赤毛のアン(Anne of Green Gables)

日本語では「赤毛のアン」として知られる物語は、カナダの女流作家、ルーシー・モード・モンゴメリーによる、「Anne of Green Gables」(グリーン・ゲーブルズのアン、緑の破風のアン)。男の子を養子にするつもりだった夫婦が、間違いで女の子を養子にもらってしまった、という実際のニュース記事が物語のアイデアに一役買ったようです。また、「若草の祈り(レールウェイ・チルドレン)」作家であるイーディス・ネズビットの写真が、アンという女の子のイメージ作りに役立ったとか。

物語の始まりは、6月の果樹の花が咲き誇るカナダはプリンスエドワード島。6月にりんごの花や桜(チェリー)の花、ライラックが満開という事は、イギリスより、1ヶ月遅く春が来る感じです。

島内のアヴォンリーという地域にあるグリーン・ゲーブルズと呼ばれる家に住むのは、共に独身の年配のきょうだい、マリラ・カスパードとマシュー・カスパード。60歳のマシューの農場での手助けになるように、二人は、ノバスコシア州の孤児院から男の子をもらう計画を立てていた。ところが、マシューが馬車に乗り、駅まで、この孤児を迎えにいってみると、駅で待っていたのは、女の子だった・・・。この少女が、11歳の赤毛の孤児アン・シャーリー。

アンの顔は、目と口がとても大きく、あごがちょいと尖っており、赤毛でそばかす。灰色の目は、光のかげんで緑にも見えるという描写。物語の後半では、そばかすは徐々に消えていき、髪も少々赤みがおさまり、背がすらりとたかくなるとあります。駅で待っていたアンが、抱えて持っていたのは、ハンドルが取れかかったカーペット・バッグ。カーペット・バッグは、ビクトリア、エドワード朝時代にちょっとした旅行バッグとしてよく使われていたのでしょう。他にも、この時代を舞台にした小説に出てきたのを覚えています。形としては、大型のハンドル付のがま口、といったところで、トルコのカーペットにでも使うようなパターンの厚い布地でできています。おっと、脱線・・・話を戻します。

人見知りで大人しいマシューは、アンに間違いを告げることができず、そのままアンを家まで連れ帰る。その間、夢見がちでお喋りのアンは、美しい島の風景に大はしゃぎし、常時マシューに話しかけ、マシューは、この赤毛ちゃんを気に入ってしまう。頑固なマリラは、最初はアンを返して、男の子をもらいなおすつもりでいたのが、アンの過去と境遇に同情心を揺らされ、最終的に引き取って育てる事に。こうして始まる、アンのプリンス・エドワード島での生活。アンを主人公にしたシリーズでは、この最初の本は、アンが11歳から16歳までの出来事。

アンは、すぐに、近くに住む愛らしい少女ダイアナと親友となり、学校へも通い始め。学校では、優等生のギルバートに「ニンジン」とからかわれ、ギルバートの頭を、当時ノート代わりに使われていた小石版で思いっきり打倒。以来、アンの、ギルバートへのライバル意識は燃え上がり、2人は常時、成績の1,2を競う事に。この物語の終わりには、この2人の間に暖かい友情が生まれ、後のシリーズで、ロマンスへ、そして結婚へと繋がるわけですが。

他のおなじみ有名エピソードは、屋根のてっぺんを歩き、転がり落ちる話、旅の行商人から、髪を黒く染める染料を買ったところ、髪の色が緑に変色してしまった話、などなど。

本で読んで拾い集めた、大人びた表現を使うのが好きなアン、親友もkindred spirit(同じような魂) を持った、a bosom friend(心の友)なら、自分の所有品のことは、all my worldly goods(この世にある、私の全ての持ち物)であり、そして、彼女にとって大切なのは、 scope for imagination(想像の余地)。駅で迎えを待っているときにも、駅員に、待合室にいるよりも、外の方が想像の余地があるからいい、と外でマシューを待っていたのです。

名セリフも沢山ありますが、その中でも、可笑しくて気に入っているのは、

I read in a book once that a rose by any other name would smell as sweet, but I've never been able to believe it. I don't believe a rose would be as nice if it was called a thistle or a skunk-cabbage.
私、前に本で、薔薇は、他の名で呼ばれたとしても、同じように甘い香りがするだろうって読んだ事あるけれど、そんな事、どうしても、信じられなかったわ。だって、もし、薔薇が、あざみとか、スカンクキャベツとか呼ばれていたら、素敵だと思えないもの。

また、髪を緑に染めてしまった際に嘆きながらいわく

O, what a tangled web we weave,
When first we practice to deceive!
ああ、人は、何と入り組んだ蜘蛛の巣を織り上げる事か、
初めて欺く事を試みる時!

上の「薔薇の花はどんな名でも同じ香り」は、ロミオとジュリエットからの引用で、「蜘蛛の巣」の方は、スコットランドの作家ウォルター・スコットの詩「Marmion」からの引用です。両方とも、現在でも時に引用されますが、文学少女のおしゃまなアンも当然、知っていたわけです。

この他、アンの文学少女ぶりがうかがえるのは、学校で習ったアルフレッド・テニスンの詩、ランセロットとイレーン(Lancelot and Elaine)の1シーンを実演する試み。ランセロットへのかなわぬ恋に傷心し死んでしまったイレーンの遺体が、小さなボートに乗せられて、アーサー王やランセロットの住むキャメロットへ流れていくシーンを、友達と一緒に再現しようといういうもの。アンは、イレーン役を引き受け、小船に横たわって川へ押し出されたはいいが、小船が水漏れし沈没。橋げたにつかまり助けを待つうちに、ボートで通りかかった、天敵ギルバートに救助される・・・というエピソードがありました。

In her right hand the lily, in her left
The letter--all her bright hair streaming down--
And all the coverlid was cloth of gold
Drawn to her waist, and she herself in white
All but her face, and that clear-featured face
Was lovely, for she did not seem as dead,
But fast asleep, and lay as though she smiled

(イレーンの)右手にはゆりの花、左手には手紙
彼女の髪は輝く流れのごとく
腰まで被さる黄金の覆い布
彼女は白に身を包み
くっきりとした顔立ちは美しく
死人のそれとも思えない
ただ眠っているように、そうして微笑みながら横たわっているように

このランセロットとイレーンの話は、テニスンの別の詩、「レイディー・オブ・シャロット」のインスピレーションにもなっています。なぜか、このシーンは、シェイクスピアのハムレットのオフェリアが溺れていくシーンだと勘違いしている日本の人が多いようです・・・。オフェリアではありませんので、悪しからず。

この時代に、男の子と女の子が同じような教育の機会が与えられていたとは、カナダ、なかなかすすんでいた感じです。もちろん、ダイアナの両親の様に、女の子に必要以上の教育は要らないと、高等教育に行かせない人もいたわけですが、「女の子だから・・・花嫁修業」なんていう親は、今の時代でも、いるかもしれません。ただ、マシューは、アンが、優等生となったのがうれしくて、男の子を引き取ればよかったと後悔することなく、死ぬまでアンをかわいがるのです。

カスパード家が預金をしていた銀行の倒産、マシューの突然の死、目が悪くなってきたマリラ・・・と災いが降りかかった時、アンは、マリラの手助けとなるように、更なる高等教育を受けるのを一時的に諦め、グリーン・ゲーブルズにとどまり、家の手伝いをしながら学校で教える決心をするところで、第1作目はおしまい。自分の進む道は一直線に目の前に広がっていると思っていたところへ、引き続いての災難に合い、「私の将来に曲がり道ができた。その先に何があるかわからないけれど、きっと何か良いことが待っている。そして曲がり道にはそれなりの魅力がある。」と言えるのは、アンの若さの証拠でしょうか。それとも、50、60のおじさん、おばさんになってから、人生の見直しを余儀なくされた時でも、アン風楽観性格であれば、なんとか荒波を乗り越えることができるのか・・・。そしてまた、「進む道が狭くても、道の両側にはきっと花が咲いているだろう」と思うことができたら、それは幸せなことです。

子供に良い教育を与えるのは、後の投資ともいえますが、マシューとマリラの場合には、アンに与えた教育と愛情の投資が、しっかり、おつりつきで戻ってきたわけです。この本、女性も教養教育が必要である、というテーマも流れている気がします。ただ、教養を受けた女性の職業は、まだまだ限られていたのでしょうね。なんだか、みんな、先生になる・・・しかなかったような。

また、アンはただのがり勉少女ではなく、ファッションにも一応興味を示して、この当時流行ったらしい、パフ・スリーブ(ちょうちん袖)のドレスが欲しくて欲しくて、自分がパフ・スリーブのドレスを着る前に、流行が去ってしまうのではと心配で仕方がない。ところが、実用的なマリラは、ちょうちん袖など、布地の無駄使いだし、虚栄心を煽ると感じるので、なかなか作ってくれない。マリラいわく「昨今のちょうちん袖が、段々馬鹿げた大きさになっている事ときたら。今はちょうちんどころか、巨大風船じゃない。来年になったら、ドアは体を横にしないと通れないような大きさになるわよ。」最終的に、アンに甘いマシューは、近くに住むおせっかいおばさん、レーチェル・リンドに頼んで、アンのクリスマスプレゼント用にちょうちん袖ドレスを作ってもらいプレゼントするのです。

自分の名前が、ロマンチックでないのも少々不満で、本当はコーディリアとか呼ばれたかった。また、アンのスペルも、「Ann」と綴られるが嫌で、初めて紹介された人には、「Anne spelled with an E.」(eが後ろに付くアン)と、念を押す彼女。

プリンス・エドワード島の歴史政治背景にちょいと触れてみましょう。カナダ(よってプリンス・エドワード島)は、フレンチ・インディアン戦争後のパリ条約にて、1763年、フランスからイギリスの手にわたり、プリンス・エドワード島のエドワードは、時のイギリス国王ジョージ3世の4男坊(ビクトリア女王のお父さん)の名前です。主要の町シャーロット・タウンのシャーロットはジョージの妃であったシャーロット女王から。

物語が書かれた1907年は、エドワード朝ですが、アンが、ビクトリア女王の誕生日に触れている会話があるところから、設定は、少々前の、ビクトリアがまだ生きている時代のようです。アンは、自分のことを「ロイヤリスト」(イギリスとその王室に忠実な人間)などと称している上、学校での教育にイギリスの桂冠詩人であったアルフレッド・テニスンの詩等が組み込まれているなどと、当時のカナダは、まだまだマザーカントリーであるイギリスとの絆は強かったのでしょう。

本の中、マシューとマリラは保守党支持で、彼らの宗教は、プロスビテリアン(カルビン派プロテスタント)。当時のカナダの保守党(コンサーバティブ)は、イギリス帝国との絆を重んじ、相対するリベラル(グリットとも呼ばれる)は、大英帝国より、お隣さんの合衆国に目をむけ、合衆国との自由貿易を解き、英国からのカナダの政治的独立を説いていたそうです。カナダの保守党は、イギリスの保守党と同じく、時にトーリーとも称されています。この物語の際は、首相は保守党で、プリンス・エドワード島にやって来た首相のスピーチを、アヴォンリーの住人達が聞きに行くというエピソードがありました。アンは、マシューが保守党なら、私もと保守党支持。それに憎きギルバートの家がリベラル支持なので、それに対抗して尚更。レーチェル・リンドもリベラルで、「このままではカナダはだめになる。女性に選挙権が与えられれば、もっと進歩が望めるのに。」という意見。

なお、プリンス・エドワード島は、スコットランドからの移民者が多かったらしく、今でもルーツを辿るとスコットランド人、という人が島民の半分近くという話です。スコットランド外で、最もスコットランド系の人間の割合が多い場所だとか。マシューが死んでしまった後、アンがお墓に、マシューが大好きだった白バラの株を移して植えるのですが、このバラは、もともと、昔、マシューのお母さんがスコットランドから持ってきたものだという説明があったので、彼らもスコットランド系です。また、アンは島生まれではないですが、赤毛、ということは、やはり赤毛が多いスコットランドがルーツでしょうか。

「赤毛のアン」の1985年のカナダのテレビシリーズは、なかなかよかったです。原作にも比較的忠実で、アンも、他のキャストもあっていると思うし、風景、家、コスチュームも本で想像した通りの感じ。撮影は、今では、アンの時代の雰囲気を見つけるのが難しいというプリンス・エドワード島ではなく、カナダのオンタリオ州で行ったという話なのですが。ただし、成功した番組の常で、これも、続編などを作ってしまい、続編の方は、話を、原作から大幅に変えてあり、いまひとつです。残念。

以前、「アン女王のレース」という投稿で、イギリスのカウ・パセリと称される白い花をつける背の高い雑草は、繊細な白い花がレースに似ていることから、アン女王のレースとも呼ばれる・・・という事を書きましたが、カナダにも、この「アン女王のレース」と呼ばれている花があり、映画の中で、ちょっとだけ言及されていました、ラテン名、「Daucus carota」、一般的にワイルド・キャロット(野生ニンジン)と呼ばれる、こちらのカウ・パセリとは、ちょっと違う植物です。

映画の冒頭で、アンは、テニスンの詩「レーディー・オブ・シャロット」を暗証しています。ボート沈没のシーンでも、暗誦する詩は、「ランセロットとイレーン」ではなく、「レーディー・オブ・シャロット」の方。おそらく、現代では、こちらの詩の方が知名度が高いから、というはからいではないかと思います。

原題:Anne of Green Gables
監督:Kevin Sullivan
言語:英語
1985年

さて、今年の6月2日は、エリザベス女王の戴冠式60周年記念でした。エリザベス2世の即位は、1952年の2月でしたが、戴冠式は、1年以上たった1953年の6月に行われたわけです。1953年の段階で、まだ、とてもイギリスとその王室への愛着が強かったカナダは、このテレビ放送を、ぜひ、同じ日(6月2日)に放送して、国民に見せたかったのが、何せ、まだテクノロジーがさほど発達していない時代のこと。イギリスでの戴冠式の録画の直後、録画フィルムを飛行機で即座にカナダにもって行き、時差を利用してなんとか、同日放送にこぎつけたという話を聞きました。カナダは、今もイギリス連邦(コモンウェルス)の大切なメンバーです。

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