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3月, 2011の投稿を表示しています

イプスウィッチ散策

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前回の投稿 「パーゲッティングの建物」 で言及したサフォーク州の州都イプスウィッチ(Ipswich)という町は、統一したイメージを抱き難い町でした。 特に駅の周辺に多い、新しい(往々にして醜い)建物、町の中心部にいくつか残るチューダー朝にも遡る古い、風情の良い建物、数多くの美しい教会。新旧、美醜を、紙袋に突っ込み、ゆさゆさ振ってから、その中身をばーっと散りまいた・・・そんな感じの町です。全体的には牧歌的イメージの強いサフォーク州にありながら、この町は、個人的には、少々柄が悪い印象でしたし、最近では、売春婦の連続殺人事件などもあり、さらに印象が悪化してしまった気もします。行ってみると、捨てたものでもなく、それなりに見所があるのです。 中心地区でも、ところどころ古い建物の間に。見栄えの悪い新しいコンクリートの建物が建っているのは、大戦中に、ドイツの爆撃にあったかな?と調べてみたら、やはり、やられていました。第1次大戦で、ドイツのツェッペリンからの爆撃、更に、これより大きな被害は第2次大戦でのドイツ軍爆撃。特に川沿いのドックランズ周辺は多大な被害だったと言う事。こうして見ると、ロンドン外でも、戦時中、爆撃の被害に合っている町はわりと多いのです。 ヨットが多く停泊した川沿いは、今では、ちょっと見ると、ロンドンのセント・キャサリンズ・ドック風でおしゃれなムードもあります。 イプスウィッチを流れる川の名は、オーウェル川。作家のジョージ・オーウェルの名は、この川が由来。彼は、オーウェル川が好きで、自分のペンネームとして使用したとのこと。 昔の建物を改造したレストランもドック脇にあり。 中心部にある、立派なタウンホールの建つ広場には野菜などの屋台がならぶ市がたっていました。ここだけ見ると、大陸ヨーロッパの町並みの雰囲気。 日本では一切なじみが無いかもしれませんが、こちらのタブロイド新聞デイリーエクスプレスに長い間漫画を連載していた、カール・ジャイルズ(Carl Giles:ただ単にジャイルズと呼ばれる事がほとんど)という有名な漫画家がいましたが、この人の漫画のキャラクターの1人、グランマ(Grandma、おばあちゃん)の像が、街中にでんと立っていました。ジャイルズが以前働いていた新聞社にむかって立っている記念碑だそうです。 私も、この人のひとこま漫画

漆喰装飾の建物

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イングランド南東部で、古い建物が残っている町や村などを歩いていると、漆喰で絵や模様を描いた壁で飾られた木製の骨組みの家を時に目にします。こうした外壁の漆喰装飾は、英語でパーゲッティングまたはパージェティング(pargetting)と称されますが、特に、サフォーク、エセックス、ハートフォードシャー州に多く見られるということ。なかなか、凝っている物もあれば、何だか絵が下手な人が作ったんじゃないか、と思うようないびつなデザインのものもあり。 パーゲッティングは、16世紀後半のイングランドで、こうしてコテージの壁に使われるようになります。17世紀後半にその人気は頂点に達し、その後50年くらいで徐々に流行りは消えていったという事。 先日、サフォーク州の イプスウィッチ という町に行って来ましたが、この町の中心部にある、「エインシェント・ハウス」(Ancient House)と呼ばれる、チューダー朝の建物は、特に、この外壁一面に広がる漆喰装飾で有名。こちらのガイドブックにも記載されていたので、しっかり見て、写真も撮って来ました。 正面部分の装飾は、アフリカ、アメリカ、アジア、ヨーロッパを、チューダーの人たちがイメージしたもの。上の写真は、アジアだそうですが・・・まあ、昔の人の考えたアジアですから、こんなものか。 当建物、今はキッチン用具などを売っている店として使われていました。私の古いガイドブックには、本屋だと書かれていたので、テナントが変わったのでしょう。 家に帰ってから、ウィキペディアで パーゲティング を調べたところ、あ、エインシェント・ハウスの写真が載っていました。ちなみにパーゲッティングのスペルは、pargettingと t を2ついれるのと、pargetingと t を1つだけいれるものと、まちまちのようですが、伝統的には前者のスペルだと思います。 それから、同ページに、もうひとつ見たことがある漆喰装飾の建物の写真・・・こちらは、サフォーク州の クレア に数年前に出かけた時に見たものだと思い出し、写真を掘り返してみたら、ありました。クレアの小さな博物館の建物。綺麗なパーゲティングだと思ってパチリと撮ったのですが、ウィキペディアのページに載っているところを見ると、やはり、漆喰装飾として比較的有名な物なのでしょう。私はエンシェント・ハウスのパーゲ

ウェストミンスター大聖堂

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ウェストミンスター大聖堂(Westminster Cathedral)は、イギリス国教会の ウェストミンスター寺院 ( Westminster Abbey)とは異なり、カトリックの教会です。ヴィクトリア駅からウェストミンスター駅方面に向かう、ヴィクトリア・ストリートにある縞々模様風建物がそれです。イングランド、ウェールズ内で一番大きく重要なカトリック教会。 聖堂内は、綺麗だと聞きながら、かつて一度も足を踏み入れずにきて、先日やっと覗いて来た次第。いつでも行けると思っていると、なかなか行かないのは人の常。内部は、映画「エリザベス:ゴールデン・エイジ」のスペインの教会内シーンにも使われていました。スペインまでロケに出るより、安上がりですから。この映画、内容自体は、前作の「エリザベス」がわりと良かった記憶があったので、私は、かなりがっかりしたのですが、建築物やコスチュームが綺麗で、視覚的には楽しめました。 イングランドでは、カトリック信者は、長年に渡って、公職からの締め出しを受け、また、一般的に疑惑の眼で見られてきたのですが、1829年、カトリック解放令(The Catholic Emancipation Act)が通り、カトリック信者でも、議員として選ばれる権利が認められる事により、法的には、一般市民としてのその社会的地位が一応は認められる形となります。この後、仕事を求めて、カトリックのアイルランド等からの移民がぐっと増え、社会的テンションが高くなるという現象も起こります。アイルランド人、またカトリックに対する反感は、これにより、増長したという話もありますが、それは、また後日。 この教会の建築もこの法の通った後、そして、ローマ教皇との関係も正常化し始めた後で、礎石が置かれたのが1895年、ここで初めてのミサが行われたのは、1903年になってから。正式に教会として機能をはじめるのが1910年で、去年は100周年だったわけです。 館内は、塔に登らなければ無料ですが、写真は禁止。また、観光客慣れしているウェストミンスター寺院に比べ、礼拝に訪れる人の方が多い感じの教会です。訪れたときはミサも行われていたので、見て回るのも、礼拝の邪魔にならないよう、そろそろ。告解室なども、所々に置かれているのも目に付き、「あなた、帽子を取って下さい。」と咎められていた観光客もいま

資源に頼る社会

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日本の原子力発電危機が続く中、こちらでガスの値段が上がっているというニュースを読みました。(ロイターによる、この件のニュースは こちら 。)普段は原子力に頼っていた部分を、ガスによる発電で補うため、カタールなどの国から、冷却された液化天然ガス(liquefied natural gas、LNG )が日本へ大量に輸出されている事が原因となっているようです。 この話を、だんなとしている時に、「前に日本に行ったとき、(房総の)鋸山の上から、LNGを入れた丸いコンテナの乗ったタンカーが港に入ってくるのを見たでしょ?あんなのが、今、沢山、日本に送られてるわけだよ。」妙な事を良く覚えている人だと、感心しながら、鋸山旅行の写真を掘り返してみたら、本当に、丸い4つのコンテナを乗せたLNGタンカーが海に浮かんでいるのが写真に写っていました。上の写真の海上のやや左、春霞にほーっとほやけた感じですが、わかるでしょうか。 イギリスに供給されるガスは、ほとんどが、大陸からのパイプラインを通して気体のまま送られてきますが、はるかかなたの日本へは、こうして冷却して液状にしたものが輸出されるわけです。 また、ガスのみならず、揺れるアラブ諸国の現状、特にリビアでの不安な状況が長期化しそうな影響で、石油の値段も上がっています。日本でも、これに加え、買いだめなどからも、ガソリン不足で、被災地東北への物資の搬送なども大変なようですが。つくづく、石油、ガス、その他、自国に無い資源に頼る社会の不安定さ、そしてその将来の生活水準維持の難しさを感じる日々。 イギリスでは、アメリカやオーストラリアほどでは無いとしても、日本よりは車社会。歩けば10分くらいの場所でも、車で出かける人などわりといます。そして、ガソリンを安い価格でゲットできるのは、まるで基本的人権のひとつと思い込んでいるような発言も一般人の間で聞かれます。「石油の値段が高すぎる。政府は何しているのか。」「必需品だ、石油に税金かけるな。」確かに、この国のガソリンにかかる税金は、高いですが、文句を言ったって、石油はその辺の畑でひょろひょろ生えてくるものでなく、有限。出来る限り節約しながら使う姿勢をみせない事には。 イギリスには北海油田があるとは言え、こちらも先が見えており。また、石油輸出国には、不安要素がある国が多い。もし、リビアで起こっているようなことが、

日本の最高の姿

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昨日、友人宅を訪れた後の帰り道、暗い空にどんと構えたまん丸のお月様の大きさにびっくりしました。18年以上ぶりに、月が地球に一番近くなった夜だったそうです。この、月が地球へ接近している現象が、大地震等が起こる原因のひとつともなっている・・・などという説も出てきています。(写真は、 BBCサイト より。) 月のせいかどうかはともかく、地震、津波、そして挙句の果てには、放射能・・・。 各国の政府からも、日本に滞在の母国民に戻ってくるよう呼びかけが出ていました。それは、わかるんですけどね、どの国の政府も、後で、母国民を守るために、十分な措置を取らなかった、と非難されるのが怖いですから。それにしても・・・フランス政府の反応は、パニックを引き起こしかねないような過敏さで、しかも電光石火の速さでした。これには、東京に住む友人も、いささか憤慨して「フランス嫌い」とメールで書いてきました。電力の約75%を原子力に頼る国、それは沢山の原発実験(200以上)を、いつも自国から遠く離れたアフリカや、太平洋で行ってきた国なのに、その逃げ足の速さたるや・・・確かに、びっくり。 地震が起こった際に日本にいた外人たちが、日本人の冷静さと、災害時の他人への思いやり、規律を守る態度に、深い印象を受けたというような内容の、記事を読みました(記事は、 こちら :英語です)。この記事の中には、東京に住むフランス人の音楽家が「僕の母国人たちは、ほとんど帰国してしまったけれど、それによって、彼らは、日本の最もすばらしい姿(Japan at its best)を見逃す事になるわけだ。」という感想をもらしていました。「他の人たちが冷静に、きちんとしているのを見ていたら、自分もパニック状態に陥る事はない。これがフランスだったら、大混乱だった。」彼は、日本人の奥さんと、日本に踏みとどまるつもりだということ。 去る外人も多い中、このフランス人の他にも、好きな日本にとどまる事にした外人は幾人もいるようです。先日の夜のニュースでは、日本在住の英国人用に、チャーター便で700席が用意してあったものの、実際に現れたのは100人だったという話をしていました。 上に載せた記事はごく一例で、他にも、この1週間、似たような論調の記事を沢山読みました。災難にあいながらも、日本人は、冷静、ねばり強い、規律正しい、自己に対する哀れみを見せない

がんばれ日本、がんばれ東北

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上は、本日、英国の新聞、インディペンダント紙(The Indipendent)のフロントページに載ったイメージです。 テレビの24時間ニュースとラジオ、ここ2、3日、ほぼつけっぱなしです。段々、様相がわかってくるにつけ、呆然。 イギリスからの援助隊、プラス2匹の犬もそろそろ日本に着いたころでしょうか。イギリスの小規模の援助隊が、これだけの大規模の災害に対して何ができるか、というのもありますが、もし1人でも助けられれば、行く価値はあるでしょう。私が、その助けてもらえる1人だったら、これは絶対に来て欲しいから。 揺れるスーパーの中で、数人の従業員が棚を必死に抑えて、商品が落ちてこないようにしている様子を、テレビで何度も見ましたが、とても日本と日本人の良さを感じる映像でした。こっちの人間なら、雇い主の商品が落ちようと壊れようと、お構い無しに、逃げ散っていた、と思うのです。だんなの知り合いで、警察官として働く男性が、同じような感想をもらしていました。「ああいう行動に出る人が多い社会は、良い社会に違いない。良い国なんだろうな。」 ニュース報道中も、被災者が、比較的落ち着いて、規律を守って行動している、と何度か言及。大災害の後の、復興も、その国の国民性にかなりかかるものがあるでしょう。 とりあえずは、イギリスからも、がんばれ日本、がんばれ東北! (インディペンダント紙記事は、 こちら 。) すでに東北での活動を行っている模様の日本赤十字社のサイトは こちら 。そのうち義援金の受付も始まるようです。

ウェストミンスター寺院訪問

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ロンドンの東にある教会(イーストミンスター)であるセント・ポール大聖堂(St Paul's Cathedral)に対し、西にある教会、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)。上から見ると十字型をしており、長い軸は東西に、横軸は南北の方角にあわせてあります。ウィリアム1世より、イングランド王者の戴冠の場所であり、過去17人のイングランドの王女王の眠る場所。(最後にここに埋葬された王は、ジョージ2世。) 沼地だったこの場所に、最初に教会が建てられたのはいつか、というのは、諸伝説があり、はっきりせぬものの、とりあえずは、960年に12人のベネディクト派の僧たちの祈りの場となった事はわかっているようです。 現寺院の大元となるのは、11世紀、エドワード懺悔王により建てられたもの。教会が開かれた1065年の12月には、エドワードは病気で参加できず、その数日後には息を引き取るため、おニューの教会はさっそく、彼の埋葬の場となります。翌年1066年は、ご存知ノルマン人征服の年ですから、ヘイスティングスの戦いで勝利を収めた征服王ウィリアムは、同年のクリスマスの日、イングランド王ウィリアム1世として当教会で戴冠。 後、エドワード懺悔王をあがめていたというヘンリー3世が、更に立派な教会にしようと、ゴシック形式にて、大々的に教会の改築を行います。この着工は1245年だそうですが、ヘンリー3世の存命中には終わらず、建物は後の世代、徐々に手を加えられていきます。富裕層からの寄付金も受け、建設は、止まったり、始まったりとゆるゆるすすみ。時代と共にあちらこちら壊したり付け直したり。大体、現在の形になったのが、18世紀半ばで、上の写真に写した、今では、ウェストミンスター寺院と言うと、このイメージの、西塔が、ニコラス・ホークスモアの設計により完成するのは1745年の事。こうした教会も、長い時間をかけて、まるで生物の進化のように、姿を変えていくこと、非常に多い感じです。 また、その過程で、中世は修道院でもあったものを、ヘンリー8世のローマ法王との決別に端を発する修道院の解散で、一時修道院ではなくなり。それが、カソリックの女王メアリー1世の時代には修道院に戻され、次のエリザベス1世が、再び、修道院から教会へと戻し。そして内戦(ピューリタン革命)中は、質素をよしとするピューリタン

frivolousなガーデン小物達

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こういう風に、バードケージ(鳥かご)に植物の鉢を収めて、外壁に吊り下げたり、庭に置いたりするのが、ここしばらく、お洒落だと人気のようです。ロマン派ガーデン小物を置く店でも、よく売っているのを目にするのです。 先日、お茶に立ち寄ったティールームでも、多角経営というやつでしょうか、レンガ塀で囲まれた裏のガーデンで、鉢植えの植物や庭用小物を売っていました。紅茶とケーキで一服した後、それでは、とガーデンへ繰り出して、所狭しと並べてある、鉢、植物、プランター類、庭の置物、そしてもちろん、バードケージを眺めて回りました。 こういうのを見ていると、私の心の奥深くに眠っていた、レースのリボンをつけた浪漫を愛する乙女心がむくむくむくと膨れていき、思わず、バードケージを欲しくなってしまうのです。・・・だんなに言うと、「こんなのすぐ錆びて、崩壊するよ。長持ちさせるには、しょっちゅう、ペンキ塗っちゃー、乾かし、塗っちゃー、乾かししないと。」良質で長持ちするものが好きながっちり堅実おじさんです。そして、「こんなfrivolousな物を欲しがるなんて、ぶつぶつ。」 frivolousは、「軽薄な、浅はかな」と、要は、見かけばかりで中身の無い物事を形容する言葉です。まあ、言われてみればそうなんですけどね。お値段も結構なものありますし。 でも、こうして一挙に目の前に並べられると、frivolousな物達の見かけの愛らしさにひかれ、手が出そうになるのです。写真だけでも取って帰りましょうかと、ぱちり、ぱちり。 家に帰って、自分の庭を見て、「あのバードケージは置き場もなし、買わずに正解」とは思ったのですが・・・ 上の写真に取った、自分の翼の上に横たわって眠る天使(キューピット?)の像をまじまじ眺め、この子が、夏の花壇のフューシャ(フクシア)の花影で、蜂の羽音がけだるい空気を揺らす中、眠っている姿を思い浮かべて・・・「ああ、これは買えば良かったか。」こんなのは、多少かけても、コケが生えてきても味が出る一生物ですし。 ***** 話は全く飛びますが、キューバからのニュースで、チェ・ゲバラの友人で、映画 「モーターサイクル・ダイアリーズ」 にも出ていた、アルベルト・グラナード氏が、ハバナで亡くなったそうです。何で、このニュースが頭に浮かんだのか・・・眠る天使を見て連想したのかな。88歳。frivolousとは

セント・ジェームズ・パーク早春のスケッチ

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東は、官庁街ホワイトホールの裏手から、西はバッキンガム宮殿にいたる、やや小さめの細長い公園が、セント・ジェームズ・パーク(St James's Park)。 ヘンリー8世が、じめっとした沼地だったというこの土地を、ロンドン初の王室の公園としたのが始まり。名の由来は、13世紀、この地にあったハンセン病患者のための病院の名からきています。エリザベス1世は、この公園で、多くの派手やかな催しを楽しみ。ジェームズ1世は、水はけを向上。イギリス内戦、王政復古の後、チャールズ2世は亡命していたフランスの公園の影響を受け、公園に芝を植え、並木を植え、彼の時代に公園は一般に公開されるようになります。19世紀前半、リージェント・ストリート、 リージェンツ・パーク の設計でも知られるジョン・ナッシュが、もっとロマンチックな、自然な雰囲気の造園を行い、現在の姿へ。 私の、この公園の思い出は、英語のクラスで一緒だったイタリア人の友達が、いつも、ここの池のアヒルやカモ達に、ランチのサンドイッチの残りをあげていた事。彼は、ホームステイをしており、ホストマザーが毎日お昼用に、手作りサンドイッチを持たせてくれたのは良いが、それがあまりに不味くて、中のハムやレタスをちょっと食べただけで、しなっとしたパンはすべて、セント・ジェームズ・パーク湖の鳥達の餌と化し。「サンドイッチの様な簡単な食べ物を、あれほど不味く作ることができるなんて・・・ある意味では、技術を要するんじゃないか・・・」と文句を言いながら、「あまりに不味くて食べられなかった。」と当のホストマザーには言えないまま、いつも空っぽのタッパーウェアを持って帰り、全部平らげたふりをしていたため、哀れ、彼は、夏の滞在中ずっとサンドイッチ攻撃に悩まされていたのでした。 桃色の花が、まだ葉の無い枝に、ちらほら咲き始めています。バッキンガム宮殿の、道を隔てたすぐ前のものも、ほのかに花びらを広げ始め、観光客や、ジョギングする人々、オフィスの休憩時間のひと時を過ごす人たちを見下ろし。 バッキンガム宮殿には、国旗のユニオンジャックではなく、王家の旗、ロイヤルスタンダードが早春の風に翻っていたので、女王はご在宅です。 白いクロッカスが、一面に咲いていましたが、こちらはそろそろ終わり・・・ バトンタッチを受け、ダファデル(ラッパスイセン)

インドのマサラティー

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先月、知り合いのインド人夫婦の家を訪れ、ランチをご馳走になりました。 食後、飲み物なにがいいかと聞かれ、私は思わず「イングリッシュ・ティー。」と答えると、「インディアン・ティーでいいかな。」とにやっと笑って返事が返ってきました。考えてみれば、以前、彼らを訪れたときも、同じやり取りをしたような記憶が。私は、緑茶(グリーンティー)と区別して、紅茶が良いな、という意味でイングリッシュ・ティーと言ったのですが、彼らにとって、紅茶(こちらでは、ブラック・ティーと言いますが)は、インドのもの。イギリスでは、紅茶葉は育ちませんから、厳密には、インディアン・ティーと呼んだ方が正解ではあるのでしょう。 さらにしつこく歴史を遡ると、インドの紅茶も、もとは、中国から来たもの。イギリスで、紅茶が人気になるにつれ、イギリスは、中国から紅茶を大量に買い続け・・・。イギリス側は、何とか、中国に頼る事無く紅茶を手に入れる方は無いかと、大英帝国下のインドに、中国からの茶の葉を植え、育て方のノウハウを密かに集めさせて、インドの茶園に作り成功したわけです。今でこそ、紅茶はインドではありますが、本当だったら、イングリッシュ・ティーでもインディアン・ティーでもなく、チャイニーズ・ティーと呼ばねばならないところでしょうか。 Not for all the tea in China. という英語の表現もあります。「どんな貴重なものを代償にもらっても決してxxしない・・・」という意味で使います。 例えば、 I would not betray you for all the tea in China! 中国中のお茶と引き換えにしても、君の事は裏切らんぞ。 =君の事は絶対に裏切らんぞ。 また、最近は、イギリスで消費される紅茶の大半は、東アフリカ産のようで、うちで最近買ったリーフティーの原産国はケニアとなっていました。東アフリカに茶の栽培が導入されたのは、20世紀初頭のこと。日常用の葉なら、今は、アフリカからの方が安いのかもしれません。 さて、このインド人夫婦によると、インドで紅茶を買う際は、お茶の葉を売る店に行き、大体いくらお金を使いたいかによって、高い葉や、安い葉を適当に混ぜて売ってくれるそうです。やれ、イングリッシュ・ブレックファーストだ、アールグレイだ、という風にパッケージ

温室育ち

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前回の投稿で、春が来た、と喜んでいたのもつかの間、気温も少し下がり、何だか惨めな天気の週となっています。 夏の庭用にと、種から育てて、芽を出したばかりのベイビー植物達を、庭の奥にある小さい温室(greenhouse)に置いてあるのですが、一昨日の夜、気温もかなり下がるというので、夕方から、温室にヒーターを灯しました。過保護?せっかく芽を出したところで、霜が降りそうな冷たい空気にやられて死なれては嫌なので。 めったに使う事の無い、このEltexというメーカーの温室用ヒーターは、だんなのお父さんが、ゼラニウムを冬越しさせるため毎冬温室で使っていたもの。灯油(paraffin)で炊く、ローテクですが、小型サイズの温室であれば、用は足してくれます。 このタンクに灯油を入れ、布製の芯(wick)を浸し、その芯の先っちょに火を灯す仕組みです。ランプみたいなものですね。 夜中、おトイレに起きたとき、窓からのぞいたら、温室の中に、人魂の様なあかりがちらちらしているのが見えました。今週は、また何回か、これを使わねばならない夜がありそうです。 上は、昨日のロンドンの夕刻。日は長くなってきたのですが、なんだか、まだ、冬の初め、クリスマスの頃の写真の様な感じです。昨夜もまた、温室のヒーターを灯し。 ***** 日本語での「温室育ち」に近い表現としては、英語では「cotton wool(脱脂綿)で包んで育てる」というのがあります。 You cannot wrap your children in cotton wool for ever. 子供をずっと脱脂綿に包んでおくわけにはいかない。 =子供をずっと後生大事に手元に置いて可愛がるわけにはいかない。 「箱入り娘」などと似たような感じもします。そろそろ日本はお雛様ですが、お雛様人形のように、ほぼ一年中、脱脂綿で包み、虫がつかぬようモスボールを入れて、それを箱に入れ大切にしまっておくイメージ。最近は、この国の中流の子供達には、cotton wool kids が増えているという話です。親が、人さらいにあったり、怪我をしやしないかと、恐れて、危険回避から、自由に外で遊ばせない傾向があるのだそうで。 ヒーター等で暖かくしてある温室を指す、hothouseと言う言葉も、子供の育て方に関する言葉として使われますが、日本語での「温室育ち」が持つ、「やや甘