ホレス・ウォルポールのストロベリー・ヒル・ハウス

真っ白のストロベリー・ヒル・ハウス
ホレス・ウォルポール(Horace Walpole 1717-1797)は、イギリス初の首相と呼ばれるロバート・ウォルポール(Robert Walpole)の息子で政治家、また小説家でもあった人物。

彼が、ロンドン南西部のトゥイッケナム(Twickenham)に建てた夏の別荘、ストロベリー・ヒル・ハウス(Strawberry Hill House)は、ストロベリー・ヒル・ゴシックと称される、ゴシック建築とされていますが、メルヘンの世界から飛び出した、外を白砂糖で固めたお菓子の家の風体。かなり長い間、朽ちるにまかせてあったものが、2008年から、大金をかけた修復作業が行われ、2010年に一般公開が始まりました。修復がすべて終わったのは2014年。1797年に、ホレス・ウォルポールが死んだ時と同じ内装で修復されているとのことですが、ストロベリー・ヒル・ハウスは、内部の記述が、非常に詳細に記されている建物であったため、想像力に頼ることなく、比較的忠実に内部再現が可能であったのだそうです。

修復完成当時に新聞記事にも取り上げられ、話題となっていたので、この時に、ホレス・ウォルポールのゴシック小説「オトラント城」(The Castle of Otranto)を、どんなものかと読んでみたのですが、メルヘンと、あまり怖くないお化け話と騎士の物語を混ぜたような内容で、まあ、こんなもんかな、という感じで、とりたてて感心しませんでした。当時の人たちは、こんなのが面白かったのでしょうか。それでも、この妙なストロベリー・ヒル・ハウスは、ちょっと気になって、常々、訪ねたいとは思っていたのです。そこで、今年は、まだ一回も会う機会が無かった友人夫婦が、興味あったら一緒に行こうと声をかけてくれたのもあって、私たちも夫婦で出かけて、

リッチモンド橋
リッチモンド・ブリッジで待ち合わせしました。たまたま、トゥイッケナム・スタジアムでラグビーの試合があり、リッチモンド駅も川沿いの散歩道も、トゥイッケナムも、試合前に時間をつぶす、体の大きなラグビーファンのお兄さん、おじさんでいっぱいでした。

リッチモンド・ヒルからテムズをのぞむ
まずは、リッチモンド・ヒルの上から、過去の芸術家たちにも愛された、テムズ川がうねうねと曲がり地平線へ消えていく眺めを楽しみました。テムズ川左手には、ハンプトン・コート宮殿もかすかに見え。この後、リッチモンド橋へ戻り、対岸に渡り、ストロベリー・ヒル・ハウスまで歩いていきました。約30分。

以前訪れたハム・ハウスの対岸にある館、マーブル・ヒル・ハウスの前も通過。

ストロベリー・ヒル・ハウスは、ホレス・ウォルポールの時代から、一般公開をしていたのだそうで、入場料を払ったとき、チケット代わりに、ウォルポールが観光客のために、1784年に出版したという、館内のガイドブックを小冊子としてもらいました。ウォルポールは屋敷の敷地内に、印刷所を設けており、最初のガイドブックは、そこで印刷。

入り口ホールには、季節がら、クリスマスツリーが飾られていました。

壁は、一見木製なのですが、これは壁紙で、木製に見える効果を出しているだけなのです。

ギャラリーにある、この天井のデコレーションも、本物のゴシックの教会のような石の天井ではなく、張りぼて。色彩や金色を散りばめている感じなど、ちょっと趣味悪くないかい。

この部屋も、金色のデコレーションが走ってますが、壁が赤くない分だけまし。

入り口ホールと階段の他には、図書館が一番雰囲気ありました。

一般公開されている他の昔の貴族の館などと比べ、調度品が少なく、どの部屋も、がらーんとしています。これは、ホレス・ウォルポール時代にあった家具調度絵画類が、1842年に、ほとんど売り払われてしまっているため。

ホレス・ウォルポール収集品のオークション・カタログ
The Grate Saleと呼ばれる、1842年の、ホレス・ウォルポールが収集した家財調度品を売り払ったストロベリー・ヒルでのオークションは、19世紀の一大オークションとして、非常な注目を集め、オークション・カタログ(上の絵)の発行も、8版までに至ります。この叩き売りの理由は、当時ストロベリー・ヒルの所有者であったジョージ・ウォルダグレーブ(George Waldergrave)が、酔っぱらった挙句に警官と小競り合いになり、6か月投獄されたことに起因します。もともと、金欠でもあり、また、自分の投獄理由がトゥイッケナムの法廷にあるとし、トゥイッケナムのあるストロベリー・ヒル・ハウスを内部一掃して空にし、朽ちさせることで、トゥイッケナムに復讐してやれ、という、理解に苦しむ論理。まあ、最終的には、金が欲しかったんでしょうね。最も、ジョージ・ウォルダグレーブは、オークションの2年後に死亡。館を残された夫人、レーディー・ウォルダグレーブは、その後、2回再婚、自分の死の1879年までに、ストロベリー・ヒル・ハウスを見事に修復し、館は、夫人の下、再び花が咲き、一時、パーマストン、グラッドストンなどの自由党派政治家をもてなす、リベラル系のサロンなどとも呼ばれるようになったと言います。

館内、あとは、ステンドグラスが綺麗でしたね。

かつては、窓からテムズ川がうかがえたですが、今は家なども建ってしまい、見えません。

庭には、当時もあった貝殻の形をしたベンチが、過去の絵を参考に再現され、しつらえてあり、この上に、マーメイドポーズで座って写真を撮りました。ボティチェリのヴィーナス・ポーズにすればよかったかな。

全体の印象として、ディズニーが貴族の館を作ったらこうなる、みたいな感じです。まあそれなりに、テーマパークに遊びに行くような面白さはありましたが。この後、トゥイッケナムの美味しい日本食レストランで夕飯。イングランドがオーストラリアを破って勝利したため、うかれるラグビーファンで、ぎちぎちになった電車に乗って帰途に着きました。

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