スカウトとロック・コンサート
先月、ハイランズ・ハウス(Hylands House)という18世紀に前半に建てられた貴族の邸宅を訪れました。現在は、地方自治体の手に渡り、建物内は有料で一般公開されています。最寄駅は、ロンドンからは、40分ほどのエセックス州チェルムスフォード。
この建物のある、広々とした緑の敷地(ハイランズ・パーク)は、無料で、ピクニックには持ってこい。ハイランズ・パークでは、1996年から毎年夏に、Vフェスティバルと称される有名な一大ロック・コンサートが催される事でも知られています。今年のチケットは何でも売り出し開始の1時間半後に売り切れたという話ですので、不況もどこ吹く風といったところ。
ハイランズ・パークでは、その他にも、2007年の夏、エドワード朝イギリスで始まったボーイ・スカウト運動100周年記念の世界スカウトジャンボリー(World Scout Jamboree)が催され、世界約160の国々から3万8千人のボーイ・スカウト、ガール・スカウト達が集まった場所としても記憶に新しいところ。敷地内に、この行事の記念に作られたOne World Gardenには、トーテムポールが立っていました。
確か、この年のVフェスティバルが終わった後、新聞に、ロック・コンサートを訪れた輩が、ハイランズ・パークに残したごみの山が写真入で記事になっていました。世界各国のスカウト達は、ちりひとつ残さず、綺麗に片付けて帰って行ったたのに、Vフェスティバルへ行ったイギリス人が去った後のこのていたらくは、何たることか・・・と嘆く記事内容だったと思います。これには、敷地内のカモ達も、あきれたカモ。
さて、建物と敷地自体の話に戻ります。
1730年に建てられた赤レンガの邸宅は、時代と共に新しいオーナーによって拡大改築が加えられていきます。
ネオクラシカル(新古典主義)と称される白い建物に姿を変えたのは、1780年代、敷地のデザインを依頼された、売れっ子のガーデン・デザイナー、ハンフリー・レプトン(Humphry Repton :1752-1818)が、赤レンガが嫌いだったからだとか。彼は敷地内に、ロンドンのハイドパークよろしく、蛇形の池(サーペンタイン)を築きます。レプトンは、当時、一世を風靡した「自然に見えて自然でない」「自然を改良した」ランドスケープ・ガーデンを得意とし、ランドスケープ・ガーデニングという言葉自体も、彼によって使われ始めます。特に、その道の先駆者で、やはり、王族貴族の庭園を手がけて大金儲けたランスロット・(ケーパビリティー)・ブラウン(Lancelot Capability Brown: 1716-1783)亡き後は、第一人者として活躍。
30年間に手がけた企画は400以上という精力的なレプトン。イギリス中あちらこちらと、それは大変な距離を忙しく移動した人だったようです。1813年に事故で、Bath chair(バース・チェア:バースで発明された事からこう呼ばれる、病人やけが人を移動させるための、人力車、車椅子の中間のような形の椅子)生活となってからは、自分のような、ハンディキャップのある人間用の庭の考案にも余念がなかったとか。
ランドスケープ・ガーデンに関しては以前の記事「ピクチャレスク」まで。
敷地内には、また、19世紀初頭に作られたプレジャー・ガーデンや、ツツジが咲き乱れる一角などもあり、しばし花の中、座っていました。
綺麗な場所・・・ロック・コンサートへ行く人たち、自分のごみくらい自分で処分して帰ってくれるといいですが。
この建物のある、広々とした緑の敷地(ハイランズ・パーク)は、無料で、ピクニックには持ってこい。ハイランズ・パークでは、1996年から毎年夏に、Vフェスティバルと称される有名な一大ロック・コンサートが催される事でも知られています。今年のチケットは何でも売り出し開始の1時間半後に売り切れたという話ですので、不況もどこ吹く風といったところ。
ハイランズ・パークでは、その他にも、2007年の夏、エドワード朝イギリスで始まったボーイ・スカウト運動100周年記念の世界スカウトジャンボリー(World Scout Jamboree)が催され、世界約160の国々から3万8千人のボーイ・スカウト、ガール・スカウト達が集まった場所としても記憶に新しいところ。敷地内に、この行事の記念に作られたOne World Gardenには、トーテムポールが立っていました。
確か、この年のVフェスティバルが終わった後、新聞に、ロック・コンサートを訪れた輩が、ハイランズ・パークに残したごみの山が写真入で記事になっていました。世界各国のスカウト達は、ちりひとつ残さず、綺麗に片付けて帰って行ったたのに、Vフェスティバルへ行ったイギリス人が去った後のこのていたらくは、何たることか・・・と嘆く記事内容だったと思います。これには、敷地内のカモ達も、あきれたカモ。
さて、建物と敷地自体の話に戻ります。
1730年に建てられた赤レンガの邸宅は、時代と共に新しいオーナーによって拡大改築が加えられていきます。
ネオクラシカル(新古典主義)と称される白い建物に姿を変えたのは、1780年代、敷地のデザインを依頼された、売れっ子のガーデン・デザイナー、ハンフリー・レプトン(Humphry Repton :1752-1818)が、赤レンガが嫌いだったからだとか。彼は敷地内に、ロンドンのハイドパークよろしく、蛇形の池(サーペンタイン)を築きます。レプトンは、当時、一世を風靡した「自然に見えて自然でない」「自然を改良した」ランドスケープ・ガーデンを得意とし、ランドスケープ・ガーデニングという言葉自体も、彼によって使われ始めます。特に、その道の先駆者で、やはり、王族貴族の庭園を手がけて大金儲けたランスロット・(ケーパビリティー)・ブラウン(Lancelot Capability Brown: 1716-1783)亡き後は、第一人者として活躍。
30年間に手がけた企画は400以上という精力的なレプトン。イギリス中あちらこちらと、それは大変な距離を忙しく移動した人だったようです。1813年に事故で、Bath chair(バース・チェア:バースで発明された事からこう呼ばれる、病人やけが人を移動させるための、人力車、車椅子の中間のような形の椅子)生活となってからは、自分のような、ハンディキャップのある人間用の庭の考案にも余念がなかったとか。
ランドスケープ・ガーデンに関しては以前の記事「ピクチャレスク」まで。
敷地内には、また、19世紀初頭に作られたプレジャー・ガーデンや、ツツジが咲き乱れる一角などもあり、しばし花の中、座っていました。
綺麗な場所・・・ロック・コンサートへ行く人たち、自分のごみくらい自分で処分して帰ってくれるといいですが。
こんばんは
返信削除広々としたすばらしい公園ですね。野外ロックコンサートと言えばウッドストックを思い出しますが、ちょっとアナーキーで過激なロックは若者の特権でしょう。しかし、あの騒音?と人ごみ、渋滞、ゴミの山では周辺の人たちは迷惑しますよね。
サッカー、日本は残念ながらオランダに負けてしまいました。イギリスも崖っぷちですね。ファーデナンドが出ていませんでした。私ももちろん彼のファンです。モデルみたいにカッコいいです。ヘスキーは2002年の日韓大会の時からオーエンとともに良かったですよね。まだ、頑張ってるのはうれしいです。
イギリスで多分一番有名な野外フェステバルのグラストンベリーが確かそろそろ始まるはずですが、あちらも周辺住人には頭が痛いようです。
返信削除昨日からウィンブルドンもはじまり、気持ちはそろそろそちらに取られ始めています。夏本番ですね。
ファーデナンドはギャング・スターみたいで味あります。怪我していなかったらキャプテンやるはずだったので、がっくりのようです。日本もイングランドも生き残って欲しい気はしますが、見ていて楽しいのは、やはり一技ありの南米チームやスペイン・・・。
祭りのあとのような脱力感でご無沙汰してしまいました。Miniさんは今頃ウィンブルドンとワールドカップ観戦でお忙しいのではと想像していました。イングランドは決勝リーグ進出が決まりましたが、日本はどうなるのかデンマーク戦が近づいて来ました。カモさんたちと写っている赤い浮き輪を見てアイルランドの海岸プロムナードに設置されていた浮き輪を思い出しました。どう見ても小さい子供しか使えないようなサイズでした。ダークブラウンの大きな木、葉の色が変わっていて印象的です。
返信削除お祭りの後の燃え尽き症候群・・・?
返信削除池の脇の浮き輪は、ほとんど使うことなどないでしょうね。やはり落ちやすいのは子供なので、子供サイズなのかもしれません。赤っぽい葉の木、名前不明です。
イングランドは次は宿敵ドイツ。とりあえずは、生き残れただけでも良かったな、と。ウィンブルドンは、史上最長の10時間を越すマッチと、本日、女王が見に来ることが話題になっています。テレビ観戦も目に良くないので、ほどほどに、という感じです。