ロード・メイヤーとロード・メイヤー・ショー

ロンドン博物館内のロード・メイヤーズ・コーチ
さて、来週の土曜日(11月11日)は、ロンドンで、ロード・メイヤー・ショー(Lord Mayor Show)が執り行われます。新しく選出された、ロード・メイヤーが、金ぴかの馬車に乗って、ロンドンのシティー内をパレードする日。

以前のディック・ウィッティントンの記事でも書いたように、ロード・メイヤーとは、ロンドン市長と訳されますが、現在の、ロンドン全域(Greater London)の代表であり、ロンドン市民の選挙により選ばれ、任期4年のメイヤー・オブ・ロンドンとは異なり、ロード・メイヤーは、シティー・オブ・ロンドンのみの代表者で、任期は1年のみ。かつては、ロンドンと言えばシティー・オブ・ロンドンを指したので、ロード・メイヤーがまさにロンドン市長であったわけですが。

一番最初のロンドンのメイヤー(当時はまだロード・メイヤーとは呼ばれていなかった)は、12世紀に遡り、ヘンリー・フィッツアルウィン(Henry FitzAilwin)という人物。在位中はほとんどイギリス国内にいなかったリチャード1世が、十字軍の遠征に、えっちらおっちら出かける前の、1189年には、フィッツアルウィンは、すでに、シティー内で、王様とシティー有力者たちを代表する人物として、メイヤーに任命されていたのではないかとされます。彼は、今の任期の1年どころか、約20年メイヤーの座を維持し、後は、親族に引き継がれたという事。この時のメイヤーは、まだ王によって任命されていたのが、1215年、だめ王、ジョンは、マグナ・カルタにサインをする6週間前に、シティーに、毎年、自分たちでメイヤーを選出する権利を与えます。また、マグナ・カルタ内の条項、13条には、特定して、ロンドン(シティー)の自由と過去からのしきたりを重んじるという内容も加えられる事となります。

過去一番有名なロード・メイヤーは、おそらく上述のリチャード(ディック)・ウィッティントン。

シティーは、小さな区(Word、現在25区)に分かれており、それぞれの区はオールダーマン(Alderman)という代表者を持ち、ロード・メイヤーに選出されるためには、まず、現役のオールダーマンである必要があります。またシティーには、現在は、特に意味のある役割を果たさないものの、かつては税金の収集を行ったシェリフ( Sheriff)と呼ばれる人物が2人いますが、このシェリフを経験した事があるのもロード・メイヤーになるためには必要事項。毎年のロード・メイヤーの選出は、マイケルマスの日(Michaelmas、9月29日)に行われます。ロード・メイヤーの選出に投票する権利があるのは、シティーの同業者組合にあたる数多くのリヴァリ・カンパニー(Livery company)のメンバーたち(Liverymen)。彼らが選んだ2人の候補者から、最終的にオールダーマンが決定を下します。


シティー行政の本拠地ギルドホール
現在のロード・メイヤーの一番大切な役目は、ビジネスと金融の場所としてのシティーを世界にアピールする事。1年の任期中、なんと、60日~120日近くは、海外を訪問する、まあ、シティーのセールスマンというか外交官の様な感じでしょうか。以前は、まったく金融などには疎いメイヤーが選出されることがあり、海外でのビジネス・ミーティングで退屈して、いねむりをこいたという不祥事もあったようで、今はとにかく、シティーのビジネス、金融界を多少なりとも把握している人物が選出されているようです。ですから名目上は、リヴァリ・カンパニーのメンバーにより、民主主義的に選ばれているわけですが、事実上は、候補になれそうな人物の名はすでに絞られ、暗黙の了解で皆、その人物に投票するような感じ。ビジネスの場としてのシティーを売り込む・・・と言ったところで、ブレグジット(イギリスのEU離脱)以後のヨーロッパ市場へのアクセスがどうなるか、全く見当のつかない現状では、かなり大変な役割です。だって、内容のわかならい物を、一体どうやって他国に売るのか?すでに、シティー内での、いくつかの会社が、ブレグジット後は、場合によって、従業員や拠点を、フランクフルトなどの別のヨーロッパの都市に移行する可能性をほのめかしているのに。


ギルドホール内グレート・ホール
新しいロード・メイヤーのお披露目式の様な、ロード・メイヤー・ショーは、11月の第2土曜日に行われ、その前日の金曜日には、シティーの行政の中心であるギルドホール内のグレート・ホールにて、新旧のロード・メイヤーの引継ぎ儀式が行われます。サイレント・セレモニーと呼ばれるこの儀式、一言も言葉を交わさずに執り行われるという妙なもの。
ロード・メイヤー官邸のマンション・ハウス
ロード・メイヤー・ショーの当日は、まずは朝早くから、新ロード・メイヤーは、ピムリコからセント・キャサリンズ・ドックまで、船でテムズ川を下ります。これには、エリザベス女王のダイヤモンド・ジュビリーで使用された、グロリアーナという船が使用される予定。

その後、ロード・メイヤーは、ギルドホールへ移動。馬車でのパレードは、ロード・メイヤー官邸である、マンション・ハウス(Mansion House)から出発。途中、まずセント・ポール大聖堂で一時止まり、祝福を受け、更にそのまま、西へ向かい、シティーとウェストミンスターの境界であるテンプル・バー記念碑を通過し、ちょっとだけシティー管轄を出て、ロイヤル・コート・オブ・ジャスティス(Royal Courts of Justice、王立裁判所)に到着。ここで、君主に対する忠誠の誓いを行ってから、再びシティー内へ入り、行きとは違ったコースを取って、マンション・ハウスへ戻ります。ロード・メイヤーを乗せた馬車がのマンション・ハウスからの出発するのは、約12時ころで、2時間半くらいかけて、マンション・ハウス、そしてギルドホールに戻る予定。他にも、同じルートを多くのパレードが練り歩き、シティー中心部は、無料のストリート・パーティーといったところです。夕方からは、テムズ川での花火の打ち上げも行われます。

現在もロード・メイヤー・ショーで使用されているロード・メイヤーズ・コーチ(Lord Mayor's Coach)と呼ばれる、金ぴか馬車は、1757年に作られた由緒あるものです。莫大な金額の保険が掛けられているようですが、実際、その価値たるや、金では測れないという代物。馬車のデザインを行ったのは、彫刻家から建築家となったロバート・テイラー(Robert Taylor)。彼は、彫刻家時代に、マンション・ハウスの正面上のペディメント(三角屋根部分)の彫り物を作成、また、イングランド銀行の建物もデザイン(現在はロバート・テイラーにより設計された部分は、イングランド銀行内に2部屋残るのみ)。この馬車は、ほとんどの場合、ロンドン博物館内に展示されているのですが、ロード・メイヤー・ショー直前になると、博物館から、ギルドホールへと移動されます。

ロード・メイヤーズ・コーチは6頭の馬でひかれますが、君主のみが、8頭の馬にひかれる馬車に乗る権利があるので、6頭の馬というのは、王様や女王様の次に値する権利。

ロード・メイヤー・ショーの日に、ロンドンに居合わせたら、この馬車とパレードを見に、シティーに繰り出してみるものを良いかもしれません。セント・ポール大聖堂入場も、この日に限って、無料となりますし!尚、今年は、その翌日の日曜日が、Remembrance Sunday(追悼の日曜日)に当たりますので、今度は、ウェストミンスター周辺で、第一次世界大戦終戦記念の式典が行われ、ロンドンは、連日式典続きの週末となります。

尚、ロード・メイヤー・ショーの次の月曜日には、ロード・メイヤーズ・バンケットと称して、ギルドホールのグレート・ホール内で一大晩餐会が執り行われ、約700人ものゲストが招かれます。これには、イギリス首相も出席。首相は、この場で、政府の外交策に触れるスピーチをするのが伝統です。

おまけ:1888年11月9日のロード・メイヤー・ショー

上の絵は、ウィリアム・ログスデイル(William Logsdail)という画家による、「The Nineth of November, 1888」(1888年11月9日)というタイトルの絵です。1959年以前は、ロード・メイヤー・ショーは、11月の第2土曜日という移行する日付ではなく、11月9日に行われており、これは1888年の馬車のパレードの模様を、ロイヤル・エクスチェンジとイングランド銀行を背景に描いたもの。

ちなみに、この1888年11月9日という日付は、同年の夏から、巷を騒がせた切り裂きジャックの第5で最後の犠牲者とされる、メアリー・ジェーン・ケリーのずたずた死体が、ここからほど遠からぬ場所で発見された日でもあるのです。ロード・メイヤーの馬車が行くのを眺める群衆の間では、パレードの見物とは別に、「売春婦殺人がまたあったのを聞いたかい?ひどい様子だったようだよ。おー、こわ!」なんて噂話も飛び交っていたことでしょう。

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