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5月, 2015の投稿を表示しています

チャイブの花

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チャイブ(Chive、学名:Allium schoenoprasum)。 チャイブという名は、もとはラテン語のcepa(玉ねぎ)から由来したもの。アリウム属に入るこのハーブの、細く尖った葉っぱは、確かに、ねぎ、ガーリック系の味。大昔は、食用の他にも、抗菌性があるとかで、葉を傷口に貼り付けたりしていたそうです。そういえば、うちの母親は、学友で、風邪をひいて喉を痛めるたびに、首に、長ねぎを巻きつけていている子がいて、臭かった、などと言っていましたっけ。似たようなものですか。 チャイブの葉は、細かくきざんで、サラダ、スープの上に散らしたり、クリーミーな風味の料理や、オムレツ、カッテージチーズなどに混ぜたりして使用されます。ビタミンAとCを含むそうですが、調理加熱すると、風味がなくなるので、できるだけ、摘んだらすぐに、はさみなどで、ちょんちょんと細かく切って、そのまま使うのがベストです。お味噌汁の上に散らしたりするのも、ネギよりほのかな味なので、いけます。 数年前に、チャイブの葉っぱのニオイを、なめくじが嫌がり、チャイブの植えてある周辺には近寄らない、という話を聞いてから、一袋タネを購入し、発芽させ育て始めました。今年の春は、根分けをして、株数を増やし、花壇のあちらこちらに植えてあります。実際のところ、なめくじ効果は、イマイチという気もしますが、もちろん、ちょっとしたねぎ風味が欲しいときには便利です。 チャイブの根分けは、本当は、秋が良いようです。冬が来る前に、葉をぎりぎりまで刈り込んで、根分けをし、植木鉢に移し、暖かめの場所や、グリーンハウス内に置いて、時々水遣りしておくと、翌春の成長が早く始まる・・・という記事を園芸雑誌で読みました。去年までは、秋冬は放ったらかしだったので、今年は、この方法をちょっと試してみようかなと考えています。ちなみに、根分けは、大きくなってしまった株を掘り起こし、両手でばりばりっと分けるのが一番で、ナイフやはさみなどは使わぬほうが良いという事。 なんと言っても、チャイブの魅力は、 ガーデン用アリウム の小型版と言った、可愛いピンクのぽんぽん花。今年も、咲き始めました。蜂達にも大好評の花です。 チャイブは、葉だけでなく、この花も食べられるのです。サラダの上に、何個かのせると、ちょっと綺麗ですしね。ただし、チャイブの花、見

空き瓶は捨てたものじゃない

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去年の秋口、「もう、ガーデニングなんて、いいや、毎年同じ事の繰り返しで、面倒なだけ。」などと、ちらりと思っていたのに、花壇の花たちが、ぐんぐんと育って、開花していく季節になると、「やっぱり、せっかく大きめの庭があるのだから、がんばってガーデンニングしないと。」沢山咲いた花を、朝、庭に出て、切花するのも楽しみですから。 そうして、あっちの花、こっちの花、ちょいちょい切花をしながら、ふと考えてみると、うちには、いわゆる花瓶というものは、一個しかないのです。かなり大き目の花瓶で、外から買ってきた大型の花をどかーんと入れるのに、時々使うくらい。あとは、庭の花を飾るには、ガラスのコップ、コーヒーポット、飲物ジャグ、マグカップなど、切った花の大きさに合わせて、水が入るものを、なんでも使用。そして、もちろん、空き瓶も。 リサイクルの場所に持って行くために、冷蔵庫の脇に常時ためてある空き瓶たち。ちょいといい感じのラベルがついたものは、結構、花瓶として使ってみるとサマになるのです。シックなラベルの チップトリー ジャムの空き瓶はもちろん、 蜂 の絵のラベルが付いた、はちみつの空き瓶などは、花を飾るのに、イメージぴったりですし。背の高いもの、寸胴なものと、形もいろいろあるので、切った花の背丈やボリュームに合わせて、適当なものを探すのも簡単。小型のビールびんなども、一輪挿しに使えそう。ラベルが擦り切れてきたら、リサイクルに持って行けば良いだけの話で、中身を使い果たした、別の空き瓶も常時出てくるわけですし。 空き瓶は捨てたものじゃない・・・と改めて思ったのです。

スキポール空港の男性トイレとナッジ・セオリー

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今朝、だんなと、アムステルダムのスキポール(Schiphol)空港の話をしていた時、彼いわく、「スキポールの男性トイレの小便器には、ハエの絵が描かれてるんだ、知っちょるか?」何でも、このハエの絵は、小便が消えて行く穴の、左斜めやや上に彫られていて、男性諸侯は、オシッコをする時に、無意識に、このハエめがけて発射するのだそうです。よって、このトイレを設置してから、小便器のあちらこちらに、オシッコが飛ばなくなり、黄色のしみが、便器のいたるところに付着する事も減り、床に飛び散る事も減り、掃除が大層ラクになったのだそうです。なんでも、床へのおしっこ飛び散り率は、ハエの絵導入後、80%減少。個人宅ならともかく、大勢が使用するトイレでは、かなり意義ある結果です。 このスキポール空港男子小便器のハエ作戦のように、強いることなく、良い方向に人間の行動を持っていくような工夫を、「ナッジ・セオリー」(Nudge theory)と言うのじゃ、と、だんなは偉そうに締めくくりました。 「nudge」とは、英語で、「(肘などで、ちょいちょいと)つつく、つつく事」を意味し、更には、「(肘でつつくようにして、相手を)うながす、うながす事」の意味にも使われます。最近、行動経済学で話題になっているという、「ナッジ・セオリー」とは、あれしろこれしろと強制的に物事をやらせたり、良くないと思われることを闇雲に禁止するのではなく、他人に選択の自由を残しておきながらも、個人のために、社会全般のために、有益であろうと思われる方向へ、人間の行動を「うながす」工夫。 たとえば、学校の食堂などで、生徒達に健康的な食事を取って欲しい場合は、野菜果物などを、目に付きやすい場所に置くなどもナッジ。人間、スーパーや、セルフサービスの食堂で、同じ品揃えであっても、配列の仕方によって購入するものが違ってくるという傾向があるのだそうです。よって、選択肢はまったく同じであるのに、配列の工夫で、生徒や消費者が、健康に良いものに手を伸ばす確立を上げる事ができるというわけ。 臓器提供者の数が少なく困っている場合は、政府が、死後の臓器提供は、自分からすすんで、やりたくないと申し出ない限りは、自動的に行われる様にするという方針を取る事もナッジ。人間、基本的になまけ癖はあるので、たとえ、自由に変更できても、すでに設置設定してある

炭酸水(スパークリングウォーター)

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日本のレストランに行くと、お水とお手拭などを無料サービスで出してくれますが、イギリスのレストランでは、お水は有料。水道水を無料で出してくれるレストランも無いので、水が飲みたければ、ボトル入りのミネラル・ウォーターを注文する事となります。その際に、聞かれるのが、 「Still or Sparkling?」 Still Water(直訳:静かな水)は、普通のミネラル・ウォーター。 Sparkling Water(直訳:生き生きした水)は、二酸化炭素入りの、いわゆる炭酸水です。大陸ヨーロッパのレストランでも、水を注文すると、「ガス入りか?ガス無しか?」と聞かれるのではないでしょうか。うちは、炭酸水の方が好きなので、ボトル入りのスパークリングウォーターを、常時、半ダースくらい買いだめしてあります。外食の時の飲み物も、ほとんどスパークリングウォーターです。スパークリングウォーターが、身体に悪いなどという話も、徘徊したりしていましたが、これは、ガセネタのようで、スティルウォーターもスパークリングウォーターも、特に健康の向上や悪化には、関係ないようです。口の中でしゅわしゅわっとなる感覚の好きな人は、歯が解けるだとか、胃に穴が開くだとかの心配をせずに、スパークリングウォーターを飲んでも大丈夫。英語で炭酸水は、以前は、Soda Waterなどと呼ばれていた事もあり、他に、 Carbonated Waterとも呼ばれることもありますが、レストランでは、スパークリングウォーターと言って、注文しましょう。 炭酸水を始めて作り、これを飲むとおいしいぞ、と気がついたのは、前回の「 酸素の発見 」の記事でも言及したジョセフ・プリーストリーなのです。彼は、酸素を発見する前に、すでに、このぶくぶくの入った水で名をなして、ヨーロッパでも有名になっていたと言います。 1767年に、リーズに住んでいたジョセフ・プリーストリーのお隣さんは、ビール醸造所。そこで、プリーストリーは、醸造の際に発生するガスを集めて、色々実験を行ったのです。ガスのそばに火を近づけると消える、ガスの中のネズミは死ぬ・・・などなど。このガスは、当然、二酸化炭素だったわけですが、二酸化炭素は、すでにスコットランドの化学者、ジョゼフ・ブラック(Joseph Black)により、1750年代に発見、研究しており、「Fix

酸素の発見

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酸素を初めて発見したのは、今では、1771年、スウェーデン人薬剤師カール・ウィルヘルム・シェーレとされています。彼は、この気体の中で、火が良く燃える事から「火の空気」と呼ぶのですが、発見をすぐに学会に発表せず、しかも、実験結果を、スウェーデン語のみで記載。よって、彼の発見は、長い間見過ごされてしまっていたのだそうです。教訓:何かを発見したとき、考案したとき、できる限り多くの人が使う言語を用いて、即、発表する事。でないと、無視されてしまいます。 よって、スウェーデンで、静かに生活していたカール・ウィルヘルム・シェーレに、世界は気付かず、酸素の第一発見者としての地位は、イギリスのジョセフ・プリーストリー(Joseph Priestley)と、フランスのアントワーヌ・ラヴォアジエ(Antoine Laurent Lavoisier)の間で戦われる事となったのです。 ジョセフ・プリーストリー シェーレの実験の数年後、1774年の夏、シェーレが発見した気体の存在をまったく知らずに、ジョセフ・プリーストリーは、パウダー状の水銀灰(酸化水銀、HgO)に陽光を集中させてあてる実験を行います。それによって発生した気体の中では、火が良く燃え、さらに、その気体の中にネズミを入れると、元気にかけまわるのに着目。自分で、この気体を深呼吸してみると、なかなか気分爽快。プリーストリーは、当時、認められていた「フロギストン説」(phlogiston theory)を信じていたため、この気体は、フロギストンを一切含まない「脱フロギストン空気」(dephlogisticated air)である、とするのです。 先へ進む前に、ここでちょっと、フロギストン説について書いておきます。 フロギストン説(phlogiston theory) 18世紀前半、ドイツ人の医師ゲオルク・エルンスト・シュタールが考案した説。   物体を燃焼させる時、固体内に含まれていたフロギストンと呼ばれる、無臭、無色、香りも、味も無いものが、空気内に放出される。フロギストンが飽和状態になると、空気は、もうそれ以上フロギストンを吸収する事ができなくなり、その中では、ろうそくの火も消え、ネズミも死に、よって、フロギストンが飽和状態の空気は、悪い空気であるとされる。 更には、木などが燃えて、フロギストンを排出

空気が無ければ生きられない

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イングランドはダービー出身の18世紀の画家、ジョセフ・ライト Joseph Wright(通称、ライト・オブ・ダービーWright of Derby )による、1768年に描かれた上の絵「An Experiment on a Bird in the Air Pump  空気ポンプ内の鳥への実験」は、ロンドンのナショナル・ギャラリーにあります。かなり大きな絵ですので、ナショナル・ギャラリーに足を踏み入れた事があれば、特に注意をはらっていなくても、「あ、何となく、目にした記憶がある」という人もいるかもしれません。産業革命の題材を扱った最初の画家、また闇の中の光を効果を求めた画家として知られるジョセフ・ライト。友人には、産業革命を前進させた実業家達や、科学者も多く、こんな題材もそれを反映するもの。 この絵は、中心に立つ自然科学者が、内部に真空を作る空気ポンプを使用して、生物が行き続けるには空気が必要という実験を行っているところ。本格的化学室での実験と言うより、簡単な、家庭でのデモンストレーションといった感じ。科学者が、ポンプ内の空気を外に出した結果、息苦しくなっていくため、ぱたつく内部の鳥。科学者の右手にいるお父さんは、ペットの鳥の苦境に嘆く女の子達に、何が起こっているのかの説明。テーブル右端に座る老人は、1人、死に思いをめぐらせ。右手上の少年は、科学者が、再びポンプ内に空気を戻し、ペットの鳥を助けてくれる事を期待し、鳥かごを下ろし。科学者左手の若いカップルは、実験などそっちのけで、見つめあい。左手手前の少年と青年は熱心に実験を見守る。神の様に佇む自然科学者、鳥の命を生かすも殺すも彼の判断次第。 ***** 真空ポンプは、もともとは、この絵の描かれる100年以上前の1650年ころ、当時は存在し得ないとされていた「真空」というものの研究を行ったドイツ人科学者オットー・フォン・ゲーリケ(Otto von Guericke)が、発明したものです。絵の中のテーブルの上には、またオットー・フォン・ゲーリケが考案した、マクデブルクの半球(Magdeburg spheres)が置かれています。このマクデブルクの半球は、半球2つを合体させて球を作り、中の空気を抜き真空にすると、外からの気圧の影響で、球はぴっちりと塞がったままとなり、ちょっとやそっとの力では、開ける事ができ

これが本当の壁の花(ウォールフラワー)

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崩れかけた昔のレンガ造りの壁の割れ目から咲いているこの花たちは・・・ウォールフラワー(壁の花)。アブラナ科の植物で、学名は、Erysimum(エリシマム)、かつては、Cheiranthus(チェイランサス)という名のが主流だったようですが。日本語では、ニオイアラセイトウの名でも呼ばれているようです。鮮やかで香り良く、春の花として、人気。名目上は、多年草ではあるものの、ガーデンでは、2年草として育てられるのが普通です。こうやって、壁の割れ目から生えるくらいなので、日当たりの良い、比較的さらさらの乾いた土壌がお好み。 ちょっと恥ずかしがり屋で、物怖じするため、パーティーなどの集まりの最中、壁のそばで1人で立っていたりするタイプの人を、 She is a wallflower. あの人は壁の花 などと言ったりしますが、これは、もともと、19世紀初めに使われだしたフレーズで、元来は、ダンスのパートナーが見つからないために、壁の側にずっと座っている女性を指したという事。日本語でも、直訳の「壁の花」という言葉が同じような意味で使われているという事は、由来はこの英語の表現から取ったのでしょうか。 ハンプティーダンプティーが座って、転がりおっこったような、古い壁の上に咲く姿は、なかなかサマになっています。 ほんとに、わすかな隙間から顔を出して咲いてました。春の花壇では良く見るものの、ウォールフラワーという俗名の通り、本当に壁に咲いているものはあまり見かけないので写真を撮った次第。これを見ると、ダンスに誘われるのを待って壁の、側に座っている女の子達に例えられたというのがわかる気がします。 さて、ウォールフラワーの中にも、多年草として育てるものもあります。2年草として育てるウォールフラワーは、咲くシーズンが比較的短いので、私は、自分の庭には植えた事がないのですが、去年の夏、多年草の紫色をしたウォールフラワーであるErysimum "Bowles's Mauve"(エリシマム ボウルズ・モーブ)を購入しました。エリシマム ボウルズ・モーブは、1982年に チェルシー・フラワー・ショー でデビューした花で、1973-1982年の10年間の新種植物の中で、最高のものとチェルシーのお墨付き入り。 買って約1年で、あっとい

アン・ハサウェイのコテージ

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おとぎ話に出てくる様な、わらぶき屋根の家、アン・ハサウェイのコテージ(Anne Hathaway's Cottage)。現在、「アン・ハサウェイ」とタイプしてインターネットで検索すると、米女優のアン・ハサウェイのエントリーの方が圧倒的に多い感じですが、このコテージに住んでいたアン・ハサウェイはハリウッド女優では無く、ウィリアム・シェイクスピアの奥さん。 アン・ハサウェイの実家であった、このコテージがあるのは、大変な人ごみのストラトフォード・アポン・エイヴォンの町中から、1マイルほどの集落、ショタリー(Shottery)。この周辺の方が、シェイクスピアが生きた時代のストラトフォードをしのばせるものがあるかもしれません。ついた時に、駐車場にとめられていた車は、ほんの3,4台。もっとも、バス用駐車場には、団体さんツアー用のバスが何台かとまっていましたが。 裕福な農家だったハサウェイ家は、シェイクスピア家とは仲が良く、もともと交流があったようです。1582年の夏は、大豊作の年だったということで、ハサウェイ家も、収穫が終わった後、お祝いに飲んで食べてのお祭り騒ぎをし、そこへシェイクスピア一家も招かれたのではないかという話です。当時18歳のウィリアムと、26歳のハサウェイ家のアンは、そんな機会にできてしまったんでしょうか、この大収穫から9ヶ月後に長女のスザンナが誕生しています。 妊娠があからさまになる前に、二人はできちゃった結婚をするわけですが、当時は、クリスマス時期は結婚が許されなかったとかで、あわてて11月に結婚。新婚夫婦は、ストラトフォードのシェイクスピアの生家に、シェイクスピアの両親と共に同居する事となります。そして、2年後には、今度は双子の、男の子と女の子(ハムネットとジュディス)が誕生。ハムネットは、11歳のときに死亡してしまいますが、ジュディスは、77歳と当時にしては長寿をまっとう。長女スザンナは後に、医師であったジョン・ホールと結婚。 アンという人がどういう女性だったかは、ほとんど記録に残っておらず、わからないようです。 アンが住んでいた時代のコテージは、現在のものより小さく、後に、アンの兄の所有になってから拡大されています。1892年に、コテージと内部の家具等を、シェークスピア・バースプレース・トラスト(シェイクスピア生誕地保存

シェイクスピアの故郷、ストラトフォード・アポン・エイヴォン

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ストラトフォード・アポン・エイヴォン(Stratford-upon-Avon)は、エイヴォン川沿いのストラトフォードの意。言わずと知れたウィリアム・シェイクスピアの故郷です。ちなみに、ロンドンの東部に、やはり ストラトフォード という場所があるので、アポン・エイヴォンとつけると、区別がはっきりします。 コッツウォルズ観光 をした後、更に北へ進み、このウォリックシャー州のストラトフォード・アポン・エイヴォンへたどり着きました。以前、ここへは数回来て、エイヴォン川沿いに建つ、ロイヤル・シェイクスピア劇場で、芝居も2回ほど見た事があるのです。これも、かなり昔の話で、何を見たのか・・・覚えていない! 駐車場に車をとめ、私と、だんなと、母親で、町の中心地へぽこぽこ歩く途中、アンケートボードの様なものを抱えた、高校生風の男の子に呼び止められ、聞かれました、「すいません。何が目的でストラトフォードに来たのですか?」私は「観光。」すると、男の子はちょっと困った顔をして「えーーーと。」別の、やはり、アンケートボードを抱えた男の子が近寄ってきて、ひそひそと、「何だって?シェイクスピア?」私は、ああ、そういう事か、具体的に何が目的で観光に来たのか知りたいわけね、と気づき。「そうそう、シェークスピアよ。シェークスピア。」最初の男の子は、ホッとした感じで、ボードの上の紙に鉛筆で印をつけ、「サンキュー!」それを横で眺めていただんなは、「GCSE(イギリスの高校レベルでの試験)は、そんなに簡単にはいかないぞ。」と、茶化していました。男の子たちのアンケートの結果は覗き込みませんでしたが、ここは、圧倒的にシェークスピアのおかげで食べている町でしょう。だって、その他に、何が目的で観光に来る人がいるのか?白鳥? ウィリアム・シェイクスピアの生まれた年と死んだ年は、「人殺しいろいろ。」と覚えるのだ、と母親が、それは何回も道中、繰り返していました。1564(ひとごろし)年~1616(いろいろ)年・・・なるほどね。エリザベス1世、そして、ジェームズ1世の時代を生きた人です。 ヘンリー・ストリートにあるシェイクスピアの生家。(一番上の写真は、家の裏側からのもの。)なかなか立派な家なのです。 皮手袋職人であった、お父さんのジョン・シェイクスピアは、メアリー・アーデンと結婚する直前に、こ

コッツウォルズ小旅行

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イングランド中央部の丘陵地域であるコッツウォルズ。 前回の記事 に記したよう、ジュラ紀に堆積された石灰岩、コッツウォルズ・ストーンで造られたコテージが有名です。コッツウォルズの広がる主なカウンティー(州、県にあたるもの)は、グロスターシャー、そしてオックスフォードシャー。その他、北はウスターシャー、ウォリックシャー、南はサマセット、ウィルトシャーの一部にも少々またがっています。 ドゥームズデイ・ブック の記録によると、コッツウォルズでは、ノルマン時代からすでに、現存する村々は存在し、羊放牧が行われていたそうです。ノルマン人が導入した石切、石大工の技術をもって、地元の石を切り出し、マーケット・タウンが形作られ。15世紀までには、ほぼ羊毛一筋によって栄える地域となります。羊毛の富がもたらした資金で教会が建てられ、富裕商人の家が建てられ。16世紀には、羊毛織物産業の重要性が増し、特に流れの速い川の多い西部コッツウォルズに、水車の力を使用した毛織物工場が集中します。 1700年から1840年にかけ、他の地域での羊毛生産、加工の増加に伴い、羊毛産業のみに頼っていた、地元経済は打撃を受け、衰退の一途を辿る事となります。やはり、一時は羊毛で栄えたものの、産業革命に立ち遅れ、時代に取り残されていったおかげで、古い町並みが破壊されずに保存された ノリッチ などと同様、コッツウォルズも、産業革命中、これといった産業が無いまま廃れていたため、新しい建物が立つ事も無く、黄金期の美しい町並みとコテージが、タイムスリップをしたように、そのままの形で残る事となるのです。 ヴィクトリア朝に、ウィリアム・モリスを初めとする著名人たちが、この地域の美しさに気付き始め、古い建物を守るため尽力し、徐々に、観光客も、その魅力を楽しむために足を運ぶようになります。いまや、押しも押されぬ、世界に知れたイングランドの観光地です。おかげで、ロンドンのシティーで財を成した人たちが、セカンドハウスを購入したり、映画スターまでが、コッツウォルズにコテージを購入などというご時勢。それは、それで、地元で、低賃金の仕事に従事する若者達が、コッツウォルズ内部で家を買えない・・・という困った状態も引き起こしています。 母親がイギリスに遊びに来ていたため、だんなが、せっかくだからコッツウォルズとストラトフォー