ホブスンの婿選び

英語で、「Hobson's Choice」(ホブソンの選択)という言葉があります。どういうことかというと、一見、選択肢があるようでいながら、実はひとつしか選べるものが無く、それを取らないと、何も手に入らない、という状況を表現する時に使われます。

1954年のデイヴィッド・リーン監督のイギリス映画に、その名も「Hobson's Choice」(邦題は、ホブスンの婿選び)というものがあります。(ここで、また、英語のカタカナ表記の問題にいきあたります。私は、個人的には、ホブンでなく、ホブンと書きたいところですが、日本での、この映画の題名は、上記の通り「ホブンの婿選び」。以下、ホブスン、ホブソンと入り混じれて書いていますが、いずれの場合にせよ、Hobsonの事ですので、悪しからず。)

この「Hobson's Choice」という表現の由来は、映画より、もっと古い時代に遡ります。それは、ケンブリッジで厩を経営していたトマス・ホブソン(1544-1631)。馬の数は、40頭はいたというのですが、客には馬を選ばせずに、常に、その客が来た時に、戸口に一番近い馬を貸したという話。というのも、自由に客に選択させてしまうと、常に良い馬が選択されて、その馬のみが、酷使されてしまうため。この事から、選択肢が沢山ありそうでいながら、実はたったひとつしかなく、それを取らなければ、他に何も手に入らない状態の事を、いつのころからか、「ホブソンの選択」と表現するに至ったというのです。という事は、当時、このトマス・ホブソンの商売方法は、語り継がれ、あちこちへ、ひろまっていたのでしょう。トマス・ホブソンなる人物は、特に他に何をしたわけでもなく、有名人物でもないのに、風評というものの力はすごいです。

さて、それでは、私は大変気に入っている映画「ホブスンの婿探し」に話を移します。舞台は19世紀後半の、イングランド北部、ランカシャー州の町サルフォード。産業革命で、織物業などが栄えた町で、映画内、古びた商店がならぶ、石畳の、町の目抜き通りの風景には古き良きイングランド的、レトロ感漂うものの、町の郊外の背景には、工場の煙突などが伺えます。

ざっとしたあらすじは、

チャールズ・ロートン演じる、呑み助のホブソン氏は、町の目抜き通りで靴屋を経営。もっとも、靴屋と家庭の切り盛りは、自分の3人娘、マギー、アリス、ヴィッキーにまかせっきりで、自分は、近くの居酒屋に足しげく通う毎日。

店の下の地下室で、もくもくと働くのは、靴職人の二人、そのうちの一人は、ジョン・ミルズ演ずる、ウィリー・モソップ。若いウィリーは、靴作りに、並み以上の優れた才能を見せながら、純朴で教養を受けず育ち、特別な野心もなく、ただ、ホブソンの下で、おとなしく、働くのみ。

年頃の娘二人、アリスとヴィッキーはそれぞれ、父親に内緒の恋人がいるものの、ホブソンは、持参金を出すのが惜しいあまり、娘たちは、嫁に出さずともいいという見解に達する。さらに、店の経営の要で、すでに30を超しているマギーに対して、ホブソンは、「30超したお前など、もう嫁に行けるわけがない」と笑う。意を決したマギーは、大人しいウィリーに自分から強引にアプローチし、二人は、結婚。反対する父を後に残し、ウィリーの靴職人としての腕と、マギーのビジネス感覚を頼りに、独立し、ライバルの靴屋を初め、成功していく。最初は、強引なマギーに押されて、結婚と独立に引きずり込まれた感覚のウィリーも、徐々に、マギーから読み書きを教えられ、職人、ビジネスマンとしての自信をつけ、才能を見出してくれたマギーを愛するようになる。

一方、ホブソンのアルコール依存はますますひどくなり、思わぬ失態を起こしたのを理由に、マギーによる巧みな工作で、ホブソンは、アリスとヴィッキーをそれぞれ、持参金を持たせ、恋人と結婚させるのに合意する羽目となる。

独り暮らしとなったホブソンは飲むのをやめず、ついには体調不調に陥いり、医者からアルコールを一切止められる。マギーは、自分とウィリーが、ホブソンと、五分五分のパートナーとして、ホブソン靴店の経営を続けること、そしてホブソンは靴屋の経営に口出しをしない事を条件に、家に戻り、ホブソンの面倒を見ることを提案する。ホブソンは、まともな生活を続けるためには、他に選択の余地もなくなり、これを受け入れることとなり、おしまい。

最初は、マギーに一方的に押しまくられ、気が付いたら結婚と独立という事態になって、終始困惑の表情であったウィリーが、新しい店に、自分の名前が書かれた看板が掲げられたのを眺め、道を歩きながら、その困惑の表情が、徐々に笑顔へと変わっていく場面が、とても印象に残っています。また、結婚式の後の初夜の日に、マギーが先に「寝室で待ってるわ」と、去ってしまった後の居間で、ぐずぐずと、どうしようかと戸惑いながら、服を寝間着に着替え、ついに意を決して、ライオンの檻にでも飛び込むように、勢いで寝室に入っていく、その子供っぽい姿にも、可笑しくも、心温まり。最後のホブソンと、パートナーとなるネゴの場面では、堂々と店の命名に自分の意見を押し通して、ビジネスマンとしてここまで来た、という感じでのハッピーエンド。

高木ブー風の外見の、チャールズ・ロートン扮するホブソンが酔っぱらた時の、へべれけ演技もユーモラス。石畳にたまった水たまりに反映した月を、不思議に思い、見つめる映像なども、良く取れてます。私がチャールズ・ロートンを始めて見たのは、マレーネ・デートリッヒと共演した、アガサ・クリスティ原作、ビリー・ワイルダー監督の「情婦」(Witness for the Prosecution、検察側の証人)でしたが、こちらでは、腕利き老弁護士という、全く違う役柄でした。この映画も良かったですね。

「ホブスンの婿選び」は、ただのエンターテイメントとしても十分楽しめますが、また、自由意志と自分の才を使って生きようとする女性の姿、教養を付けることで階級制の型をやぶっていく若者の姿、社会的悪とみなされていたアルコールに対する禁酒運動(temperance movement)の背景など、ビクトリア朝後半の社会風景描写も、映画に味を与えてます。この映画は、第一次世界大戦中の、1916年に初演となる、ハロルド・ブリッグハウスによる同名の戯曲が原作となっていますので、初演当時は、こうした社会事情は、まだ、話題性も強かったと思います。実際、若い男性が戦争へ行ってしまったイギリス国内では、女性が、家庭のやりくりはもちろん、今までは男性がしていた業務に就く事が日常茶飯事となり、それが女性の社会的地位の向上、戦後の婦人参政権へつながる原因のひとつとなっていますし。ハロルド・ブリッグハウスは、ランカシャー州の織物業工場マネージャーの息子として生まれており、この物語の舞台は、彼の若いころの実際の生活風景から来てるのでしょう。

中年男性が、身分と教養の足りない可愛い女の子を拾い上げ、磨き上げ、理想の女にする、という、ピグマリオン的よくある筋書が逆転して、婚期をのがした腕利きの女性が、自分より身分も教養も低い男性を磨き上げて、一人前にするという内容も、女性観客には、ちょっと小気味よいものです。

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