狂ったジョージと太ったジョージ
1714年、スチュワート朝のアン女王が子孫を残さず亡くなった後、プロテスタントの王を求める英国は、遠縁のドイツ、ハノーヴァー選帝侯のゲオルグを招き、ジョージ1世とします。こうして始まるハノーヴァー朝初期には、4人のジョージが続きます。
まず、上のいきさつで、54歳で思いがけず英国王位につき、英語も喋れず、英国なんて大嫌いだったジョージ1世。言葉の問題と、何かにつけて故郷ハノーヴァーへ帰り、不在が多かった為、英国議会政治が発展する時代です。そして、子供のジョージ2世は、英語は喋ったものの強烈なドイツ語訛り。
ここで取り上げる「狂ったジョージ」は、ハノーヴァー朝初の英国生まれの王様、ジョージ3世(ジョージ2世の孫)。「太ったジョージ」はジョージ3世長男のジョージ4世。この2人の治世は、海外では、アメリカ独立戦争、フランス革命、ナポレオン戦争と激動の時代。
The Madness of King George (邦題:英国万歳!)という映画があります。1788年ジョージ3世の狂気の発作で引き起こった「リージェンシー・クライシス(摂政危機)」と称される歴史のひとこまを扱っています。狂気の病気と闘うジョージ3世と、王座に着きたく、うずうずの息子、プリンス・オブ・ウェールズ(後のジョージ4世)の葛藤、また、王を支持する時の首相ウィリアム・ピットと、プリンスを持ち上げ摂政にし、政権獲得を狙う野党のチャールズ・フォックスの政権争いと、それを巡る議会の様子がコミカルに描かれています。
やる事もなく、お洒落とギャンブルと食べる事に日夜を明かすプリンスが、映画の中で、吐く様につぶやく言葉は
To be Prince of Wales is not a position - it is a predicament!
「プリンス・オブ・ウェールズというのは、地位なんかじゃない。苦境だ!」
プリンス・オブ・ウェールズは代々、皇太子の名称で、現プリンス・オブ・ウェールズはもちろんチャールズ皇太子。
この時代に生きた風刺画家、ジェイムズ・ギルレイ(James Gillray)は、ちびっこのナポレオンや、ピット首相等の政治家や国王一家の風刺画で有名です。ナポレオンとピットがテーブルについてナイフとフォークで地球を切り分けている有名な風刺画もギルレイの手によるものです。多少でも、当時の市民の視点がわかり、面白く、彼の画集は大切にしています。
夫婦仲はよかった様で、15人の子沢山。子供達も可愛がったものの、徐々にハノーヴァー家特有と言われる、父と長男の不仲が展開。国民受けは良く、農業の発展に興味を示し、ウィンザーの土地に模範農家をしつらえて、異名は「百姓ジョージ」。
約60年の長い治世。映画に描かれている最初の狂気の発作は一時回復したものの、後、再発し悪化。やがては目も見えなくなり、隔離された中で人生を終えます。
こちらは、プリンスの食事風景。上の両親の絵と対になるよう描かれたものです。
フォークを爪楊枝かわりに使う、はちきれ寸前のプリンス。卓上には、きれいに平らげた肉の骨。飲み物はポート。椅子の後ろにある、チェンバー・ポット(携帯トイレ)の内容物は、ドロドロとあふれ出ています。チェンバー・ポットの下にあるのは、請求書の数々。床にころがるサイコロは、プリンスのギャンブル癖を暗示。背後の棚には、痔用の薬。
ジョージ3世の狂気の様態が悪化した1811年から亡くなる1820年までの間、プリンスは、王に変わって摂政(リージェント)となり、プリンス・リージェントと呼ばれます
ジョージ4世となっても、大食は止まらず、階段を登るのも大変なほど太ってしまい、後年は不健康きわまりなかったようです。その浪費家ぶりも不評で、最近も、過去最悪の王様は誰かという討論で、かなり上位にあがっていたと記憶します。
*ウィンザー朝の誕生
さて、ハノーヴァー家は、エドワード7世の時代に、父親のアルバート公の家名、サクス・コバーグ家となりますが、一般には、ずっとハノーヴァー家の名で知られました。1917年、第一次世界大戦中、ジョージ5世(現エリザベス女王の祖父)により、家名が敵国ドイツの名ではまずいと、現在のウィンザー家に改名しています。時代の波と世論を横目に、少しずつ姿勢を変え、したたかに現在まで生き延びた王室です。
映画「英国万歳!」のラストでは、一時正気を取り戻した王と家族がセント・ポール寺院前で国民の歓声を受けながらポーズを取ります。王が息子たちに言う言葉は、「笑って!手を振って!我々はその為に存在するのだから。」
まず、上のいきさつで、54歳で思いがけず英国王位につき、英語も喋れず、英国なんて大嫌いだったジョージ1世。言葉の問題と、何かにつけて故郷ハノーヴァーへ帰り、不在が多かった為、英国議会政治が発展する時代です。そして、子供のジョージ2世は、英語は喋ったものの強烈なドイツ語訛り。
ここで取り上げる「狂ったジョージ」は、ハノーヴァー朝初の英国生まれの王様、ジョージ3世(ジョージ2世の孫)。「太ったジョージ」はジョージ3世長男のジョージ4世。この2人の治世は、海外では、アメリカ独立戦争、フランス革命、ナポレオン戦争と激動の時代。
The Madness of King George (邦題:英国万歳!)という映画があります。1788年ジョージ3世の狂気の発作で引き起こった「リージェンシー・クライシス(摂政危機)」と称される歴史のひとこまを扱っています。狂気の病気と闘うジョージ3世と、王座に着きたく、うずうずの息子、プリンス・オブ・ウェールズ(後のジョージ4世)の葛藤、また、王を支持する時の首相ウィリアム・ピットと、プリンスを持ち上げ摂政にし、政権獲得を狙う野党のチャールズ・フォックスの政権争いと、それを巡る議会の様子がコミカルに描かれています。
やる事もなく、お洒落とギャンブルと食べる事に日夜を明かすプリンスが、映画の中で、吐く様につぶやく言葉は
To be Prince of Wales is not a position - it is a predicament!
「プリンス・オブ・ウェールズというのは、地位なんかじゃない。苦境だ!」
プリンス・オブ・ウェールズは代々、皇太子の名称で、現プリンス・オブ・ウェールズはもちろんチャールズ皇太子。
この時代に生きた風刺画家、ジェイムズ・ギルレイ(James Gillray)は、ちびっこのナポレオンや、ピット首相等の政治家や国王一家の風刺画で有名です。ナポレオンとピットがテーブルについてナイフとフォークで地球を切り分けている有名な風刺画もギルレイの手によるものです。多少でも、当時の市民の視点がわかり、面白く、彼の画集は大切にしています。
さて、上の絵は、ジェームズ・ギルレイによる、ジョージ3世とシャーロット王妃のお食事場面。倹約家で、食事も質素で知られた2人。王は、半分腐ったゆで卵をすすり、女王は、サラダをバリバリ。肉もパンも無し。飲み物は水。椅子は擦り切れないように布がかけられ、暖炉には火も無く、壁にかかるのも、絵の入っていない額だけ。
約60年の長い治世。映画に描かれている最初の狂気の発作は一時回復したものの、後、再発し悪化。やがては目も見えなくなり、隔離された中で人生を終えます。
こちらは、プリンスの食事風景。上の両親の絵と対になるよう描かれたものです。
フォークを爪楊枝かわりに使う、はちきれ寸前のプリンス。卓上には、きれいに平らげた肉の骨。飲み物はポート。椅子の後ろにある、チェンバー・ポット(携帯トイレ)の内容物は、ドロドロとあふれ出ています。チェンバー・ポットの下にあるのは、請求書の数々。床にころがるサイコロは、プリンスのギャンブル癖を暗示。背後の棚には、痔用の薬。
ジョージ3世の狂気の様態が悪化した1811年から亡くなる1820年までの間、プリンスは、王に変わって摂政(リージェント)となり、プリンス・リージェントと呼ばれます
ジョージ4世となっても、大食は止まらず、階段を登るのも大変なほど太ってしまい、後年は不健康きわまりなかったようです。その浪費家ぶりも不評で、最近も、過去最悪の王様は誰かという討論で、かなり上位にあがっていたと記憶します。
*ウィンザー朝の誕生
さて、ハノーヴァー家は、エドワード7世の時代に、父親のアルバート公の家名、サクス・コバーグ家となりますが、一般には、ずっとハノーヴァー家の名で知られました。1917年、第一次世界大戦中、ジョージ5世(現エリザベス女王の祖父)により、家名が敵国ドイツの名ではまずいと、現在のウィンザー家に改名しています。時代の波と世論を横目に、少しずつ姿勢を変え、したたかに現在まで生き延びた王室です。
映画「英国万歳!」のラストでは、一時正気を取り戻した王と家族がセント・ポール寺院前で国民の歓声を受けながらポーズを取ります。王が息子たちに言う言葉は、「笑って!手を振って!我々はその為に存在するのだから。」
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