ネルソン・マンデラ
ネルソン・マンデラが一昨日(12月5日に)死んでしまった・・・。5日の夜にテレビを見ている時、ニュース速報として画面の下にテロップが流れて知ったのです。ニュース番組以外で、こういう速報ニュースが画面に登場するのは、まれな事で、彼の存在が、この国でいかに重要視されていたかがわかります。95であったし、2010年の南アフリカでのサッカー・ワールド・カップ以来、公の行事に現れず、体調が悪いニュースが何度も流れていたので、まあ、死去のニュースも近いかな、とは皆思っていたのでしょうが。もう、こんな立派な、モラルある政治家は、なかなか出てこないでしょうね。葬式は、15日の日曜日に予定されています。世界要人が一同に南アフリカに大集合となるでしょう。
アパルトヘイトの南アの事は、日本の学校の世界史の教科書に短い記載があったのは記憶しています。お金があった日本人は、名誉白人という事で、白人と同じ扱いを受けていたというのが書かれていました。「なんか変なの。人種差別はたてまえで、金が物言うのか、やっぱり。」と子供心に思ったのでした。「お前の鼻はちょっと低めだが、金さえ見せれば、多少、見た目が変でも大目に見てやるよ。」と言われているようで、いささか、居心地の悪い覚えもしたのです。
白人至上主義をモットーとする政府への反対活動の後、逮捕されたマンデラ氏は、1990年に釈放されるまで、27年間の監獄生活。時々、「テレビで見た記憶に残るニューストップ10」などが、紹介される事がありますが、マンデラが監獄から釈放されて自由の一歩を踏み込んだ場面(上の写真)は、常時トップ10入りを果たしていました。釈放後、F.W.デクラークの白人政府との和解の話し合いの際に、ネルソン・マンデラは、自分が投獄されてひどい目にあったから、どーの、こーの、という事は一切合切、口に出さなかったと言います。過去のうらみつらみは全て捨てて、現在と将来、どうするのが南アのためにいいか、のみに焦点を置いて。黒人に初めて選挙権が与えられ、投票をするためにながーい列ができた・・・あんな風景も、すでに投票権があるのが当たり前の昨今の先進国社会には、見られないものでした。大統領となった後も、白人に対する報復手段は一切とらないよう、国民にも呼びかけ。
一般市民の間での反アパルトヘイト運動が広がり、ネルソン・マンデラの釈放を要求する声が強まる中、当時のイギリス首相、マーガレット・サッチャーは、マンデラを「テロリスト」と呼び、南アへ圧力をかけるための禁輸措置も一切行わなかったのですが、マンデラが始めてサッチャー女史を訪れた際も、やはり、一言も「アパルトヘイトの終結に向けての努力に、あんたは手をかしてくれなかった」ような事は一切言わずに、それは、チャーミングに、礼儀正しくサッチャー女史に対応したようです。近親の人によると、彼の心の中には、南アでの、黒人の苦境に対するイギリス政府の反応への失望感はかなり大きかったのだそうですが。
大統領になってから、5年の期間が終わったら引退する、と宣言したとおりに任期を終えたら、政権にしがみつくことなく、約束どおりに政治の表舞台からは引退。権力に目がくらんで、しがみつこうとせず、こういう風に、すぱっとやめられる態度も立派。人間引き際も肝心。マーガレット・サッチャーは、対照的に、この引き際のこつを逃して、周りから押し出される事となったわけですし。ただ、私は、南アに関しては、マンデラが2期くらい勤めた方が、国のためには良かったような気もするのですが。
うちのだんなは、ネルソン・マンデラを近くで見た事がある、というのをわりと自慢にしています。彼の昔の職場は、外国からの主要客が来英する際には、大体において、訪問先のひとつに取り入れられる機関であったため、要人訪問には慣れていたものの、ネルソン・マンデラ訪問の際は、「ネルソン・マンデラが本日xx時にやってくる」というメモが、職場内を飛び回ったそうです。訪問時間になると、彼を一目見ようと、入り口の大ホール周辺は、階段の隅々にいたるまで、押すな押すなの人ごみで、記憶に残る限りは、こうした公式訪問での一番の人だかりをあつめたということ。マンデラ氏は、人ごみの列に紛れた黒人の清掃員に声をかけていたそうです。
シリアを始め、世界各地で、内戦、小競り合いが起こる中、対当する勢力が一歩もゆずろうとしないのは、もし、「自分が負けたら、報復手段で、自分は殺されるだろうし、自分達の民族が皆殺しにされる・・・」というのが理由の一つではないでしょうか。やられなければ、やられてしまうから、必死で戦う。この人たちが、みな、ネルソン・マンデラのように、過去を忘れて再出発できる心構えがあったら、世界中の闘争も、やがては収まるだろうという希望は持てるのに。こういう人は、世界広しとはいえ、なかなかいないのです。
ネルソン・マンデラが投獄中に、監獄内では、内緒で持ち込まれたウィリアム・シェークスピア全集が読まれており、それぞれの囚人が自分が気に入った部分に線をひいたりしていたようです。マンデラ氏が特に好んだという引用は、「ジュリアス・シーザー」からのもの。
Cowards die many times before their deaths
The valiant never taste of death but once
臆病者は、死ぬ前に、幾度も死を経験する
勇者が死を味わうのはただ一度のみ
臆病な私には、ばつが悪いほど、よくわかる~。今までの平穏無事な人生の中で、「ギャー、死ぬー!」なんて何度か思ったものです。
ネルソン・マンデラが、政権を離れてからの南アの政治は、じょじょに、じょじょに、腐敗した、他のアフリカ諸国の政府のようになってしまうような気配を見せ初めています。自分の懐を暖める事に専念する大統領とその側近による、国民の苦境を一切省みない政権が当たり前となっていったら、ネルソン・マンデラがせっかく築き上げたレインボー・ネーションが水の泡。ジェーコブ・ズマさん、しっかり、せーよ!南ア内の少数派の白人から、「やっぱり黒人政府なんてだめなんだよな。」などと思われないように。
アパルトヘイトの南アの事は、日本の学校の世界史の教科書に短い記載があったのは記憶しています。お金があった日本人は、名誉白人という事で、白人と同じ扱いを受けていたというのが書かれていました。「なんか変なの。人種差別はたてまえで、金が物言うのか、やっぱり。」と子供心に思ったのでした。「お前の鼻はちょっと低めだが、金さえ見せれば、多少、見た目が変でも大目に見てやるよ。」と言われているようで、いささか、居心地の悪い覚えもしたのです。
白人至上主義をモットーとする政府への反対活動の後、逮捕されたマンデラ氏は、1990年に釈放されるまで、27年間の監獄生活。時々、「テレビで見た記憶に残るニューストップ10」などが、紹介される事がありますが、マンデラが監獄から釈放されて自由の一歩を踏み込んだ場面(上の写真)は、常時トップ10入りを果たしていました。釈放後、F.W.デクラークの白人政府との和解の話し合いの際に、ネルソン・マンデラは、自分が投獄されてひどい目にあったから、どーの、こーの、という事は一切合切、口に出さなかったと言います。過去のうらみつらみは全て捨てて、現在と将来、どうするのが南アのためにいいか、のみに焦点を置いて。黒人に初めて選挙権が与えられ、投票をするためにながーい列ができた・・・あんな風景も、すでに投票権があるのが当たり前の昨今の先進国社会には、見られないものでした。大統領となった後も、白人に対する報復手段は一切とらないよう、国民にも呼びかけ。
一般市民の間での反アパルトヘイト運動が広がり、ネルソン・マンデラの釈放を要求する声が強まる中、当時のイギリス首相、マーガレット・サッチャーは、マンデラを「テロリスト」と呼び、南アへ圧力をかけるための禁輸措置も一切行わなかったのですが、マンデラが始めてサッチャー女史を訪れた際も、やはり、一言も「アパルトヘイトの終結に向けての努力に、あんたは手をかしてくれなかった」ような事は一切言わずに、それは、チャーミングに、礼儀正しくサッチャー女史に対応したようです。近親の人によると、彼の心の中には、南アでの、黒人の苦境に対するイギリス政府の反応への失望感はかなり大きかったのだそうですが。
大統領になってから、5年の期間が終わったら引退する、と宣言したとおりに任期を終えたら、政権にしがみつくことなく、約束どおりに政治の表舞台からは引退。権力に目がくらんで、しがみつこうとせず、こういう風に、すぱっとやめられる態度も立派。人間引き際も肝心。マーガレット・サッチャーは、対照的に、この引き際のこつを逃して、周りから押し出される事となったわけですし。ただ、私は、南アに関しては、マンデラが2期くらい勤めた方が、国のためには良かったような気もするのですが。
うちのだんなは、ネルソン・マンデラを近くで見た事がある、というのをわりと自慢にしています。彼の昔の職場は、外国からの主要客が来英する際には、大体において、訪問先のひとつに取り入れられる機関であったため、要人訪問には慣れていたものの、ネルソン・マンデラ訪問の際は、「ネルソン・マンデラが本日xx時にやってくる」というメモが、職場内を飛び回ったそうです。訪問時間になると、彼を一目見ようと、入り口の大ホール周辺は、階段の隅々にいたるまで、押すな押すなの人ごみで、記憶に残る限りは、こうした公式訪問での一番の人だかりをあつめたということ。マンデラ氏は、人ごみの列に紛れた黒人の清掃員に声をかけていたそうです。
シリアを始め、世界各地で、内戦、小競り合いが起こる中、対当する勢力が一歩もゆずろうとしないのは、もし、「自分が負けたら、報復手段で、自分は殺されるだろうし、自分達の民族が皆殺しにされる・・・」というのが理由の一つではないでしょうか。やられなければ、やられてしまうから、必死で戦う。この人たちが、みな、ネルソン・マンデラのように、過去を忘れて再出発できる心構えがあったら、世界中の闘争も、やがては収まるだろうという希望は持てるのに。こういう人は、世界広しとはいえ、なかなかいないのです。
ネルソン・マンデラが投獄中に、監獄内では、内緒で持ち込まれたウィリアム・シェークスピア全集が読まれており、それぞれの囚人が自分が気に入った部分に線をひいたりしていたようです。マンデラ氏が特に好んだという引用は、「ジュリアス・シーザー」からのもの。
Cowards die many times before their deaths
The valiant never taste of death but once
臆病者は、死ぬ前に、幾度も死を経験する
勇者が死を味わうのはただ一度のみ
臆病な私には、ばつが悪いほど、よくわかる~。今までの平穏無事な人生の中で、「ギャー、死ぬー!」なんて何度か思ったものです。
ネルソン・マンデラが、政権を離れてからの南アの政治は、じょじょに、じょじょに、腐敗した、他のアフリカ諸国の政府のようになってしまうような気配を見せ初めています。自分の懐を暖める事に専念する大統領とその側近による、国民の苦境を一切省みない政権が当たり前となっていったら、ネルソン・マンデラがせっかく築き上げたレインボー・ネーションが水の泡。ジェーコブ・ズマさん、しっかり、せーよ!南ア内の少数派の白人から、「やっぱり黒人政府なんてだめなんだよな。」などと思われないように。
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