ねじの回転

怪談などを集まって語り合う・・・などという事は、日本では夏に多い・・・暑い夏の夜に、怖い話を聞いて、背中をヒヤッとさせる、というわけでしょうが。欧米で、お化け話の集いは夏というより、ハロウィーンあたりからの晩秋や冬のイメージが強いです。特に、イギリスの夏などは、10時ころまでほの明るかったりするので、お化けの登場できるような真っ暗な時間が短い、というのもある!

米作家(のち、英国籍取得)の、ヘンリー・ジェイムズ(Henry James 1843-1916)著の「The Turn of the Screw」(ねじの回転)も、こうした怪談話の会合が、暖炉を囲んで、クリスマスイブに開かれているところから始まります。参加者の一人のダグラスが、かつて自分の妹の家庭教師であったが、今は亡き女性の経験談の手記を、この集まりで読んで聞かせる。自分より、10歳年上であったというその女性は、自分だけに、彼女の昔の奇怪な経験を教えてくれたということ。その手記の内容がこの物語になっており、話は、主人公の女性家庭教師により、一人称で語られます。

ざっとしたあらすじは、

舞台はイギリス、田舎の子だくさんの牧師の家に育った主人公の女性は、エセックス州の田舎にある大きな館に住む幼い兄妹(マイルズとフローラ)の面倒を見る、住み込み家庭教師の職に応募する。雇い主は、兄妹のおじで、この二人の両親が死んだあと、面倒を見ることになったが、独身で、ロンドンでのプレイボーイ風生活を楽しみ、あちこち旅行も続けたい彼は、自分を一切煩わせることなく、いちいち自分に連絡を取ることもなく、全責任を負って、田舎にいる子供たちの世話してくれるような家庭教師を探しているという。主人公は、この美男で魅力的な雇い主に心惹かれ、淡い恋心まで抱き、いささか疑念を持ちながらも、職を引き受けてしまう。以前、家庭教師をしていた女性は、急死してしまったと聞かされる。

巨大な館には、古くからの家政婦のグロス夫人と、料理人、庭師などの、ごく少ない召使たちのみ。主人公は、愛らしい少女フローラに紹介され、瞬く間にこの少女を気に入る。兄のマイルズは、寄宿学校に入っているものの、休みのために間もなく戻ってくるが、その直前、学校側からの手紙で、理由は、はっきりと書かれていないものの、他の生徒への悪影響を考え、マイルズは、退校処分にするとの通知。マイルズのような素晴らしい小さな紳士が、そんな処分を受けるわけがないと言いはるグロス夫人。また主人公も、学校から戻ったマイルズの、フローラに勝るとも劣らない美しい容姿と魅力的な立ち居振る舞いに、魅了され、学校からの通知の不可解な意味に困惑を感じる。

そのうちに、主人公は、今まで見たこともない男、時に、女がじっとこちらを観察しているような姿を敷地内に見るようになる。やがて、男は、かつてのこの家の切り盛りを任されていた、素行も悪く、性格も芳しくなかったというクイント、女は以前の家庭教師ミス・ジェスルだとわかる。両者は恋愛関係にあったようで、前者は、居酒屋から館に戻る道路で滑って頭を打ち事故死。クイントの死後に、後者が、どうやって死んだかは定かではありません。この二人は、生前、子供たちと親しくし、悪影響を与えていた・・・と。

一見無邪気な天使の様なフローラとマイルズが、幽霊の存在を知っており、自分を欺き、それを自分から隠していると感じた主人公は、なんとかして、子供たちを、幽霊の悪影響と危害から解き放とうとするのだが・・・。ここから、平穏な外観とは別に、裏で、子供たちと彼女の知恵比べのようなものの展開も。

ある日、自分の目をすり抜け、池のほとりへ一人で出かけて行ったフローラを見つけ、主人公は、フローラがミス・ジェスルの幽霊と語らっていたと確信し、フローラに事実を追求。フローラは、「ミス・ジェスルなどとは会っていない。あなたは残酷だ。」と否定し、フローラはもう二度と主人公と会いたくないと、泣きながら、グロス夫人に連れられて館に戻り、翌朝、グロス夫人とフローラは、叔父のもとへと館を去る。

主人公はマイルズと館に残ったのを機に、今度は、彼と対峙して、学校の退校処分の理由と、クイントの幽霊と会っていた事などを認めさせ、すべての真実を彼から引き出そうと決心する。それがまた、マイルズを救う道だと信じ。その夜、クイントの幽霊が二人の前に現れる。主人公は、マイルズの口からクイントの名を言わせ、その存在を認めさせると、もう大丈夫だ、これで幽霊の威力は効かない、と、倒れ掛かったマイルズを腕に抱き取とめる。が、マイルズを覗き見ると、彼の息絶えていた。

とまあ、なんだか、わかったようなわからないような話。生前の幽霊の二人が、子供たちにどこまで、どんな影響を与えていたのか、明らかでない上、マイルズが退校処分にあった理由なども、最後の方で、マイルズの口から、「友達幾人かに、僕が言ったことが原因だ」のような事が語られながらも、実際、何を言ったのかは書かれていない。

だいたい、主人公が目撃したのは、本当に幽霊だったのか、それとも彼女の見た幻影だったのか、というのも未だ、議論の対象となっているようです。主人公は、恋心を抱いていた雇い主(面接の時に2回あっただけの人物)への信頼に応えるべく、必要以上に、彼との血縁でもあり、彼と同様美しく魅力的な子供たちの素行に神経をとがらせ、彼らの無垢に何かしらの傷を負わせるような物を取り除こうと必死になり、子供たちを引きずり落とす悪の権化として、2人の幽霊を幻影として見るに至ったのではないかという考え方もできます。マイルズの学校の退校処分の事も、手間をかけぬという約束を守るため、雇い主には知らせずにいたくらいですから。でも、それでは、マイルズは何で死んだのか・・・というのはありますけどね。マイルズの心臓は止まっていた・・・というところで、小説は終わっているので。

タイトルの「ねじの回転」というのは、冒頭で、怪談話の参加者の一人が、子供が出てくると、怪談話のねじにひとひねり入る感じがする、という言葉から取られており、また、クライマックスで、主人公が、マイルズと対峙する前の心の準備として、色々、考えを整理している際に、自分のしようとしていることが、どんなに自然に反することであっても、普通の人間の持つ道徳のねじを締める(回転させる)事である・・・と感想を述べる部分にも出てきます。

ともあれ、かなり頻繁にテレビやラジオなどでもドラマ化されたり、話題としてとりあげられたりとしている物語です。テレビのドラマでも一度見た記憶がありますが、

1961年の、デボラ・カー主演で映画化された「The Innocents」(直訳は「無垢な者たち」、邦題は「回転」)が、とても良いです。以前、私も訪れた事がある、シェフィールド・パーク・ガーデンの庭園と館が、ロケ先として使われています。映画の最初に使われ、また途中なんども子供たちによって歌われる、ちょっと怖いような、ちょっと懐かしいようなメロディーも雰囲気もりあげ。

白黒ですが、画像は美しく、内側からこぼれ出そうな熱情を、なんとか禁欲的に宗教心と自制心のオブラートで包みこもうとするデボラ・カーの姿も、小説内の主人公の困惑と葛藤をよく表現している気がしました。

映画は、原作より、幽霊というものの存在をもっと強く出している感じがし、原作では死因がはっきりしていないミス・ジェスルは、クイントの死に耐えられず、池で自殺したことになっています。それでも、私は、幽霊映画としては、さほど恐ろしいとは感じませんでした。もともと、トイレに夜中起きるのも怖くなるような恐怖映画を見たいとは思わない方ですし。ので、夏の夜にひやりとしたものを求める人には、怖さは足りないかもしれません。

以前のグログ・ポストに、やはりヘンリー・ジェームズ著の「ワシントン・スクエア」をもとにした映画「女相続人」の事を書きましたが、これも、いい映画で、クラッシック映画ファンには、合わせておすすめです。

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