電車の来ないプラットフォーム

田舎をぽこぽこ歩いていると、時折、もう使用されていない線路の跡や、以前は、上を汽車が走っていた、がっしりした木橋などを見かけます。また、小さな村で、雑草が生えた古い駅のプラットフォームに出くわしたりもします。

大学とハイテクの町ケンブリッジからほど遠からぬところにあるClare(クレア)という村にも、こうして放棄されたままの駅のプラットフォームが残っていました。

クレア駅を通る路線は、1865年に開通、1900年代初頭は、貨物や乗客であふれた汽車が行き来していたと言います。今のこのひっそりとした様子からは想像し難いですが。1967年3月6日に、この駅から最後の乗客を乗せた電車が走り出て以来、そのまま、この電車の来ないプラットフォームは、時間に忘れられてしまった様に、ひっそりと佇んでいます。

プラットフォームに立つと、目の前の丘の上に13世紀にさかのぼる石の城跡が臨めます。線路の跡は、今はレールウェイ・ウオークとして、市民が散歩を楽しめる小道になっていました。

第2次世界大戦後、英国のぼろぼろの鉄道は国営化。

1960年代初期、赤字を切る苦肉の策として、乗客の少ない支線のサービスを止めるという方針を取ります。そして、一般庶民の反対を押し切り、英国内の3分の1に及ぶ路線が廃止されました。クレア駅もそんな憂目にあった路線。「将来の移動方法は、車だ!」という考えもあったのかもしれません。

鉄道の経営などは、3分の1の路線を切ったから、費用は3分の1になる、などと言う子供の計算の様なものでは無いという話です。特に地球温暖化、ケンブリッジを含む都市の周りのラッシュアワーの車の混雑ぶりを思うと、近視眼的な事をしたものです。

英国各地で、ヘリテージ・ラインと言われる、ボランティア経営で、短距離の路線に観光客用の機関車を走らせている所が幾つかあります。汽車が緑の丘の中を走る風景は、車が高速を走る(というより渋滞に巻き込まれて止まっている)風景よりも旅への憧れを引き起こします。

こうしたレトロ路線は、夏休みなどは、かなりの人気で、子供の為の、「機関車トーマスとその仲間たち」の日、などという催しもあったりします。私が子供の時にも、クラスに何人かいました、「将来なりたいもの、電車の運転手」という男の子。

将来のために、1960年代に失われてしまった線路や駅たちを蘇らせて欲しいですが、かなりのお金がかかる事でしょう。とりあえず、今は、線路の跡をつたって散歩を楽しんでみます。

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