コックニーは生粋のロンドンっ子

コックニー(Cockney)という言葉があります。現在では、ロンドン東部を出身とする労働者階級の人間を指し、彼らが喋るなまりも、やはりコックニーと称されます。

コックニーという言葉が初めて記述されたのは、14世紀に遡るそうで、古い英語の言葉2つ、「coken」(雄鶏の)と 「ey」(卵)が結びついてできた言葉。そのままの意味は「雄鶏の卵」ということですが、若い雌鶏が産む事のある、小さく、形のいびつな卵を指した言葉だそうです。そこから、「ひ弱に育てられた子供」、「女々しい男性」・・・等の意味で使われるようになります。ジェフリー・チョーサーも「カンタベリー物語」の中で、コックニーを、上記の意味で使用しているそうです。

16世紀前半までには、コックニーは、田舎の住民が、ひ弱で、女々しく、田舎での生活ぶりや農業に関しての知識が皆無の都会人を、少々、馬鹿にして呼ぶ言葉へと変化していきます。そして、更に17世紀になると、コックニーが意味する都会人は、ロンドンっ子(ロンドナー)のみへと限られていくのです。そして、当時の、生粋のロンドンっ子というものの定義は、
Born within sound of Bow Bells
(ボウ・ベルの音が聞こえる範囲で生まれる)
こと。ボウ・ベルとは、現金融の町シティーにある通り、チープサイドにあるボウ教会(正式名St Mary- le- Bow、セント・メアリー・レ・ボウ教会)の鐘を指し、この鐘が聞こえる範囲で生まれた人間・・・ということになるのです。ロンドンは、もともと、現在のシティーから始まり、広がって行った町なので、かつてはロンドンと言えば、シティー界隈を指していたわけですので。もっとも、騒音が少ないころは、この教会の鐘は、かなり広範囲、ロンドンの外でも聞こえたようですので、実際のところは、鐘の音が聞こえる範囲というよりは、この教会の近くで生まれた・・・という事でしょう。

ロンドンが拡大し人口が増加するにつれ、シティーはビジネスのみの場所となり、実際に住む人は減っていき、ボウ教会近くに住む人間などもほとんどいなくなるわけです。そんなこんなで、コックニーは、後に、シティーよりも更に東の比較的貧しい地域だった場所に住むロンドンっ子を指す言葉となっていきます。

この東ロンドンの住人の喋るコックニー訛りで、一番、気が付くのは、「h」を発音しないこと。よって、ハンド(hand)はアンド、ヒート(heat)はイートなどと聞こえます。コックニー訛りと言って日本人にもお馴染みなのは、ミュージカル映画「マイ・フェア・レディー」のイライザ・ドゥーリトルでしょう。イライザを貴婦人として仕上げるべく、ヒギンズ博士が必死になって、彼女のコックニー訛りを矯正しようとするわけです。特に記憶に残るのは、エイと言うべきところを、アイと発音してしまうイライザに、ヒギンス教授は、

The rain in Spain stays mainly in the plain.
(スペインの雨は、主に平野に降る)

と何度も何度も、繰り返し練習させるくだり。これをイライザ風に発音すると、
ザ・ライン・イン・スパイン・スタイズ・マインリー・イン・ザ・プライン
これを、やっと
ザ・レイン・イン・スペイン・ステイズ・メインリー・イン・ザ・プレイン
ときちんと発音できたところで、映画では、イライザは、生き生きと、「スペンンの雨は、主に平野に降る」と歌いだすのです。

同じ町に住む、だんなのテニス友達の1人は、もともとは東ロンドン出身の、ばりばりのコックニーですが、東ロンドンから引越しして、もう30年近く経っているはずなのに、いまだに、かなり強いコックニー・アクセントで喋ります。大阪人が東京でも、大阪弁に誇りをもって喋り続けるように、わざと、強調したアクセントで喋っているのではないか、などと思う時もあるほど。まあ、聞いていて楽しいです。彼は、「バター」などのような言葉の「t」の発音をせずに、その代わりに、小休止して、「バ・ア」のような言い方もします。私は、言語学者ではないので、コックニーの全ての発音に対して解釈を入れることはできませんが。思うに、ロンドンの土地の高騰と、移民の数の多さで、こうした昔ながらのコックニー訛りを喋る、彼の様な人も減ってきている可能性がありますので、なかなか、貴重な存在かもしれません。

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