牛乳瓶とイギリスのミルクマン

イギリスの牛乳配達人は、英語でミルクマン(Milkman)。

ミルクマンは、2、3年前まで、袋小路である我が家の通りにも、朝早く、荷台に牛乳瓶を積んだワゴン車でやって来ていましたが、牛乳を配達してもらっていた2件先のおばあさんが亡くなり、やはりミルクマンを使っていた隣のおばあさんが、養老施設に入ってしまってから、うちの通りでは、その後見なくなりました。いや、うちの通りに限らず、牛乳配達をしてもらっている家庭は、かなり少なくなっている事でしょう。

現在、イギリスに存在するミルクマンの数は、5000人前後だそうで、絶滅に瀕している動物の様な存在。去年の秋には、瓶入りの牛乳を製造していた大手の会社が、牛乳瓶を製造していた最後の工場の閉鎖を決定したというニュースが流れ、今後、当社に雇われる1400人の牛乳配達人たちは、プラスチック容器入りの牛乳を戸口に配達する事となります。小さな牛乳製造者は、まだしばらく瓶入り牛乳を続けるところもあるようですが。プラスチックボトルの製造費用は、瓶を作る費用より安いのだそうですし、配達の際、軽くて、割れない、漏れない、という利点があります。うちのだんなは、少年時代、雪の日などに、近所のミルクマンに頼まれ、何度か配達の手伝いをした事があるのだそうですが、どんなにがんばっても、どうしても、アルミの蓋のわきから、少しミルクが漏れてしまって、手にどろっとミルクがついたのだそうです。このミルクマンは、だんなの家の近くの農家の牛乳を積んで回っていたのだそうで、まだ、製造者と消費者の関係が非常に分かりやすかった時代です。牛乳瓶の消滅で、早朝、戸口で、かちん、かちん、と軽く瓶が触れ合う音がする、という昔ながらのミルクマンのイメージが壊れてしまうのは残念です。

牛乳瓶が出回る以前は、牛乳の配達は、フランダースの犬のネロ少年さながら、大きな容器に入れたものを、馬に引かれたワゴン車にのせて回り、各家の用意した入れ物に、しゃくしですくって注ぎいれていました。初めて牛乳瓶なるものに特許が与えられたのは、1870年代のアメリカ。そして、やはりアメリカで、世界で始めて、牛乳瓶が戸口に配られたのは、1878年だったとか。イギリスでも、1880年に、瀬戸物の蓋がワイヤーでくっついた牛乳瓶が登場したようですが、牛乳瓶が家に配達されるのが一般化するのは、第一次世界大戦後のようです。

第一次大戦後には、ダンボール紙を丸く切ったものを瓶の上にのせ蓋とし、子供たちは、これを集めて遊びに使うという事もあったそうです。その後、アルミニウムの蓋に取って代わられ、前回の記事に書いたよう、アオガラが、クリーム目当てに、この蓋をくちばしでやぶる術を身につけ、イギリスの家の戸口の風物詩となり。使用し終わった瓶は、洗って、また戸口に出すと、ミルクマンが翌朝持って行くわけですので、こうした牛乳瓶の返還は、イギリスの家庭が、無意識のうちに行った、最初の定期的リサイクル行為でもあったのです。

冷蔵庫が一般家庭での必需品となると、保存が長く出来るため、各家庭、牛乳を配達してもらう回数が減るのですが、最終的に、配達をしてもらう家庭の激減に繋がるのは、スーパーがプラスチック入りの牛乳を安く売り始めてから。どんなに、瓶入り牛乳の方が、美味しいと感じていた人でも、切れた時、欲しい時に、ぱぱっと自分で購入し、わざわざ配達のアレンジをする必要が無い便利さには勝てないのです。

我が家は、少しでも健康に良いかもと、牛乳をやめて、ヤギのミルクに切り替えてからしばらく経ちますが、昨今、大手スーパーでは、4パイント(2・272リットル)の牛乳は、1ポンドほどで売られ、ミネラルウォーターよりも安いのだとか。スーパー側が牛乳に払う値段があまりに低く、このままでは、酪農農家が経営を続けられない状態になるのでは、と連日ニュースになっています。最近、中国からの粉ミルクの需要が減った事、ニュージーランドでの牛乳の生産が好調なことなども、イギリスでの牛乳の価格低下に影響を与えているようです。農家のプロテストもさかんに起こっていますが、牛乳の価格をめぐる、配給側と製造側の争いというのも、今に始まったことではなく、過去何回も、別の国でも起こっているようです。遡ること、すでに1883年のニューヨークで、「ニューヨーク・ミルク戦争」なるものが記録されています。この際、低価格に怒った農家は、牛乳を配給者側に渡さずに、道にぶちまける、などというプロテストも行っていたようです。(この件に関する参考サイト:http://milk.procon.org/view.timeline.php?timelineID=000018

さて、話を牛乳瓶に戻し・・・、思い起こせば、日本の我が家でも、私がまだ小さい頃は、玄関口まで、瓶入り牛乳を配達をしてもらっていた気がします。団地だった我が家のドアのわきには、ちゃんと牛乳受けまで取り付けてありました。日本で、牛乳が配達されていた期間と言うのは、イギリスよりもずっと短かったでしょう。気がつくと、スーパーから買ったカートンの牛乳を飲んでいましたから。ちなみに、お隣の家では、いつもヤクルトを配達してもらっていたのも覚えています。

牛乳瓶は、学校の給食にもつきものでしたね。飲んだ後は、瓶を廊下の流しであらって、ケースに戻して、調理室に返し。週に一回ほど、牛乳に混ぜて飲む、チョコレートパウダーが付いてきていた日があり、その日が楽しみだったものです。冬には、教室の石炭ストーブの上に水の入った鍋を置いて、その中に、牛乳瓶を入れて暖めて飲んでいる子達もおり。また、クラスに1人、牛乳を飲んだ後に、目から白い涙を流せる・・・という芸を持った子がいて、給食の時間の終わりには、牛乳瓶を手に持ったその子の周りを取り囲んで、皆で、彼が、口から入った牛乳を目から出す様子を、「気持ちわるーい」などと言いながらも、やんやの喝采を送って楽しんだのでした。こういうどうしょーもない芸を披露する子供と言うのは、必ず、クラスに1人や2人いたものです。今の日本の給食では、牛乳瓶はもう無いでしょうか。考えてみれば、小学校の高学年の時には、すでに瓶ではなく、3角形の紙のものに変わっていた気もします。

イギリスでも、かつては、学校の食事の時間、小さな牛乳瓶一本を無料で生徒たちに出していました。こうした学校での牛乳配布制度を廃止したのは、保守党のエドワード・ヒース政権の下で、教育相であったマーガレット・サッチャー。1970年のことで、彼女が保守党のリーダー、そして首相になる前の話です。経費削減のために、子供たちからミルクを奪い去った人間として、サッチャー女史は、時に、「Margaret Thatcher, Milk Snatcher、マーガレット・サッチャー、ミルク・スナッチャー(ミルクを盗むやつ)」と韻を踏んで、茶化して呼ばれていました。

ここで、牛乳瓶の話から、イギリスのミルクマンへと話題を移します。

イギリスのミルクマンは、過去、多くのコメディアン達のジョークのネタとなっていました。昔は共稼ぎ家庭が少なかったことも手伝ってか、時間をもてあました主婦が、だんながいない間に、配達に来たミルクマンと不倫をする・・・というのが、お定まりのジョーク。

牛乳を配り終わるのに、時に昼ごろまで時間がかかったり、実際、ミルクマンに紅茶を出す家庭なども、昔はあったようなので、ミルクマン=主婦との浮気、というイメージにつながったのでしょう。

モンティ・パイソンのミルクマンというスケッチでは、お色気主婦に、家の中に誘われたミルクマンのマイケル・ペイリンが、2階の部屋に入るようにそそのかされ、部屋に入ると、主婦は、後ろからドアに鍵をかけてしまった。そして室内にいたのは、彼女がコレクションしている大勢のミルクマンたち。長年、閉じ込められたままで、ひげが生えてきてしまった者もいれば、中には、骸骨になってしまっている者も。

実際にミルクマンとして働いたことがあるという、コメディアンのベニー・ヒル(Benny Hill)による「Ernie, The Fastest Milkman in the West」(アーニー、西部で一番速いミルクマン)という歌もあります。歌の内容は、馬に引かれた、イングランド西部で一番速い牛乳ワゴン車を走らせるミルクマン、アーニーの物語。通りの22番地に住む未亡人スーと良い仲になっていたものの、パンを配達する恋のライバル、テッドが現れ、決闘の結果、テッドに、ポークパイと、ロックケーキを投げつけられ、アーニーは死亡。スーとテッドの結婚の夜におばけとなって現れる・・・という、ハチャメチャなもの。「in the West 西部で」というのは、実際はイングランド西部の事ですが、アメリカの西部劇にひっかけて、馬で走り回ったり、決闘をしたり・・・というシーンが出てくるのです。

未亡人スーの、頭に布巾をかぶり、割烹着をつけた姿も、昔の典型的主婦の味を出していて可笑しい!かつて、保守党のリーダーに成ったばかりの頃のデーヴィッド・キャメロンが、好きな歌を8つ選曲するというラジオ番組、「デザート・アイランド・ディスクス」に登場した際に、この歌を選曲したことが、かなり話題になっていました。1971年のクリスマス期に、4週間、イギリスのヒットチャートのナンバー1に輝いていたそうで、うちのだんなも、歌詞をよーく知っていますが、キャメロン氏も、子供の時に、何度も何度も聞いて、歌詞を覚えているのだそうです。

「ファーザー・テッド」(Father Ted)というアイルランドに住む牧師さんを主人公としたコメディーでも、配達路線で主婦と不倫をしまくるミルクマン、パット・マスタードという人物が登場するエピソードがあり、こちらも愉快でした。パット・マスタードが牛乳を配達して回る家で、彼そっくりの、もみ上げと髭が生えた、「ヘアリー・ベービー」(毛むくじゃらの赤ん坊)が何人も生まれたことで、彼の素行がばれるのです。

また、日本でもミスター・ビーンとしてお馴染みの、ローワン・アトキンソンが主人公の、時代物テレビ・コメディー・シリーズ、「ブラックアダー」(Blackadder)を見ていて、私は、はじめて、「glint in the milkman's eye」(ミルクマンのぎらぎらした目の輝き)という表現を知ったのです。

たしか、

When you were just a glint in the milkman's eye...
お前がまだ、欲望に満ちたミルクマンのぎらっとした目の輝きでしかなかったころ・・・

とか言う台詞で出てきた覚えがあり、要は「お前がまだ生まれる前」という事ですが、更には、「お前は不倫の結果に生まれた私生児」という侮辱も含まれているわけです。

牛乳瓶、牛乳瓶の蓋を開けるアオガラ、ミルクマンと主婦のジョーク・・・時代の変化と共に、次々と消えていき、あとは、語り伝えて、記憶に残るのみのものとなっています。他の多くの物と同じに。今から50年経った後、ミルクマン・ジョークを聞いて、理解して笑える若者は、まだイギリスに存在するでしょうか。

コメント

  1. 偶然見かけたあなたのブログを,、以来楽しみに読ませてもらっている通りすがりの者です。私が個人的に好きな曲でAphex TwinのMilkmanというものがあります。https://www.youtube.com/watch?v=MqTKOq8DmWU
    テクノのミュージシャンとして分類されがちなAphex Twinにしてはちょっと異色な曲で、童謡のようなかわいい曲で、歌詞もなんだか他愛のないような、でもわたしにはわからない意味が含まれているようでもあり、ずっと気になっていました。今回のエントリーを読んで、英国におけるMilkmanが、単なる職業であるというだけでなく、英国人のある世代にとっては、さまざまな連想を誘い出す、「文化的?」な事項でもあるのかなあ、などと思いました。

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    1. 通りすがりのお方へ
      Aphex TwinのMilkmanというのは、知らなかったです。上のリンクは、なぜか、この国では見れないと、ブロックされていたので、検索して他のユーチューブビデオで聞いてみました。無邪気な童謡風で、実は、ミルクマンの奥さんに対して妄想を抱いている、という、主婦と浮気する、普通のミルクマンジョークとは、逆ケースですね。この人は、71年生まれで、コーンウォールで育ったというので、幼少時代、それこそ、「イングランド西部のミルクマン」に牛乳を配達してもらっていたかもしれません。
      Benny HillのErnie, The Fastest Milkman in the Westも、ユーチューブに載っているので、暇なときにでも見てみて下さい。可笑しいです。イギリスのミルクマンは文化だと、私も思います。

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