灰色りすと赤りすと
公園や森林を散歩中、ほうきの様な尻尾を揺らして駆け回っているのは灰色りす。尻尾が無ければ、ただの大型ねずみですが、この尻尾があるだけで、何故か可愛くなるものです。観光客の多いロンドン内の公園などでは、とても人なれしたものもおり、殻つきピーナッツを差し出すと、手からとって食べ、時に身体によじ登ってきたりします。大胆不敵。
以前住んでいた家では、あまりになついてしまった灰色りすが一匹、キッチンのドアを開けたままにしておくと、堂々と家の中まで入ってきていました。
このりす、キッチンで調理していると、ずぼんの裾をがしがしとひっぱり、「木の実くれ。」ダイニングで読み物をしていると、テーブルに飛び乗ってくる。ソファでテレビ見ていると、廊下でぴたぴた足音がし、次の瞬間、膝に飛び乗ってくる。
挙句の果てには、ドアがしまっていると、ダイニングの窓のすぐ外の塀にちょこんと座ってこちらを覗き込み、訴える目で「ドア、閉まってるんだけど・・・。」仕方なく立ち上がり、キッチンのドアへ行ってあけると、すでにそこで待っていて、我家同然あがりこんでくる。家のレイアウトまで、すっかり知り尽くされていたようで。
日が経つうちに、庭の地面に埋める場所がなくなったのか、室内の植木ポットに目をつけた様子。シクラメンの鉢に顔を突っ込み、土をカーペットに撒き散らして木の実を植える姿を見た時は、そのお馬鹿さんぶりが、可愛くて笑ってしまいました。「あんた、そんなポットに埋めて、戸が閉まってたらは入ってこれないし、木の実の回収もできないんだからね。」と諭したところで、相手はりす。やがては、ドアの後ろ、カーペットの下などにも隠し始め、掃除機をかけているとゴリッと木の実を吸い取ってしまったりしたものです。
灰色りすは、もともとは1870年代に北米大陸からこの国に導入されたよそ者です。1876年から1929年の間に、ロンドン動物園を初めとした、英国各地の動物施設から自然に解き放たれ、そのたくましい生命力で、瞬く間にイギリス中に広がります。
対して、英国の原生のりすは赤りす。灰色軍団より小柄で、耳の先にひょろっと長い毛が生えているのも愛らしく。どちらかというと針葉樹を好みます。デリケートなこの方たちは、灰色が持ち込んだと言われる伝染病の影響で数が急減。タフガイ灰色りすは、同伝染病をキャリヤーとして持ちながらも、影響を受けずに数を増やす中、赤りすの繁殖区域は、どんどん減って、現在はほんの限られた場所でしか見れません。私も、テレビ、インターネット、本以外では、まだ実物の赤りすに遭遇した事はありません。
上は、おなじみビアトリクス・ポターの絵本、「りすのナトキンのおはなし」からの挿絵。1901年の夏、湖水地方ダーウェント湖の南岸に滞在していたポターさんが、そこで目にした赤りす達を主人公に物語にしたもの。この頃は、まだ、数も多かったのでしょう。いまだに、赤りすと言えばナトキンを思い浮かべるイギリス人は沢山います。
ポターさんの絵本はイギリス国内はもちろん、アメリカでも人気を博すようになります。海外からファンレターなども届き始め。そうした中、アメリカの読者にアピールするよう、灰色りすのティミーを主人公に出来上がるのが、ナトキンから10年経った1911年作品の「ティミー・ティップトーズのおはなし」。上がその挿絵のひとつ。この話には、イギリスでは見られない北米のシマリスや黒熊も登場します。
灰色りすは、可愛がる人もいれば、ペストとして、毛嫌いする人もいます。小鳥の巣を襲って、中の雛や卵を食べる、庭の草木をほじくりかえす、小鳥用のフィーダーの金網を噛み千切り、中のピーナツを全部食べてしまったりするのも、嫌われる原因。また、夏季には木の皮を噛み砕き、場所によって、木を大量に枯らす原因となったりもしています。赤りすを苦境に陥れた張本人と、敵視される事は、もちろん。
数のコントロールするため、時折、定期的に殺したりしているようです。ロンドンのハイドパークなどでも、数が増えすぎると、大量に毒殺するという話。
上記の、我家に来ていたりすは、ある日突然、来なくなりました。庭をうろちょろしていた他のりす達も忽然と同時に姿を消した事を考えると、ペスト・コントロールに一度に殺されたのかもしれません。
りすの訪問が無くなった後も、しばらくは、リビングに座ったりしていても、あのパタパタという小さい足音がまた聞こえてこないかな、と待ったものです。
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