ガヴァネス(女家庭教師)

前回のポストに書いた、ヘンリー・ジェームズの小説、「ねじの回転」の主人公は、住み込みの女性家庭教師でしたが、この職業は、英語で言うと「Governess ガヴァネス」。ビクトリア朝のイギリス小説、または、この時代のイギリスを舞台にした小説には、よくこのガヴァネスが登場します。一番有名なところで、シャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」(Jane Eyre 1847年出版)ですかね。

どういう人物が、このガヴァネスという仕事についたのか。中年のガヴァネスもいたものの、大体の場合が、教育のある中流の若い女性で、何かの事情で、家計が苦しくなり、外に出て金を稼ぐ必要があった人物。貴婦人(レイディー)が外に出て働くという事が、蔑視されていた時代、一般の召使、店の売り子などの労働階級の女性がするような仕事は、たとえ、貧しくても、やりたくもないでしょうし、やるわけにもいかない・・・彼女らが、多少の面目を保ちながら、できるのは、学校の教師、または、ガヴァネスだったわけです。

雇い主は、最初は、貴族、上流階級の家庭であったのが、徐々に富裕になって、財を成した中流家庭も、ステータスシンボルとして、上の階級をまねて、ガヴァネスを雇うようになっていった。教える子供の年齢は、女の子は、5歳から18歳くらいまでと幅があり、男の子は、大体が学校へ行くまでの年、8歳くらいまでであったようです。教える内容は、読み書きと計算などの、基本的なものから、子供のニーズと親の野心に合わせて、フランス語、イタリア語、数学、ピアノ、ダンス、水彩画などなど。良い結婚をするために、女性としての価値を上げるための、花嫁修業的な要素の、歩き方や身のこなしなんぞもあったようです。また、キリスト教的モラルを教えることも多少要求され。

勤め先の家庭で、寝起きを共にするガヴァネスですが、雇い主から見れば、一人の雇用人ですから、家族の一員として、同等の扱いを受けることは稀、横柄な態度で扱われる事はしばしば。一方、労働階級で、大体の場合はあまり教育のない他の召使とも、違う立場の人間であるため、時には、「同じ雇用人なのに、えらそうに。面倒かけやがって。」のように、反感を買う事もあったようです。要するに、上からも下からも、完全には受け入れられず、居住する館内で、心許せる人を探すのが難しい、精神的に隔離された存在であった。「ねじの回転」では、主人公の前にガヴァネスをしていた女性が、召使の男と関係を持ってしまうという設定ですが、これは、一応は中流の身分のガヴァネスとしては、スキャンダラスな行動であったわけでしょう。

理解ある雇い主のもと、お行儀のよい良い子たちを、教えることができる、というのは運が必要。生意気で、わがまま、おバカな子供に悪戦苦闘し、雇用主の手前文句も言えないということは多々あったようです。

一番上に載せた絵は、ヴィクトリア朝のリチャード・レッドグレイブ(Richard Redgrave)という画家による、そうしたガヴァネスの孤独を表現した絵で、そのタイトルも「The Governess」(1844年)。右手奥で、教え子たちが楽しそうに笑いさざめく中、ガヴァネスが、手紙を手に、メランコリーにふけっている。この手紙は黒で縁取られており、家族の誰かの死を知らせたものではないかという事。訃報を受け取り、家から離れたまま、誰とも心中を語り合うこともできないという、彼女の孤独な状況が描かれています。

「ねじの回転」の主人公同様、シャーロット、エミリー、アン・ブロンテ姉妹は、父が、金欠の牧師であったため、全員、学校の教師や、ガヴァネスとして働いた経験を持ちます。時代は少し遡りますが、やはり、さほど裕福とは言えなかった牧師の娘であったジェーン・オースティンは、幸運にも、ブロンテ姉妹のように、教師などをして、外で働くはめになる事はなく、父の死後も、裕福な兄にも助けられて、結婚せずに、母と姉と共に、それなりの暮らしをすることができたのですが。

アン・ブロンテ著の「アグネス・グレイ」(Agnes Grey 1847年出版)は、特に、半自伝などともいわれ、彼女がガヴァネスとして働いた時の体験が、かなり忠実に盛り込まれています。アグネスは、貧しい牧師を父とし、家計を助けるため、両親の反対にもかかわらず、2つの家庭でガヴァネスとして働く。特に、アグネスが勤めた最初の家庭などは、かなりひどいもので、私だったら、1週間とはもたないですね。後半の方で、彼女の恋愛に焦点が移っていき、やがて、父が亡くなると、アグネスは、機知と行動力にとんだ母と共に、自分たちで学校を開き、彼女は愛する人とも結ばれ、めでたしめでたしとなるのですが。ところどころ、説教臭い部分があるのが玉に瑕ですが、実際に、この時代のガヴァネス達が、どういう状況で、どういう思いで生活したかのかなど、ガヴァネスの日常に興味がある人には、「ジェーン・エア」より実感がわくのではないかと思います。ドラマ性は「ジェーン・エア」の方が高いですが、ロチェスターのような雇い主は、まず、ほどんど、いなかったでしょうから。

これは余談となりますが、「アグネス・グレイ」の最初の家庭での男の子の動物に対する残酷さは、「え!?」っと思うものがありました。小鳥の巣を見つけては、小さなひなの体をちぎるなどして苦しめながら殺す残虐さ。これがまた、彼のおじによって、奨励されているという。見かねたアグネスが、そんなむごい殺し方をするなら、一息に殺してあげるのが慈悲だと、巣の上に巨石を落として、一気に、ひなをみな殺してしまうというシーンは、小説中、一番印象に残るところです。また、他の人物が、平気で犬なども打ったり蹴ったりするという描写があり、生き物に対する暴力を何とも思わない事に対する批判も含まれているようです。さすがに、アグネスは打ったり蹴ったりされませんが、身分や立場が下の者を邪険に扱うという行動の、根本にある心理は似たようなものではないのかと。

イギリスだけに限らず、かつて、教養のある女性が、家計を助けるために、婚前にする仕事というと、どうしても、学校の教師、住み込み家庭教師が主となったのでしょう。カナダでは、「赤毛のアン」も、一時、先生になりますし、アメリカの開拓時代を描いたローラ・インガルス・ワイルダーも「この楽しき日々」で、家から離れたところに住み込みをして、その近くの学校で働いた時の大変な経験を描いていました。

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