リチャード3世、駐車場に眠っていた王様
去年の9月、イングランドの都市、レスター(Leicester)にある何の変哲もない駐車場で発掘作業が行われ、そこから出てきた骸骨が、リチャード3世のものではないか、というニュースが流れました。しばらくそのままになっており、どうなったのやら、と思っていたところ、やっと先日、さまざまなテストの結果、リチャードであることが確定されたとの報道。歴史家だけにとどまらず、一般人にも、びっくりニュースです。戦場で戦いながら命を失った最後の王様。シェークスピアのおかげで、イギリスのみならず、世界中で一番名の知れたプランタジネット朝の王様。その在位がたった2年だったにもかかわらずです。しかも、彼が死んだのは、500年以上も前のこと。
1485年、ヘンリー・テューダー(後のヘンリー7世)と、王座をかけての戦いとなったボズワースの戦いにて、戦死。その死体は裸にされ、そのまま、レスターに運ばれて、3日間、死んだのは間違いなくリチャード3世であると証明するために、公の場所にさらされ、その後、今は無いレスターのグレーフライヤーズ教会内に埋葬された・・・とありますが、亡骸は川に投げ込まれたという説もあり、とにかく、その死体はどこへ行ったのか、不明だったのです。
イングランドはレスタシャー州のボズワースの平原で、乗っていた馬が死に、「A hourse! A horse! my kingdom for a horse! 馬を!馬を!わが王国とひきかえに、馬を!」と、いうリチャード最後の台詞は、ちゃんと学校で勉強したイギリス人なら、誰でも知っているはず。また、以前、当ブログで、70年代のストライキの話を書いた時に引用した「Winter of discontent 不満の冬」もシェークスピアのリチャード3世からのもの。こちらは、リチャードの冒頭の台詞でした。そんなこんなで、みんなの頭の中にあるリチャード3世像は、ヘンリー6世をロンドン塔で殺させ、その息子エドワードを戦場で殺し、ちゃっかり彼の嫁さんと結婚、自分の兄、クラレンス公を殺させ、更には、兄エドワード4世亡き後、その息子達(自分の甥っ子)をロンドン塔にて殺させた、世紀の悪人。しかも、背中にはこぶが盛り上がるせむし男で、片手も普通の手とは違いひしゃげており、身も心もよじれた王様・・・というイメージ。
リチャードの遺体を探すための、レスターの駐車場での発掘と、発見された骸骨がリチャードであると確認されるまでのいきさつを取ったドキュメンタリー「リチャード3世、駐車場にいた王様」を見ました。ドキュメンタリーにしては、かなりの高視聴率だったようです。この発掘背景自体が、また小説になりそうで、非常に面白かった。
発掘の原動力となったのは、リチャード3世ファンで、リチャード3世協会なるものを作ったフィリパ・ラングリーという女性。この協会は、世界各国3000人以上のリチャードファンをメンバーとし、テューダー王朝のプロパガンダにより、悪者の汚名を着せられ続けてきたリチャード3世は、良い王様であった、というリチャードの汚名挽回に励む協会のよう。確かに、リチャードは、長く住んだイングランド北部のヨークシャーなどでは、公平で有能として、人気のあった王様であったという話は聞いたことがあり、ボズワースでの戦死の知らせを受け、ヨークの市民達はその死を悼んだということも聞きました。
フィリパさんは、リチャードが埋葬されたとされるグレーズフライヤーの教会があったのがどこかを調査し、駐車場を探し当てた。彼女、この駐車場を始めてみた時、たまたま地面にペンキで、「R」と書かれた文字が目に入り、第6感で、「彼はここに眠っている!」と思ったのだそうです。・・・と書くと、「なんだ、そのおばさん、オカルトを信じるような変人じゃないのか」と思う人もいるかもしれません。確かに、彼女、過去のロマンに思いはせ、少々変わった、夢見る夢子さん風ではありますが、それでも、数年かけてしっかりリサーチをし、リチャード3世協会のメンバーに寄付を呼びかけて発掘資金まで集めるという、あっぱれ、かなり実行力のある人です。
そして、レスター大学考古学部のチームを交えての発掘作業が始まり、まず、最初に発見されたのが、このRの文字のあった辺りから掘り起こされた人間の骸骨。その背骨が、常人と比べくねっと曲がっている・・・そして、頭蓋骨にはいくつかの傷跡がある・・・という事情が明らかになっていくと、「これは、もしかして、本当に?!」と発掘に携わる人たちも思い始める。
こういう発掘の際、何か歴史的意義のあるものに出くわすこと、また、「これを探したい」と実際に目的とするものを掘り当てるというのは、実にまれな事であるそうです。ですから、発掘チームは最初は、半信半疑、「少々、野心的で馬鹿げたプロジェクト」と感じる人もあったようですので、実際に背骨のの曲がった人物の骸骨が、一番最初に出土されたのは、鳥肌が立つようなシュールな体験であったでしょう。
貴重な骸骨は、丁寧に部分ごとに袋につめられ、更に箱に収められて、その身元確認検査を受けるべく運び出される。まずは、骨のカーボンデイティングで大体いつごろのものかを調べ、これは、15世紀後半と、リチャードの生きた時代とマッチ。そして、たんぱく質の高いものを食べていたのもわかり・・・よって、地位の高い人間・・・とも判明。頭蓋骨の傷は、壮絶な最後を思わせるもので、逃げることを拒み「栄光か死か」の突撃をかけて死んだと言われるリチャードの最後に一致するもの。しかも、頭部にはいくつもの刀傷を受けながら、顔には、一切傷跡がない・・・。これは、後に誰が死んだかを定かにする必要性があったから・・・ということは、ますますリチャードである可能性が強い。
最後の一番大切なテストはDNA。リチャードは一人息子を、自分の死の前年になくしているので、姉のアンの家系をたどって、見つかった子孫は、カナダ出身で、北ロンドンで家具を作っているマイケル・イブセン氏。リチャードが戦に勝っていたらお貴族様だったかもしれないのに。とまれ、彼のDNAと駐車場の骸骨氏のものは、見事一致。
ドキュメンタリーのおしまいに、骸骨から、実際にどんな顔だったかと、再構成した顔のモデルを見せていましたが、死後に描かれたという意地悪そうな彼の肖像よりも、もう少しふくよかで温和な顔。どちらかというと兄さんのエドワード4世の肖像に似ているような。死んだのは33歳でしたから、まだ若いんですよね。あと、手は両方とも、ちゃんとした普通の手で、背骨の曲がりも、洋服を着ていれば、さほど目立たないという話です。女性とも思えるような比較的華奢な骸骨だそうですが、これも、「華奢な体つきにしては戦に長ける」という記述があるのだそうです。
上の写真は、リチャードの頭部のモデルと、子孫のイブセン氏。似てる?か?
「歴史は勝者によって書かれる」とは良く言われることですが、血筋的には、王座につくには、血統書つきとは言いがたいヘンリー7世とテューダー王朝にとって、リチャードの後の評判が悪ければ悪いほど、都合が良かったというのはあります。ですから、せむしの状態も誇張され、その悪者ぶりも誇張され。シェークスピアも時の統治者の気に入る芝居を書く必要があったし。(また、思いっきり根性の曲がった悪役のほうが、芝居として面白い・・・というのもあるでしょう。)
それにしても、ロンドン塔に閉じ込められ、そのままいなくなってしまったリチャードの2人の甥っ子たちは、どうなったのか、本当にリチャードが殺させたのか。どこかに、ひそかに逃がされたのか、他の人間が殺したのか。これは、おそらく、ずっとわからないままとなるでしょう。(上の絵は、ジョン・エヴァレット・ミレーの「塔の中の王子達 The Princes in the Tower」)
こうして、骸骨の素性がわかって、遺体は、来年レスター大聖堂に移され、きちんと埋葬される・・・というニュースを聞いたとき、これは、ヨーク大聖堂が黙っていないのではないか、と思いきや、案の上、早速ヨークが、「ヨーク家のリチャードはゆかりある、ヨークの土地のヨーク大聖堂へ。」と名乗りを上げたとのこと。骸骨の永住場所をめぐっての、2都市間で、ばら戦争も真っ青の、熾烈な戦いが始まるでしょうか。500年もレスターにずっと眠っていたし、ヨークに比べ、他にあまり観光名所もないレスターが、リチャードの遺体を欲しがる気持ちはわかりますが、もし、本人にお伺いをたてれば、本人は、ヨークがいいと言うんじゃないでしょうかね、きっと。私も、ヨークに一票ですが、レスターは一切、譲らない姿勢をとっているので、さて、どうなりますか。
1485年、ヘンリー・テューダー(後のヘンリー7世)と、王座をかけての戦いとなったボズワースの戦いにて、戦死。その死体は裸にされ、そのまま、レスターに運ばれて、3日間、死んだのは間違いなくリチャード3世であると証明するために、公の場所にさらされ、その後、今は無いレスターのグレーフライヤーズ教会内に埋葬された・・・とありますが、亡骸は川に投げ込まれたという説もあり、とにかく、その死体はどこへ行ったのか、不明だったのです。
イングランドはレスタシャー州のボズワースの平原で、乗っていた馬が死に、「A hourse! A horse! my kingdom for a horse! 馬を!馬を!わが王国とひきかえに、馬を!」と、いうリチャード最後の台詞は、ちゃんと学校で勉強したイギリス人なら、誰でも知っているはず。また、以前、当ブログで、70年代のストライキの話を書いた時に引用した「Winter of discontent 不満の冬」もシェークスピアのリチャード3世からのもの。こちらは、リチャードの冒頭の台詞でした。そんなこんなで、みんなの頭の中にあるリチャード3世像は、ヘンリー6世をロンドン塔で殺させ、その息子エドワードを戦場で殺し、ちゃっかり彼の嫁さんと結婚、自分の兄、クラレンス公を殺させ、更には、兄エドワード4世亡き後、その息子達(自分の甥っ子)をロンドン塔にて殺させた、世紀の悪人。しかも、背中にはこぶが盛り上がるせむし男で、片手も普通の手とは違いひしゃげており、身も心もよじれた王様・・・というイメージ。
リチャードの遺体を探すための、レスターの駐車場での発掘と、発見された骸骨がリチャードであると確認されるまでのいきさつを取ったドキュメンタリー「リチャード3世、駐車場にいた王様」を見ました。ドキュメンタリーにしては、かなりの高視聴率だったようです。この発掘背景自体が、また小説になりそうで、非常に面白かった。
発掘の原動力となったのは、リチャード3世ファンで、リチャード3世協会なるものを作ったフィリパ・ラングリーという女性。この協会は、世界各国3000人以上のリチャードファンをメンバーとし、テューダー王朝のプロパガンダにより、悪者の汚名を着せられ続けてきたリチャード3世は、良い王様であった、というリチャードの汚名挽回に励む協会のよう。確かに、リチャードは、長く住んだイングランド北部のヨークシャーなどでは、公平で有能として、人気のあった王様であったという話は聞いたことがあり、ボズワースでの戦死の知らせを受け、ヨークの市民達はその死を悼んだということも聞きました。
フィリパさんは、リチャードが埋葬されたとされるグレーズフライヤーの教会があったのがどこかを調査し、駐車場を探し当てた。彼女、この駐車場を始めてみた時、たまたま地面にペンキで、「R」と書かれた文字が目に入り、第6感で、「彼はここに眠っている!」と思ったのだそうです。・・・と書くと、「なんだ、そのおばさん、オカルトを信じるような変人じゃないのか」と思う人もいるかもしれません。確かに、彼女、過去のロマンに思いはせ、少々変わった、夢見る夢子さん風ではありますが、それでも、数年かけてしっかりリサーチをし、リチャード3世協会のメンバーに寄付を呼びかけて発掘資金まで集めるという、あっぱれ、かなり実行力のある人です。
そして、レスター大学考古学部のチームを交えての発掘作業が始まり、まず、最初に発見されたのが、このRの文字のあった辺りから掘り起こされた人間の骸骨。その背骨が、常人と比べくねっと曲がっている・・・そして、頭蓋骨にはいくつかの傷跡がある・・・という事情が明らかになっていくと、「これは、もしかして、本当に?!」と発掘に携わる人たちも思い始める。
こういう発掘の際、何か歴史的意義のあるものに出くわすこと、また、「これを探したい」と実際に目的とするものを掘り当てるというのは、実にまれな事であるそうです。ですから、発掘チームは最初は、半信半疑、「少々、野心的で馬鹿げたプロジェクト」と感じる人もあったようですので、実際に背骨のの曲がった人物の骸骨が、一番最初に出土されたのは、鳥肌が立つようなシュールな体験であったでしょう。
貴重な骸骨は、丁寧に部分ごとに袋につめられ、更に箱に収められて、その身元確認検査を受けるべく運び出される。まずは、骨のカーボンデイティングで大体いつごろのものかを調べ、これは、15世紀後半と、リチャードの生きた時代とマッチ。そして、たんぱく質の高いものを食べていたのもわかり・・・よって、地位の高い人間・・・とも判明。頭蓋骨の傷は、壮絶な最後を思わせるもので、逃げることを拒み「栄光か死か」の突撃をかけて死んだと言われるリチャードの最後に一致するもの。しかも、頭部にはいくつもの刀傷を受けながら、顔には、一切傷跡がない・・・。これは、後に誰が死んだかを定かにする必要性があったから・・・ということは、ますますリチャードである可能性が強い。
最後の一番大切なテストはDNA。リチャードは一人息子を、自分の死の前年になくしているので、姉のアンの家系をたどって、見つかった子孫は、カナダ出身で、北ロンドンで家具を作っているマイケル・イブセン氏。リチャードが戦に勝っていたらお貴族様だったかもしれないのに。とまれ、彼のDNAと駐車場の骸骨氏のものは、見事一致。
ドキュメンタリーのおしまいに、骸骨から、実際にどんな顔だったかと、再構成した顔のモデルを見せていましたが、死後に描かれたという意地悪そうな彼の肖像よりも、もう少しふくよかで温和な顔。どちらかというと兄さんのエドワード4世の肖像に似ているような。死んだのは33歳でしたから、まだ若いんですよね。あと、手は両方とも、ちゃんとした普通の手で、背骨の曲がりも、洋服を着ていれば、さほど目立たないという話です。女性とも思えるような比較的華奢な骸骨だそうですが、これも、「華奢な体つきにしては戦に長ける」という記述があるのだそうです。
上の写真は、リチャードの頭部のモデルと、子孫のイブセン氏。似てる?か?
「歴史は勝者によって書かれる」とは良く言われることですが、血筋的には、王座につくには、血統書つきとは言いがたいヘンリー7世とテューダー王朝にとって、リチャードの後の評判が悪ければ悪いほど、都合が良かったというのはあります。ですから、せむしの状態も誇張され、その悪者ぶりも誇張され。シェークスピアも時の統治者の気に入る芝居を書く必要があったし。(また、思いっきり根性の曲がった悪役のほうが、芝居として面白い・・・というのもあるでしょう。)
それにしても、ロンドン塔に閉じ込められ、そのままいなくなってしまったリチャードの2人の甥っ子たちは、どうなったのか、本当にリチャードが殺させたのか。どこかに、ひそかに逃がされたのか、他の人間が殺したのか。これは、おそらく、ずっとわからないままとなるでしょう。(上の絵は、ジョン・エヴァレット・ミレーの「塔の中の王子達 The Princes in the Tower」)
こうして、骸骨の素性がわかって、遺体は、来年レスター大聖堂に移され、きちんと埋葬される・・・というニュースを聞いたとき、これは、ヨーク大聖堂が黙っていないのではないか、と思いきや、案の上、早速ヨークが、「ヨーク家のリチャードはゆかりある、ヨークの土地のヨーク大聖堂へ。」と名乗りを上げたとのこと。骸骨の永住場所をめぐっての、2都市間で、ばら戦争も真っ青の、熾烈な戦いが始まるでしょうか。500年もレスターにずっと眠っていたし、ヨークに比べ、他にあまり観光名所もないレスターが、リチャードの遺体を欲しがる気持ちはわかりますが、もし、本人にお伺いをたてれば、本人は、ヨークがいいと言うんじゃないでしょうかね、きっと。私も、ヨークに一票ですが、レスターは一切、譲らない姿勢をとっているので、さて、どうなりますか。
こんばんは
返信削除歴史ずきの私はこのニュースにわくわくしてます。
さっそくシェークスピアも読んでみます。あと、映画とかありますか?
それにしてDNAってすごいんですね。
映画はローレンス・オリヴィエものが有名ですが、私は、映画館でイアン・マッケランのナチス・ドイツ風リチャード3世も見て、こちらもよかった記憶があります。本文に足そうと思いながら、最近少々時間不足です。
削除こんばんは。
返信削除リチャードさんとイブセン氏似てると思います。目と鼻が。
リチャードさんの背骨すごいですね。
彼の骨の発見から色んな議論が交わされますね。
私は彼の心理を研究してみたくなりました。人を殺したりって今よりも身近だったのでしょうけど、彼の近親殺しはどんな正当性と、どんな裏背景があったのか。
甥っ子殺しは、リチャードがやったという証拠はないのですけれど、有力貴族が、より多い土地や高い地位を求めて、支持する人間をころころかえる時代、ライバルが生きていると、自分が危ないというのはあったでしょうね。また、エドワード4世の奥さんとその親族が、力を増していたのも、周りの人間達にはおもしろくなかったようで、クラレンス公も、一度、兄エドワード4世にに反旗を翻し、後、お許しを得たものの、最終的に始末されてしまっています(これにも、リチャードが関わっているかは、不明だと思います。)
削除ご先祖様と、子孫の2人の顔はどことなく似てますね、やっぱり。