スタワー川のドラゴン伝説

テムズ川沿いにそそり立つロンドン搭(Tower of London)は、謀反人を閉じ込める場所、また処刑の場所として使われた事で知られていますが、その他にも、王家の動物園の様な役割も果たしていました。一国の王様、女王様ともなると、海外の王侯貴族から、エキゾチックな動物を贈り物にもらってしまう事などもあり、また自ら珍しい動物を取り寄せたりする事もあったわけです。そんな、ライオンやトラが、海外からイングランドにやって来たはいいが、さて、どこで飼育すれば良いのか、そうだ、ロンドン搭にでも・・・という事になったのでしょう。

昔々、獅子心王と呼ばれたリチャード1世の時代。十字軍の遠征から持って来させたワニを、リチャードは、ロンドン搭に収めたと言います。その後、ワニは、ロンドン搭から、すたこら逃げ出し、テムズ川を下って、ロンドンの北側にある、エセックス州の沼地へ大脱走。やがて、ワニは、南はエセックス州と北はサフォーク州の境界線を流れるスタワー川(River Stour)にたどり着き、周辺の谷に定住したとやら。

スタワー川沿いの町ビューアーズ(Bures)周辺の地には、中世の時代、ドラゴンが出現した、という伝説が流れていますが、このドラゴンは、実は、上記の様に、ロンドン搭から脱走して来たワニであった、という説が最も強いそうです。実際、当時の人たちは、ワニなどという動物を見た事も聞いた事もなかったでしょうから、リチャード1世のワニが、周辺の地の羊やら小動物やらを飲み込んで巨大化していたら、それを見た村人たちが、「ひょえ!ドラゴン!」と思って腰を抜かす姿も、容易に想像できます。

先日、このドラゴン伝説の名残を追って、ビューアーズを起点終点とし、約18キロのサーキュラー・ウォーク(一周ぐるりと回るハイキング)に、だんなと出かけてきました。前半の行程は、ビューアーズからスタワー川の南側(エセックス州)を東へむけて歩き、途中、ウォーミングフォード(Wormingford)、ウィッシントン(Wissington)という、かわいらしい集落を通過。ドラゴンの壁画が教会の内部に残るウィッシントン直前で、スタワー川を渡り、サフォーク州に入り、少々北上。後半は、今度は、川の北部(サフォーク州)を、ずっと西へ向けて、沈みつつある太陽を目指して歩き、ビューアーズに戻りました。(この行程に興味がある方は、下のグーグル・マップをクリックして、ご確認下さい。)

エセックスとサフォーク境界線の、スタワー川・・・と聞いて、頭に浮かぶのは、画家ジョン・コンスタブル。コンスタブルの生まれ故郷であり、彼が幾度となく描いたフラットフォード・ミル一帯は、彼にちなんでコンスタブル・カントリー(Constable Country)と称されています。ビューアーズ、ウォーミングフォード、ウィッシントンは、スタワー川に沿って、コンスタブル・カントリーから、やや西側に位置します。ジョン・コンスタブルは元より、更にここより西へ行った場所に在る、スタワー川沿いでは一番大きい町、サドベリー出身の画家、トマス・ゲインズバラも、この周辺を歩いたとされています。彼らも、ドラゴン伝説を知っていたかもしれません。

という事で、ビューアーズ駅に降り立ち、町を抜けると、すぐ見えてくる水車小屋。ここから、スタワー川南岸を走るスタワー・ヴァリー・パス(Stour Valley Path)と称されるフットパス(歩行者専用のハイキング道)を東へたどって歩き始めました。スタワー・ヴァリー・パスは、道しるべがわりと分かりやすく所々に現れるのですが、ちょっと迷ってしまいそうな場所にたどり着くと、必ず、

緑色のマーカーで、地面に描かれた矢印に出くわし、とても助かりました。この矢印、おそらく、2,3週間も経つと消えてしまうのではないかと思うのですが、きっと、誰かが、または、慈善団体が、頻繁に、新しく塗りなおしてくれているのでしょう。ありがとう!このハイキングコースの景色と、ウォーミングフォードについては、次回にまた詳しく書くことにし、今回は、特に、この辺のドラゴンゆかりの場所について。

ハイキングコースの中間地、スタワー川を北側に渡ってすぐの場所に木々に囲まれてひっそりと立つのが、ウィッシントンにある教会。

内部に入ると、両側の壁は、色あせた中世の壁画で覆われており、そのうちのひとつの絵が、一番上に載せた写真のドラゴンなのです。教会内には、この教会の絵入りのグリーティングカードなどが販売されていました。ドラゴンの絵の入ったティータオルが4ポンド、と書かれている札があったのですが、見本として、画鋲で留めてあったものの他に見当たらなかったので、せっかくここまで来たから、と画鋲をはずして、見本のティータオルをみやげに購入しました。

内部には誰もいないので、お金は、入り口にどかんと置いてあった古いチェストの穴に落とすようになっています。

壁画のひとつに、イタリアはアッシジの聖人、聖フランシスコが、鳥たちにお説教をしているところを描いたものもありますが、何でもこれは、聖フランシスコを描いた、イギリスでは一番古い絵なのだそうです。

教会の墓地で、墓堀をしていたおじさんとちょっと話をしました。何でも、場所が無いので、かなり古い、昔の墓を掘り起こして、新たに埋葬できるようにする、という作業をしていたのだそうです。もう5時頃だったので、「残りの日とハイキングを楽しんでね。」と、墓堀おじさんは、小型トラックにのって帰っていきました。が、私たちには、まだ、残り、8~9キロの行程が残っていました。ここからは、スタワー・ヴァリー・パスを離れ、セント・エドモンド・ウェイ(St Edmond Way)というフットパスををたどって歩きました。スタワー・ヴァリー・パスを、このままずっと東へ続いて歩くと、やがてはコンスタブル・カントリーに入っていきます。スタワー・ヴァリー・パスとセント・エドモンド・ウェイは、途中こうして交差したり、合体したりしながら、サフォークの牧歌的な風景の中をずっとぬって行きます。両方とも、端から端まで歩くには、一日では済まないでしょう。

セント・エドモンド・ウェイの名の由来となる、セント・エドモンドは、9世紀のイーストアングリア王国(現サフォーク、ノーフォーク、ケンブリッジシャー州周辺)の王様。869年、ヴァイキング(デーン人)との戦いに敗れ、殺されてしまった人で、後、聖人としてあがめられるようになり、その死体は、サフォーク州、ベリー・セント・エドモンズ(Bury St Edmunds)へ移され、奇跡が起こるとの噂にも煽られて、多くの巡礼者が訪れるようになるのです。という事で、セント・エドモンド・ウェイは、ベリー・セント・エドモンズまでずっと続いています。エドモンド王は、イーストアングリアの、アングロ・サクソン族最後の王様で、後、一帯はデーン人の王様に牛耳られる事となります。

ついでながら、イーストアングリアの王様と言って、他に有名なのは7世紀のレドウォールド(Raedwald)がいます。レドウォールド王のものだと言われる、アングロサクソン時代の数々の貴重な物品が出土された埋葬場所が、サフォーク州の海岸線にある、名高いサットン・フーです。

今年の5月に、肺にカビが生えて入院して以来、まだパワーが足りないだんなの事、それは歩くのが遅く、18キロを一周するのに、かなり時間がかかりました。後半は特に、このままでは、日が暮れてしまう・・・と、登り道では、私が背中を押したりもして・・・。上の写真、砂漠のようですが、収穫を済ませ、耕した後の畑です。真ん中に点のように写っているのが、だんな。

こちらは、ちょっとクローズ・アップしたもの。ひたすらセント・エドモンド・ウェイを辿る巡礼者の様?行けども、行けども、という感じです。

それでも、歩き続け、再び、スタート地点のビューアーズに近づいて来た丘の上に、セント・スティーブンズ・チャペル(St Stephen's Chapel)という古いチャベルが建っています。なんと、藁葺き屋根。何でも、セント・エドモンドは、この場所で戴冠してイーストアングリアの王様となったのだとか。この建物の裏に回ると、スタワー川の対岸(南岸)の丘の斜面に、ドラゴンの絵が彫られているのが見れます。

このドラゴンの絵は、比較的新しいものではないかと思います。他にもイギリス内に丘絵はいくつかあり、このドラゴンの丘絵は、ウィルミントンのロングマンなどと比べて、知名度はぐっーと落ちますが、それなりに味があります。

ベンチがあったので、そこに座って、すばらくドラゴンのいる景色をながめながら一休み。どっぷり日が暮れる前に、無事にビューアーズへ戻り、町でフィッシュ・アンド・チップスを購入し、駅のベンチで、帰りの電車を待ちながらパクつきました。つかれたびー。

コメント

  1. お久しぶりです。何よりもご主人が回復しつつあるようなのが嬉しいです。18キロは長い!私も完歩できるかどうか。おつかれさまでした。次の日、筋肉痛とか大丈夫でしたか。

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    1. 甘く見ていたので、思ったより時間がかかりました・・・。帰りの駅から家までの10分の行程も、ちょっとした坂道は私が背中を押して。翌日はけろっとして、二人とも、特に筋肉痛はなかったです。ただ、私は、足の親指のつめに黒いあざができ、2,3日痛かったですね。

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