スカボローフェアへ行くのなら
スカボロー(Scarborough、日本語でスカーボロと書かれているのも見ますが・・・)は、イングランド北東部、ノースヨークシャー州の東海岸に位置し、北海に面しています。「パセリ、セージ、ローズマリーとタイム」とサイモン&ガーファンクルが歌ったスカボロー・フェアは、中世の時代、8月15日から6週間に渡り開かれていた貿易フェアでした。ヨーロッパからの商人も数多くやってきて賑わったようです。
ここで、スカボロー・フェアの歌詞を見て、ちょいと訳してみましょう。
Are you going to Scarborough Fair?
Parsley, sage, rosemary, and thyme;
Remember me to one who lives there,
She once was a true love of mine.
Tell her to make me a cambric shirt,
Parsley, sage, rosemary, and thyme;
Without no seams nor needlework,
Then she'll be a true love of mine.
Tell her to find me an acre of land,
Parsley, sage, rosemary, and thyme;
Between the salt water and the sea strand,
Then she'll be a true love of mine.
Tell her to reap it in a sickle of leather,
Parsley, sage, rosemary, and thyme;
And gather it all in a bunch of heather.
Then she'll be a true love of mine.
Are you going to Scarborough Fair?
Parsley, sage, rosemary, and thyme;
Remember me to one who lives there,
She once was a true love of mine.
スカボローフェアへ行くのなら
(パセリ、セージ、ローズマリーとタイム)
かの地に住む人に伝えて欲しい
昔、心から愛した人に
私のために、うすい綿のシャツを作っておくれと
縫い目もなく、針も使わず
それができれば、私達はまた愛し合える
私のために、1エーカーの土地を探しておくれと
塩水と海岸の、その間に、
それができれば、私達はまた愛し合える
その地の実りを、皮のかまで刈っておくれと
それをへザーでひとつに束ね
それができれば、私達はまた愛し合える
スカボロフェアへ行くのなら
(パセリ、セージ、ローズマリーとタイム)
かの地に住む人に伝えて欲しい
昔、心から愛した人に
かぐや姫が、次々現れる求婚者達を振り払うために、もちかけた難題のような内容です。実現不可能なお願いをして、これができれば、結婚してあげるよ、と。これを聞くと、私の想像の世界では、異国の地の男性が、スカボロー・フェアを訪れた際に巡り合った昔の恋人に、「自分の事は忘れてくれよな。」という間接的なメッセージを送る物語を思い浮かべます。そして、メッセージを受け取った女性は、スカボローの海を見つめて、涙をつつつー、と流す。うーん、美しいな、そう考えると。メロディーも、哀愁をそそるところがありますし。
ポール・サイモンは、イギリスの昔の民謡からアイデアを取り、自分の書いた曲とミックスさせたという話ですが、その辺は、あまり詳しくないので深入りしません。そういえば、著作権問題で、少しもめていたような記憶もあります。「パセリ、セージ・・・」のくだりは、何やら隠れた意味があるらしく、いくつかの説があるそうです。
さて、サイモンとガーファンクルは、その辺にして、過去、そんなフェアが行われたスカボローという町がどんなところか見てみましょ。岸壁に聳え立つのは、半分崩れたスカボロ城。ローマ人がシグナル・ステーションとして松明を掲げるのに使用していた土地に、12世紀に建てられ、その後、少しずつ増築されていきました。
1640年代のイングランド内戦(ビューリタン革命)時代、この城に、王党派が立てこもり、議会軍による爆撃を受け、城はかなり被害を受けます。以前訪れた、イーストサセックス州のボディアム城も、たしか、内戦中、議会軍によって大損傷を受けたのでした、そういえば。困った奴だな、オリバー・クロムウェル!そこへもってきて、第1次世界大戦中には、いきなりスカボロの海岸線に現れたドイツ海軍からも、爆撃を受けています。
城の近くにある、セント・メアリ教会は、ヨークシャーの生んだ文豪ブロンテ姉妹の一人、アンのお墓があります。他のブロンテ家のメンバーは、皆、故郷のハワースに埋葬されていますが、アンは、養生に来ていたこのスカボローで、1849年、28歳にして息を引き取ったため、一人、この地に眠る事となりました。
スカボローの海岸線の崖から湧き出る泉の水は、万病に効くと噂が立ち、また徐々に海水浴の効用がまことしやかに説かれるようになり、1660年代より、すでに、スカボローは、ファッショナブルなスパタウンとなります。イギリス初の、いわゆる、海岸リゾート地であるという事です。アン・ブロンテも、そんなこんなで、スカボローに養生にやって来たのでしょう。彼女の場合は、万病に効くはずのスカボローの水も効果なく、死んでしまったわけですが。
1845年に、ヨークとスカボロ間に鉄道が開通すると、更にリゾートとしてのスカボローは大繁盛。鉄道開通のすぐ後に建設されたのが、海岸線を望むスカボロー最大のホテル、グランドホテル(上の写真左手)。このホテル、上空から見ると、ヴィクトリア女王の「V」の字の形をしているのです。写真右手の崖の上にあるのがスカボロー城です。このホテルも、城と同様、第一次大戦中のドイツ海軍による被害を蒙っています。
現在のスカボローも、夏季は、観光客でにぎわいます。少しシーズンをはずした9月10月のお天気の良い日に行くと、静かな海岸の散策などが楽しめるでしょう。ちなみに、うちのだんなは、9月中ごろ、昔の同僚と一緒に、車のドアの陰に隠れて海水パンツに履き替え、水温13度の北海に飛び込み泳いでいました。他に泳ぐ人もおらず、砂浜で犬を散歩させていた男性が一人、「よくやるねー」といった面持ちで、二人の頭が遠くの波間に見え隠れするのを眺めているだけでした。
コメント
コメントを投稿