エレファント・マン


1980年のデイヴィッド・リンチ監督の「エレファント・マン」(The Elephant Man)は、19世紀後半のイギリスに実在し、その奇妙な外観から、エレファント・マンと呼ばれた、ジョーゼフ・メリック(Joseph Merrick、1862-1890)の人生の最後の4年間に基づいた映画。白黒の映像と、煙巻き上がるビクトリア朝ロンドンの薄暗い雰囲気の中、公開時はなんとなく怖いイメージを持った映画でした。

調度、時期を同じくして、物語の主な舞台となるロンドン・ホスピタルが存在する、東ロンドン、ホワイトチャペル周辺では、切り裂きジャックの殺人事件が起きていた頃。メリックの死後、彼の骸骨を保存する処理にあたった外科医は、切り裂きジャックの被害者の遺体の鑑定をした人物であったそうです。

ざっとしたあらすじは、

東ロンドンのホワイトチャペルにある、ロンドン・ホスピタルに外科医として働くフレデリック・トリーブス(アンソニー・ホプキンス)は、ある日、近くで開かれていた見世物小屋で、エレファント・マンとしてその奇怪な姿を見世物としていたジョン・メリック(ジョン・ハート)の存在を知り、興行主に持ち掛け、病院で、メリックと面会。彼の症状に興味を持ったトリーブスは、病院長に相談し、ロンドン・ホスピタルで、メリックの面倒を見るに至る。

最初は、頑なに言葉少なであったメリックだが、徐々に、トリーブスに心を開くに至り、トリーブスも、メリックが読み書きもでき、知能も高い人間であるとわかる。新聞で彼の存在が書かれると、上流社会の人間の間でも、彼に興味を示し、訪れ、贈り物などをする人物も増えてゆく。中でも、女優のケンドール夫人(アン・バンクロフト)とは、心を通わせる。永住できる住処も病院側から与えられ、しばしの、快適な生活の中、紙を使って巧妙な建物の模型作りにも夢中になる。

やがて、見世物小屋の興行主が、夜間にメリックの部屋を訪れ、再び金ずるにするため拉致し、大陸ヨーロッパで興行を続ける。症状が悪化していくメリックは、興行主に檻に入れられていたところを、やはり同じ場所で見世物として働いていた他の人物たちの助けを借り、逃走、汽船に乗り、イギリスへ帰り、再び、無事、ロンドン・ホスピタルに保護される。

普通の人間のように横になって寝ると、窒息死するため、常に枕をつみあげてうずくまるようにねていたメリックだが、はじめて、劇場を訪れ舞台を見た、夢のような一日の後、トリーブスに夜のあいさつをし、一人になった寝室で、山積みになっていたベッドの上の枕をのけ、普通に横になり、息をひきとる・・・。ジ・エンド。

イギリス行の汽船に乗り込むエレファント・マン

メリックが、大陸から、汽船でイギリスのハリッジ港に戻った後、そこからは、汽車で、ロンドンのリバプール・ストリート駅に到着するのですが、公開時の宣伝で使われており、今でも記憶に良く残っているのが、この汽車を下車した後に、頭巾を被った異様な姿から、群衆に追われることとなり、頭から頭巾をはぎ取られ、最終的に駅の男子トイレの壁に追いつめられながら、「僕は動物ではない、人間だ!」と叫ぶシーン。大勢の人間に後を追われながら、びっこを引きつつ逃げている中、汽車の音がぴーっと響くのを聞き、こちらも追われている気分で鼓動が早くなっていく。

霧のロンドンの雰囲気をかもしだすのに、ロケーションにはテムズ川南岸のバトラーズ・ウォーフ裏手などが使用されています。

ジョーゼフ・メリックは、「The life and adventure of Joseph Carey Merrick」(ジョーゼフ・ケアリー・メリックの人生と冒険)という、ごく短い自伝を残し、自分の生い立ちと半生をつづっているのだそうです。イギリスのレスターで生まれ、誕生の時は、体の異常は、それほどひどいものではなく、5歳くらいから、奇形度が増していく。母親は、美しく、やさしかったものの、彼が10歳の時に亡くなり、父が再婚。継母は、彼を罵りつらく当たり、17歳で、自ら生計を立てるべく家を出て、行商人として仕事、生計が立てられなくなり、生活が困窮する度、レスターのワークハウス(救貧院)に入ったり出たり。更に、奇形が進行していき、20歳の時に一度、レスターの病院で、顔から肉塊を少し取り除く手術もしているのだそうです。やがて、自分の風体を利用して生計をたてようと、地元のエンタメの興行師に、フリーク(見世物としての奇形)として売り込んでくれるよう、自らアプローチ。これがあたって、収入が入るようになり、地方巡業なども行い、たまたまロンドンでの興行中に、見世物小屋が置かれた場所が、トリーブスの働くロンドン・ホスピタルのすぐ前。ここで、トリーブスとの運命的な出会いをすることとなります。

映画では、トリーブスと会ってから、すぐ、ロンドン・ホスピタルに移り住む設定となっていますが、実際は、トリーブスと会い、学会などに彼の奇形のケースが発表された後、メリックは、別の興行師と大陸ヨーロッパに、自分の意志で渡っているのです。というのも、この時期辺りから、イギリスでは、見世物小屋などが、風紀に悪いものである、と取り締まりが厳しくなり、イギリス内での大都市での興行がむずかしくなり、金の入りがわるくなったのが原因。モラルを守るためとしながら、実際は、そうして自分の体を見世物にすることで、食いつないでいた人間が、稼げなくなる、というのは、なんとも、皮肉な展開。また、映画内では、興行主に、杖で激しく体を叩かれたりしていたのですが、これは事実ではないようです。興行主とは、ビジネス・パートナーに近い関係で、悲惨な人生ながらも、本物のジェームズ・メリックは、もっとしたたかに生きたのかもしれません。

ベルギーで、持っていた金を盗まれるか、だまし取られるだかした後に、メリックは、単独で、汽船に乗り、上記の通り、ハリッジへ、そして汽車でリバプール・ストリート駅へ到着。駅では、映画同様の、怖い目にあった模様で、その後、警官が駆けつけるさわぎになったようです。トリーブス医師と会ったのは2年前であったものの、メリックは、まだ彼の名刺を所持しており、その名刺のおかげで、ロンドン・ホスピタルに連絡が取られ、メリックは無事、トリーブス医師と再会することとなります。

トリーブス医師も、「The Elephant Man and Other Reminiscences」(エレファント・マンとその思い出)という著を残しており、その中で、医師はなぜか、ジェームズという名をジョンと変えて綴っており、映画内でも、彼はジョン・メリックと呼ばれています。

ロンドン・ホスピタルは、治療によって改善する見込みのない人物は入院させられない、という規則があったため、病名も病因もわからぬメリックをどうしようと、トリーブスは、院長のフランシス・カー・ゴム(映画ではジョン・ギールグッドが演じていました)に相談。ゴム院長は、タイムズ紙の編集長に手紙を書き、同紙に「こういった患者がいるが、彼を住ませることができる安全な場所はないものか」と読者に問いかける内容のものを掲載。結果、院長は多くの手紙と寄付金を受け取り、その寄付金を使用して、ロンドン・ホスピタルの敷地内の建物に、メリックを住まわせ、面倒を見る、というめでたし、めでたしの結果となるのです。

映画の通り、幾人もの上流階級の人間たちも訪れ、贈り物なども受け取り、静かな環境の中、模型作りなどにもはげみ、最後は、比較的平和な日々を過ごすことができたのが、この物語の、何よりの救いでしょう。映画では、自殺という形を取っているものの、ある日、寝室であおむけに息を引き取っているのが発見されて、本当に自殺か、それとも自然死かは不明。死の直前には、症状がかなり進み、頭も支えるのが大変なほど肥大し、歩行や、喋ることなどもかなり難しくなっていたようですし。死後、後の研究のために、彼の体の形の石膏が取られ、また、生前から本人の承諾も取っておいたようで、骸骨も保存されています。

彼の作った数多くの紙の模型のひとつは、まだ残っており、こちらもロンドン・ホスピタル蔵。

映画の中で、看護婦長が、「彼は、これまでは一般の人間の見世物だったのを、今は、別の上流社会の見世物にしている」と、色々な客をメリックに面会させているトリーブス医師をなじる場面がありますし、トリーブス医師自身も、「自分は、本当に彼の事を思って行動しているのか、それとも自分の名声と野心のためにやっているのか、自分は良い人間か、悪い人間か。」と妻に聞く場面などもありました。が、自分がメリックの立場だったら、名声欲からだっていい、偽善だってなんだっていい、とにかく丁寧に、良く扱ってほしい。根本が、100%純粋な善良さからくるものではなくとも、快適で普通の生活をさせてくれる人は、ありがたいです。リバプール・ストリート駅で獣のように追いつめてくる群衆よりずっといい。大体、100%無垢な善人なんていやしないですし。

現在では、ジェームズ・メリックが患っていたのは、プロテウス症候群と呼ばれるものではないかとされています。プロテウスとは、ギリシャ神話の海神で、次々と姿を変えることで知られ、メリックのように、この症状は、体の変異が年を経るとともに変わっていくことに由来するようです。

それにしても、映画内では、弱者であり、犠牲者であるイメージがかなり強いエレファント・マンですが、実物はもっと、自分の人生を自ら何とか展開していこうという、たくましさも持ち合わせていたというのが印象的です。もともと、当時の労働階級は、たくましくなければ生きていけない、そこへもってきて、身体不自由に生まれてしまうと、更なる精神のタフさが要求される。やはり自らの奇形を逆手にとって、生計をたてるため、サーカスで生活をする人物たちが登場するミュージカル映画「グレーテスト・ショーマン」(The Greatest Showman)なども思い出しました。

コメント

  1. エレファント・マンの映画は、日本でも封切り当時は話題になってた様に記憶しますが、未だにちゃんと見ていないと思います。医師役がアンソニーホプキンスと聞いて、「羊たちの…」のレクター博士とオーバーラップしそうです(笑)。 それよりも見世物小屋という、人間の残酷な性分を抉り出す様な出し物は、古くから世界中、何所にでも在った様ですね。  南米映画で、やはり同種の見世物小屋がちらりと映るシーンが記憶あり、確か蜘蛛になった娘というのが見せ物になっていたと記憶します。日本では、未だに地方のお祭りなどに行くと在ると言う話も聞きますが、そこは現代ですから、犬になった娘と書かれている小屋で、入ってみたら普通の犬がグルグル走っていただけとか、他愛のないものらしいのですが。

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    1. 何回か見ましたがいい映画ですよ。ロンドンが舞台の映画は、それだけで見たくなるというのもあります。アンソニー・ホプキンス若いです。彼とアン・バンクロフトは、チャリングクロス街84番地でも共演していました。

      社会が面倒をみてあげない限り、当時のこういった人物にとって、見世物小屋は、残酷でもあり、生活の糧を稼ぎ出す大切な命綱でもあり。「じろじろ見て、ぎゃーと騒ぐなら、金を出して。」というサバイバル精神には強さも感じます。

      犬になった娘で、本物の犬を出すというのは、笑えます。犬だけでなく、おじさんになった娘でも、やかんになった娘でも、なんでもありですね。

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