チューダー朝イングランドを脅かした疫病、粟粒熱

ヒラリー・マンテル著「Wolf Hall、ウルフ・ホール」を読み始めました。ヘンリー8世の右腕として修道院解散などを実行したトマス・クロムウェルが主人公の長編3部作。評判と期待を裏切らぬ面白さです。ヘンリー8世の時代を描いた本というのは、とても多いですが、良く研究されているそうで、史実もかなり信頼置けるとのこと。チューダー朝の歴史をおさらいしながら、絶妙にかもし出される当時の雰囲気を楽しみながら、時間をかけて、ゆっくり読んでいくつもりです。物語は、かつては常に悪役的イメージのあったクロムウェルの視点から描かれています。

トマス・クロムウェルが住んだオースティン・フライヤーズ周辺

トマス・クロムウェルは、ロンドンのシティー内、オースティン・フライヤーズ(Austin Friars)という地域に住んでおり、彼のかつての邸宅は、彼の失脚と処刑の後、シティーの商業組合(リヴァリカンパニー)のひとつである、ドレーパーズ・カンパニーによって購入され、現在その場所には、ドレーパーズのカンパニー・ホールが建っています。

トマス・クロムウェルは、妻のリズと娘2人、妹夫婦を、Sweating Sickness(粟粒熱 ぞくりゅうねつ、直訳すると発汗病)という疫病で亡くしており、その描写も、この本の中に書かれています。とにかく、かかると、瞬く間にに死んでしまう人が多い病気であったそうです。

1527年の7月、クロムウェルは、朝、床の中で、リズが汗ばみながら寝ているのを見、そのまま気にもせず、一人起き、オースティン・フライヤーズの自宅を去り、外出。夜、家に帰ったら、リズはすでに亡き人だった・・・という事になっています。そして、2年後の1529の夏には、娘2人も死んでしまい、更に、同じ年に、妹夫婦も、前日は元気でいたのが、翌日には死んでいたと書かれています。

症状は、悪寒、めまい、頭痛、倦怠感、体のふしぶしの痛みなどであったようです。

死亡者が出た場合は、即効で埋葬をする義務があったようで、リズが亡くなった際、クロムウェルは、息子や親類を呼ぶ時間の余裕もなく埋葬。更に、感染者が出た家は、家のドアに藁の束を下げる必要があり、その後の40日間、その家への出入りは禁止され、そこに住む家族たちも外出は自粛。現在のコロナ感染下の生活状況と似ていますね。小説の中で、当時は、まだトマス・ウルジー枢機卿に仕えていたクロムウェルは、義理の母から、「本当に粟粒熱かどうかもわからないから、だまって、藁束を下げなくてもいいんじゃないか」と言われると、「ウルジー枢機卿が、下した法令なので、従わないわけにはいかない。」と返事しています。ちなみに、ウルジーは4回、これにかかって、4回治ったのだという事になっています。それが、本当だったら、たいしたもんです。

この粟粒熱が、イイングランドで流行るようになったのは、1485年の夏からとされます。折しも、リチャード3世から王権を取るために、大陸から軍を連れて、ウェールズのミルフォード・ヘーブンへ、ヘンリー・チューダー(後のヘンリー7世)が上陸したのが、同年の8月頭。そして、8月22日は、リチャード3世が戦死するボズワースの戦い。戦いの勝利の後、ヘンリーが一行を率いてロンドンへやってくるのが、8月28日。その後すぐに、粟粒熱の初の流行が始まっています。よって、この病気は、ヘンリー7世が大陸からつれてきた兵士たちによって、イングランドへ導入されたとするのが一般の見解です。いずれにせよ、チューダー王朝の設立と共に現れた疫病。

この後、夏季、特に暑い夏に、数年おきに流行を繰り返し、やがては、ヘンリー8世の息子エドワード6世の時代に入った、1551年の流行を最後に、消えてしまったという事。現在でも、一体何が原因の病気であったのか、どうしていきなり消え失せたのか、色々憶測はされているものの、はっきりわかっていないようです。

いずれにせよ、感染が出そうな夏は、ロンドンから田舎に逃れる人たちも多かったようで、小説内、クロムウェルの娘たちが死んだ夏には、その前に、家庭内で、娘たちをシティーからどこか田舎へ疎開させておいた方がいいのではないかという話し合いをしたという事になっており、最終的に、そのまま自宅滞在となり感染の犠牲者となってしまうのです。ロンドン内でこれほど綺麗な家は無いというくらい、清掃をして、お祈りもかかさずしていたのに、と。

有力者たちの中でも、これで亡くなった人はおり、トマス・モアなどとも交友深く、セント・ポールズ・スクールの創立者であり、聖職者、ヒューマニストとしても知られる、ジョン・コレットも1519年に、粟粒熱で命を落としています。

この他にも、こわーい黒死病も、時に起こっていたこの時代に、長生きするのに必要なのは、どんなばい菌にもウィルスにも耐えられる体の丈夫さと、運の良さ。あとは、王の怒りを買って、首ちょんぱにならないように注意する事・・・ですかね。

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