イギリスで一番古い教会

他に何も無い平原の中、ローマ時代に遡るまっすぐな道を辿って海に向かって歩くと、ポツンと地平線に現れるのが、それはシンプルな形をした教会、セント・ピーター・オン・ザ・ウォール(St Peter-on-the-wall)。エセックス州東部に位置する、ブラッドウェル・オン・シー(Bradwell-on-sea)にあり、原型に近い形で、イギリスに残る最も古い教会のひとつと言われています。

この教会の歴史を語るには、イギリスにおけるキリスト教の夜明けの話から・・・

ローマ帝国時代、イギリスのヨークにて戴冠した、コンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認したものの、英国内におけるキリスト教は、ローマ帝国衰退、アングロ・サクソン人の侵入と共に、西へと追われます。特にアイルランドの地にて、キリスト教の火は灯されたまま生き残り、ローマを中心とした地中海諸国の、政治がらみのキリスト教から離れ、アイルランド独自のキリスト教を確立していきます。

やがて、6世紀後半から、アイルランドとローマの、多少異なった2つのキリスト教が、其々の地からやって来た宣教師達によって、当時、暗黒時代などと呼ばれていた、アングロ・サクソンのイギリスに再導入される事となります。


まずは、ローマ陣営。597年、ローマ法王、グレゴリウス1世(Gregory I)は、アウグスティヌス(Augustine、英語読みはオーガスティン)に率いられた僧達を、現ケント州に送り込みます。彼らは、ケント王国のエゼルべㇽト王に迎えられ、カンタベリーに定着し、アウグスティヌスは、初代カンタベリー司教となり、布教活動を開始。

一方、アイルランドからは、まず、563年、セント・コルンバ(St Columba)が、スコットランド西岸のアイオナ島(Iona)にて修道院を築き、さらには、635年、アイオナ島の修道僧のひとり、セント・エイダン(St Aidan)がイギリス北東岸沖(現ノーサンバーランド州)にあるリンディスファーン島(Lindisfarne)に修道院を設立、イギリス布教への足がかりを作ります。

 653年、リンディスファーンにて、セント・エイダンから教えを受けた若い宣教師のひとり、セント・ケッド(St Cedd)が、現ブラッドウェル・オン・シーに上陸し、セント・ピーター・オン・ザ・ウォールを設立する事になります。セント・ケッドは、この他にもいくつかの教会をイギリス南部に設立したと言われています。

こうして、二様のキリスト教会が布教をすすめる中、664年に、イングランド北部にあったノーサーンブリア王国のオズウィ王の掛け声により、イギリス北東部海岸にある港町ウィットビー(Whitby)の修道院にて、イギリス内で、アイルランドとローマのどちらのキリスト教のスタイルに従うかを決定するための宗教会議(Synod of Whitby)が召集されます。この結果、ローマ風キリスト教が主流に選ばれる事により、大陸ヨーロッパとの絆を固め、後のイギリスの歴史の航路を決める事となります。

従って、イギリス国内で、アイルランドにゆかりのある教会は、上記宗教会議以前の、比較的古いものが多いです。

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当教会は、ローマ時代の砦の跡地に作られ、良くある話ですが、ローマ時代の遺跡の石やレンガを再利用して建設されています。何でも、建築に使えるような石材の無い地からやって来たサクソン人は、木造の物を作る技術はあったものの、石造建築に関する技術は心得ていなかったそうで、ローマの廃材は、有難かったのでしょう。

また、当時、西ヨーロッパに比較的多かったというギリシャからの移民たちが、建設の手助けをした形跡があるのだそうです。サクソン人の多くは、正確な直角を持つ建物の建設が出来なかったという話で、この教会は、ギリシャ人が持ち込んだ、あるいは伝授した技術のおかげで、みごとな長方形。細部に、ギリシャ正教の教会の影響も、垣間見られるのだそうです。

さて、あまりにも僻地にあったため、やがて、もっと内陸に新しい教会も建てられ、セント・ピーター・オン・ザ・ウォールは、歴史から姿を消し、長い間、納屋として使われる事となります。あまり内部の改造を受けずに済んだのは、この理由もあるのでしょう。

やがて、この地の歴史的重要性が再発見され、こんな貴重な建物を納屋にしてはおれぬ、と、1920年代には、綺麗にお色直しを受け、こうして再び教会として、今も北海を見つめて立っています。

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海岸線を辿って、周辺をかなり時間をかけて散策。遠く水平線に、風力発電の風車が数本立っているのも見えました。海鳥などの観測が出来る自然保護区域があり、第2次世界大戦中の防御用陣地なども通り過ぎ。

そして、いきなり目に入ってくるのは、なんと原子力発電所。1962年から2002年まで使用されていたもので、将来、再び、原子力発電所として復活する可能性のある地です。原子力発電所の直ぐ前では、釣りを楽しむ2人連れがおり。ヨットも行き交いし。

原子力と自然保護区、レジャーと古い教会・・・妙な組み合わせではありますが、上手く共存していた様子。地の果てに来たような、うら寂しい風情もなかなか良い場所です。



*これを書くに当たっての情報は、教会から買ってきた小冊子を主に参考に使わせてもらいました。

コメント

  1. こんばんは

    偉大なりローマ帝国 その支配力はいかに、、。
    遠くイギリスに及んだキリスト教の影響力に政治力の相乗効果を確認出来ました。そして、その地に原子力発電所とは、まさに歴史的ですなー。次はイギリス国教会についての遺跡など紹介してください。 ミセスせつこ

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  2. せつこさん、
    イギリス国教会関連の遺跡というと、ヘンリー8世の修道院解散による、廃墟と化した修道院などがありますが、建物まで破壊するとは、もったいない事をしたものだと思ったりもします。昔取った写真を掘り起こして、そのうち、書いてみます。

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