若草の祈り
映画「レールウェイ・チルドレン」(The Railway Children 邦題「若草の祈り」)というと、ほとんどのイギリス人が「ジェニー・アガターがペチコートを振りまわして電車を止めるシーン」をイメージするようです。実際、先日も、ラジオで鉄道の話が出ていた際に、このジェニー・アガターとペチコートが言及されていました。日本での知名度はさほどではないようですが、こちらでは、かなり有名な映画なので、ほとんどの人が子供の時に見て、知っている事でしょう。チャーミングな、ほのぼの家族映画です。原作は、イーディス・ネズビットによる同名の児童文学。
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ロンドン郊外の裕福な家庭で、理想の両親を持つ3人の子供達、ロベルタ、フィリス、ピーター。ところが、クリスマスの日、外務省に勤める父は、国家秘密をロシアに売った疑いをかけられ逮捕、投獄。残された家族は、都落ちして、ヨークシャーの小さな村にある、3本の煙突が立つ、小さなコテージへ引っ越し。ここで子供達は、近くを走る鉄道を毎日のように訪れ、眺めるのです。
鉄道と村の駅を舞台に起こるいくつかのエピソードは、行過ぎる汽車に手を振り、いつも手を振りかえしてくれる、1等車に乗っている紳士との交流、国から亡命し、駅で倒れたロシア人の作家を家で看護、仲良くなった駅員に、村人の協力を得て、バースデープレゼントをする、レースで鉄道を走っていて怪我をした少年を助ける・・・などなど。
そして、ある日、土手が地崩れで鉄道をふさいでしまったのを目撃した子供達。事故回避のため、3人は、レールの上に立ち、ロベルタとフィリスの真っ赤なペチコートを振りかざして、近づいてくる電車を止め、惨事をまぬがれる・・・というあの話題のシーン。
最後は、1等車の紳士の尽力で、濡れ衣を着せられていたお父さんは、無事釈放され、家族の元に戻ってきます。駅に、戻って来たお父さんが降り立つシーンも有名。汽車の蒸気がもくもくと霧の様に立ち込めるプラットフォーム。ロベルタが、目を凝らしてみていると、蒸気は徐々に消え、お父さんが現れる・・・。驚き喜ぶロベルタが、「Daddy! My Daddy!」(お父さん!私のお父さん!)と叫び、見ている方は、あー良かったな、と、ほろほろ。
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女の子二人は、いつも外で遊ぶときに、ドレスをすっぽり包む形のエプロン(pinaforeまたは、 pinnyと称されるもの)を身につけています。洗濯機の無い当時、ドレスをいつも泥まみれにされては、大変だったでしょうから。そういう実用性の他にも、愛らしいです、こういうスタイル。ジェニー・アガター扮するロベルタは、大正時代のハイカラさんのようなヘアスタイルも印象的でした。
映画に使用されている鉄道は、ウェスト・ヨークシャーを走るキースリー・アンド・ワース・ヴァレイ・レールウェイ。ブロンテ姉妹でお馴染みのハワースなども通る短いヘリテージ路線です。使用された駅、Oakworthも実在し、映画が公開された直後は、一目この駅を見ようと、それは大変な観光客が集まったようです。現在でも、映画公開時に、Oakworth駅に、親に連れられてきたという人たちが、今度は自分の子供や孫を連れて訪れたりもしているそうで、こうして親から子に語り継がれるようになると、映画も、もう古典の座を獲得した証拠ですね。
原題:The Railway Children
監督:Lonel Jeffries
言語:英語
1970年
さて、このレールウェイ・チルドレンの原作を書き、近代児童文学の一大貢献者として認められているイーディス(エディス)・ネズビットですが、彼女は、若い頃から、当時フリート・ストリートでさかんに発刊されいた雑誌の数々へ、詩や三文小説などを売ってお小遣い稼ぎをはじめます。結婚した直後のまだ貧しかったころ、家計を稼ぎ出すのにも、彼女の執筆によるところが大きかったようです。まだ保守的なエドワード朝において、非常に斬新な女性であったようで、髪はざっくりと短く切り、公共の場でたばこをすぱすぱ、更には、だんなの愛人とその子供も、同じ屋根の下に住むのを許す・・・という、今の世の中でもびっくりの生活。女好きのだんなの浮気に答えて、本人も愛人を幾人か作り、そのうちの一人はジョージ・バーナード・ショー。また、当時のインテリ層には多かったのでしょうが、社会主義者で、社会主義団体のフェビアン協会の初期メンバーの一人でもあります。友人の中には、カール・マルクスの娘のエレノーア・マルクスもおり。女性の社会での位置が、まだ男性と同等に確立されていない時代に、家庭から切り離した場での、女性の自立や生きがいを模索した人だったようです。
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ロンドン郊外の裕福な家庭で、理想の両親を持つ3人の子供達、ロベルタ、フィリス、ピーター。ところが、クリスマスの日、外務省に勤める父は、国家秘密をロシアに売った疑いをかけられ逮捕、投獄。残された家族は、都落ちして、ヨークシャーの小さな村にある、3本の煙突が立つ、小さなコテージへ引っ越し。ここで子供達は、近くを走る鉄道を毎日のように訪れ、眺めるのです。
鉄道と村の駅を舞台に起こるいくつかのエピソードは、行過ぎる汽車に手を振り、いつも手を振りかえしてくれる、1等車に乗っている紳士との交流、国から亡命し、駅で倒れたロシア人の作家を家で看護、仲良くなった駅員に、村人の協力を得て、バースデープレゼントをする、レースで鉄道を走っていて怪我をした少年を助ける・・・などなど。
そして、ある日、土手が地崩れで鉄道をふさいでしまったのを目撃した子供達。事故回避のため、3人は、レールの上に立ち、ロベルタとフィリスの真っ赤なペチコートを振りかざして、近づいてくる電車を止め、惨事をまぬがれる・・・というあの話題のシーン。
最後は、1等車の紳士の尽力で、濡れ衣を着せられていたお父さんは、無事釈放され、家族の元に戻ってきます。駅に、戻って来たお父さんが降り立つシーンも有名。汽車の蒸気がもくもくと霧の様に立ち込めるプラットフォーム。ロベルタが、目を凝らしてみていると、蒸気は徐々に消え、お父さんが現れる・・・。驚き喜ぶロベルタが、「Daddy! My Daddy!」(お父さん!私のお父さん!)と叫び、見ている方は、あー良かったな、と、ほろほろ。
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女の子二人は、いつも外で遊ぶときに、ドレスをすっぽり包む形のエプロン(pinaforeまたは、 pinnyと称されるもの)を身につけています。洗濯機の無い当時、ドレスをいつも泥まみれにされては、大変だったでしょうから。そういう実用性の他にも、愛らしいです、こういうスタイル。ジェニー・アガター扮するロベルタは、大正時代のハイカラさんのようなヘアスタイルも印象的でした。
映画に使用されている鉄道は、ウェスト・ヨークシャーを走るキースリー・アンド・ワース・ヴァレイ・レールウェイ。ブロンテ姉妹でお馴染みのハワースなども通る短いヘリテージ路線です。使用された駅、Oakworthも実在し、映画が公開された直後は、一目この駅を見ようと、それは大変な観光客が集まったようです。現在でも、映画公開時に、Oakworth駅に、親に連れられてきたという人たちが、今度は自分の子供や孫を連れて訪れたりもしているそうで、こうして親から子に語り継がれるようになると、映画も、もう古典の座を獲得した証拠ですね。
原題:The Railway Children
監督:Lonel Jeffries
言語:英語
1970年
さて、このレールウェイ・チルドレンの原作を書き、近代児童文学の一大貢献者として認められているイーディス(エディス)・ネズビットですが、彼女は、若い頃から、当時フリート・ストリートでさかんに発刊されいた雑誌の数々へ、詩や三文小説などを売ってお小遣い稼ぎをはじめます。結婚した直後のまだ貧しかったころ、家計を稼ぎ出すのにも、彼女の執筆によるところが大きかったようです。まだ保守的なエドワード朝において、非常に斬新な女性であったようで、髪はざっくりと短く切り、公共の場でたばこをすぱすぱ、更には、だんなの愛人とその子供も、同じ屋根の下に住むのを許す・・・という、今の世の中でもびっくりの生活。女好きのだんなの浮気に答えて、本人も愛人を幾人か作り、そのうちの一人はジョージ・バーナード・ショー。また、当時のインテリ層には多かったのでしょうが、社会主義者で、社会主義団体のフェビアン協会の初期メンバーの一人でもあります。友人の中には、カール・マルクスの娘のエレノーア・マルクスもおり。女性の社会での位置が、まだ男性と同等に確立されていない時代に、家庭から切り離した場での、女性の自立や生きがいを模索した人だったようです。
これは夫が好きな映画のひとつで昨年見せられました。ペチコートが赤だったのは意外でしたが、そういえば昔日本の腰巻きも赤でしたね。日本のタイトル、なんだかピンときません。そのままレールウェイ・チルドレンのほうが良かったのではと思います。 アネモネ on 若草の祈り
返信削除on 22/01/12
*ポスト転記のため、アネモネさんより頂いたコメントを複写したものです
私も、「若草の祈り」には、ちょっとねーと思いました。誰が考えるのでしょう。イギリスでこれだけ人気の映画で、日本人にもうけそうだと思うのですが、アマゾン・ジャパンをのぞいたらDVD売っていないようで、やはり「若草の祈り」で、原作の本だけが売られていました。
削除on 若草の祈り
on 23/01/12
*上記コメントに対する当方の返信