ホテル・カリフォルニアへようこそ
Last thing I remember
I was running for the door
I had to find the passage back to the place where I was before
"Relax," said the night man
"We are programme to receive
You can check-out anytime you like
But you can never leave
最後に覚えているのは
ドアに向かって駆けていった事
以前にいた場所に戻るための路を探さねば
「落ち着いて下さい」と夜間の受付が言った
「我々は、客を受け入れるのが目的です。
いつでも好きなときにチェックアウトできますが、
去ることは永久にできません。」
米ロック・バンド、イーグルス(Eagles)の1977年の歌「Hotel California、ホテル・カリフォルニア」の歌詞の最後の部分です。
新型コロナウィルスに対するロックダウンも6週目に突入し、一体全体、いつ、どんな風に、鎖を外して、ドアを開けていくのか、いまだに、わかっていない状態です。「わー、こわいコロナ嵐が吹いている、中へ入れ、ドアを閉めろ」と、とりあえず、やったはいいが、まったくもって、その後はどうするのか無計画。食べ物や薬局以外の店は、全て閉めてしまうという処置が、実際に良かったのか。経済を破壊しないためにも、ガーデンセンターなど、人と人との間隔を開けて経営できるものは、少しでもあけておくべきではなかったのか、と今になって思います。そして、この国は、もっと早めに計画を立て、準備し、もっと早めに処置を行うべきだった。躊躇した挙句の果て、闇雲に、ほとんどすべてを閉めてしまった今、「もうそろそろ、いいかな。」とドアを開けたところで、また、「わーやっぱりだめだー、もう一度、入れ―!」なんて事になりかねない。人々は、自宅の窓から外を眺め、コロナ嵐が自然消滅してくれることを願うけれど、そんなことはあり得ない。実際、今、ロックダウンが終わっても、怖くて家を出たくない、という人の割合は、年齢健康状態を問わず、かなり高いのだそうです。
そんな中で、このイーグルスのホテル・カリフォルニアが、頭の中で流れていました。昔、多感な頃に、アルバムを持っていたので、それはそれは、よく聞いた曲です。歌詞の意味は色々憶測され、アメリカの退廃した文化に対する批判であるとか、純粋さの喪失を歌ったものだなどという話もあり、また、作り手側としては、ただ不思議な感じの、変わった内容の曲を作りたかったという話もあり。
本や歌などは、時代と共に、その意味やニュアンスを自分流に解釈して、新しい意味を持つように楽しむこともできるものです。特に、ホテル・カリフォルニアの、「いつでもチェック・アウトできるが、永久に去れない」というくだりは、過去の政治・社会状況を描写する時に、何度か使われていた記憶があります。
現在、BCとACは、今までのように、キリストの誕生前と誕生後を分ける、ビフォー・クライスト、アフター・クライストではなく、ビフォー・コロナとアフター・コロナの事だ、などと言われています。このパンデミックで、何かが根本的に変わってしまった・・・。それぞれの国で、今までは、なんとか継ぎはぎをあてて、隠したり、ごまかしたり、無視しようとしていた弱点が、コロナで暴露される結果ともなっています。
ロックダウンが終わった後も、我々が、ホテル・カリフォルニアの歌の主人公のように、元居た場所に戻ろうとしながら、戻ることができない、という状況と照らし合わせてみたりします。以前、当然と思っていたもの、考えもしなかった状況に直面して、元の世界が自分から遠ざかるのに驚愕する日々。歌詞内に、「ナイフで刺すが、獣は殺せない」というくだりがありますが、この獣が、現状ではコロナとその影響ですか。獣は死なない、ずっといる。ロックダウン後も、ニュー・ノーマル(新しい日常)の世界で生きなければならない、などと言われ、もうビフォー・コロナ時代の日常は、過去のものです。
ぼろいレコード・プレーヤーで、ぷっつん、ぷっつん、という針の飛ぶ音と共に、音楽を聴いていた当時の事をなつかしく思い出しながら、ちょっと、これを機に、この曲の歌詞を適当に訳してみました。英語の歌詞は、こちらまで。非現実と現実の境界、夢ともわからぬような現実の中をさまよい歩く、シュールな歌詞です。
砂漠の暗いハイウェイ 涼しい風を髪に感じる
暖かいカナビスの香りが空気の中を舞い上がる
はるか遠くに 揺らぐ明かり
俺の頭は重く 視界はぼやけ
今夜はこの辺りで泊まらなければ
彼女は戸口に立っていた
教会の鐘が聞こえ
俺はこう思った
「ここは天国でも、地獄でもありえる」
彼女はろうそくを灯し案内する
廊下では声がする
その声はこう言っているかに聞こえた
ホテル・カリフォルニアへようこそ
なんと 素敵な場所
なんと 素敵な顔
ホテル・カリフォルニアには部屋が沢山
一年中 いつでも
ここへ来れば見つけられる
彼女の心はティファニーに歪み
メルセデスに傾倒する
彼女は、「友人」と呼ぶ美男子たちに囲まれ
中庭での彼らのダンスときたら 甘い夏の汗を流し
ある者は覚えているために踊る
ある者は忘れるために踊る
バーテンダーに頼んだ
「ワインを持ってきてくれないか」
だが、彼は言う
「そんなスピリット(酒・精神)は1969年以来から在庫がございません。」
そして、また遠くから声が呼びかける
真夜中に俺たちを起こすんだ
聞いてくれと言わんばかりに
ホテル・カリフォルニアへようこそ
なんと すてきな場所
なんと すてきな顔
彼らはホテル・カリフォルニアに住んでいる
なんと うれしい驚き
アリバイを持っておいで
天井には鏡
アイスの入ったピンクのシャンパン
彼女は言う
「私たちは、ここでは皆囚人なの。自分たちの意志でやってきた囚人。」
大広間では宴会の集まり
スチールのナイフでいくら突き刺しても
彼らは、獣を殺すことができない
最後に覚えているのは
ドアに向かって駆けていった事
以前にいた場所に戻るための路を探さねば
「落ち着いて下さい」と夜間の受付が言った
「我々は、客を受け入れるのが目的です。
いつでも好きなときにチェックアウトできますが、
去ることは永久にできません。」
永久に去ることができないアフター・コロナの時代、それはそれと事実を認めるのが第一歩。そして、それに、どう柔軟に対応し、どう生きていくのか。殺せない獣と、どう付き合っていくのか。世界、各国、個人の課題は大きいところです。
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