奴隷制を廃止せよ

(前回の記事「白い金、黒い奴隷」に続きます)

強欲の皮を突っ張らせ、黒人を物同様に扱い金儲けをする人間がいる中、良心と良識に従って、社会悪に物申す人間もいるものです。

18世期イギリスで、奴隷制廃止主義者(アボリショニスト)達は、奴隷制で儲けた社会の有力者を相手に戦いを挑んだわけですから、かなりの精神の強さと信念が要った事でしょう。

彼らは、市民レベルでの理解を深めるため、実際に奴隷たちがプランテーションでどのような扱いを受けているかの説明を始めます。何気なく飲み物に落とす砂糖がどういう環境で作られたか、考えたことも無かった人も多数いたでしょうから。

また、黒人が、自分たち白人より劣ると言うのは間違いであるとして、実際に英国に住む洗練された黒人達を生き証人に、世論を、奴隷制反対へと傾けていきます。
茶器の製造でお馴染みのウェッジウッド。創始者のジョサイア・ウェッジウッド(Josiah Wedgwood)は、コーヒー、紅茶、更には砂糖の人気上昇のおかげで、商売繁盛したのですから、奴隷制にもしっかりお世話になっていたわけです。

奴隷貿易廃止の気風が高まる中、ジョサイア・ウェッジウッドは、積極的に廃止運動に参加。「我は、同じ人間であり兄弟ではないのか」とのうたい文句を掲げた奴隷制廃止キャンペーン用のメダリオンを自費製造し配布します。モチーフはひざまずいた黒人奴隷のカメオ。廃止支持者はこのメダリオンを帽子につけたり、ブローチ、ネックレスとして身に着けたり、または嗅ぎタバコの箱につけたりなどしたようです。(ちなみに、ジョサイア・ウェッジウッドは、チャールズ・ダーウィンの祖父でもあります。)

こうして、反奴隷を唄うことが、段々ファッショナブルになっていき、砂糖のボイコット・キャンペーンなども起こります。

ただ、奴隷制廃止を支持する人物の中にも、ユダヤ人、アイルランド人など別な人種への蔑みを隠さぬ人もいたというので、少々、偽善的な部分があったことも否めないようではあります。また、イデオロギーはともかく、風向きが変わって来て、皆と逆方向に立っていたくないと、奴隷反対派に便乗する人もいた事でしょう。
奴隷制廃止のヒーローの座を占めるのは、やはりウィリアム・ウィルバーフォース(William Wilberforce)。

裕福な商人の家に生まれた彼が議会入りするのは、21歳の時。敬虔なクリスチャンでもあった彼は、奴隷制の悲惨さと、その搾取によって富の蓄積をする一部の腐敗した有力者に怒り爆発。

大学時代の友人であった時の首相ウィリアム・ピットの支持も受けながら、1787年より、議会での、奴隷廃止へむけての一大キャンペーンを開始します。奴隷貿易の廃止は、「私が議会に存在する一大目的」だとして。

1807年、長年のキャンペーンの結果、ついに奴隷貿易廃止の法令が議会を通った際、議員達は一斉にウィルバーフォース氏の方を向き、万歳三唱。それを受けて氏は、深々とお辞儀をし、感無量でその場で泣き崩れたと言います。

奴隷の売買は、これ以来、違法となったものの、植民地での奴隷使用は続いた為、この後は更に、英国領土内での奴隷制自体の廃止運動を開始。1833年に奴隷制の完全廃止が法になる事が確定した際、病の身であった氏は、この吉報を受け、たいそう喜び、数日後に亡くなりました。半生をかけた大望をかなえての大往生というやつでしょうか。


*おまけ*
大英帝国圏内での奴隷制は廃止となりながらも、すでに独立国となっていたアメリカ内での奴隷制廃止は、莫大な数の死者を出し、奴隷制支持の南部、奴隷廃止支持の北部が戦ったアメリカ南北戦争の終結を待つこととなります。皮肉な事に、戦後、南部では、以前にもまして黒人に対する人種差別意識が高まったという事です。

ワシントン、ジェファーソンを含むアメリカ建国の父たちの原罪は、彼ら自身が、奴隷所有者であり、彼らの言う「自由」は白人しか含まなかった事にあるなどと言われます。

奴隷の血は入っていないそうですが、黒人の血が入ったオバマ氏の大統領当選まで、長い時間が経ちました。

参考サイト:
Transatlantic Slave Trade (National Maritime Museum)

Slavery(The Wedgwood Museum)

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