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アリスの白うさぎ

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...when the Rabbit actually took a watch out of its waistcoat-pocket , and looked at it, and then hurried on,  Alice started to her feet, for it flashed across her mind that she had never before seen a rabbit with either a waistcoat-pocket, or a watch to take out of it, and burning with curiosity, she ran across the field after it, and fortunately was just in time to see it pop down a large rabbit hole under the hedge. In another moment down went Alice after it, never once considering how in the world she was to get out again. ・・・実際、うさぎが、ちょっきのポケットから懐中時計を取り出し、それを眺め、そして、急ぎだしたとき、アリスは勢いよく立ち上がりました。というのも、アリスは今まで、ちょっきのポケットや、そこから取り出せる懐中時計を持っているうさぎなど、見たことがないと、はっと気づいたからです。好奇心に駆られて、アリスはうさぎを追いかけ野原を横切りました。そして、幸いな事に、うさぎが、藪の下にあった大きなうさぎ穴の中へ飛び降りるのを目撃することができました。 次の瞬間、うさぎを追ってアリスが穴へ飛び降りました。一体全体、後で、どうやって穴から出れるのかなどと全く考えもせずに。 Alice's Adventures in Wonderland,  I. Down the Rabbit-Hole, Lewis Carroll 不思議な国のアリス、第一章 ウサギ穴の中へ より ルイス・キャロル著(訳は私です) ******** こうして始まる、アリスの冒険。来年は、うさぎ年という事で、今回のクリスマスカード兼年賀状は、この 不思議な国のア

雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう

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 巷でも、ラジオからも、クリスマスの人気定番ポップソングが流れる季節。ワムのラスト・クリスマスやら、マライア・キャリーの恋人たちのクリスマスやら、なんやら、かんやら。それでも、キャロルやアニメ「 スノーマン 」のテーマ曲あたりを除けば、私がこの時期、一番聞きたくなるのは、いまだに、「雨は夜更け過ぎに、雪へと変わるだろう」で始まる、山下達郎氏の「クリスマス・イブ」です。今回は、イメージイラストも作ってみました。思うに、英語圏の国に住み、英語のみを喋り、英語文化にしか親しみのない人たちというのは、メジャー英米文化プラス自分たち独特の文化にも浸ってきた、他文化圏から来た人間に比べ、ある意味、文化生活の幅が狭いのではないかという気もします。自分たちから、積極的に他言語のものでも興味の範囲を広げようとしない限りは。 さて、「クリスマス・イブ」は、1983年、JR東海クリスマス・エクスプレスのCMでもおなじみの曲ですが、ビデオを探してみると、当時の、切符を切る駅員さんのいる改札口などが、なんとも、いいんですねえ。CMには、いろいろなバージョンがあるものの、クリスマスに電車に乗って愛する人がやってきたー、という、歌詞と相反して、一人じゃないクリスマス・イブが描かれています。ちゃんと、電車が、予定通り走る国でなければ、こんなCMにはならない。 ここしばらく、イギリスの鉄道は、従業員の賃金と労働環境をめぐり、度重なるストライキの波にやられています。 前回の記事 では、ロイヤルメールのストライキに言及しましたが、特に、多大な悪影響を出せるクリスマスと年末年始とあって、先週は、火水金土と4日間の鉄道ストライキ、さらには、ストライキのない合間の日にもダイヤの乱れや本数が減るなどの弊害も出ています。24日にもストライキが予定されているため、クリスマス・イブに電車に乗って愛する人のもとへ、なんて、あきらめた方がいいですねえ。 基本的に、車の移動より、電車での移動のほうが好きな私は、徐々に感じ始めています、電車がまともに動かせない国にいつまで住んでいられるかと。普段でさえ、キャンセルや遅れは日常茶飯事。週末にはよく、線路の整備のため、一部区間が不通となることもあり、その区間は、レールリプレースメント・サービスなる、バスを使うことになります。これがあると、移動時間、最低30分は上乗せとなります。一

イギリスの郵便局にて

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クリスマス期、あらゆる業界での、ストライキの嵐が吹き荒れる中、郵便を配達するロイヤル・メールも幾日かストを予定しているため、今年の クリスマスカード 及びクリスマス用郵便は早めに出す必要性に駆られています。 ちなみに、郵便の収集と配達、および、あちこちの赤い 郵便ポスト を管理するロイヤル・メールと、いわゆる郵便局(Post Office)は、基本的に別会社で、郵便局は、ロイヤル・メールの代行で切手の販売、手紙、小包の受け取りなどを行っており、そのほかは金融商品の扱い、パスポートや運転免許の書き換えの扱いなども行っています。さらに、パーセルフォースという会社があり、こちらは、国内外の小包の手配、配送を行っています。このイギリスの郵便システムの会社間の関係はとても複雑で、頭が混乱した蜘蛛が編み上げた巣のように、何が何だかわからない。とりあえず、ロイヤルメールとポストオフィスは、別会社であるという事だけは書いておきます。 さて、先日、日本行のクリスマスカードを出そうと郵便局へ足を延ばしました。上記の通り、ロイヤルメールとは別経営なので、この日はロイヤルメールのストライキでしたが、郵便局は開いていました。ただ、この日に出しても、ロイヤルメールは、おそらく郵便局や郵便ポストからの収集を行わないという事になります。 さほど長くはない列について、順番を待っていましたが、とにかく窓口がひとつしか空いておらず、しかも、窓口前に立っていた女性は、用が終わった後も、ぺちゃらくちゃらと、窓口の人と世間話を始めたのです。そのため、私の後ろの列はじょじょに長くなっていった。 こういう行為はわりとイギリスでは遭遇するので、今更驚きはしませんが、とにかく、よく、他人が待ってるのが気にならんもんだなあと、ある意味、そのずーずーしさに感心させられて、見ていました。が、私の後ろに立っていたじーちゃんは、堪忍袋の緒が切れてしまったようで、「用が終わったら、世間話はよしてくれ、列ができてるのがわからんのか!」と切りかかった。 すると、喋ってたおばはんは、くるりと向き直り、「私がこの人と話をするのも、大切な社交という用事なのよ!」と開き直った。これはつわものです。じーちゃん、「窓口が一つしか空いてないのがわからんのか!」つわものおばさんは、ふんと鼻を鳴らし、再び、窓口に向き直り、又話を続けること、約1分。こ

あなたは、本当はどこから来たわけ?

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先日、バッキンガム宮殿で、カミラ王妃が、女性に対する暴力に反対するキャンペーンを支持するため、そうした関係の慈善団体の代表など約300人を招いた集いを催しました。・・・そこまでは、良かったが・・・ この最中に、故エリザベス女王の女官であり、ウィリアム王子のゴッドマザー、さらには現在も王室で務めを果たしていたレーディー・スーザン・ハッシーなる女性は、とある慈善団体のリーダーで、イギリス生まれでイギリス国籍の黒人女性に話かけ、執拗に、「あなたは、本当はどこから来たわけ?」と、聞いたという事がニュースとなり、レーディー・ハッシーはレイシストの汚名を着て、瞬く間に辞任、現代社会にマッチしたポジティブなイメージを作りたいところの王室側の反応も早く、「今の時代にレイシズムは許せない。当事者が辞任したのはもっともである」ような内容を発表。 と、これだけのニュースを聞いた段階では、私もだんなも、「また、自分の人種に、かなり神経質になっている人のオーバーリアクションかな。ただ、何気に、どこから来たの?って聞いて会話を続けようと思っただけの話なんじゃないか。」なんて思っていましたが、詳細を読んでみると、たしかに、その執拗さに悪意を感じ、これは、まずい、気を悪くしたのも当然か、と思い直しました。以下が、BBCサイトに載っていた、会話の内容。Lady SHは、レーディー・スーザン・ハッシー、Meというのは、被害にあった黒人女性です。訳は私が勝手につけました。 Lady SH: Where are you from? あなたは、どこから来たの? Me: Sistah Space. シスタ・スペースです。(これは慈善団体の名) SH: No, where do you come from? そうじゃなくて、あなたは、どこから来たの? Me: We're based in Hackney. ハックニー(東ロンドンの地区)が、私たち団体の拠点です。 注:この段階まで、彼女は、団体の活動内容についてでも聞かれると期待していたのでしょうね。ところが・・・ SH: No, what part of Africa are you from? そうじゃくて、あなたは、アフリカのどこから来たわけ? Me: I don't know, they didn't leave any reco

自転車泥棒

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 ここしばらく、ヨーロッパ映画を見ていないな、とふと思い、見たのが、これ、1948年公開、ヴィットリオ・デ・シーカの「自転車泥棒」。現代の若い人たちも、まだこういう映画を見ているのかは、知りませんが、未だに、傑作映画の呼び声高い、戦後間もないローマを舞台にした、切ない話です。このくらいの時代の映画は、イギリス映画もそうですが、まだ戦争の傷跡残る都会の風景が印象的。 あらすじは、いたって簡単。職を探す人々の波が職安にたむろしている場面から始まります。ここで、ついに、待ち望んだ仕事を得たアントニオ。ただし、移動しながら、街中にポスターを張る仕事であるため、自転車を持っていることが条件。そこで、妻は、ベッドに敷いてあったシーツなどを引っぺがし、それを質に入れて、その分で、以前、質に入れてあった自転車を取り戻す。シーツは無くなったけど、妻と小さな息子ブルーノも大喜び。翌朝は、張り切って仕事に出たはいいが、仕事半ばで、壁に立てかけてあった自転車が盗まれてしまう。映画の残り部分は、この自転車を見つけ出すため、アントニオとブルーノが、あちこちを奔走することになります。そして、最後に、絶望したアントニオが、自分自身、自転車を盗もうとしてしまう。 自転車が盗まれた直後、アントニオは、警察に届け出るのですが、記録を取った後は、見つかったらまた届けろ、と言うだけで、何をしてくれる様子もない。「探してくれないのか」の問いには、たくさんある自転車から、お前のを探せるわけがない、自分のなんだから、どんなのかは自分で知ってるだろう、もう、リポートすんだから、帰れ、のようなことを言われる。こんなやり取り、笑いながら見てました、今でも、基本的に同じだから。 財布やら貴重品をイギリスやらヨーロッパで盗まれても、警察に届けるだけ時間の無駄。今年の夏、お隣さんはオックスフォードまで車で出かけ、どこかの公共の駐車場に止めた際、彼のホンダ車の下から、三元触媒コンバーターがもぎとられ、盗まれてしまったという事件に会っています。なんでも、日本車のコンバーターは性能が良く、被害にあいやすいとか。こんなのも、埒もあかないと、警察に届けたりしなかったようです。警察も資金不足、人手不足の昨今ですから。数年前に、空き巣に入られた友人は、おじいさんの第一次世界大戦のメダルを盗まれたそうで、これはさすがに警察に届け出。なんでも

写真をあまり撮らなくなった理由

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イギリスのコロナでのロックダウンは、色々、今までの生活を見直す機会ともなりました。前より写真を撮らなくなったというのも、そのひとつ。出かける機会が減ったからというのもありますが、デジカメ、スマホが始まってから、その手軽さのために撮りためた膨大な写真の数に、今更ながらびっくりしたというのもあります。いらない写真は、ざんざか削除していけばいいんですが、何となくそのまま。それで、後から見るかというと、あんまり見ないのですよね。私は、SNSはやっていないので、それこそ、ブログででも使わない限り、その、ほぼ全ては、永久にデータとして埋もれて終わりでしょう。 実際、自分で写真を見るとなると、デジカメ以前の大昔のアルバムを繰ってみたりすることの方が多いです。100も200もある、似たようなデジタルイメージを次から次へと見るより、限られた枚数のものを、時間の合間に、お茶飲みながら、ページめくって楽しく見れるのです。 あと、アナログ写真は、自分が写ってる時など、適当にぼけてくれていて、それなりに見えるという利点もありました。昔の富士フィルムのCMではないですが、「美しい方はさらに美しく、そうでない方は、それなりに写ります」ってやつです。ところがデジタルだとスクリーンの上で拡大された自分の顔に驚愕(!)してしまうこともある。シミ、そばかすまで、こんなはっきり写ってほしくないのに、なんて感じで。しかも、それが、人から、「この前の写真送ります」なんてメールに添付され、開いてみて、すごい顔で写っているものが、バカでかいサイズで撮られていたりすると、そのインパクトに、「うわー!」っとなる。自分で自分の顔に驚くなんて、笑うに笑えない。そして、それが、相手のスマホの中に保存されていると思うと、ますますゲンナリ。それで、送り手の顔はちゃんときれいに写ってたりするんですよね。(こういう事があるたびに、人間なんて、自分の見た目しか気にせず、他人がどう写ってようと、どうでもいいんだな、と思います。でも、あまり、他人がブザマに写ってる写真を、頼まれない限りは、その人に送ったりしない方がいいですよ。)だから、最近は、人からスマホ向けられるのも、なんか嫌です。「見えすぎちゃって、困るの」・・・なんて、これも、なんかのCMでしたか。映像がシャープになるにつけ、今の芸能人なども、ふきでものひとつにでも大わらわでしょ

ソファーベッドの修繕

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「upholster」(アップホルスター)という、あまり日本の人にはなじみのない言葉があります。ソファーやアームチェアーなどの家具の骨組みの上に、スポンジやら、ばねやらを配置し、その上から、布や皮を張る事を指します。手持ちの英和辞典で引いてみると 1.(椅子・ソファーなど)に覆い(スプリング、詰め物、クッション)を取り付ける 2.(部屋など)にカーテン(カーペット、家具)を取り付ける そして、そういう作業を行う業者は、「upholsterer」(アップホルスタラー)と呼ばれます。この人たちは、椅子などの布張りのほかに、カーテンやブラインドなどを窓のサイズに合わせて作るなど、主に布関係の室内装飾なども扱います。ここで、また、英和辞典にお世話になると、 室内装飾業者、椅子張り職人 とありました。 フレーム自体はしっかりしているものの、家具の内部のばねやスポンジが時と共にぐたっとなり、また、覆っていた布なども擦り切れてしまった時、捨てて、新しいものを買う代わりに、修繕しようと決めると、この「upholsterer」さんが必要となります。 だんなが約30年に買った、我が家の居間のソファーベッドは、もう、そのまま使うには限界に達していました。布はあちらこちら擦り切れ、アームの部分は下のばねの形が、浮き出て見えるほど。クッションもべたっとなり、せんべい座布団さながらの、あわれな風情をかもしだしておりました。当然、座り心地は最悪。ベッドとして使うのは、泊り客が来た時のみなので、使っても年に1,2回、よって中のマットレスはまだ使える状態だし、フレーム自体はしっかりしている。パーカー・ノル(Parler Knoll)という、わりと名の知れたメーカーのものです。 そろそろなんとかしなければ、と考えていたところ、隣町に、評判の良いアップホルスタラーを見つけ、電話で見積もりを頼みました。ソファーの写真を送ってくれと言われ、送ると、材料費込みで、大体、このくらいが目安です・・・と教えられた金額は、比較的低価格の新しいソファーベッドが買えるほどのものでしたが、安物買っても、何年もつかわからない、なら、直してもらおう、ということに決定。業者も、パーカー・ノルのソファーの修繕依頼はわりとよくある、と言っていました。 話が決まると、それでは、新しい布地を選びに来てくれと言われ、出かけていきましたが、

映画「エクソシスト」の印象

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映画「エクソシスト」(The Exorcist)の公開がアメリカで始まったのは、1973年12月、およそ50年前となります。 それは、話題の映画でした。 悪魔に取りつかれた少女リーガンの首がくるくると360度回るところ、白目をむいて、どばーっと緑色のどろどろ液を口から吐き出すところ、などのえぐいシーンもありながら、ポスターに選ばれた、この映画の決定的なイメージは、エクソシストとして悪魔に立ち向かうため、メリン神父が、タクシーを降り、少女のいる館の前にたたずむ、あの場面。悪魔のいる2階の部屋から、ぼあーっと光が漏れ、これから始まる2人の決闘を思わす緊張感もあります。 過去の数々の映画のポスターの中で、これくらいインパクトがあるものってあまりないのではないでしょうか。これを書きながら、今、ぱっと考えたところで、頭に浮かんだのは、オードリー・ヘップバーンが黒のドレスに長いたばこのスティック(?)を掲げている「ティファニーで朝食を」とか、「風と共に去りぬ」あたり。あと、やはりホラーで、ジャック・ニコルソンが狂気の顔をドアの間からのぞかせている「シャイニング」のポスター。それだけ、映画のイメージをひとつの絵、写真に集結させ、しかも独り立ちさせても、それなりに見れるっていうのは難しいのかもしれません。考えれば、もっと色々思い当たるのか・・・。印象に残る映画ポスタートップ10なんてのをやってみても面白いかもしれません。 なんでも、エクソシストのこの場面は、ベルギーの芸術家、ルネ・マグリットの絵「光の帝国」から影響を受けたものなのだそうです。空は青空なのに、前景の木々と建物が夜のように暗く、それが、街灯と窓からの明かりで照らされている絵です。マグリットは、この「光の帝国」シリーズを全部で27描いているそうで、きっと、こだわりがあったのでしょう。うち17枚が油、残り10枚がガッシュ。一瞬ぱっと見るとありそうな風景、でも実際はありえない、不思議な風景。影響を受ける・・・というか、人間、かつて見たもの聞いたものの印象が頭のあちこちにひっかかっていて、何かの拍子で出てくるものです。映画監督に限らず、クリエーターの人たちが色々、外のものを吸収しようとするのは、こうした数々の印象の断片を脳の中にコレクションして、何かを作るときに、そうしたものが、引き金として、役に立つからでしょう。 実に久しぶ

みんなと仲良くなんて無理

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 まだ、イギリスに住み始めたころ思ったのは、何かにつけて、社交をカップルで出かけなければならない国だなという事。この国、離婚が多いのは、こうして、無理やり、何でも一緒にせにゃならん、というのが理由の一つではないかとも思ったほど。クリスマス後、離婚が増えるというのも、本当は嫌なのに、相方の家族や知り合いと一緒に長時間過ごさせられた結果だったりもするようですしね。 だんなの友人の中には大好きな人もいれば、性に合わず、会っていて苦痛な人もいる、それは当然です。なのに、そういう、ちょっと嫌な人に家に呼ばれた時など、だんなが自分の友達なのだから、一人で行ってくれればいいのに、お前もよばれているから、と無理やり連れていかれるのが本当に嫌でしたね。電話がかかってきて、それじゃあ、会おうという打ち合わせをしている時も、必ず「みにも来れる?」となる、私が、その場で言い訳を作り、その日はだめだと言うと、逆に「じゃあ、来れる日は?」となる。そして、そういう人たちに限って、なぜか、車で1時間以上かかるような不便な場所に住んでいて、いつも、「来てくれ」というのですよね。そんなに、会おうというなら、そっちが、うちの方角か、便のいいところまで出て来たら?と思うのに。前もってスケジュールを入れられてしまい、がんじがらめの気持ちで、その日には大雨が降ろうが槍が降ろうが行かねばならなくなる。 心で、「もう私は勘定に入れないでくれ、あんたとは特に会いたくもないし、誘われるのが苦痛なのだから、わかってくれ、しつこくしないでくれ、かまわないでくれ!」と心で叫んでも、さすがにそんなことを面と向かって言えないのが人間社会です。嫌がってるのよ、気づいてくださいと思いながら。それなりに、オーラを出しているつもりでいながら、気づいてくれない!逆に、だんなの友達の中で特にうまの合う人とは、機会があれば、旦那ぬきでも、一緒に遊びに行ったりしています。 コロナ下のロックダウンで、いろいろな弊害はあったけれど、利点(私にとっては)は、こういう付き合いを強要される機会が激減した事でした。ほとんど関わったことのないような人の葬式や結婚式にカップルだからと連れていかれる・・・そんな嫌な状況もなくなった。(そういうのが大好きな人にはつらい季節だったのかもしれませんが。)ロックダウンがなくなった今では、また、ぼつぼつ始まりかけて、最近

木枯し

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家から町の中心へと、小川に沿って歩けるようになっているリバーウォークの両側の木々は、まだ7割ほど葉を残しています。が、日に日に、 落葉加速度は、ついてきている感じです。特に数日前の強い風の日、近くの道路端の街路樹の葉がことごとく散った。今のところ、イギリスにしては比較的暖かい日が続いており、街路樹の葉を蹴散らした風も「木枯し」と形容したくなるような寒さは持っていませんでした。 ふと、「木枯し」に相当する英語はなんだろうと考えると、ないんですね、これが。だからwindという言葉にいくつか別の言葉をくっつけて形容し、長たらしいものとなる。こがらしなんて、「風」という言葉すら含んでいない。こがらしを、漢字で時に「凩」と書くというのも、いまさら、すごい表現だと感心しました。 天候や自然現象を表す言葉は、イギリスより日本の方が豊富だと感じます。さすが短歌や俳句の国、季節感や情緒を短く表現する技巧がにじみ出る。天気を話題にするのが好きというイギリスも、この点では日本には勝てません。 風ひとつとっても、木枯らし、からっ風、あとは、関東地方では筑波おろしなんてのもありますね、地方によって山の名前をとったxxおろしはあるようですが。このおろしというのも漢字で書くと「颪」だそうで、「あ、なるほど」となります。もっとも山の名をつかっても、そっちの方角から吹いてきたというだけで、厳密には、その山から落ちてきた風というわけではないようですが、雰囲気は伝わります。あとパッと頭に浮かぶのは、もちろん、「もーすぐ、はーるですねえ」と歌いたくなる春一番。 手持ちのThesaurusという英語同義語辞典で、windの項を見てみました。いわゆる「風」の意味では、 air, air-current, blast, breath, breeze, current of air, draught, gust, zephyr と、挙がっていました。 ほとんどが、自然現象、風の強弱を表す程度で、情緒が伝わるような言葉はないですね。この中で、詩的な趣を持つ言葉は最後の「zephyr」。ギリシャの神様からとった名で主にやわらかな西風を指すようですが、一般会話で使われることはまずないです。それこそ、詩くらいで。普通の会話で、「今日のzephyrは、心地よいなあ。」などと言ったりしたら、「なんだ、あいつ、インテリぶって、

小説を読むのは体にいい?

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先日、朝、うとうとしながら、寝床の中で枕もとのラジオをつけて、何気なく聞いていると、「小説を読むのは精神と体にいい」という話が流れてきました。ある研究によると、余暇として、小説を日常的に読む人は、全く読まない人より、約2年ほど長生きする・・・というような、「本当かいな?」と思うような情報に、思わず、目がしゃっきりと開きました。これが、新聞やら、マガジン、SNSのメッセージに読みふけるのはではなく、とにかく、小説がいい、という事なのです。色々、これをするといい、あれをすると長生きする、という情報が行きかう中、こんな話は、初耳です。 小説を読むことが、なぜ精神に良いかという理由は、悩みやストレスがある時、今まで、心が内へ内へと向いて、自分や自分の状況ばかりに焦点を当ててしまい、くよくよしていたのが、物語の世界へと注意が移り、精神が安定してくるというのがひとつ。次に、小説内の登場人物へ抱く感情は、実生活での人間関係の経験と、ほぼ同様の効果があり、他人を理解する能力が向上、また、他人とのつながりを感じるという、ソーシャルな影響もあり。この小説の力で、自分中心の世界から外へ連れ出されることにより、常に痛みに悩まされている人も、痛みが多少なりとも緩和されたりするのだそうです。コロナのロックダウン中には、私も読書と映画には、精神的に、かなり助けられましたしね。 物語を読むと、脳の血流が盛んになるという事も研究でわかっているといいます。語彙が豊富になるのはもとより、内容を追い、描写を想像したりすることで、語彙をつかさどる以外の脳の部分も刺激され、たとえば、花の香りなどの事が書かれていると、嗅覚に関わる脳の部分も活発に動き始めるのだそうです。そんなこんなで、小説を毎日読むと、ボケにくくなる・・・黙読でも十分だけれど、本を音読すると、さらに、記憶力が良くなるそうです。という事は、子供や孫に、本を読み聞かせてあげるというのは、子供のためにはもちろん、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんの脳みそにも良い効果があるという事になります。 それから、一日30分本を読む人は、読まない人より、23か月、長く生きる・・・という研究の話が出たのですが、これに関しては、はっきりした理由はわからないと。どのくらいの規模の研究で、どういう人たちを対象に行ったのかなど、詳しい事は知らないので、その信ぴ

ガヴァネス(女家庭教師)

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前回のポストに書いた、ヘンリー・ジェームズの小説、「 ねじの回転 」の主人公は、住み込みの女性家庭教師でしたが、この職業は、英語で言うと「Governess ガヴァネス」。ビクトリア朝のイギリス小説、または、この時代のイギリスを舞台にした小説には、よくこのガヴァネスが登場します。一番有名なところで、シャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」(Jane Eyre 1847年出版)ですかね。 どういう人物が、このガヴァネスという仕事についたのか。中年のガヴァネスもいたものの、大体の場合が、教育のある中流の若い女性で、何かの事情で、家計が苦しくなり、外に出て金を稼ぐ必要があった人物。貴婦人(レイディー)が外に出て働くという事が、蔑視されていた時代、一般の召使、店の売り子などの労働階級の女性がするような仕事は、たとえ、貧しくても、やりたくもないでしょうし、やるわけにもいかない・・・彼女らが、多少の面目を保ちながら、できるのは、学校の教師、または、ガヴァネスだったわけです。 雇い主は、最初は、貴族、上流階級の家庭であったのが、徐々に富裕になって、財を成した中流家庭も、ステータスシンボルとして、上の階級をまねて、ガヴァネスを雇うようになっていった。教える子供の年齢は、女の子は、5歳から18歳くらいまでと幅があり、男の子は、大体が学校へ行くまでの年、8歳くらいまでであったようです。教える内容は、読み書きと計算などの、基本的なものから、子供のニーズと親の野心に合わせて、フランス語、イタリア語、数学、ピアノ、ダンス、水彩画などなど。良い結婚をするために、女性としての価値を上げるための、花嫁修業的な要素の、歩き方や身のこなしなんぞもあったようです。また、キリスト教的モラルを教えることも多少要求され。 勤め先の家庭で、寝起きを共にするガヴァネスですが、雇い主から見れば、一人の雇用人ですから、家族の一員として、同等の扱いを受けることは稀、横柄な態度で扱われる事はしばしば。一方、労働階級で、大体の場合はあまり教育のない他の召使とも、違う立場の人間であるため、時には、「同じ雇用人なのに、えらそうに。面倒かけやがって。」のように、反感を買う事もあったようです。要するに、上からも下からも、完全には受け入れられず、居住する館内で、心許せる人を探すのが難しい、精神的に隔離された存在であった。「ねじの回

ねじの回転

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怪談などを集まって語り合う・・・などという事は、日本では夏に多い・・・暑い夏の夜に、怖い話を聞いて、背中をヒヤッとさせる、というわけでしょうが。欧米で、お化け話の集いは夏というより、ハロウィーンあたりからの晩秋や冬のイメージが強いです。特に、イギリスの夏などは、10時ころまでほの明るかったりするので、お化けの登場できるような真っ暗な時間が短い、というのもある! 米作家(のち、英国籍取得)の、ヘンリー・ジェイムズ(Henry James 1843-1916)著の「The Turn of the Screw」(ねじの回転)も、こうした怪談話の会合が、暖炉を囲んで、クリスマスイブに開かれているところから始まります。参加者の一人のダグラスが、かつて自分の妹の家庭教師であったが、今は亡き女性の経験談の手記を、この集まりで読んで聞かせる。自分より、10歳年上であったというその女性は、自分だけに、彼女の昔の奇怪な経験を教えてくれたということ。その手記の内容がこの物語になっており、話は、主人公の女性家庭教師により、一人称で語られます。 ざっとしたあらすじは、 舞台はイギリス、田舎の子だくさんの牧師の家に育った主人公の女性は、エセックス州の田舎にある大きな館に住む幼い兄妹(マイルズとフローラ)の面倒を見る、住み込み家庭教師の職に応募する。雇い主は、兄妹のおじで、この二人の両親が死んだあと、面倒を見ることになったが、独身で、ロンドンでのプレイボーイ風生活を楽しみ、あちこち旅行も続けたい彼は、自分を一切煩わせることなく、いちいち自分に連絡を取ることもなく、全責任を負って、田舎にいる子供たちの世話してくれるような家庭教師を探しているという。主人公は、この美男で魅力的な雇い主に心惹かれ、淡い恋心まで抱き、いささか疑念を持ちながらも、職を引き受けてしまう。以前、家庭教師をしていた女性は、急死してしまったと聞かされる。 巨大な館には、古くからの家政婦のグロス夫人と、料理人、庭師などの、ごく少ない召使たちのみ。主人公は、愛らしい少女フローラに紹介され、瞬く間にこの少女を気に入る。兄のマイルズは、寄宿学校に入っているものの、休みのために間もなく戻ってくるが、その直前、学校側からの手紙で、理由は、はっきりと書かれていないものの、他の生徒への悪影響を考え、マイルズは、退校処分にするとの通知。マイルズのよ

イギリスの中世のお祭り(メディーバル・フェア)

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 毎年、このくらいの季節になると、近くの教会(上の絵右手後方)から、Mediaeval Fayre(メディーバル・フェア、中世の市・祭り)開催のお知らせのビラが届けられます。コロナ禍のため、去年、一昨年と、2年続きで、この中世フェアは催されていなかったのですが、今年はちゃんと、やりますよ、とうれしいお知らせ。 うちの町のメディーバル・フェアは、だいたいの場合が、6月後半の土曜日の午後で、教会の敷地内に、色々な屋台が立ち、ちょっとした余興が催され、2ポンドほどの低額の入場料を取りますが、売り上げは、教会建物のメンテ、修復作業費用などに回されます。14世紀に遡る教会なので、きちんとメンテしてもらって、ずっと立っていてほしい。 主催者たちや参加者は、中世風の衣装を着て、昔ながらのフェア(市)の雰囲気を盛り上げ。ちなみに、Fayreとは、 昔の英語のスペルで、Fair(市)の事。日本語の「いち・市」に当たる言葉に、フェア(Fair)とマーケット(Market)がありますが、その違いについては、以前の記事( バーソロミューの市 )に書きましたので、ここでは省略します。もっとも、この教会のある小さい丘は、昔はマーケットが開かれていた場所でもあります。 さて、このお知らせのビラには、いつも、屋台で売るための物の寄付を募り、それを回収に来る日時の知らせも書かれています。この回収日は、いつも、週日の6時過ぎで、大体の家庭が家に帰っている時間。この寄付のお願いの記述が、ちょっと面白いので、ここに書き写してみます。 まずビラの、最初の部分に、「このメディーバル・フェアは、教会の年中行事の中でも重要な資金調達のためのイベントでもあり、教会は、他の慈善団体同様、コロナ禍での寄付金の減少に悩まされていました。とはいえ、支援してくれる方々も、物価上昇に苦しんでいる今日この頃、販売品の値段は通常と同様にしたいと思っています。」と書かれてあり、屋台で販売するものの寄付を募る部分に、 Will you please donate a bottle of wine or pop or something? Please note that goods must be within their use-by-date. ワインや清涼飲料の寄付をお願いできますか?品物は、賞味期限が切れていないものをお願いし

プラチナ・ジュビリーのパーティーとビーコン

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近所のプラチナ・ジュビリー記念ビーコン(かがり火)  イギリスは、昨日6月2日から始まった、 エリザベス女王即位70周年 を記念するプラチナ・ジュビリー・ホリデーの真っただ中ですが、バッキンガム宮殿のみならず、各地の地方自治体が、色々な催しを行っており、昨日の午後は、我が家から歩いて1分とかからない小川のわきの緑地でも、ちょっとしたコンサートと野外パーティーが催されていました。 うちのお隣さんは、クラッシックカーを所有していて、なんでもクラッシックカーは特別に緑地内に駐車を許されていたらしく、他の2台のクラッシックカーと並べて駐車し、車の中から、コンサートを眺めていました。もうすでに、3時くらいから、音楽が聞こえていたのですが、私たちは、夕食を終わらせてから、腹ごなしもかねて、のこのこ覗きに行きました。お隣さんによると、もっと早い時間には、ちょっと太りすぎのエルビスのそっくりさんなども出てきていたそうで、見栄えはともかく、なかなか上手かったなどと言っていました。なんだ、前から知ってたら、エルビス見に行ったのに・・・。 屋台などもいくつか立ち、臨時トイレなどもあり。屋台の食べ物は、いい匂いはするものの、典型的イギリスのファーストフードで、不健康そうなものばかり売っていたので、こちらは冷やかしでのぞいただけ。コンサート舞台のそばで踊る人たちなどもおり、みんな、幸せそうでした。コロナ、ウクライナ、インフレ等々、暗いニュースばかりだったところへ、ぱーっと陽光が差した感じで。 私は、今の家に住んでもう20年以上たちますが、ここの緑地で、これほどの催しが開かれたのは、初めての経験です。即位70周年・・・これが女王のジュビリーの最後になるのでは、と思う人が多いせいか、地方自治体も力をいれたのかもしれません。うちのだんななどは、75周までは大丈夫じゃないか、などと言ってますが。でも、即位75周年記念の前に、女王は100歳に達するので、そうなると、100歳のバースデー祝賀の方が先に来ますね。 宮殿前の巨木インストレーションの点灯 夜の9時半ころには、バッキンガム宮殿前に備え付けられた巨大な木のインストレーションの点灯をはじめに、イングランド各地にあるビーコンに火がともされることになっており、うちでも、隣村に常設してあるビーコンまで車で行って見てこようか、などと話していたのですが、なん

エリザベス女王のプラチナ・ジュビリー

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日本訪問中のエリザベス女王とエディンバラ公(1975年5月) コロナのロックダウンの間、お出かけがほとんどできない憂さ晴らしに、スクリーン上で日本旅行をしようと、私は、「男はつらいよ」シリーズの全作を、家で見て楽しみました。「それが、エリザベス女王と何の関係があるんじゃ?」と言わずに、まあ、読んでください。 その中の、シリーズ第15作、1975年8月公開で、浅丘ルリ子のリリーさんが2回目に登場する、「寅次郎相合い傘」の冒頭のシーンを見ている時、日本訪問中のエリザベス女王と夫君エディンバラ公フィリップ王子が、上の写真のごとく、オープンカーで手を振るテレビ画面が映し出されました。それを見ていた、おばちゃんが、(女王は)自分と同じくらいの年なのに、若く見えるという感想をのべ、さらに、ずっと立ちっぱなしで、疲れるだろうに、大変だ。それを聞いていたタコ社長が、でも、ああやって笑っているだけで、おまんま食えるなら、いい、それなら、自分だって、立ちっぱなし位我慢する、と返事。さらには、おいちゃんが、ご主人は養子だってな、とくると、おばちゃんが、おとなしそうで、うちの博さんに似ている、するとタコ社長が、それじゃ、さくらさんは、女王様だ・・・ここで、一同大笑いになる。 エリザベス女王とフィリップ王子が日本を訪問したのは、1975年5月7日から12日にかけてですので、この映画公開直前の事です。フィリップ王子は、「おとなしそう」というおばちゃんの感想とは違い、公の場で、失言や、ひんしゅくを買うようなジョークを飛ばしてしまう事で有名で、一般庶民は、色々笑わせてもらえましたが、周辺の人たちは、「何か変なことを言いやしないか」と、ひやひやものであったかもしれません。(エリザベス女王の日本訪問中の写真は、 こちら で見れます。上の写真も、当サイトより拝借しました。)この2年後の1977年は、女王在位25年を記念する、シルバー・ジュビリーと呼ばれる式典が行われていますので、日本訪問の時には、もうすでにベテラン女王だったのです。笑顔で、立ち続け、手を振り続けるのも、慣れたもので。 「エリザベス女王のダイヤモンド・ジュビリー」と題して、女王在位60周年記念の式典について、ブログポストを書いたのも、もうすでに10年前の2012年! ロンドン・オリンピック の年でしたね。なんだか、つい最近の事の様ですが。

ジェーン・オースティンの家

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ジェーン・オースティンの家の玄関を庭から望む  ハンプシャー州チョートン(Chawton)という村は、前回の記事で書いたギルバート・ホワイトの セルボーン村 から、北西に4マイルほど行ったところにあります。イギリスの女流作家ジェーン・オースティン(Jane Austen 1775-1817)が、人生の最後の8年間を過ごした場所で、彼女が住んだ家は、博物館として保存されています。 ここでジェーン・オースティンの生涯をざくっと書いておくと、 ジェーン・オースティンはハンプシャー州スティーブントンという村で牧師をしていた父の第7子として生まれます。彼女の後にもう一人男児が生まれており、きょうだいの中で、女児は、姉のカッサンドラ(母と同じ名)と彼女だけ。一家は、牧師業の他に、学校経営と農業で生計をおぎなっていたそうです。なにせ、子だくさんですから。 1783年から1786年にかけて、姉のカッサンドラと共に、オックスフォード(後にサウサンプトンへ移動)、その後は、 レディング の寄宿学校で、教育を受けます。 彼女は、スティーブントンでの生活を大変気に入っていたようで、1801年に父が引退し、職を長男に譲ると、バースへ引っ越すこととなるのですが、この時、ジェーンは、愛する地を去らねばならぬショックで卒倒したとか、しなかったとか。 1805年に、父が亡くなると、一時的にバースからサウサンプトンへ引っ越し。 彼女の兄で第3男のエドワードは、子供のいなかった裕福なナイト家という家族の養子となっており、チョートンの館(チョートン・ハウス)と土地を相続していたため、彼は、自分の敷地内にあったコテージに、母と、カッサンドラ、ジェーンを住ませる手はずを整え、1809年から、オースティン家の女性親子3人と、親しい友人マーサ・ロイド(彼女はずっと後、かなり年を取ってから、ジェーンの兄、フランシス・オースティンの後家となります)は、チョートンで、のんびりと田舎暮らしを開始。ここで、ジェーンは、「Sense and Sensibility」(知性と感性、1811年出版)と「Pride and Prejudice」(高慢と偏見、1813年出版)の原稿の手直しをし、「Mansfield Park」(マンスフィールド・パーク)、「Persuasion」( 説得 )、「Emma」(エマ)を執筆します。 ウィ

ギルバート・ホワイトのセルボーン

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 イギリスには、parson - naturalist(聖職者であり自然科学者)と称される類の人が多く存在しました。当ブログで以前紹介した、 ジョン・レイ なども、著名なparson - naturalistの一人です。神が創造したこの世界の物をよりよく理解する事に必需性を感じた・・・というのが大きな理由のようで、田舎の牧師をしながら周囲の自然を観察、研究し、博物学に従事するというパターンが多かったようです。 ハンプシャー州にある小さい村、セルボーン(Selbourne)と言うと、すぐに、そうしたparson - naturalistの代表格である、ギルバート・ホワイト(Gilbert White、 1720-1793)の名が思い浮かびます。ギルバート・ホワイトという人物が、これほどしっかりと、彼が生涯を過ごしたセルボーンと深く結びついているのは、彼の有名な著作「セルボーンの博物誌」(The Natural History of Selbourne)のおかげ。 「セルボーンの博物誌」は、ギルバート・ホワイトが、他の2人の博物学者、トマス・ペナントとデインズ・バリントン宛に書いた手紙をまとめたもので、セルボーン周辺の自然や風土の観察が細かく記載されています。手紙と言っても、挿入されているものの中には、実際は投函されなかったものも含まれているとのことですが。 この本は、1789年に出版されて以来、一度も、出版が停止したことがないそうで、小さな村の自然の記録が、ここまで名著として後まで読み継がれるというのも、不思議な現象です。現在のイギリス自然科学者、博物者などでも、ギルバート・ホワイトを読んで、周辺の自然観察にめざめたなどと言う人は多いようですし。本内では、自分の観察や、経験の他にも、幾度か、ジョン・レイや、 カール・フォン・リンネ などにも言及、引用しています。 「セルボーン博物誌」に記述されている鳥やら小動物、植物の生態の描写などを読みながら、あ、そうそう、と納得するところもあり、本を手に取った時は、途中でつまらなくなるかな、と半信半疑で読み始めたものの、最後まで飽きずに読み切りました。 チャールズ・ダーウィン も、 みみずの研究 などを行っていましたが、ギルバート・ホワイトは、ダーウィンよりずっと以前に、みみずの自然生態に占める大切さに着目しています。または、動植