ランベス宮

ランベス宮(Lambeth Palace)。ロンドンは、国会議事堂の、テムズ川を挟んだ向かい(やや西より)の南岸にあるこの建物は、イングランド国教会(Church of England)の長、カンタベリー大主教(Archbishop of Canterbury)のロンドンにおける公邸。宗教政治関係の国内外のゲストを迎えての公の催しなども時に執り行われる場所でもあります。

過去約800年の間、カンタベリー大主教(大司教)公邸であり、当初の使用目的が、これほど長い間、現在に至るまで変わっていないという点で、わりと珍しい建物のようです。もちろん、ヘンリー8世前は、カンタベリー大司教は、ローマ・カトリックであったわけですが。残念ながら、内部は、通常は一般公開されていません。

建物全体は、時代を経て、建て増し、改造が行われており、この正面入り口の建物、モートンズ・タワーは、1490年、当時カンタベリー大司教であったジョン・モートンにより、建てられたもの。12歳だったトマス・モアは、このモートンに仕えるため、短期間、この塔に居住し、また、後にモアが、ヘンリー8世を、イングランド国教会の長と認める誓いを立てるのを拒絶したのも、このランベス宮においてだったといいます。
(トマス・モアについては、以前の記事、「全ての季節の男」まで。)

初代カンタベリー大司教は、ローマ法王グレゴリウス1世により、布教のためにイギリスへ送られたベネディクト派僧のアウグスティヌス(英語読みは、オーガスティン、Augustine)。ケント州のカンタベリーを本拠地とした彼は、597年に、カンタベリー大司教となります。

当時、イギリスは、このオーガスティンに率いられたローマからのキリスト教の布教と、更には、アイルランドからのケルト風のキリスト教の布教活動が行われています。最終的に、ローマ派のキリスト教が、主流となります。そして、ヘンリー8世がローマと決別した後も、現在に至るまで、カンタベリーが、イングランド国教会総本山としての位置を保つ事となります。

(アイルランドからの布教とローマからの布教の話については、過去の記事、「イギリスで一番古い教会」を参照下さい。)


現カンタベリー大主教は、ローワン・ウィリアムズ(Rowan Williams)氏。大きく上に跳ね上がった眉毛といい、「櫛持っていないんですか?」と聞きたくなる様な、ワイルドな髪型といい、森の奥に住む賢いふくろうの様な外見の人です。

インタヴューや、対話などを時々ラジオ、テレビで聞く限りにおいては、知的、温厚で人が良さそう、大体においてどんな話題でも、理にかなった議論ができる人・・・のイメージ。特に宗教をやらずとも、彼は好きだ、という人はわりといる様ですが、私もそうです。厳格なプロテスタントとカトリック信者達の間の、血で血を洗う歴史を背景に、エリザベス1世の時代から、妥協策として中道を取るよう、両極端の派閥のバランスを取ってきたイングランド国教会。その、究極に走らぬ、比較的温厚な教会の顔としては、適役かもしれません。

カンタベリー大主教の公式サイトは、こちら。ローワン・ウィリアムズ氏の写真も、このサイトより拝借しました。

*尚、文章内、大主教と大司教という2つの言葉を使いましたが、どうやら「Archbishop of Canterbury」という英語を、日本語に訳すにあたって、イングランド国教会になってから大主教、カトリックの頃は大司教と、分けて訳してあるようなので、それに従いました。

コメント

  1. こんばんは
    すごく寒いです。明日の朝は氷点下かもしれません。
    カンタベリー物語 というのはこのカンタベリーのことですよね。チョーサーだったかな? 今も古い門前町カンタベリーはあるのでしょうか。人のよさそうな主教様ですね。中道の精神は今は貴重ですよね。一神教を信仰する立場になると難しくなると思うので、、。その点、八百万の神をゆるやかに信心する我々はアバウトですから、暢気なんですね。
    今夜は風邪用心にマーボ豆腐を食べました。

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  2. カンタベリーへ物語の様な、カンタベリー大聖堂への巡礼の旅は、観光旅行の始まりだった、という話を聞いたことがあります。当時からすでに、お土産などを買って帰る人もいたようで。カンタベリーは大聖堂共健在です。
    ヴィクトリア朝などでも、社会の不正や弱者のための運動を繰り広げた人物は、敬虔なクリスチャンというケースが多く、宗教も良い面があるのでしょうが、多神教、一神教に関わらず、それが政治・社会を動かす人物・団体に利用されると、戦争・争いに繋がる危険はあると思います。

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