収穫の終わった小麦畑
8月も終わりですから、イギリスの畑では、とっくに、小麦は収穫済みです。
この季節のイングランドでは、黄金色のフィールドのあちこちに、小麦のわらを丸めたものが、沢山ころがっている風景によく行きあたります。前回の記事で書いた、スタワー川沿いのハイキングの最中も、もちろん、目にし。
小麦の切り株が線を作る、畑のど真ん中を突っ切る事もありました。
スタワー川周辺の田園風景は、画家のジョン・コンスタブルがこよなく愛した風景でもありますが、ハイキングの途中に訪れたワーミングフォード(Wormingford)という村は、20世紀の画家、ジョン・ナッシュが長く住んだ場所で、彼も、周辺の風景を描いています。
ジョン・ナッシュは、第一次、第二次世界大戦中には戦争画家としても活躍したポール・ナッシュの弟で、代表作は、「コーン・フィールド」と呼ばれる、小麦収穫後の畑の風景。日本では、アメリカ英語の影響の方が強いので、コーン(corn)というと、「とうもろこし」と、自動的に訳してしまいがちですが、イギリスでは、コーンは、「小麦」を指すことが多い言葉です。
まさに、ジョン・ナッシュのコーン・フィールドの風景のただ中を歩けたので、季節的には、ぴったりのハイキングだったのです。
ワーミングフォードの教会の墓地には、1977年に亡くなった、ジョン・ナッシュのお墓があるという事なので、墓地の芝刈りをしていたおじさんに、「どれが、ジョン・ナッシュのお墓か知ってますか?」と質問。「もちろん。彼と彼の奥さんの二人とも、生前、良く知っていたし。」という返事。へー、何だか、絵しか知らない画家が身近な人になったような気分。場所を教えてもらい、ついでに、「コンスタブルの親戚のお墓は、教会の裏に在るよ。」という情報もくれました。そう、ワーミングフォードは、コンスタブルの叔父さん夫婦、アブラムとメアリー・コンスタブルが住んでいた場所でもあるのです。「ジョン・コンスタブルも、おじさんを訪ねて、ここに来て、たしか、この教会も描いてるはずだけど、その絵がどこに在るかは聞かないでね。知らないから。」という事。
ジョン・ナッシュと、奥さんのお墓。
コンスタブルの叔父さん夫婦のお墓。永遠の眠りに付くには、悪くない場所です。
この周辺は、平坦な事で知られるイーストアングリア地方にしては、わりと丘が多く、丘の上を歩くときは、かなり遠くまで見渡せます。
羊も所々で見かけました。
他に見た動物では、巨大な角のある牡牛。大きなおちんぽこ下げて、男性ホルモン行き渡っている感じでした。この牡牛のいる草原を横切らねばならない時は、びくびくものでしたよ。ごく稀ではありますが、歩いている最中、牛に押しつぶされて死亡する人など、年に何人かいるという話ですので。それに、スペインのパンプローナで、毎年、牛の角にわき腹刺されて怪我する人の話とかも、頭をよぎり。側を通るときは、「ゆっくり、おちついて、それでいて、堂々と・・・」と心に言い聞かせながら歩きました。それでも、草原のわきのゲートを通り過ぎるまでは、やはり、内心、こわかったのです。柵の後ろの安全圏に入ってから、貫禄を見せて、「おーよし、よし。」なんて、寄ってきた牛の鼻を撫ぜたり、写真取ったりして。
黒い土が、すでに耕され、むき出しになっている畑は、何が植えてあったのでしょう。冬に向けて、何を植えるのでしょう。
コンスタブルも、「ウィート・フィールド」、そして
「コーン・フィールド」と其々題した、小麦収穫風景を描いています。当時は、当然、収穫も大変な肉体作業だったことでしょう。
ハイキングの最中、時にバッタが足元を飛び、虫の鳴き声が草の中から聞こえ。小麦収穫後の畑に、太陽の名残を残しながら、コンスタブルの時代からほぼ変わらぬ姿で、また、ひとつの夏が過ぎて行きます。
この季節のイングランドでは、黄金色のフィールドのあちこちに、小麦のわらを丸めたものが、沢山ころがっている風景によく行きあたります。前回の記事で書いた、スタワー川沿いのハイキングの最中も、もちろん、目にし。
小麦の切り株が線を作る、畑のど真ん中を突っ切る事もありました。
スタワー川周辺の田園風景は、画家のジョン・コンスタブルがこよなく愛した風景でもありますが、ハイキングの途中に訪れたワーミングフォード(Wormingford)という村は、20世紀の画家、ジョン・ナッシュが長く住んだ場所で、彼も、周辺の風景を描いています。
ジョン・ナッシュは、第一次、第二次世界大戦中には戦争画家としても活躍したポール・ナッシュの弟で、代表作は、「コーン・フィールド」と呼ばれる、小麦収穫後の畑の風景。日本では、アメリカ英語の影響の方が強いので、コーン(corn)というと、「とうもろこし」と、自動的に訳してしまいがちですが、イギリスでは、コーンは、「小麦」を指すことが多い言葉です。
まさに、ジョン・ナッシュのコーン・フィールドの風景のただ中を歩けたので、季節的には、ぴったりのハイキングだったのです。
ワーミングフォードの教会の墓地には、1977年に亡くなった、ジョン・ナッシュのお墓があるという事なので、墓地の芝刈りをしていたおじさんに、「どれが、ジョン・ナッシュのお墓か知ってますか?」と質問。「もちろん。彼と彼の奥さんの二人とも、生前、良く知っていたし。」という返事。へー、何だか、絵しか知らない画家が身近な人になったような気分。場所を教えてもらい、ついでに、「コンスタブルの親戚のお墓は、教会の裏に在るよ。」という情報もくれました。そう、ワーミングフォードは、コンスタブルの叔父さん夫婦、アブラムとメアリー・コンスタブルが住んでいた場所でもあるのです。「ジョン・コンスタブルも、おじさんを訪ねて、ここに来て、たしか、この教会も描いてるはずだけど、その絵がどこに在るかは聞かないでね。知らないから。」という事。
ジョン・ナッシュと、奥さんのお墓。
コンスタブルの叔父さん夫婦のお墓。永遠の眠りに付くには、悪くない場所です。
この周辺は、平坦な事で知られるイーストアングリア地方にしては、わりと丘が多く、丘の上を歩くときは、かなり遠くまで見渡せます。
羊も所々で見かけました。
他に見た動物では、巨大な角のある牡牛。大きなおちんぽこ下げて、男性ホルモン行き渡っている感じでした。この牡牛のいる草原を横切らねばならない時は、びくびくものでしたよ。ごく稀ではありますが、歩いている最中、牛に押しつぶされて死亡する人など、年に何人かいるという話ですので。それに、スペインのパンプローナで、毎年、牛の角にわき腹刺されて怪我する人の話とかも、頭をよぎり。側を通るときは、「ゆっくり、おちついて、それでいて、堂々と・・・」と心に言い聞かせながら歩きました。それでも、草原のわきのゲートを通り過ぎるまでは、やはり、内心、こわかったのです。柵の後ろの安全圏に入ってから、貫禄を見せて、「おーよし、よし。」なんて、寄ってきた牛の鼻を撫ぜたり、写真取ったりして。
黒い土が、すでに耕され、むき出しになっている畑は、何が植えてあったのでしょう。冬に向けて、何を植えるのでしょう。
コンスタブルも、「ウィート・フィールド」、そして
「コーン・フィールド」と其々題した、小麦収穫風景を描いています。当時は、当然、収穫も大変な肉体作業だったことでしょう。
ハイキングの最中、時にバッタが足元を飛び、虫の鳴き声が草の中から聞こえ。小麦収穫後の畑に、太陽の名残を残しながら、コンスタブルの時代からほぼ変わらぬ姿で、また、ひとつの夏が過ぎて行きます。
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