アフィントンのホワイトホース 

上空から見たアフィントンのホワイトホース(NTのサイトより)

 いわゆるヒルフィギュア(丘絵、Hill Figure)と呼ばれるものは、主に、白亜(チョーク)や石灰岩の丘の斜面に絵を刻み込み、周囲の緑の草を背景に、白い地層をむき出しにしたものを呼びます。でも、時には、チョークや石灰岩層でない場所でも、茶色の土をむき出しにしたりしたものも見られます。また、地層がさほど白く見えない時は、ご丁寧に白い石をばらまいたり、ペンキを塗って白く見せたりと、色々努力をしている所もあるようです。

さて、そんなヒルフィギュアの中でも人気の題材は、白馬、ホワイトホース。そして、数ある、ヒルフィギュアのホワイトホースの中でも、一番古く、一番有名なものが、オックスフォードシャー州にあるアフィントンのホワイトホース(Uffington white horse)でしょう。

ホワイトホースのヒルフィギュアは、馬が左を向いているものがほとんどで、アフィントンのものを含め、右向きのものは4つのみだそうです。まあ、こんなのは、「右向き?だからどうした?」って、感じの情報ではありますが。確かに私も、馬やらの動物を描こうと思うと、自然と顔を左に描いてしまいます。右利きだと、そうした方が描きやすいのかもしれません。となると、「この馬の原画を描いた人物は、左利きか?」とつまらない憶測をしてしまいました。

イギリスの青銅器時代の紀元前1200~800年に彫られたという事で、その形は、他のホワイトホースの丘絵と比べて、抽象的、デザイン的で、「これは、本当に馬なのか、他の動物ではないのか」という論争もあるようです。が、11世紀にはすでに、これを「白馬」としてある記述が残っているという事。

さて、そして、これを何のために作ったかというのも、やはりもめるところ。地元の部族が自分たちの紋章として使い、「ここいらはおいらの土地」だというスタンプのようなものだったとか、宗教的意味を持つとか。なんでもケルト神話・ローマ神話には、エポナ(Epona)という馬の女神がいるのだそうで、彼女を祀ったものであるという話もあり。また、やはりケルト神話の光、火、治癒の神、ひいては太陽神として崇められたベレヌス(Belenus)を祀ったものであるとかも言われています。このべレヌスなる神様は、馬に乗っているところが描写されているとやらで、また、青銅器時代、太陽のチャリオット(戦闘用馬車)は馬にひかれていたという話もあります。

実際、このアフィントンのホワイトホースは、丘の下から見ても、丘の上から見ても、その全体像がはっきり見えにくく、上空から上の写真のように見るのが一番、全景がよくわかることから、太陽の神様が見えるように上空から見やすいようになっている、というのは、わりと説得力のある意見だと思います。

と、アフィントン・ホワイトホースの説明はここまでにして・・・、現場へ行ってみましょう。

リッジウェイの道しるべ

コロナ騒動が始まってから、しばらく家の周辺ばかりをうろうろしていましたが、久しぶりの観光に、ハイキング好きの友達夫婦に連れられて、White Horse Hillと呼ばれる、この周辺を歩きに行ってきました。丘の上に駐車場があるのですが、丘の下のちょっと離れた場所の駐車場にとめ、しばらくは、リッジウェイ(Ridgeway)と呼ばれる長距離ハイキング路をたどって、ゆるやかに丘をめがけて登りました。(リッジウェイは、以前、別のブログポストで書いたチルターンなども通過しています。その時のハイキング記事はこちらまで。)

丘に至るまでの途中には、ウェーランズ・スミシー(Wayland's Smithy、ウェーランドの鍛冶場)と呼ばれる、埋葬場として使用された新石器時代の遺跡があります。2回に分けて建造されたそうで、第一回目は紀元前3590~3550年ほどの間、第二回目は、3460~3400年くらいというのですから、ストーンヘンジより古いことになります。ウェーランド・スミス(Wayland Smith)とは、ゲルマン人の伝説における鍛冶の神様で、10世紀にはすでに、この遺跡は、ウェーランズ・スミシーとして知られていたそうです。ウェーランドが、この埋葬場の中に鍛冶場を持っていたとかいう言い伝えと、鍛冶というものに魔法の力があると信じられていたことなどによる命名ではないかという事。この場所の外に、古い蹄鉄を置いて帰り、朝になってからとりに行くと、おニューの蹄鉄に代わっているとやら。

私たちが着いた時には、アメリカ人の先生に連れられたような若者のグループが見学していて、にぎやかでした。ので、写真は、帰り道、誰もいなくなり、ミステリアスなムードが漂うところを取りました。


さて、丘の上に登り切り、白馬の刻まれている傾斜を覗き込むと、上の写真のような感じで、白い線が切れ切れに見え、丸い目のようなものが見えと、本当に、なんだかよくわからないのです。これは、あとで、丘の下の道路を車で通った時も仰いでみたのですが、丘の湾曲加減に寄るのでしょう、やはり、そこにあるのがアフィントンのホワイトホースだと言われてみない限り、わからない。やっぱり、太陽神にささげたもので、人間が下から見るためのものではないのでしょうかね。

この白馬のある斜面の下に、プリン型の高さ10メートルの丘があったのですが、これはドラゴン・ヒルと呼ばれ、氷河期の終わりに、溶け出した氷河に削られてできた丘で、上が平たいのは、その後、地元民が採掘に使用したためという事。ドラゴン・ヒルと呼ばれるのは、ここでイングランドの守護聖人であるセント・ジョージ(聖ゲオルギウス)がドラゴンをやっつけたという地元伝説が残っており、丘の上の白い部分はドラゴンが倒れた場所で、毒を含んだドラゴンの血をたっぷりすいこんだため、その後、草が生えてこない・・・むむむ。イギリスなどに来たことのないセント・ジョージですから、当然、まるまるのでっちあげです。

帰りは、また同じ道を、今を盛りに白くレースのように咲くカウ・パセリに縁どられたリッジウェイをたどって車へ戻りました。洗われたように、みずみずしい緑と、カウ・パセリ。この時期のイギリスは美しいです。

Wantageの広場にあるアルフレッド大王の像

さて、この後、少し東へ移動して、アルフレッド大王が生まれたという、ワンティジ(Wantage)という町で昼食をとりました。ここの小さな博物館に入ると、受付で、アフィントンのホワイトホースのTシャツを売っていたので、アーミーグリーンの地のものを購入。小さい博物館だったせいか、コロナのせいで、しばらく観光客が枯れていたせいか、なんだか、Tシャツ一枚買っただけで、「これは、先週仕入れたばかりだ。サンキュー、サンキュー、サンキュー。」と連発して、こちらが、恐縮するほど、ありがたがられました。実際には、よく見えなかった白馬も、Tシャツ上では、くっきり。やっぱり、馬にはみえないかなあ・・・と思いながらも。

ちなみに、アフィントンというのは、ホワイトホース近郊の村の名ですが、私たちはこちらには寄りませんでした。

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