教会探検家になろう

ロンドンのウェストミンスター寺院のような名のある大聖堂もさることながら、特に名も知られていない、小さな古い教会を見かけると、ひょろりと入り込むのが大好きです。往々にして、教会は、周辺で一番古い建物である事が多く、現代生活の中にあって、身近に、歴史や、昔の人間の生活の余韻に、直接触れられる場所でありますから。また、こういったしっかりした素材を使った建物は、もう今は、建築される事もないので、大切に残しておいて欲しいもの。以前、日本で、何の変哲も無い小さな寺の周囲を、白人が、カメラを持って、興味深げに色々眺め、うろうろしているのを目撃した事がありますが、私がイギリスの教会たちに抱く気持ちと、同じ感覚かもしれません。

そこで、新年の抱負として、今年は、闇雲に教会を訪れ、きょろきょろするだけでなく、もう少し、それぞれの教会を読めるようになるということ。教会の外の作りや、中の装飾などを理解できれば、もっと教会めぐりが楽しくなるのではないかと。そこで、「教会探検家のためのハンドブック」、「教会を読む」・・・などというタイトルの古本を何冊か購入し、教会を覗きに出かけるときには、リックにつめていこうと思っています。「教会探検家」(Church Explorer)という言葉自体大変気に入っていますが、何百年も同じ場所に立ってきた建物の中に隠されている、過去の歴史をひもとく意味では、教会探偵と言った感覚もあります。シャーロック・ホームズの帽子を被り、虫眼鏡を持って。

ここで、教会探検家になるための、ごく基本情報だけ、記述しておきます。

集落の住民にとって重要な場所であったため、イギリスの教会(他の国でも同じかもしれませんが)は、周辺より少し高い場所に立っている事も多く、私の家から徒歩5分の教会も、かつては、市が開かれていた、ちょっとした丘の上にあります。グラストンベリー・トーの頂上に立つセント・マイケル教会の廃墟ほどの劇的効果は無いですが、多少離れた場所からでも目に入るのです。こうして、誰でも、すぐ見える場所にあるため、日時計や後に時計が教会の塔に備え付けられるようになったのも、当然と言えば、当然。

例外はありますが、建物の方角としては、祭壇が東側を向いており、塔が西側という、東西に軸を置くものが一般的です。祭壇が太陽が登る東の方を向いている、というのは、キリスト教以前の太陽崇拝の異教の影響ではないかと言われています。大体の教会は、聖人の名が付いていますが、その聖人の日に、太陽が昇る方角を基準に建設されているというケースもあるようです。

ちなみに、うちの近くには、2つ、サンタさんの原型であるセント・ニコラスの名を取った教会がありますが、そのひとつ(上の写真)は、教会内の説明書によると、祭壇(写真右手)は、セント・ニコラスの日の12月6日の日の出の方向に建てられているのだそうです。

教会内部へ入るドアは、南と西、北にあるのが主。大体において、正式なドアは南側のもの。教会の北側は、邪悪な精神が徘徊する方角として、南側ほど使用されることがなかったためだそうです。よって北のドアはほとんどの場合閉められていたものの、洗礼の儀式の最中は、邪悪な精神が逃げていくように、開け放たれていたということ。現在では、北のドアは常時鍵がかかっているか、塞がれてしまっている場合が多いです。

建築材料は、その土地独特の古い民家同様、周辺で掘り起こしやすい石材、または大きな石が切り出せない地層の場合は、

ごろごろの石ころを使用したりと、地方色があります。教会内の大切な部分のみ、遠くから切り出した立派な石を使用している教会もありますが。

かつては、羊毛で非常に栄えたコッツウォルズ、サフォークなどでは、村の規模が小さいにもかかわらず、かなり立派な教会がいくつも残っていたりします。教会がやけに多い村や町は、かつての羊毛業による富が反映されているわけです。こうしたものは、ウール・チャーチなどと呼ばれます。

教会は、城や貴族の館などの他の時代物の建物同様に、建設されてから、何度も、修復や増築を経ているので、もとはノルマン時代のものでも、内部に、後の時代の影響や、形跡が読み取れることがほとんど。

また、特にイギリスでは、16世紀の宗教改革後、父王ヘンリー8世よりも、敬虔なプロテスタントであったエドワード6世の時代に、カソリック風と思われる、聖人の銅像やステンドグラスが破壊されたり、教会内に壁画があった場合には、それを白のしっくいで隠してしまう、などという事も行われています。ですから、近年になって、修復作業の過程で、漆喰の下から、中世の時代の壁画が発見された・・・などという事もあるのです。

教会の墓地もまた、ちょっとした秘密の花園のように、鳥や小動物、原生の草花、昆虫の自然の隠れ家になっている事が多く、町の中心の買い物の帰りなどは、わざわざ、墓地を通って行ったりしています。時に犬の散歩の人に出くわす以外は、ほとんどの場合人っ子一人おらず、鳥のさえずりだけが聞こえるのです。

墓参りに来た人が持ってきた花に水をさすための、ポンプがあり、じょうろが用意してある墓地もありますが、

なんとなく、見ていて、なごやかな気持ちになります。

教会に出席する人の数もめっきり減り、実際に使用される回数が少なく、無人となる事が多いため、使用していないときは、ドアに鍵がかかっている教会も多々あります。特に、ガラの悪い地域の教会、または、周りに民家が無かったりすると、泥棒に狙われ、内部の金属製品を盗まれたり、またはただの面白半分で破壊する輩もいるからです。教会の屋根は鉛で覆われている事が多く、これも時々金属泥棒に目をつけられたりして、夜中に引っ剥がされて盗まれたりする事もあるのです。こうして盗んだ金属の取引金額は、大したことはないでしょうが、教会にかかる修復費用は、とんでもない金額となります。他人の文化遺産を破壊してしまう人間もいますが、自分の国、自分の文化の過去の遺産を破壊するどーしょーもないタイプのイギリス人、いったい何考えてるんでしょう。以前、訪れた小さな教会で、内部にいた関係者の人と、この教会どろぼうの話となり、彼女は、「うちの教会はいつも鍵をかけずに開けてある。下手に鍵を閉めて、ステンドグラスなどを割って、中に入られたりしたほうが、後での被害額がおおきくなってしまうから。」などと言っていました。

以前、周辺の田舎の教会に足を運び、記帳本をぱらぱらめくっている際、日本語が目に入り、青森から来たという日本人が記帳をしているのを見てびっくりしました。日本人が、わざわざ、イギリスまでやってきて、こういった場所を覗いて行く、というのは、おそらく、私のような、地元に住んでいる日本人の親戚を訪ねて来たとき、連れて行ってもらった、という事ではないかと思います。自分達だけで、わざわざ訪ねていったのだとしたら、あっぱれです。

イギリスに遊びに来たとき、僻地の教会を訪ねる機会がなくとも、ロンドンにも数多く、小さな教会が存在しますので、外での喧騒に疲れたとき、ドアが開いていたら、入って見学をかねて一休みしてみて下さい。場所に制限のあるロンドンの様な込入った場所の教会は、上記の東西の軸や、ドアの位置などが、普通と違う場合は多いですが、教会内の装飾の知識や、多少のキリスト教に関する知識を少し持っておくと、得るものも大きいかと思います。時に、教会関係の人が内部にいる場合には、こちらが興味を持っているとわかると、非常に喜んで、いろいろ説明してくれる事もありますので。

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