ハワースの石畳

シャーロット、エミリー、アン。

時は19世紀前半、おなじみブロンテ姉妹が牧師の父親パトリックと、飲んだくれ放蕩の弟ブランウェルと共に住んだのが、西ヨークシャーにあるハワース。当時は、ワース川の水力を利用した羊毛織物業を主とする村で、住民は大半が労働階級、読み書きの出来る人は数少なかったということです。

このハワースを訪れたのは、しとしと雨が降る5月。低い雲に覆われた空の下、濡れたハワースの、でこぼこの石畳を登ります。昔のドレスに身を包んで、この石畳を歩くのは大変だったでしょう。

冬は寒さも厳しい場所。セントラルヒーティングもシャワーもない時代、文学での名声を除けば、ささやかで、決して楽とは言えない生活だったでしょうね。まあ、それだから、読むことと書くこと、自分たちで考え出した想像の世界に熱中したのでしょうか。テレビも無ければラジオも無いし、娯楽は自分達で作るしかないと。


坂を登ると、1820年から1861年の間、ブロンテ家が住んだ家(The Parsonage:その土地の牧師が住む為の家)。今は博物館として一般公開されています。館の隣には教会と、アンを除く家族のメンバーが眠る墓地。アンは病気養生先であった海岸のリゾート地スカボロで亡くなり、スカボロの地に眠っています。

博物館内には家族が使用した家具なども展示されています。姉妹が主に執筆を行ったダイニングルームには、エミリーが息を引き取ったといわれるソファ、シャーロットの部屋には、彼女のそれは小さなドレスなども飾られてありました。

このシャーロットという人は、自分を大変な不細工だと思い込んでいたようで、展示されていた手紙にも「私のような不美人は・・・」というような一行があったと記憶します。肖像を見ると、ごく普通のイギリス人的な顔。

当時のハワースは、不健康な場所だったようで、当時この地の平均寿命は24歳!幼児死亡率が非常に高く、シャーロットの38歳、エミリー30歳、アン29歳、ブランウェル31歳は平均は一応上回っていたことになります。84歳まで生きた父親はかなりのお達者クラブ。

死亡率の高い原因として、下水設備も無く、飲水が汚染されていた事があげられています。当時すでに満杯状態だったという水はけの悪い教会の墓地は坂の上。井戸は坂の下の方にあったといいます。はやり病で亡くなった人達の遺体が埋められた場所を通った水を、沸騰もせずに飲んでいた人もいたわけでしょうか・・・。おえっ!


博物館見学を済ませると、雨はますます激しく、腹ごしらえと雨宿りを兼ね、石畳の道の中途にあったB&B兼食事所に飛び込み、ポット一杯の紅茶とほかほかヨークシャー・プディングとロースト・ビーフにありつきました。

親切に給仕してくれたお姉さんと喋っていると、カウンターの後ろで電話がなり、お姉さんは走っていって受話器を取り上げました。そして「え、日本からかけてるのですか?」この偶然に私たちは、にやっとし、聞き耳をたて。電話を切ったあと、「5年前にここに泊まった日本の人が、楽しかったから、また今年の夏泊まりたいと、予約の電話を入れてきたんですよ。」とのこと。日本から2回もハワースに泊まりに来てしまうとは、かなりのブロンテ・ファンだったのでしょう。
そしてまた、お姉さんは付け足しました。「しばらく前まで、日本人の女性がここで働いていて、良くやってくれていましたよ。」

さて、英国文学界の聖地の様なこの村の近郊に、ブラッドフォードと呼ばれる大きな町がありますが、パキスタンからの移住者が人口のかなりを占める場所です。移民と、地元白人との間の人種的緊張が非常に高い場所で、2001年の夏には敵意がエスカレートし、ブラッドフォード・ライオットと呼ばれる暴動を引き起こしました。時代は変わっています。

ハワース村のサイトで、ハワースとその周辺のモーアの写真が豊富、また、博物館内とハワースの360度のパノラマなどが見れます。

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