オールド・ラング・ザイン

昨夜は、真夜中のニューイヤーのカウントダウンと、恒例ロンドン・アイを背景にしたテムズ川の花火をテレビで見てから床に就きました。

2000年には、現在入院中のだんなと一緒に、テムズ川までわざわざ足を運び、押すな押すなの人ごみの中、実物を見に行ったのでしたっけ。もう、大昔の事のようです。以来は、ずっとテレビで放送されたものを見ています。

花火も終わり、テムズ川からの放送終了の直前にアナウンサーが、ニューイヤーは、「スペインではぶどうを12粒食べ、日本では鐘を108回鳴らす、イギリスでは、そう、ロバート・バーンズの詩がついた、有名なAuld Lang Syne(オールド・ラング・ザイン、蛍の光)を歌うのです」とオールド・ラング・ザインの大合唱になりました。

アナウンサーのお言葉通り、オリジナルの詩は、18世紀のスコットランドの詩人、ロバート・バーンズによるもので、題名は「過ぎし日々(のために)」といった感じ。これを古い民謡のメロディーにのせ、真夜中の時計の音が鳴ると共に、新年に歌われる風習も、スコットランドから発し、イギリス中に広がり、やがて世界に広がり。今では、歌詞こそ違え、日本でも歌われていますものね。こうしてみると、本当に、最初は、英国から始まった、という風習や、事物・・・非常に多いのです。

歌詞の一番目と、ざっと訳したものは下の通り。

Should auld acquaintance be forgot,
and never brought to mind ?
Should auld acquaintance be forgot,
and auld lang syne?

For auld lang syne, my dear,
for auld lang syne,
we’ll tak a cup o’ kindness yet,
for auld lang syne.

過ぎし日々の馴染みを忘れ
決して思い起こす事無くとも良いものか
過ぎし日々の馴染みを忘れ
遠い日々を忘れても

遠い日々のために、君よ
遠い日々のために、
我ら、今も尚、心温かい杯を掲げよう
過ぎ去った日々のために

日本語の「蛍の光、窓の雪」というのは、なんでも、中国の古い言い伝えに基づくものだそうで、夜の明かりのための油も買えないような貧しい家庭の青年たちが、蛍の光、また、窓辺の外に積もった雪が月に照らされるほのかな明かりのもとに一生懸命勉強するという意味を持つのだそうです。一生懸命勉強するうちに月が経ち、それぞれの旅立ちの時が来た、というような雰囲気でしょうか。なるほど、年末はともあれ、卒業式などに歌われるわけです。

イギリスは今年はオリンピックの年、エリザベス女王のダイヤモンド・ジュビリー(在位60年)の年、他にも、チャールズ・ディケンズ生誕200年など、色々盛りだくさんです。我家では、再び、白血病とのバトルが続く年となりますが、それなりに楽しい事もきっと一杯あるさ、と期待しています。

オールド・ラング・ザインを歌いながら、昔の思い出を、時に振り返り、時に懐かしく思い、大切にしながらも、新しい年に踏み出しましょう。

*写真は、The Guardian紙のサイトより。

コメント

  1. 明けましておめでとうございます。静かな新年を向かえました。娘も帰って来たので楽しかったです。
    蛍の光はスーパー閉店をしらせる曲だったり、卒業式のに歌われたりしますが、やはり紅白歌合戦の最後に大合唱になる大晦日の曲です。イギリスもそうなのですね。この英語は古語になるのでしょうか?スコットランド語というのもあるのですか?
     今年はおだやかで力強い一年であってほしいです。そして、震災の復興も原発事故の終息もまだまだ時間がかかります。この事を忘れる事なく生活するしかないと思っています。ご主人の治療が順調に進む事をお祈りいたします。良い年になりますように。

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  2. ご質問の件は下のリンクまで。以前の記事です。
    http://mini-post-uk.blogspot.com/2010/02/blog-post_06.html

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