぼウィッグ党議員の夫人たちで占められている状態。ロバート・ピールは、この女官たちを保守党議員の夫人に変えることを提案。怒ったヴィクトリアはこれを拒否。ロバート・ピールも一切引かずに、にらみ合い状態にもつれ込む。ついには、ロバート・ピールが新内閣を設立することなく、メルバーンが留任し、1841年夏まで、彼が首相の座に留まることになるのです。が、これは、一部、女王の政治介入と見られ、一般の女王の人気が落ち込む原因ともなります。

さて、メルバーン子爵とヴィクトリアの信頼関係もさる事ながら、この映画のメインは、ヴィクトリアと、夫君となるプリンス・アルバートの関係。1840年に、半政略結婚で一緒になったものの、お互いに惚れて、相思相愛で仲良く約20年間、共に君臨する事となります。初期のメルバーン子爵のヴィクトリアへの影響力が、徐々に、アルバートへとバトンタッチされていく感じです。映画は、大方史実と合っているそうですが、アルバートがヴィクトリアが暗殺されそうになった際、庇って銃で撃たれるというのは、劇的効果を増すための創作だそうで、この際、2人は無傷だったそうです。

この映画に描写されている限りにおいては、アルバートみたいなだんなは良いです。しっかりした自分の意見意思を持ちながら、女性にやさしく、理知的。すらっと背も高くハンサム。

1861年、42歳の若さで、アルバートが亡くなってしまうと、ヴィクトリアはなかなか立ち直れず、本人は、1901年に、81歳で亡くなるまで、それは長い未亡人暦。9人の子供を生んで、当時にしては長生きの81歳。丈夫だったんでしょうね。

そういえば、アルバートを亡くして落ち込むヴィクトリアが、スコットランド人、ジョン・ブラウンに元気付けられる、という内容の「Mrs Brown」という映画もありました。(こちらの邦題も見てみたら、「クイーン・ヴィクトリア至上の恋」・・・あーあ。)

亡くなってしまった最愛の夫のために、ヴィクトリアが建てた記念碑は、ケンジントン・ガーデンズ南にある、アルバート記念碑。黄金に輝くプリンス・アルバートの像が据えられています。

アルバート記念碑の通りを挟んでの向かいにあるのは、やはりヴィクトリア朝に建てられた円形のコンサートホール、ロイヤル・アルバート・ホール。もとは、別の名で呼ばれる予定であったこのホールも、ヴィクトリアが亡き夫を讃えたい希望で、ロイヤル・アルバート・ホールに。


映画は、なかなか面白かったです。特に、同じ女王もので、かなりお粗末な内容だった「エリザベス:ゴールデン・エイジ」に比べれば、何倍も良かった。少なくとも、知らなかった初期のヴィクトリア女王に、スポットを当て、話題にしてくれただけでも、価値ある映画でした。

原題:The Young Victoria
監督:Jean-Marc Vallee
言語:英語
2009年

コメント

  1. こんばんは
    興味深い映画のご紹介、ありがとうございます。確かにビクトリアのイメージは黒い衣装の未亡人、気難しい女王様ですよね。若かりしころのプリンセスについては知られていません。早く見たいです。教えていただきたいのはビクトリア時代のあまりに行き過ぎたマナーや女性性の抑圧です。女王と関係があるのだと思うのですが、興味深い書籍とかありますか?あと、夏目漱石が留学したのはこの時代かと思いますが、留学生や外国人にとってこの時代のイギリスとはどういった扱いをしていたのか、なども興味があります。
    いづれにしろ、おもしろそうな時代でわくわくします。 ミセスせつこ

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  2. 叔父さんのジョージ4世などが、モラルの無いプレイボーイで、不人気だった反動などもあって、ヴィクトリアはモラルを高く掲げたのかもしれません。
    裏表のある社会で、品の良い中流家庭でも、主人があちこちに愛人を持って、奥さんに梅毒をうつす・・・などが社会問題だったようです。
    アマゾン・ジャパンでも購入できる洋書に、
    The Victorians (Jeremy Paxman著)というのがあります。この時代の絵画を通して、社会を説明する本で、BBCのドキュメンタリーから本になったものです。当時の絵がたくさん入り、読みやすく、良く参考にします。
    漱石は、ロンドン滞在中は落ち込んで、ほとんど外出しなかったと聞いたことがあります。東洋人は少なかったでしょうから、嫌な経験もあったかもしれません。

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  3. らぶらぶ2009/12/19 0:55:00

    こちらではまだ封切されてなく、26日から東京渋谷まで行かなきゃ観られませんが、ぜひ、観にいってみたいと思います。
    さすがみにさんの名解説、楽しみが増えました。
    ありがとうございます。この写真のアルバート記念碑もロイヤルアルバートホールの前を通ってランカスターゲートのホテルまで奥ちゃんと歩いたのがもう、なつかしいような気持ちでまたイギリスに行きたくてうずうずしています^^
    この映画を観にいく前にもう一度この記事を読んでからでかけま~す^^

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  4. コメントのご返事 ありがとうございます。
    早速、アマゾンに注文しましたが、日本での出版は来年の5月の予定です。待ち遠しいです。

    今日は冬ばれの寒い一日で、日暮れも早いです。イギリスの冬はもっと厳しいでしょうね。今夜はゆっくりシチューでも作るつもりです。

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  5. らぶさん、
    こちらで公開されてから、日本で開くまで、字幕付ける作業などもあるでしょうから、時間かかってしまうようですね。私は、最近、けちって、映画は、ほとんどDVDなんです。
    渋谷でしかやらないとは、今ひとつ話題になっていないのかもしれませんが、面白かったですよ。
    ロンドンは、ヴィクトリア朝に立てられた建物、やっぱり多いです。

    せつこさん、
    ひどい雪にやられ、暖冬だと思っていたのが、一気に凍りつきました。私もシチューをすすりたいです。

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  6. ロイヤルアルバートホールは、Mark Knopflerのソロプロジェクトのライブを見に、3,4日通ったことがあります。それまでにもビデオで何度かこのホールのライブを見ていたので、ここに入るのがすごく楽しみだったのですよ。格調高いホールでのライブは、格段と幸せでした。(恋)

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  7. 恋さん、
    私も、ここは、2回ほど入ったことがあります。円形というのも、通常のホールと一味違っていいのもです。
    夏季8週間ここで開かれるPromsというクラッシックのコンサートが有名なのですが、こちらは、行った事未だありません。たまにテニスの試合なども開かれるので、O2などと同じく、多目的してるようです。

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