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9月, 2016の投稿を表示しています

ビアトリクス・ポターも宿泊したメルフォード・ホール

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サフォーク州ロングメルフォード(Long Melford)は、その名の通り、ながーいハイストリート(目抜き通り)が村の真ん中を走っている事で知られています。このロングメルフォードの目抜き通りの北端にあるのが、現在は、ナショナル・トラストによって管理されている屋敷、メルフォード・ホール(Melford Hall)。 この館は、かれこれ9年前の2007年に、一度訪れ、観光済みなのですが、今年の5月に、再訪しました。今年は、ピーターラビットの生みの親、ビアトリクス・ポター(Beatrix Potter)生誕150年記念。彼女は、この館を幾度か訪れた事があるので、記念の年に、また見てみてもいいかと。 前回の訪問で買ったガイドブックを持参で行き、館内で時々立ち止まって読んでいたところ、各部屋にいるボランティアのガイドさんの一人に、「あ、そのガイドブック、かなり古いやつでしょ!今のものと全然違うもの。前にも来たことあるの?」と見抜かれてしまいました。 館の歴史をざっとおさらいすると、 昔々、ノルマン人制服の前の時代から、館のある土地は、サフォーク州ベリーセントエドモンズ(Bury St Edmunds)のベネディクト派修道院の所有で、修道院長が娯楽と休息のために使える館があったのだそうです。周辺の地には狩猟用のシカが放たれ。修道院長は、かなりの贅沢を楽しんでいたようですが、やがては、ヘンリー8世の 修道院解散 で、国により没収されてしまいます。 ロングメルフォード教会内のウィリアム・コーデルの記念碑 その後、この地を手に入れたのが、地元出身の宮廷人ウィリアム・コーデル(Willam Cordell)。カトリックであったため、ヘンリー8世の娘、メアリー1世(ブラディー・メアリー)に気に入られ、1554年に、メルフォードの地を与えられます。彼が、現在の館の大部分を建設したと思われているようですが、ベリーセントエドモンズ修道院の最後の修道院長であったジョン・リーブ(John Reeve)が、修道院解散の直前にすでに建てたものに手を加えただけではないかという説もあるようです。いずれにせよ、コーデルは、カトリックであったにも関わらず、プロテスタントのエリザベス1世の時代になってからも、成功を続け、1578年には、当館でエリザベス1世をおもてなししていま

ラべナムで中世にタイムスリップ

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イギリス中世の、木造と漆喰作り(ハーフ・ティンバー)のコテージが立ち並ぶ村を見たければ、サフォーク州のラべナム(または、ラヴェナム Lavenham)に足を運ぶのが一番でしょう。あちこちに沢山駐車してある自動車と、電信柱などの存在を除けば、本当に、中世にタイムスリップしたような家並みで、小さな村であるにかかわらず、歴史的に保存すべき建築物として登録されている建物の数は、なんと361件。村中が博物館というやつです。あっちに傾き、こっちに傾きという家を眺めているうちに、自分の頭が傾いているような錯覚にとらえられます。 これだけの数の古い建物がそのままの姿で残っている理由は、 コッツウォルズ などと同じく、中世は羊毛織物で栄えたものの、やがて落ちぶれ貧しくなり、更には、近郊に炭坑や鉱山などもなく、産業革命に取り残され、忘れられたような状態になっていたため。一時的に取り残された場所であったのが、建物保存につながり、勿怪の幸いとなるのです。 ラべナムは、Wool Town(羊毛の町)ではなく、 Woolen Town(毛織物の町)であると、ガイドブックに念を押して書いてありました。周辺の土地は、今も昔も、主に農作物を育てる畑で、羊毛を取るための羊の飼育には向かない場所であったそうなのです。ですから、ここより北の、リンカンシャー州などから原材料となる羊毛を運び込み、処理をして、紡いで、織物製造をしていた場所。 サフォーク州の サドベリー (Sudbury)、ロングメルフォード(Long Melford)、カルゼ織の カージー (Kersey)、ハドリー(Hadleigh)等の周辺の町や村同様、すでに12世紀には、毛織物業に携わる場所として確立。15世紀には、ラヴェナム産毛織物の、輸出に占める割合はうなぎ上り。小さなサイズに関わらず、16世紀初頭には、イングランド全土で14番目に裕福な場所であったとされています。特に、藍(woad)で染色した青い毛織物は、ラヴェナム・ブルーと呼ばれ有名となります。 実際の富は、100人以上もの、労働者を雇っていた、ほんの数人の有力な織物業者に集中していたようです。そうして織物業によって、稼ぎだされた富の一部は、教会の建設などにつぎ込まれます。サフォーク州各地に見られる、村の規模の割には立派な教会は、サフォーク・ウー

エセックスウェイを歩いた夏

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はや、秋分の日です。この夏を振り返り、一番頭に残り、後の記憶にも残りそうなのが、エセックスウェイ(Essex Way)を完歩した夏・・・だという事でしょうか。EU離脱の国民投票が行われた夏だという事を除けば。 イギリスには、全国つづうらうら、パブリック・フットパス(Public Footpath)なる歩行者が通る権利のあるハイキング道が張り巡らされており、時に農家の畑、私有地の只中、丘の上、森林の中、海岸線などを通り、基本的に、土地の持ち主は、パブリック・フットパスが自分の土地を通っている限り、法に従い、人がそこを歩くことを容認することになっています。そんなフットパスをつなげて作られた、名前のついた長距離ハイキング路(Long Distance Trails)も、イギリス内、いくつもあります。 Essex Wayは、その名のとおり、エセックス州を縦断する長距離ハイキング路。エセックス州は、いわゆるホーム・カウンティー(Home County、東京の首都圏のようなもの)のひとつで、ロンドンに隣接する州。ロンドン内では比較的ガラの悪い東ロンドンに隣接しているため、一般的評判はよろしくないのです。エセックス・ガールとかエセックス・マンなどと言うと、品の悪いねーちゃん、にーちゃんの代名詞の様に使われ、笑いの種にされ。 私は、エセックスの住人ですが、一部の、本当にガラの悪く近寄りたくない場所を除けば、以前、色々、当ブログにも紹介したように、素敵な場所も多々あるのです。このいまいちの評判のため、わざわざ他の州からエセックスに観光に来る人や、歩きに来る人はあまりいません。 エセックスに住み始めてから、長らく、私は、このエセックスウェイを、端から端まで歩いてみたかったのですが、だんなは、今一つ興味を見せなかった上、波長の合う、良いウォーキングの相棒も見つからず、今日に至っていました。途中のあちらこちらは、部分的に歩いたことがある場所もあり、通過する村のいくつかも訪れた事はあるのですが、最初から、最後まで、すべて、どんなものだか歩いてみる・・・となると、やはり気合が違います。 たまたま、近くに、やはり歩くのが好きな日本人の主婦友達が見つかり、彼女と、それじゃー、やってみよー、と意気投合。南はロンドンの地下鉄が走るエッピング駅を出発し、北はオランダへのフェリーが