魔女狩り

米作家アーサー・ミラーの戯曲に「The Crucible(るつぼ)」という作品があります。17世紀末、北米マサチューセッツ植民地の村セーラムで起こった魔女狩り(Salem witch hunt)がテーマ。

原作は読んだことがありませんが、ダニエル・デイ・ルイスとウィノナ・ライダー主演の同名の1996年の映画を見ました。映画の方の邦題は、そのまま日本語読みにした「クルーシブル」。この映画化の脚本もアーサー・ミラーの手によるもの。

史実としては、セーラムの、ある家の9歳の娘が、狂ったような言動を起こし始める。少女は、周囲の3人の女性を「この人たちは、魔女だ」と名指し、自分の奇行の原因は、この魔女たちによるものと糾弾した事から、セーラムでの大騒動が始まります。 瞬く間に、セーラムの村人、ひとり、またひとりと、「あいつは、魔女だ。こいつは魔法使いだ。」と指差され、魔女だとされると、絞首刑。告白をしないと、拷問にあい、無理矢理告白させられたりもしたようです。

魔女狩りは、マサチューセッツ内の他の村や地域にも広がり、一時期ボストンの刑務所は、魔女や魔法使いだと容疑をかけられた囚人が100人以上いたそうです。地域の有力者なども糾弾され始め、逃げられる人は、寛容であったニュー・ヨークへ逃げ。

映画の中でも、思いを寄せる男性の妻を陥れる為に魔女と指差す、土地を手に入れる為に隣人を糾弾する、または自分が助かるよう告白し第3者を糾弾するなど、それはひどいもの。実際、絞首刑にあったのは、他人を糾弾するのも拒否、また、嘘をつくのは嫌だと偽の告白も拒否した、モラルのある人達が多数というのも皮肉。

15世紀後半のヨーロッパで、カソリック教会の異端審問官によって「魔女に対する鉄槌」と呼ばれる本が書かれます。迷信や、古い物語を織り交ぜた、魔女に関する百科事典の様なもので、魔女の判明や糾弾に使用され、その後200年以上も、ヨーロッパ、アメリカのキリスト教世界に影響を与えたとされます。

これによると、例えば、魔女は乳が3つあったそうで、第3の乳は、仲間内の悪魔の親族を養う為だとか。魔女と呼ばれた人物の胴体に、ほくろや、おできでもあろうものなら、法廷で第3の乳の証拠として使われたそうです。

不幸が起こった時、異常な事があった時、その原因を、社会の中の、何人かの人間のせいにして「あいつは悪魔の手下の魔女・魔法使いだ!」と処刑してしまう。これを利用して、上の映画の様に、気に食わない人間や、ライバルを片付けた人間もいたことでしょう。おそろしや。

アーサー・ミラーは、この中世キリスト教世界の魔女狩りを、1950年代初期、アメリカを狂わせた共産主義者を糾弾する「赤狩り」と比較しているそうです。群集が理不尽な不安と恐怖に襲われ、社会的ヒステリー状態を引き起こし、愚かな行動に走る。そして、権力と政治的野心のあるものはそれを利用する。
以前、ナイジェリアの子供達が、魔女として糾弾されているドキュメンタリーを見ました。

村に何らかの被害があったり、家族に不幸があったりすると、数人の子供たちが、村人や聖職者から魔女だと呼ばれ、拷問を受けたり、村から追い出されたり。それでも、生き延びればいい方だそうで、殺されるケースも多いらしいのです。 頭に釘を差し込まれたままの子供、火をつけられ、ひどいやけどの跡を抱える子供、何度も殴られ肩から骨が飛び出した子供。見ていて背筋がゾー。そんな魔女だと指差された子供から、悪魔を追い払う儀式をして、親から大金を稼ぐえせ聖職者もいる。

番組は、魔女と呼ばれて村から追放された子供たちの面倒を見ているシェルターに働く英国男性と現地人のスタッフの姿を追っていましたが、命がけの感じ。白人にえらそーに説教されたくない、と怒りだす聖職者もいれば、「魔女の子供は殺すんだ!」と怒って刃物を振りかざす村人も。

後日、またこの英国男性のインタヴューを、ラジオで聞きました。彼曰く、事態の改善の為に必要なのは、村人たちの教育と、後はナイジェリアの政治家へのロビー活動で、子供の人権を守る法の実際の施行を強化させる事。更には、これで金儲けをする教会や聖職者を、他の権威のあるキリスト教組織と有力者が声を揃えて、非難する事も必要。時間がかかるだろうが・・・という話でした。

また、別のドキュメンタリーでは、パプアニューギニアでも、人里離れた村だけで起こっていた魔女殺しが、最近は、町にも飛び火しているという事。魔女と名指された人間(主に女性)が殺される事件が増えているのだそうで。

もし、本当に悪魔なるものがいるとしても、まるで根拠の無いことで他人を糾弾する側と、糾弾される側の、どちらの心に悪魔が巣食っているかなんて、天才じゃなくてもわかりそうなものですが。

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