美しき冒険旅行
オーストラリアの荒涼としたアウトバックを舞台にしたこの映画、原題Walkaboutは、オーストラリア先住民、アボリジニーの男の子が16歳になると、少年から大人になる過程として、集団から離れ、しばし、一人で狩猟をし、サバイバルする習慣を指す言葉だそうです。いまや、昔ながらの狩猟生活を奪われたアボリジニーには、このWalkaboutの習慣も、すでに存在しない過去のものでしょうが。
16歳のジェニー・アガターの学生服姿と、裸で水浴するシーンを目当てに見る男性も多いようですが、そういうエッチ精神旺盛な人だけのお気に入り映画にしておくにはもったいない、とても良い映画です。
*****
オーストラリアに住むイギリス人姉弟は、父親に連れられ、車で、アウトバックへ出かける。車を止め、荒涼とした場所で、さて、ピクニックを、という矢先に、気がふれた父親は、いきなり子供達に向かって銃を発射し始じめる。父親は、やがて、車に火をつけ、自分は自殺。無傷で助かった子供達は、その場を後に、自分達だけで、アウトバックを抜け、都会への道を探し始めるのです。行けども行けどもう続く広大な景色の中、二人は、ウォークアバウト中のアボリジニーの少年と出会う。
彼の助けで、水を得、彼が狩った魚や動物を食べ。大自然の中、木登りをし、水遊びをして、3人ではしゃぐのですが、少女は、やはり、どうしても一刻も早く白人社会に戻りたい。アボリジニーの少年は、少女を好きになってしまい、ある夜、一晩中、彼女の心を得るための踊りをおどるものの、彼の行動が理解できない少女に無視され、傷心し自殺。姉と弟は、再び、学校の制服をきちんと身に付け、白人の作ったアスファルトの道を辿って、文明社会に戻ります。
ラストは、数年後、会社勤めの白人の夫と結婚した彼女。夫が、なんだかだと喋り続ける中。彼女は、目はうつろに遠くを見て、アボリジニーの少年と過ごした、大自然の中でのひと時を思い出す・・・というもの。
*****
少女は、感情的に冷たくみえるほど冷静にに描かれていて、父の死にも動じなければ、少年の死に悲しむでもない。まるで、こんな事はしょっちゅうあるから慣れっこよ、みたいな風情で、即、次の行動に移るのです。だんなは、まだ帝国であったプライドが残る当時、海外でイギリス風教育を受けて育った子供は、そういう風に淡々と育つようにしつけられてるんだ、などと言ってましたが。
トカゲや、ウォンバット、カンガルーなど動物も、沢山、映像に出てきますが、驚いたのは、らくだ。最初に移民してきた白人は、移動用にらくだを連れて行ったそうですが、それは、こうした乾燥した土地には最適な動物なので、そのまま野生化し、今もオーストラリアのアウトバックにいるのだそうです。
すでに、白人がアボリジニーの生活を脅かしている描写も、そこかしこにあります。白人に雇われ、みやげ物の人形のようなものを作るアボリジニーたち。少年が狩猟をしようとしたところ、車でやって来た白人が、片っ端から周辺の動物を撃ち殺し、それを全て持っていくわけでもなく、死骸はそのまま、炎天下の中腐っていく。少年の目には、非常に無駄に映った事でしょう。また、土地所有の観念を持たないアボリジニーに対し、白人達は、「これは我が社の土地」「これはおいらの土地」と早いものがちで土地をせしめ、アボリジニーが自由に狩猟できる場所を奪っていく。
自分に必要な動物だけを殺し、自然の中、自給自足で生きる習慣を失ったアボリジニーは、現在のオーストラリア社会内で居場所を探せずに、アルコール依存症、ドラッグ、暴力、貧困の生活を余儀なくされているようです。
原題:Walkabout
監督:Nicolas Roeg
言語:英語
1971年
16歳のジェニー・アガターの学生服姿と、裸で水浴するシーンを目当てに見る男性も多いようですが、そういうエッチ精神旺盛な人だけのお気に入り映画にしておくにはもったいない、とても良い映画です。
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オーストラリアに住むイギリス人姉弟は、父親に連れられ、車で、アウトバックへ出かける。車を止め、荒涼とした場所で、さて、ピクニックを、という矢先に、気がふれた父親は、いきなり子供達に向かって銃を発射し始じめる。父親は、やがて、車に火をつけ、自分は自殺。無傷で助かった子供達は、その場を後に、自分達だけで、アウトバックを抜け、都会への道を探し始めるのです。行けども行けどもう続く広大な景色の中、二人は、ウォークアバウト中のアボリジニーの少年と出会う。
彼の助けで、水を得、彼が狩った魚や動物を食べ。大自然の中、木登りをし、水遊びをして、3人ではしゃぐのですが、少女は、やはり、どうしても一刻も早く白人社会に戻りたい。アボリジニーの少年は、少女を好きになってしまい、ある夜、一晩中、彼女の心を得るための踊りをおどるものの、彼の行動が理解できない少女に無視され、傷心し自殺。姉と弟は、再び、学校の制服をきちんと身に付け、白人の作ったアスファルトの道を辿って、文明社会に戻ります。
ラストは、数年後、会社勤めの白人の夫と結婚した彼女。夫が、なんだかだと喋り続ける中。彼女は、目はうつろに遠くを見て、アボリジニーの少年と過ごした、大自然の中でのひと時を思い出す・・・というもの。
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少女は、感情的に冷たくみえるほど冷静にに描かれていて、父の死にも動じなければ、少年の死に悲しむでもない。まるで、こんな事はしょっちゅうあるから慣れっこよ、みたいな風情で、即、次の行動に移るのです。だんなは、まだ帝国であったプライドが残る当時、海外でイギリス風教育を受けて育った子供は、そういう風に淡々と育つようにしつけられてるんだ、などと言ってましたが。
トカゲや、ウォンバット、カンガルーなど動物も、沢山、映像に出てきますが、驚いたのは、らくだ。最初に移民してきた白人は、移動用にらくだを連れて行ったそうですが、それは、こうした乾燥した土地には最適な動物なので、そのまま野生化し、今もオーストラリアのアウトバックにいるのだそうです。
すでに、白人がアボリジニーの生活を脅かしている描写も、そこかしこにあります。白人に雇われ、みやげ物の人形のようなものを作るアボリジニーたち。少年が狩猟をしようとしたところ、車でやって来た白人が、片っ端から周辺の動物を撃ち殺し、それを全て持っていくわけでもなく、死骸はそのまま、炎天下の中腐っていく。少年の目には、非常に無駄に映った事でしょう。また、土地所有の観念を持たないアボリジニーに対し、白人達は、「これは我が社の土地」「これはおいらの土地」と早いものがちで土地をせしめ、アボリジニーが自由に狩猟できる場所を奪っていく。
自分に必要な動物だけを殺し、自然の中、自給自足で生きる習慣を失ったアボリジニーは、現在のオーストラリア社会内で居場所を探せずに、アルコール依存症、ドラッグ、暴力、貧困の生活を余儀なくされているようです。
原題:Walkabout
監督:Nicolas Roeg
言語:英語
1971年
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