経度を求めて
米作家、デーヴァ・ソベル(Dava Sobel)による、Longitude: The true story of a lone genius who solved the greatest scientific problem of his time(経度:時代の最大の科学的問題を解決した孤高の天才の実話)という本が一時ベストセラーになっていました。 日本語では、「経度への挑戦―1秒にかけた四百年」というタイトルで翻訳物が出ているようです。
18世紀の時計技師ジョン・ハリソン(John Harrison)が航海に耐えられる正確な時計を作成するための約40年間に渡る苦闘。そして、その約200年後、第一次世界大戦直後、埃をかぶり、倉庫に埋もれたままになっていた、ハリソンの貴重なクロノメーター(chronometer:航海用時計)を再びもとのコンディションに修正しようとするルパート・ゴウルド(Rupert Gould)の努力。
原作は読んだ事がないのですが、この本をもとにテレビ用にドラマ化されたものを見たことがあります。これが、とても、良かったのです。ジョン・ハリソンはマイケル・ギャンボン、ルパート・ゴウルドはジェレミー・アイアンズが演じていました。
ドラマは、18世紀のハリソンと20世紀のゴウルドの話を交互にフラッシュバックで見せ、ハリソンの5つのクロノメーターが作られた背景と、それがいかにゴウルドによって、現在のコンディションに戻されたかを、他の事にはいっさい注意を払わないような、両者の執拗なまでの時計への情熱を共通点として綴っていきます。
当時は、航海の際に、船のいる緯度(latitude)を知る事は、星の観測などで比較的容易に得られたものの、経度(longitude)を的確に知る方法がまだ見つかっておらず、経度を誤まったため船が難破、遭難する事が問題となっていました。その打開には、やはり天体の観測が鍵、と、チャールズ2世により、グリニッジ天文台も設置されたわけですが、なかなか解決策は見つからなかった。
1時間の時差があると、経度は15度違う・・・よって、天体に頼らずとも、基本になる場所の時間(例えばグリニッジの時間)と、船の現地時間(こちらは、太陽の位置によって計算可能)がわかれば、経度の計算もできたのですが、基本の場所の時間を知るには、船上に、その基本時間に合わせた時計がある事が必至。振り子式の正確な置時計は、すでに存在したものの、航海に耐え、正確な時間を刻み続けられる時計は、まだ存在しておらず、そんなものは、永久に作りえない、という意見も多数あったようです。(この件に関して、詳しくは過去の記事、「天体と時と・・・グリニッジ旧王立天文台」を参照下さい。)
1707年、イギリス南西部のシリー島沖で、経度を誤った船団が難破し、1600名の乗組員が死亡した事をきっかけに、政府は、天文学者、海軍、政治家からなる経度委員会(The Boad of Longitude)を設立、1714年には、経度問題を解決したものには、2万ポンドの賞金を出すとして、公からの解決策を募集。賞金目当てに、突拍子も無いアイデアを提案する者たちがどっと、押しかけます。
押し寄せた、とんでもないアイデアの中で、今でも語り草になっているのが、「パウダー・オブ・シンパシー」(共鳴の粉)。ひとつのナイフで、何匹か犬を刺して、傷つけ、その傷が治らないようにしたまま、其々の犬を、船に乗せる。毎日、グリニッジで真昼になると、犬を傷つけるのに使用したナイフを、魔法のパウダー・オブ・シンパシーという粉に突き刺すと、遠く離れた海上の犬達は、傷つけられた時の痛みを再び感じ、船上で遠吠えする・・・よって、船の乗組員は、グリニッジでは12時だとわかる・・・こんなので、本気で賞金がもらえると思ったとしたら、狂人扱いされても仕方がないでしょうか。
賞を与えるには、時計が、「Practicable and Useful at Sea」(海上で実用的かつ有用であること)が条件とされているため、委員会は、時計の内部構造の開示を要求。この構造の開示後、ハリソンは、賞の半分の1万ポンドを受け取るのですが、委員会は、残りの半分を受け取るには2つの複製を作る事を条件とします。これに答え、ハリソンは、H5と呼ばれる複製を製作、また、もう1つの複製は、別の時計職人ラーカム・ケンドールにより作製されK1と呼ばれます。K1は、後に、ジェームズ・クック(キャプテン・クック)が第2の航海に持って行き、その正確さに驚いたという事。
1765年に、第5代グリニッジ天文台長となったネヴィル・マスケリンは、経度問題は、最終的に天体、特に月の運行の観測によって解決されると固く信じ、ハリソンに、賞金の残りの半額を支払おうとせず、更なるいちゃもんをつけてきます。マスケリンは、ドラマ内では、意地の悪い、傲慢な悪役風に描かれていました。このマスケリンの性格描写がどれだけ、史実に合って正確かはわかりませんが、委員会の中の一部には、確かに、一介の時計技師ごときに経度問題が解けるものか、経度問題は科学者によってのみ解決可能、という傲慢な態度、また、労働階級出身で独学のハリソンに対する蔑みも、あったのは確かなようです。
委員会の態度に業を煮やしたハリソンと息子ウィリアムは、1772年には、非常に同情的なジョージ3世に話を持ちかけ、王は、自らH5の正確性をテストし、証言するのですが、委員会は、これにも態度を変えない。立憲君主ですから、あまり力なかったんでしょうね、残念。ついに、ハリソン親子は、国会に直訴し、やっとのことで、1773年に、 £8750を獲得します。ハリソンにとっては、もう金の問題ではなく、自分の業績が認められたという名誉の問題だったことでしょう。長い道のりでした。こうして、ようやく、金も栄誉も得て、3年後の1776年、83歳の誕生日に亡くなります。長生きして良かった・・・。
サイエンス、テクノロジーの進歩は、多くのこうしたジョン・ハリソン的な、ひとつの事に、よく言えば情熱を燃やす、悪く言えば偏執するタイプの、才能を持った人間の努力で、現在にいたっているのでしょう。何時の世でも、どんな社会にも必要で有用な人たちです。
ハリソンのクロノメーター、H1からH4、及び、ケンドールによるK1は、グリニッジ旧王立天文台にて、H5は、ロンドンのギルドホール図書館の一角にある、小さいながらも、すばらしいコレクションを持った、クロック・メーカーズ博物館にて見ることができます。私は、実際のクロノメーターのメカニズムは、しっかり理解できていませんが、ある意味では下手な芸術作品よりも、見ていて美しいオブジェ達です。特に、背景の歴史や、人間ドラマを知ると尚更、その精巧な美しさに感慨もひとしおなのです。
参考サイト:National Maritime Museum、時計の写真は、両方とも同サイトより。
18世紀の時計技師ジョン・ハリソン(John Harrison)が航海に耐えられる正確な時計を作成するための約40年間に渡る苦闘。そして、その約200年後、第一次世界大戦直後、埃をかぶり、倉庫に埋もれたままになっていた、ハリソンの貴重なクロノメーター(chronometer:航海用時計)を再びもとのコンディションに修正しようとするルパート・ゴウルド(Rupert Gould)の努力。
原作は読んだ事がないのですが、この本をもとにテレビ用にドラマ化されたものを見たことがあります。これが、とても、良かったのです。ジョン・ハリソンはマイケル・ギャンボン、ルパート・ゴウルドはジェレミー・アイアンズが演じていました。
ドラマは、18世紀のハリソンと20世紀のゴウルドの話を交互にフラッシュバックで見せ、ハリソンの5つのクロノメーターが作られた背景と、それがいかにゴウルドによって、現在のコンディションに戻されたかを、他の事にはいっさい注意を払わないような、両者の執拗なまでの時計への情熱を共通点として綴っていきます。
当時は、航海の際に、船のいる緯度(latitude)を知る事は、星の観測などで比較的容易に得られたものの、経度(longitude)を的確に知る方法がまだ見つかっておらず、経度を誤まったため船が難破、遭難する事が問題となっていました。その打開には、やはり天体の観測が鍵、と、チャールズ2世により、グリニッジ天文台も設置されたわけですが、なかなか解決策は見つからなかった。
1時間の時差があると、経度は15度違う・・・よって、天体に頼らずとも、基本になる場所の時間(例えばグリニッジの時間)と、船の現地時間(こちらは、太陽の位置によって計算可能)がわかれば、経度の計算もできたのですが、基本の場所の時間を知るには、船上に、その基本時間に合わせた時計がある事が必至。振り子式の正確な置時計は、すでに存在したものの、航海に耐え、正確な時間を刻み続けられる時計は、まだ存在しておらず、そんなものは、永久に作りえない、という意見も多数あったようです。(この件に関して、詳しくは過去の記事、「天体と時と・・・グリニッジ旧王立天文台」を参照下さい。)
1707年、イギリス南西部のシリー島沖で、経度を誤った船団が難破し、1600名の乗組員が死亡した事をきっかけに、政府は、天文学者、海軍、政治家からなる経度委員会(The Boad of Longitude)を設立、1714年には、経度問題を解決したものには、2万ポンドの賞金を出すとして、公からの解決策を募集。賞金目当てに、突拍子も無いアイデアを提案する者たちがどっと、押しかけます。
押し寄せた、とんでもないアイデアの中で、今でも語り草になっているのが、「パウダー・オブ・シンパシー」(共鳴の粉)。ひとつのナイフで、何匹か犬を刺して、傷つけ、その傷が治らないようにしたまま、其々の犬を、船に乗せる。毎日、グリニッジで真昼になると、犬を傷つけるのに使用したナイフを、魔法のパウダー・オブ・シンパシーという粉に突き刺すと、遠く離れた海上の犬達は、傷つけられた時の痛みを再び感じ、船上で遠吠えする・・・よって、船の乗組員は、グリニッジでは12時だとわかる・・・こんなので、本気で賞金がもらえると思ったとしたら、狂人扱いされても仕方がないでしょうか。
さて、1730年、リンカンシャー州の、大工そして時計技師であったジョン・ハリソンは、長年温め、自分でデザインしたクロノメーターを作成すれば、賞金が獲得できるのではと、設計図をひっさげ、グリニッジへ赴く。時の天文台長、エドモンド・ハレーは、ハリソンに寛容に応対し、ハリソンを、当時最高の評判を持ったロンドンの時計技師、ジョージ・グラハムの元へ、紹介状と共に送り込む。ハリソンのクロノメーターの設計図を見て気に入ったグラハムは、このクロノメーター作成のために資金を優遇。
クロノメーターは、船の動きに耐えるばかりでなく、航海する場所により極端な寒暖にも耐える必要がある。テストに次ぐテストを重ね、H1と呼ばれる最初のハリソンのクロノメーターが完成するのは、なんと5年後(上の写真)。まだ、置時計といった面持ちです。
ハリソンは実際に、このH1を乗せた船でリスボンへのテスト航海に同行。時計はかなりの精度を保ったものの、経度委員会が要求する基準には足りず、ハリソンは、改良したものを作るべく、委員会より、財政援助を受け、1737年から1759年にかけて、H2,H3なるモデルを開発します。まさに、執念と辛抱の人。
H3を、組み立てては、やり直す、試行錯誤を続ける中、1753年、ハリソンは、自分用に新しい懐中時計をデザインし作らせた後、その正確さにひらめきを得て、発想の転換を起こします。そして、今までのモデルとは全く違う、懐中時計を少し大きくした、小型のクロノメ-ターH4の作製を開始。
このH4(写真)が、ついに経度問題を解決する事になります。1761年にハリソンの息子、ウィリアムが、テストのため、H4と共に西インド諸島へ赴き、賞を受けるに十分なほどの正確さであることを確認。1764年の、2度目の航海のテストでも再び、正確さを見せますが、委員会は、賞の授与をしぶるのです。
賞を与えるには、時計が、「Practicable and Useful at Sea」(海上で実用的かつ有用であること)が条件とされているため、委員会は、時計の内部構造の開示を要求。この構造の開示後、ハリソンは、賞の半分の1万ポンドを受け取るのですが、委員会は、残りの半分を受け取るには2つの複製を作る事を条件とします。これに答え、ハリソンは、H5と呼ばれる複製を製作、また、もう1つの複製は、別の時計職人ラーカム・ケンドールにより作製されK1と呼ばれます。K1は、後に、ジェームズ・クック(キャプテン・クック)が第2の航海に持って行き、その正確さに驚いたという事。
1765年に、第5代グリニッジ天文台長となったネヴィル・マスケリンは、経度問題は、最終的に天体、特に月の運行の観測によって解決されると固く信じ、ハリソンに、賞金の残りの半額を支払おうとせず、更なるいちゃもんをつけてきます。マスケリンは、ドラマ内では、意地の悪い、傲慢な悪役風に描かれていました。このマスケリンの性格描写がどれだけ、史実に合って正確かはわかりませんが、委員会の中の一部には、確かに、一介の時計技師ごときに経度問題が解けるものか、経度問題は科学者によってのみ解決可能、という傲慢な態度、また、労働階級出身で独学のハリソンに対する蔑みも、あったのは確かなようです。
委員会の態度に業を煮やしたハリソンと息子ウィリアムは、1772年には、非常に同情的なジョージ3世に話を持ちかけ、王は、自らH5の正確性をテストし、証言するのですが、委員会は、これにも態度を変えない。立憲君主ですから、あまり力なかったんでしょうね、残念。ついに、ハリソン親子は、国会に直訴し、やっとのことで、1773年に、 £8750を獲得します。ハリソンにとっては、もう金の問題ではなく、自分の業績が認められたという名誉の問題だったことでしょう。長い道のりでした。こうして、ようやく、金も栄誉も得て、3年後の1776年、83歳の誕生日に亡くなります。長生きして良かった・・・。
サイエンス、テクノロジーの進歩は、多くのこうしたジョン・ハリソン的な、ひとつの事に、よく言えば情熱を燃やす、悪く言えば偏執するタイプの、才能を持った人間の努力で、現在にいたっているのでしょう。何時の世でも、どんな社会にも必要で有用な人たちです。
ハリソンのクロノメーター、H1からH4、及び、ケンドールによるK1は、グリニッジ旧王立天文台にて、H5は、ロンドンのギルドホール図書館の一角にある、小さいながらも、すばらしいコレクションを持った、クロック・メーカーズ博物館にて見ることができます。私は、実際のクロノメーターのメカニズムは、しっかり理解できていませんが、ある意味では下手な芸術作品よりも、見ていて美しいオブジェ達です。特に、背景の歴史や、人間ドラマを知ると尚更、その精巧な美しさに感慨もひとしおなのです。
参考サイト:National Maritime Museum、時計の写真は、両方とも同サイトより。
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