天体と時と・・・グリニッジ天文台


「以後、最大の注意と勤勉をもって、天体の動きの目録と、動かぬ星の場所を記録することに従事し、航海の術を完璧なものとする旨に必要である、経度の判明に、貢献できるよう尽力する事を要求する。」

以上は、1675年、チャールズ2世が、王立天文台(Royal Observatory)を、グリニッジ(Greenwich)に設立した際に、初代の天文台長ジョン・フラムスティード(John Flamsteed)へ出した任免状の一部です。

グリニッジ王立天文台・・・その設立の理由は、海にあり。航海に役立つよう、天体を観測し、そして何より、空を鍵として、船がいる場所の経度を知る事が出来るようにすること。世界各地からの貴重な積荷を乗せた船が難破ばかりされては困る。

緯度は、北半球では北極星、南半球では南十字星を使い、船上からその角度を測ることで、比較的判明が容易であったものの、経度の判明は、至難の業で、なかなか事が進まなかった。

地球は自転で360度を一日で回る。360度を24時間で割ると、15度。要は15度の経度の違いが、1時間の時間差となるわけです。ですから、経度は、地球上の2地点の時間(グリニッジなどの基準となる場所の時間と、船の場所の時間)がわかれば、算出できるわけですが、当時は、まだ、航海に耐え、船上で正確な時を刻むことができる時計が無かった。従って、船上での時間は太陽の位置などで判断できても、それと比べられる基準地の時間がわからない。そこで、チャールズ2世は、「答えは、やはり天体にあり」と、天体を詳しく観測することにより、経度を知る何らかの打開策を得たかったところ。

フラムスティード・ハウスと称される、一番最初の天文台の建物の主要デザインは、本人も天文学者でもあった建築家クリストファー・レン。天文台長の住まいも兼ねており、その寝室等も見ることができます。天体観測にあたっては、フラムスティードは、観測機器を地球を南北に走る線(子午線・meridian)にそって設置し、任務に当たります。

第2代目の天文台長は、エドモンド・ハレー(Edmund Halley)。ハレー彗星の名は、この人から取ったものです。彼の任命後、オリジナルのフラムスティード・ハウスの東側に増築がなされ、観測に使用する子午線も、フラムスティードのものから、東へ移します。

新しい望遠鏡や観測機器が加えられると、建物は更に東へ東へと増築を加えられます。子午線も、フラムスティードの使用したものから、ハレーのものへ、そして、3代目天文台長のジェームズ・ブラッドリー(James Bradley)使用のものへ、そしてまた、7代目のジョージ・ビドル・エアリー(George Biddell Airy)のものへと、東へ移行していきます。現在経度0度と認められている子午線(Prime Meridian)は、4本目のジョージ・ビドル・エアリーの使用したものです。

さて、当初の目的でもあった経度の探求は、最終的には、高性能の航海用の時計の開発によって解決されることとなりますが、この過程がまた、本やテレビドラマにもなっていてなかなか面白いのです。航海用の時計(クロノメーター)開発の最大の貢献者のひとり、ジョン・ハリソン(John Harrison)については、別の記事「経度を求めて」をご参考ください。

天体観測には、正確な時を刻む時計を必要とする。よって、グリニッジ天文台は、常に、その時代で入手可能な最も正確な時計を使用してきたわけで、やがて時間を伝達する事も、グリニッジ天文台の大切な役割となります。1833年には、天文台の屋根の上に巨大な玉が設置され、1時になると、その玉を下へ落とすことで、テムズを行きかいする船に時間を知らせ。さらに1836年には、天文台の人間が、週に1回、グリニッジの時間に合わせた懐中時計を持って、ロンドンのシティーを回り、正確な時間の伝達を行うという事をしていたそうです。

19世紀半ばに入っても、時や日に関する世界共通の決まりはなく、世界各地それぞれの町で、それぞれの現地時間を使用していました。

イギリス国内だけでも、グリニッジで昼の12時であっても経度がやや西にあるプリマスでは、11時44分という風に、時間にずれがあった。地元単位では特に支障もなく生活できたものの、鉄道の時代が到来すると、地方時間の細かな違いにより、時刻表の作成が困難になるという問題が起こります。そして、鉄道会社からのイニシアチブもあり、国内時間の統一化が進み、1855年までには、イギリスの98%が、グリニッジ・ミーン・タイム(GMT)に従って時計を合わせるようになります。

イギリスの様な小さな国でも問題となるのに、アメリカ、カナダなどの国土の広い国は尚更大変。東西に伸びる列車に乗った乗客などは、乗り継ぎなどの時間を見るために、それは頻繁に時計の時間を変える必要が起こってくる。それを解決すべく、1883年、アメリカとカナダは共通のタイムゾーン・システムを導入。経度が15度ごとに1時間の時差があるとし、各15度内で、時間は同一とする。この取り決めの際に、彼らが、基準となる経度0度としたのは、グリニッジを通る子午線。アメリカやカナダ国内の都市間のライバル意識を回避するために、国内の都市を選ばず、グリニッジに持っていったという話です。

そして、翌年1884年の10月、ワシントンにて、世界25カ国が参加して、世界子午線会議(International Meridian Conference)が開かれます。これによって、グリニッジの子午線が世界的に、経度0度と認められ、ここから、地球の反対側の180度線まで、東が東経、西が西経。賛成22カ国、反対1カ国(サン・ドミンゴ)、棄権2カ国(ブラジル、そしてもちろん、イギリスの長年のライバルのフランス・・・胸中穏やかでなかったでしょうね)。グリニッジの選出は、上に書いた様に、アメリカ、カナダがすでにグリニッジを押していたこと、後は、世界中の商船の大半がすでにグリニッジを0度とした海図を使っており、一番差し障りが少なかった為という事です。



やがて、グリニッジの大気汚染などにより、1940年後半に、王立天文台はこの地を去り、サセックス州へと移されます。その後、1990年に、今度はケンブリッジに移動。

それでも、経度0度はこの地から動くことなく、この日も、沢山訪れていた観光客が、グリニッジの子午線をまたぎ、東半球と西半球に片足ずつ置いて写真を撮っていました。

*これを書くのにあたり、グリニッジ天文台で購入したガイドブックにお世話になりました。入場料が無かった分、お土産に子午線Tシャツも買って帰りました。

コメント

  1. こんばんは
    桜のつぼみも膨らんで、今日,明日には開花かと思われましたが、また、冬に逆戻りの一日でした。とてもお花見どころではありません。南北に長い日本列島では桜前線もゆっくり北上です。きっと半年はかかるでしょうね。時間と距離と緯度と経度、複雑に絡み合って桜の季節もめぐって行きます。  樹齢五百年とかいう桜はさらに時空を超えた存在です。  私は散ってゆく桜が好きなんです。これもまた日本人かな?
    グリニッジのお話、面白かったです。

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  2. こんにちは。
    こちらも、また来週は、一時気温が下がるという予報が出ています。短期間でまたすぐ暖かくなるといいですが。
    桜前線では無いですが、ダファデルが咲いているのを見て、蜂を庭で目撃すると、春が来たと感じます。本日これから、隣の家に頼まれて、花壇を掘り起こし作業をしてきます。

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