ギルバート・ホワイトのセルボーン


 イギリスには、parson - naturalist(聖職者であり自然科学者)と称される類の人が多く存在しました。当ブログで以前紹介した、ジョン・レイなども、著名なparson - naturalistの一人です。神が創造したこの世界の物をよりよく理解する事に必需性を感じた・・・というのが大きな理由のようで、田舎の牧師をしながら周囲の自然を観察、研究し、博物学に従事するというパターンが多かったようです。

ハンプシャー州にある小さい村、セルボーン(Selbourne)と言うと、すぐに、そうしたparson - naturalistの代表格である、ギルバート・ホワイト(Gilbert White、 1720-1793)の名が思い浮かびます。ギルバート・ホワイトという人物が、これほどしっかりと、彼が生涯を過ごしたセルボーンと深く結びついているのは、彼の有名な著作「セルボーンの博物誌」(The Natural History of Selbourne)のおかげ。

「セルボーンの博物誌」は、ギルバート・ホワイトが、他の2人の博物学者、トマス・ペナントとデインズ・バリントン宛に書いた手紙をまとめたもので、セルボーン周辺の自然や風土の観察が細かく記載されています。手紙と言っても、挿入されているものの中には、実際は投函されなかったものも含まれているとのことですが。

この本は、1789年に出版されて以来、一度も、出版が停止したことがないそうで、小さな村の自然の記録が、ここまで名著として後まで読み継がれるというのも、不思議な現象です。現在のイギリス自然科学者、博物者などでも、ギルバート・ホワイトを読んで、周辺の自然観察にめざめたなどと言う人は多いようですし。本内では、自分の観察や、経験の他にも、幾度か、ジョン・レイや、カール・フォン・リンネなどにも言及、引用しています。

「セルボーン博物誌」に記述されている鳥やら小動物、植物の生態の描写などを読みながら、あ、そうそう、と納得するところもあり、本を手に取った時は、途中でつまらなくなるかな、と半信半疑で読み始めたものの、最後まで飽きずに読み切りました。

チャールズ・ダーウィンも、みみずの研究などを行っていましたが、ギルバート・ホワイトは、ダーウィンよりずっと以前に、みみずの自然生態に占める大切さに着目しています。または、動植物のみに限らず、こだまがどういう場所で一番響くかとか、住民の生活風景、近辺の目につく人物や現象などの描写も出てきます。イギリス人の食生活に関して、かつては、冬季は塩漬けにした肉類をたくさん食べていたのが、年間を通して、新鮮な肉を食べられるようになってきた、また、以前より、野菜を多く食べるようになってきた、などの記述が個人的には興味深かったです。時に解剖なども行ったようで、胃の内容物を調べて、この鳥は、xxを食っている、などと書き留めています。はりねずみの赤ちゃんを観察したくだりでは、赤ん坊は、まだ大人のように丸くなることができないようなので、この丸くなる筋肉は、成長するにしたがって発達するのだろう、などと書いているのも面白かった・・・ただ、観察した後の赤ちゃんはりねずみをどうしたのか、ちょっと気になりました。

渡り鳥のやってくる時期、どの鳥が、いつ鳴き始めるか、どうやって鳴くかなどの記述は大変、詳しく、こういう事は、何年も、毎日、記録として書き綴っていたのではないかと思います。

という事で、セルボーンにあるギルバート・ホワイトが住んでいた家を訪れました。1階は、当時の雰囲気を再現してあります。とても、小さい人だったようで、部屋の中にあった、マネキンの背丈は私とほとんど違わないくらいでした。

2階の展示物は、主に、スコット隊長に率いられた悲運の南極探検に随行して、命を落とした、ローレンス・オーツ(彼の有名な死に関しては、以前の記事「スコット隊長の南極探検」をご参照ください)、そしてローレンスのおじの探検家、フランク・オーツに関する展示物があります。このフランク・オーツと言う人は、寒い南極と相対して、アフリカの探検で知られているようです。なぜに、オーツ家の展示物が、この家に・・・とその関連がよくわからなかったのですが、オーツ家の子孫が、1954年に、この家を保存のために購入する援助をした事が理由の様です。

邸内を見学した後は、雨上がりの広い庭園を散策しました。上の写真に見えるちょっとした石の塀は、ハハ(ha-ha)と呼ばれるもので、羊や牛などの家畜が、家のそばの芝生にあがってこないようにすると同時に、家の方角からは、この塀が見えないため、緑の風景が遮断されず続いているように見える、という仕掛けです。

庭の中心部には、樽でできたシートがあるのですが、これは、360度ぐるりと動くようになっていて、よっこらしょと内部に腰を掛けると、足で動かして、好きな方向に向くことができるという、優れものです。小型のわらぶきの小屋みたいでもあり、キノコのようにも見え。雨の日にも、内部に座ってのんびりと景色を眺められる。

ギルバート・ホワイトの時代は、イギリスのランドスケープガーデンが、貴族の庭園でもてはやされていた時代ですが、ギルバート・ホワイトも彼なりに、限られたご予算の中で、その要素を取り入れようとしていたそうです。ハハなどもそうですが、ランドスケープガーデンにあるような彫刻なんぞも、置いてみようとしたものの、やはり、大貴族のように、本物が購入できなかったので、2次元の板に彫刻の絵が描かれたものを台座に立てて代わりにしたという苦肉の策を取っています。まあ、遠くから見れば、それなりに本物に見えます。こんなのも、ほほえましい。

庭園内には、ホップが少々育てられていましたが、「セルボーン博物誌」の中には、当時はあちこちでホップが栽培されて、労働者が多く、ホップの収穫に従事していたような事が書かれていました。ここで醸造したビールが、ショップで売られています。

学問として確立しつつあった園芸にも意欲を見せていたという事で、腐っていく馬糞の熱を使用したホットベッド(温床)でメロンやきゅうりを育てたそうで、彼が使っていたのと同じ、木の枠にガラスをかぶせたホットベッドのレプリカがあり、その中で、今でも、この昔ながらの方法で、メロンを実らせているようです。

彼の墓は、すぐ近くの教会の墓地にあります。気が付かないと、つまづいて転びそうな、質素で小さな墓石でした。

ジグザグのスタート地点

また、家のそばには、ジグザグと呼ばれる、彼が、丘の斜面に築いた、それこそ丘をジグザグに登っていく道があります。これを頂上まで登ってみました。短距離ですが、わりと急な斜面なので、足にきます。出だしは、うっそうとした茂みや木々の他は、何も視界に入らないのが、

ジグザグの頂上からの眺め

登るにつれて、村を一望でき、地平線が望めるようになっていきます。頂上には、ちゃんと「おつかれさま」ベンチがありました。こんなのを登りながら、季節季節の自然の移り変わりを観察してたのでしょう。そういう人生、満ち足りていただろうと想像します。

セルボーンは、秋がまた美しいようで、連れてきてくれた友達が、秋日和の週末などは、ハイキングをする人やサイクリストでにぎやかになるという話をしていました。

今は、名もないけれど、自然に富んだ、小さい村に住んでいる人は、毎日の自然観測を日記に書き残してみてもいいかもしれません。いつの日か、「xx村博物誌」として、その村を有名にするかも。

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