ビデオの背景に映る本棚

コロナ禍のロックダウンにより、テレワークとなった人々がズームなどを用いたビデオ会議を行ったり、サークルなどの集まりもビデオ、またニュースでの著名人のインタビューなどもビデオにより、各人の自宅から、という事が、ずっと続いています。そんな時、自分の家の中で、どの部分を選ぶか・・・。ごく普通の居間のソファーからとか、キッチン、中にはおそらく家族の騒音を消すためか、屋根裏部屋や倉庫のようなところを選ぶ人もいます。

この中でも、背景に本棚が見えるような位置を選ぶ人もわりと多く、特に政治家や、家からニュースを読むキャスターなども、巨大本棚の前にどんと構えるのが目につきます。更に、そうなると、その本棚に何を並べるかが気になってくるのでしょう、オンラインで古本を売る大手の会社の経営者によると、去年の3月にイギリス一回目のロックダウンが始まってから、ビデオ背景の本棚を埋めるために大量の本を買い求める人が増えたというのです。読むための本ではなく、飾るための本。まあ、たしかに、自分の背後に三文小説などが並んでいてもいまいちだし、ダイエット方法とか、女にもてる秘訣、なんていうようなハウツー本があっても、恥ずかしい、そこで、そういうのは、取り除くでしょうが、わざわざ、大量買いをするか?インテリに見せたい、芸術に造詣が深いことをアピールしたい、など、色々、考慮、苦心して、背景には、他の人に見せたい自分のイメージを構成し得るような本選びに余念のない人もいるようです。

BBCのラジオ番組で、「デザート・アイランド・ディスク」という、著名人が、自分の好きな音楽をいくつか選ぶ、という番組がありますが、考えてみると、これなんかも、本当に純粋に好きな曲のみを選んでいる人もいるでしょうが、自分のイメージを作ることも考慮に入れて選曲をする人というのもいるでしょう。人間が社会的動物である以上、どんな人でも、自分の外への顔や印象は、意識的にせよ、無意識的にせよ、ある程度編集する、というのはあります。

そういえば、ロックダウンが始まってから、洋服の売り上げが減っており、現在、多くの人が、自分が持っている洋服のうち、70%ほどは使用していないのだとか。イギリスでは、スーパーや薬局以外の店は閉まっているので、洋服屋も開いてない、という事情もありますが、ネットでの洋服の売り上げも落ちている様なのです。たしかに、会社に行かず、キッチンテーブルが職場となれば、パジャマの上にガウンを着たままでもいいわけですし、大したところにお出かけできないのだから、新しい洋服を買っても仕方ない。素敵ね、とほめてくれる人もいない。洋服なども、他人に自分を印象づける、自分はどういう人間かという事を見せるのに使われている部分もあるのでしょう。

少々、話は飛びますが、スウェーデンのグレタ・トゥーンベリは、地球温暖化への心配から、自分はもう新しい洋服は買わない、と宣言してました。もっとも、私も、イギリスへ来てからは、チャリティーショップという種々の慈善団体が経営する中古品や洋服を扱う店が多いため、そこからセカンドハンドの服を買う方が多かったです。結構なみっけものがあるので。(今はチャリティーショップも閉まったままで、慈善団体も、資金繰りが苦しくなってきているようですが。)チャリティーショップは、この国から日本に導入したいもののひとつです。日本人は中古の服は嫌いだ、という説を以前聞いたことがありますが。それは違うと思います。私の知り合いの日本人にチャリティーショップを嫌いだという人は聞いたことが無い。どちらかというと、みんな、好きで、よく使ってる感じです。洋服という物も、コロナを機に見直しに入るかもしれません。安く、質の悪いものを、しこたま箪笥の肥やしにする代わりに、セカンドハンド、または、高くても上質、何度でも着たくなる物を、じっくり選んで、数少なく揃えるというように。

ただ、そろそろ新しいパンツが欲しいところなので、ロックダウンが終わって、私が最初に足を運ぶのは、イギリス人の大半がそこで下着を買うという、マークス&スペンサーの下着売り場かもしれません。うちのだんなの身に着ける物も、腰から下は、ほぼすべてマークス&スペンサー社の物です。数年前の大嵐の日の翌日、町へ行く途中の藪に、うちのだんなと全く同じ、マークス&スペンサーの縞々ボクサーパンツが、風に飛ばされたか、ひっかかっており、思わず、「あ、うちのと同じパンツ!」と吹き出しそうになりました。

なぜ、パンツの話になったのか・・・話を、本棚へ戻し。こうした、沢山の、半分は演出のための本棚がごろごろしている中、去年の4月に、ニュース番組でニューヨークの自宅からのビデオインタビューに答えた、英歴史家の、サイモン・シャーマの本棚(上の写真)が、いまだに記憶に残るところです。

彼の本たちは、背表紙も読めないような薄暗がりの中で、一部山積み、一部ずり落ち、その間に、本というより紙のような物がわさわさ紛れ込んでいる・・・。そして、いくつかの、なんだかよくわからないような置物が、「そんなところに置いたら、落ちる、あぶない」という感じで本棚のふちに座っている・・・。この画面をながめながら、だんなと、「サイモン・シャーマ、本だな使いこんでるね。」などと笑いながら話したものです。彼の書く物は、もともと割と好きですし、「常時使っている、編集の入ってない、そのまんま本棚」が、とても好ましく見えました。これに気が付いたのは、私たちだけではなかったようです。数日後、テレビでコメディアンが、「ロックダウンの本棚大賞はサイモン・シャーマだろうな。」と言ってましたから。自分のなんたるかを、小細工を使って証明する必要を感じない人の、自然体の気持ちよさですかね。

ついでながら、自分の映る背景のアレンジに気を遣う他にも、自分の顔自体にも気を使わねばならず、ズームに疲れを感じている人が増えているそうで、常時、自分の顔をスクリーンで長時間見なければならない事や、またビデオ会議参加者に、じろじろ見られているという感覚が苦になっている人が多いのだという報道を聞きました。これは、心理的に、小さなエレベーター内で、乗り合わせた多くの人が皆自分を見ているのに近い圧迫があるとか。また、鏡を時々のぞくのと違い、スクリーン上の自分を見ていると、その欠点が頭の中で大きく膨らんでしまい、プチ整形をしようと思い詰めるケースもあるようです。ズーム会議というものを経験していない私には、あまり実感はありませんが、それでなくても、ストレスの多いコロナ時代、こんな変な気苦労まで加わると・・・大変ですね。あまり気になる人は、自分で自分のイメージを見ずに済む機能があるのだそうで、それを使ってスクリーンから自画像を消して使いましょうとアドバイスがありました。

最後に、ロックダウンのおかげで、逆に減った気苦労もあり、それは、FOMO(フォーモ)に悩む人が少なくなったという事。FOMOは、「Fear of Missing Out」(乗り遅れる事への恐怖とでも訳すのか)の省略。要は、SNSなので、絶え間なく、多くの知り合いから情報が入り、「私、今、これこれこんなエキサイティングな事をしている」と知らされ、それに比べ、自分の生活がまるで味気ないつまらないものに見え、自分も「何かしなければ」という焦燥に駆られる事、また、他人からのニュースを見ていない間に、流行とされる事、話題となっている事から取り残されてしまうという不安、そんなものの様です。他人に刺激を受けるのは、開眼になったり、良い事にもつながりますが、それが、「私も、他者に見せるために、何か、すごいと思ってもらえるような事をしなければならない」という強迫観念となり、自分の行動がそれによって支配されるようになると、確かに、病気かもしれません。ロックダウンとなると、万人、やることは限られています。旅行も無し、店も、おしゃれレストランもバーも開いてない、お出かけは、1日1回、自分の住んでいる周辺を徘徊するだけ。みんな同じ境遇だなので、誰も、すばらしく楽しいことをやってるわけがない、という安心感のため、FOMOが減ったそうなのです。ロックダウン解除になると、これはまた増えていくのかもしれませんが。

本棚に関する過去の記事:「ドロシー・セイヤーズと本棚に並ぶ内面史

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