早春のグリニッジ
ロンドン南東に位置するグリニッジ(Greenwich)を訪れたのは実に久しぶりです。ちなみに、この土地名、日本語で、いつもグリニッジとあるのが常々疑問でした。実際は、グリニッチと書いたほうが発音に近い気がしますが、一応、グリニッジとして統一して書いておきます。
今回の訪問では、ロンドンの地下鉄バンク駅から、ドックランズ・ライト・レールウェイを使い、カティー・サーク駅下車しました。観光要所は、当駅を出て徒歩で簡単に行けます。
前回行った時は、確か、ドックランズ・ライト・レールウェイが、グリニッジのあるテムズ南岸までまだ延びておらず、よって、カティー・サーク駅もまだ無く、対岸のアイランド・ガーデンズ駅から、テムズ川の下を通る地下道を歩いて、グリニッジに辿り着いたと記憶します。上の写真は、その地下道への出入り口。
残念ながら、2007年に火災で被害を受けたカティー・サーク号は、まだ修理中の様で、見当たりません。
テムズの向こう側に聳え立つ高層ビルは、ロンドン・シティーと肩を並べる金融街のカナリー・ワーフ(Canary Wharf)。
グリニッジの主な観光名所として、カティー・サークの他に、
旧王立海軍学校(Old Royal Naval College)
クイーンズ・ハウス(Queen's House)
国立海事博物館(National Maritime Museum)
そして観光客には人気ナンバー1の旧王立天文台(Royal Observatory)
などがあります。
前回は、後者3つの博物館は、有料だった気がするのですが、今回3つとも無料となっていました。これは、全部入らない手は無い。
この威厳ある建物が、旧王立海軍学校(Old Royal Naval College)。
ここは、チューダー朝の時代には、プラセンティア宮殿(Palace of Placentia)があった場所です。今は無きこの宮殿で、ヘンリー8世が生まれ。後には、メアリー1世、更に、エリザベス1世も、ここで生まれています。当宮殿は、チャールズ2世の際に取り壊されます。
1694年に、負傷した船乗り達の居住地として、グリニッジ・ホスピタルがこの跡地に設立されます。設計は主にクリストファー・レン及びニコラス・ホークスモア。このグリニッチ・ホスピタルが1869年に閉じると、当建物は、1998年まで、海軍学校として使用されました。よって、現在の、旧王立海軍学校の名で呼ばれている次第。建物の一部(The Painted HallとChapel)は、入場無料で公開されています。
さて、この建物の脇を歩いていた際、くずかごの中から何かが飛び出してきて、くずかごの口に座って、何か食べてます。あ、灰色りす。
尻尾の生えたねずみの様なものですから、たくましい事。何か美味しいものくずかごから見つけて出てきたようです。この写真、良く見ると、このりす、にんまり笑った顔をしている。しばらく見ていると、またくずかごの中に戻ってごそごそやっていました。お腹こわさないでね。
こちらは、クイーンズ・ハウス(Queen's House)。
その名の通り、ジェームズ1世の妃、アン・オブ・デンマークのため、バンケティング・ハウス等で名高いイニゴー・ジョーンズにより、設計。アンは、当館完成前に死去したので、ここの最初の住人はジェームズ1世の息子チャールズ1世の妃、ヘンリエッタ・マリア。
内部には絵画なども展示され、英画家ウィリアム・ホガースの描いた、イニゴー・ジョーンズの肖像なども見られます。
当館の見所のひとつとされるのは、チューリップ階段。イギリス初の、中央支柱の無いエレガントな螺旋階段で、ハンドレールの花の形のデザインのため、この名で呼ばれています。この階段に通じるドアは、残念、閉まっていて見れませんでした。修理中でしょうか。
国立海事博物館(National Maritime Museum)の前には、黄色いダファデルが咲き始めていました。
この博物館の目玉展示品は、トラファルガーの海戦で、ネルソン提督が着ていたユニフォーム。狙撃された際、銃で開いた穴があります。小さな人だったようで、肩幅なども狭いユニフォーム。私でもぴったりフィットな気がするのですが、ネルソンの負傷することに対する恐怖の無さ、と無防備さは、有名で、その点では、擦り傷ひとつで大騒ぎの私とは大違いです。
王立天文台(Royal Observatory)は、前述の建物群と、テムズを見下ろす形で、グリニッジ・パークの丘の上にあります。おっちら丘を登りながら振り向くと、
ガーキンなどを含む、シティーの建物も左手遠くに見えます。
上の写真は丘を登りきった王立天文台前からの眺め。カナリー・ワーフの建物、旧王立海軍学校、クイーンズ・ハウスが眼下に広がり、右の方にはO2アリーナの丸屋根も臨めます。
グリニッジ・パークは、17世紀に、ヴェルサイユ宮殿の庭園のデザインでも知られるアンドレ・ル・ノートル(André Le Nôtre)によりデザインされたという話もあります。
ひとしきり、景色を楽しんだ後、いざ、王立天文台へ入りましょう。
国立海事博物館オフィシャルサイト
グリニッジ観光サイト
グリニッジ・パーク
今回の訪問では、ロンドンの地下鉄バンク駅から、ドックランズ・ライト・レールウェイを使い、カティー・サーク駅下車しました。観光要所は、当駅を出て徒歩で簡単に行けます。
前回行った時は、確か、ドックランズ・ライト・レールウェイが、グリニッジのあるテムズ南岸までまだ延びておらず、よって、カティー・サーク駅もまだ無く、対岸のアイランド・ガーデンズ駅から、テムズ川の下を通る地下道を歩いて、グリニッジに辿り着いたと記憶します。上の写真は、その地下道への出入り口。
残念ながら、2007年に火災で被害を受けたカティー・サーク号は、まだ修理中の様で、見当たりません。
テムズの向こう側に聳え立つ高層ビルは、ロンドン・シティーと肩を並べる金融街のカナリー・ワーフ(Canary Wharf)。
グリニッジの主な観光名所として、カティー・サークの他に、
旧王立海軍学校(Old Royal Naval College)
クイーンズ・ハウス(Queen's House)
国立海事博物館(National Maritime Museum)
そして観光客には人気ナンバー1の旧王立天文台(Royal Observatory)
などがあります。
前回は、後者3つの博物館は、有料だった気がするのですが、今回3つとも無料となっていました。これは、全部入らない手は無い。
この威厳ある建物が、旧王立海軍学校(Old Royal Naval College)。
ここは、チューダー朝の時代には、プラセンティア宮殿(Palace of Placentia)があった場所です。今は無きこの宮殿で、ヘンリー8世が生まれ。後には、メアリー1世、更に、エリザベス1世も、ここで生まれています。当宮殿は、チャールズ2世の際に取り壊されます。
1694年に、負傷した船乗り達の居住地として、グリニッジ・ホスピタルがこの跡地に設立されます。設計は主にクリストファー・レン及びニコラス・ホークスモア。このグリニッチ・ホスピタルが1869年に閉じると、当建物は、1998年まで、海軍学校として使用されました。よって、現在の、旧王立海軍学校の名で呼ばれている次第。建物の一部(The Painted HallとChapel)は、入場無料で公開されています。
さて、この建物の脇を歩いていた際、くずかごの中から何かが飛び出してきて、くずかごの口に座って、何か食べてます。あ、灰色りす。
尻尾の生えたねずみの様なものですから、たくましい事。何か美味しいものくずかごから見つけて出てきたようです。この写真、良く見ると、このりす、にんまり笑った顔をしている。しばらく見ていると、またくずかごの中に戻ってごそごそやっていました。お腹こわさないでね。
こちらは、クイーンズ・ハウス(Queen's House)。
その名の通り、ジェームズ1世の妃、アン・オブ・デンマークのため、バンケティング・ハウス等で名高いイニゴー・ジョーンズにより、設計。アンは、当館完成前に死去したので、ここの最初の住人はジェームズ1世の息子チャールズ1世の妃、ヘンリエッタ・マリア。
内部には絵画なども展示され、英画家ウィリアム・ホガースの描いた、イニゴー・ジョーンズの肖像なども見られます。
当館の見所のひとつとされるのは、チューリップ階段。イギリス初の、中央支柱の無いエレガントな螺旋階段で、ハンドレールの花の形のデザインのため、この名で呼ばれています。この階段に通じるドアは、残念、閉まっていて見れませんでした。修理中でしょうか。
国立海事博物館(National Maritime Museum)の前には、黄色いダファデルが咲き始めていました。
この博物館の目玉展示品は、トラファルガーの海戦で、ネルソン提督が着ていたユニフォーム。狙撃された際、銃で開いた穴があります。小さな人だったようで、肩幅なども狭いユニフォーム。私でもぴったりフィットな気がするのですが、ネルソンの負傷することに対する恐怖の無さ、と無防備さは、有名で、その点では、擦り傷ひとつで大騒ぎの私とは大違いです。
王立天文台(Royal Observatory)は、前述の建物群と、テムズを見下ろす形で、グリニッジ・パークの丘の上にあります。おっちら丘を登りながら振り向くと、
ガーキンなどを含む、シティーの建物も左手遠くに見えます。
上の写真は丘を登りきった王立天文台前からの眺め。カナリー・ワーフの建物、旧王立海軍学校、クイーンズ・ハウスが眼下に広がり、右の方にはO2アリーナの丸屋根も臨めます。
グリニッジ・パークは、17世紀に、ヴェルサイユ宮殿の庭園のデザインでも知られるアンドレ・ル・ノートル(André Le Nôtre)によりデザインされたという話もあります。
ひとしきり、景色を楽しんだ後、いざ、王立天文台へ入りましょう。
国立海事博物館オフィシャルサイト
グリニッジ観光サイト
グリニッジ・パーク
こんにちは
返信削除グリニッジ と聞くと世界標準時となりますが、これいつごろ、どうしてグリニッジで決まりとなったのかしら?時差に弱い私はいつも考えます。あと、海軍学校ですが、今「坂の上の雲」を読んでいて、おおくの明治の海軍幹部候補生がイギリスに留学しています。ここに勉強に来ていたのかな?七つの海を制したイギリス海軍は最新鋭の学校も持っていたわけでしょうから興味あります。つづき 楽しみにしています。
1884年の国際会議で、グリニッジに決まった際は、すでに世界の商船の大半が、グリニッジを0度とした海図を使っていたとかで、一番、差し障りがなかったというのが一つあるようです。
返信削除2つのタイムゾーンの境界に近い国や街が、どちらに属するか決めるのには、色々政治的、実用的考慮もあったようです。フランス、スペインなども経度だけで考えると、英と同じタイム・ゾーンじゃないかと思うんですが、1時間早い。フランスの意地があったのか、とかんぐってしまいますが。
明治だったら、年代的にはあっているので、ここの学校かも。かなり長い本のようですが、この頃の日本の歴史も、面白い時でしょうね。