人頭税で頭を無くし・・・

1990年3月31日、時の保守党首相マーガレット・サッチャー(在職1979-1990年)が導入した人頭税(Poll Tax)の施行開始の直前。ロンドンで反人頭税の大掛かりなデモが繰り広げられます。人頭税は、個々人の財産や収入、貧富の差に関わらず、万人に一律にかかる地方税。不人気だったわけです。

初めは平和的なデモとして始まったものの、警察とデモ側との小競り合いから、大暴動へとエスカレート。ロンドンで起こった最大の暴動とされています。負傷者113人(うち45人は警察官)、警察の負傷馬20匹、逮捕者340人。店やレストランのドアや窓ガラスは破壊され、道端の車はひっくり返され、火をつけられ。数日後、リージェント・ストリートを歩いたとき、窓ガラスが割られたため、板で塞いであるショップ・ウィンドウをいくつか見かけました。暴動のあった日に、のこのこ、ウェストエンドを歩いてなくてよかったな、と思ったものです。

人頭税導入に対しては、与党内でも、「政治的混乱をもたらす」と不賛成を表明した者がかなりいたようですが、サッチャーさん、強行に推し進め、その結果、この大暴動。暴動に関しては、サッチャー女史は、ただの不正行為、と軽くあしらおうとしたものの、保守党の人気は落ち込んで行きます。あまりにも長い間、お山の大将で首相をしていると、段々、皇帝か何かのように、自分の決めた事は何でもできる、と幻想を抱いてしまうのでしょうか。

この年の11月、彼女のリーダーシップに疑問を持ち始めた党内部のプレッシャーから、サッチャー女史、ついに辞職を余儀なくされダウニング・ストリートを去ります。その後の、ジョン・メージャー政権の下、人頭税は廃止され、持ち家の価値によって課税される、現在の地方税、カウンセル・タックスに取り変わります。

*****

人頭税は政治家の運のつき・・・というのは、今も昔も同じようです。

時代遡ること14世紀。リチャード2世の下、当時のカンタベリー大司教、また大法官(Lord Chancellor)であったサイモン・サドベリーは、1380年に、フランスとの百年戦争の資金調達のため、人頭税を導入。

この事が一因となり、翌年、1381年には、ワット・タイラーの乱とも呼ばれる百姓一揆(Peasants'Revolt)が勃発。サイモン・サドベリーは、ロンドン塔内に隠れたものの、最終的には、暴徒によって、ロンドン塔から引きずり出され、タワー・ヒルにて、首を打ち切られて殺害される羽目に。

打ち切られたサイモン・サドベリーの頭蓋骨は、現在は、生誕の地であるサフォーク州サドベリーにあるセント・グレゴリー教会(St Gregory)に収められていると言う事。胴体の方は、カンタベリーに埋められたそうですが。

サッチャーさんは、暴徒に首切られなかっただけでもみっけものです。

*写真1:セント・グレゴリー教会内部、天井
 写真2:セント・グレゴリー教会外、サイモン・サドベリーの小さな像

コメント

  1. 当時、私の弟が騒動の直後にイギリスにいて、やはり壊された商店などを目のあたりにして、恐い思いをしたという話を聞いたことを思い出しました。
    やはり、理不尽な税金には賛成できませんね。

    返信削除
  2. 暴動で店を破壊するような人は、デモ自体より、暴れることに楽しみ求めるタイプが多いのでは、という気もします。
    人頭税導入は、保守党支持者に多い、大き目の家を持った比較的富裕な層に有利になるよう、考え出されたなどといいますが、最終的に、約80%以上の納税者の税率が上がってしまったという話もあり、政治的自殺行為に終わったようです。

    返信削除
  3. こんばんは
    人頭税と言えば、アラブではジズヤと言うんじゃなかっかな?逃げちゃえば払う必要もないですよね?でも逃げられないように強制されちゃうってことなのかしら? ワットタイラーの乱、イギリスの農民反乱と習いました。アダムが耕し、イブが紡いだ時、誰が領主だったのか うーん農民一揆だ。

    返信削除
  4. 逃げたくても、逃げ切るのは、なかなか大変かもしれませんよ。また、別の地で課税され、流浪の民になって食うに食えなくなるかも。
    ワット・タイラーのころは、特に自分には関係ないような戦争の費用だから、余計払いたくなかったでしょうね。同じ頃、パリなどでも、税金への反乱があったようです。

    返信削除

コメントを投稿