20世紀初頭に日本を訪れたイギリス人女性たち

エラ・デュ・ケインによる日本庭園の水彩画

最近スコットランドに引っ越した日本人の友人が、スコットランドにある「カウデン・ガーデン(Cowden Garden)という日本庭園へ行ってきました」というメールを写真付きで送ってくれました。イギリス各地に、日本庭園なるものは造園されていて、比較的新しい物もあるので、いつ頃に作られたのか、と興味半分で、当庭園のサイトをのぞいて、その歴史を読んでみたところ、これがなかなか、面白かったのです。

富裕な実業家の娘に生まれた、エラ・クリスティー(Ella Christie 1861-1949)という女性が、自分の所有するカウデン・キャッスル(Cowden Castle)という屋敷の土地に、大きな池を掘りおこし、日本庭園の造園を開始したのが1908年だというので、かなり古いものです。

冒険心のあった女性の様で、1904年から、ヨーロッパをはるか離れた、インド、チベット、セイロン、マレー半島などのエキゾチックな場所を旅行して歩き、1906年から1907年にかけて、ロシア、中国、韓国、そして日本を訪問するのです。庭園のウェッブサイトの情報によると、彼女が、京都に滞在中に泊まったホテルで、日本庭園に関する本を書く目的で日本を訪れていた、水彩画家のエラ・デュ・ケイン(Ella du Cane)と執筆を司る、彼女の姉のフローレンス・デュ・ケイン(Florence du Cane)という、イギリス人姉妹に遭遇するのです。1908年に出版された、この姉妹の本のタイトルは「The Flowers and Gardens of Japan」(日本の花と庭園)。

ここで少々脱線します。このデュ・ケイン(du Cane)という苗字、「どこかで聞いたことがあるなあ・・・」と、しばし考えると、私の住むエセックス州内の、グレート・ブラクステッド(Great Braxted)という小さい村にあるパブの名前が、「デュ・ケイン」だったと思いだしました。その前を、幾度か車で通過したことがあり、「パブにしては聞かない名前だな。」と、記憶に残っていたのでしょう。そこで、このデュ・ケイン姉妹の事を調べてみると、一家は、このグレート・ブラクステッドにある大きな古い屋敷、ブラクステッド・パークに住んでいたのです。よって、パブはかつて周辺に住んだ,この一族の名から取ったわけです。屋敷と敷地は、エラとフローレンスの在命中の1919年に、売りに出され、デュ・ケイン姉妹と母は、周辺の別の館に移り住んでいます。現在、ブラクステッド・パークの一部は、9ホールのゴルフ場になっており、数年前、うちのだんなは、隣に住んでいたおじいさんに誘われて、一度ここにプレーに行っています。だんなは、特にゴルフ狂でもないので、ゴルフ自体より、敷地内が美しくて、のんびりできたという事が印象に残っているようです。

デュ・ケイン家は、もともとは、エリザベス1世の時代に、大陸ヨーロッパでのカソリックによる宗教的弾圧を逃れ、フランダースから移住してきた、ユグノー(フランスのプロテスタント)の良家の血筋。イングランドの有力な一族として、イングランド銀行や東インド会社の設立などにも関わり、代々、国会議員なども出しています。エラとフローレンス・デュ・ケインの父は、5年間ほどオーストラリアのタズマニア州総督で、そのため、エラ・デュケインは、タズマニアで生まれています。また、デュ・ケイン姉妹の母方の曾おじいさんは、ジョン・シングルトン・コプリ―(John Singleton Copely)というアメリカ出身の画家です。彼の絵は、ロンドンのいくつかの美術館でお目にかかることができます。

こちらもエラ・デュ・ケインの絵、カウデンの日本庭園に雰囲気が似ています

さて、西洋庭園とはまるで異なる、独特な日本庭園に魅了されたエラ・クリスティーは、エラとフローレンス・デュ・ケインとの日本での出会いからも刺激を受け、自分の土地に日本庭園を造ることに決め、上記の通り、日本旅行後すぐの1908年に開始。この際、当時、農業園芸学校であったスタドリ―・カレッジ(Studley College)に留学していた日本人女性、ホンダ・タキさん(漢字がわからないのでカタカナ)が2か月ほど、エラ・クリスティーに雇われ、造園の開始時に手助けをしたそうです。

庭園のサイトに載せられていたホンダさんの写真ですが、ごく普通のおばちゃん風なのが、なんかいいですね。20世紀初頭のイギリスに、日本から留学に来ていた、こんな女性がいたというのも頼もしい。

また、窮屈な長いドレスに身をまといながら、世界を見て歩き、日本を訪れ、その庭園などを西洋に伝える先駆者になった女性たちの人生にも、胸がわくわくするものがあります。もっとも、当時のイギリスで、こんなに遠い場所まで遊山に出れたのは、彼女たちのような、一握りのエリート階級に所属する人間に限られたでしょうが。

彼らが見た、当時の日本と日本庭園への印象が読みたくなり、デュ・ケイン姉妹の「The Flowers and Gardens of Japan」を注文しました。

当ブログポスト内で使用したエラ・デュ・ケインの絵は、英語版ウィキペディアのページより。(今のところ、彼女に関するウィキペディアの日本語エントリーはありません。)
https://en.wikipedia.org/wiki/Ella_Du_Cane
このページの情報によると、ヴィクトリア女王は、エラの水彩画を好んでおり、彼女の絵を26枚購入したそうです。また、彼女は、イタリアの湖の本の挿絵、ポルトガルのマデイラ諸島の庭園の本(やはり姉と共作)挿絵なども手掛けているそうです。

それにしても、色々な事や人物が、色々な別の事に関わりをもっているものだ、と改めて感心します。知識とは、そうした、ぱっと見は関係の無いような事項を、頭の中で、網の目か蜘蛛の巣のように、どんどん繋げていく事で広がっていくものかもしれません。スコットランドの日本庭園から始まり、20世紀初頭に世界を旅行したイギリス女性たち、馴染みのある場所のパブの名前の由来、エリザベス朝にイギリスに逃げて来た有力ユグノーの一族、アメリカ出身の画家、20世紀初頭にイギリスに留学していた日本女性、日本の庭園を西洋へと紹介する本、へと。そうした事項のどれを取って、もっと掘り下げても、きっと、更に興味深い物事や人物へと繋がっていく事でしょう。

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